『湾岸報道に偽りあり』(36)

第三部:戦争を望んでいた「白い」悪魔

電網木村書店 Web無料公開 2001.4.1

第六章:謎の巨大政商とCIAの暗躍地帯 5

ヴェトナムの仇をイラクで討ったか

 CIA関係資料のほとんどが一九七〇年代後半に集中している。この時期にカストロ暗殺未遂などのさまざまな不祥事が続いたことも事実だが、いちばん大きな国家規模の傷口はヴェトナム戦争での敗北にあった。

 今回の戦争では、マスコミのせいでヴェトナム戦争に負けたような主張がなされ、報道規制の口実にされている。だが、ヴェトナムでの敗因の基本は、やはり、軍事戦略そのものの誤りにあった。イラク軍の壊滅的敗走以後、「イラクの軍事力を過大評価していたのではないか」という疑問が生まれているが、これは単なる予想違いという次元の問題ではない。まったくの意図的な謀略であり、長期的な戦略の基本方針であった。すでに「百万というのは全くのウソで、四十七万五千」(松原久子「戦勝国アメリカよ/驕るなかれ」『文芸春秋』91・5)などという真相暴露が続いており、私がすでに予告したとおり、ブッシュの化けの皮の剥げ方は意外に早い。

 アメリカ政府の意図は、ヴェトナム戦争を振り返ると、実に良く理解できる。つまり、以後は完全に逆の方針を立てたのである。

 ヴェトナム戦争は、日本の中国侵略と似たところがある。派遣軍司令官のウェストモーランドら軍首脳は、戦争の最初から、ヴェトコン兵力をわざと過少に見積もって報告していた。「すぐ勝つ、すぐ勝つ」といわないと、「早く手を引け」という世論が盛り上がりそうだったからである。しかし、相手を少なく見せれば、こちらも大量動員ができない。チビチビ追加しては敗北を重ねた。ハーバード大卒のCIA分析官サム・アダムスは、派遣軍発表のヴェトコン兵力を生真面目に集計し、当初の発表約二七万(実際は約六〇万)から脱走、戦死、重傷、捕虜を差し引くと、一九六六年夏にはマイナスになり、絶対勝利するはずだという解答を得た。ところが、戦争はそれから九年間続いた。発表数字のからくりを暴こうとしたアダムスは、主戦派の将軍らから「情緒不安定」と攻撃され、嫌気がさして辞任。一九七五年には、議会の情報活動調査委員会で証言台に立った。ほかにも多数の証人がいた。

 マスコミ対策をやらなかったわけではない。それどころか『CIAの情報操作』によると、フォード大統領がホワイトハウス内に設けた「CIAの国内活動に関する委員会」が一九七五年六月に出した報告書には、次のように書かれている。

「CIAは秘密工作員をジャーナリストに偽装させて海外のアメリカ報道機関あるいは外国の報道機関で活動させてきたが、報道機関の側でも十五社にのぼる新聞、雑誌、放送がCIAに協力し、これら“記事を書かない”記者の活動を黙認してきた」「ある種のCIA情報が、真実を伝えるべき新聞、放送を通じて流されている」

 協力者の人数については、一九七七年に、ウォーターゲート事件で活躍した元ワシントン・ポスト記者カール・バーンスタインが、追跡調査の実名入り暴露記事を発表した。新聞、通信、雑誌、放送で、ピュリッツァー賞受賞者や著名なコラムニストをふくむ四百人以上のジャーナリストが、過去二十五年間にわたり、CIAに情報提供などの形で秘密協力をしていた。買収費用の総額は十億ドルと推計されている。

 さて、われらの主人公ブッシュがCIA長官をつとめたのは、これらの調査委員会でCIAの旧悪が次々と暴かれ、アメリカのマスコミをにぎわしていた真っ最中、一九七六年一月三十日から一九七七年一月九日。一年未満という短い期間であったが、「CIA史上、最も高く評価され、敬愛されている元長官の一人」といわれている。その理由には、個人的な力量もあったのであろう。しかし、いちばん大きいのは、この時期、CIAの全面的な立てなおしが計られていたことである。

 CIAのダーティー・イメージを一掃するために、大統領行政命令で「合衆国のいかなる政府職員も、政治的暗殺に従事するか、従事するための謀議に加わってはならない」という禁止事項が発表された。ブッシュ長官も「CIAはアメリカのニュース通信社、新聞、雑誌、ラジオ、テレビ局およびテレビ網に正式に働くニュース特派員と、専従あるいは時間給与制による有給または契約制の雇用関係を結ばない」という声明を発表した。

 ブッシュは期せずしてCIA中興の祖となった。毛並みの良い政治家ブッシュの長官任命そのものが、改革の一環であった。OBの応援団も、すでに前年の一九七五年から結成されていた。軍隊に対する在郷軍人会に匹敵する組織、「元情報官協会」(一九八三年の資料によると会員は三千二百人。「CIAの存在を歪曲し、誤った概念を植えつける批判に対して反論する場を提供する」ことを「協会の役割」とする)など、様々な応援団体が生まれた。CIA長官の権限も強化され、あらゆる情報収集機関の責任を合わせ持ち、大統領が主宰する国家安全保障会議に出席して、大統領に直接報告する仕組みになった。

 ブッシュの主導権は、民主党のカーターが大統領となったために中断したが、四年後、共和党は大統領選挙に先立って、情報問題対策の政策を明らかにした。カーター政権下で発生したイランのホメイニ革命における失敗が、絶好の攻撃材料として使われた。

 CIAの強化はレーガンと副大統領ブッシュの重点政策であった。レーガン政権下にグレナダとリビアを、ブッシュ政権になってからパナマを、アメリカ軍が奇襲攻撃し、見事勝利した。誇大な悪者宣伝と圧倒的な戦闘体制による攻撃方法は、今回の湾岸戦争とまったく同じパターンであった。作戦計画には当然、マスコミ宣伝の謀略もふくまれていた。


(37) ジクソーパズルの暗闇の背景