『湾岸報道に偽りあり』(18b)

第二部:「報道」なのか「隠蔽」なのか

電網木村書店 Web無料公開 2017.10.25

第三章:CIA=クウェイトの密約文書 3

国連書簡とCIA=クウェイト「密約」全文

 「マスコミ・ブラックアウト」の最大の問題点は、先のベタ記事にしてもそうだが、文書の概略すらが報道されていないことである。それでは読者は判断のしようがない。文書の内容と、それが作成された時期の前後に起きた事態とを照らし合わせなければ、この種の当局文書の意味を分析することは不可能である。

 私はこのCIA密約文書を、アメリカ謀略説の決定的な物的証拠だと考えている。

 たとえば徳川幕府時代のお家騒動ならば「密書発見」で「謀反の企て発覚」、ただちにお家取り潰しに至るといったような性質の、だれの目にもわかりやすい証拠物件だ。

 裁判では、この種の相手方作成物件や主張の証拠能力を高く評価する。訴えを起こした側の主張や証言と比較すれば、格段に評価の高い判断材料として証拠認定されるのが普通である。しかもこの場合、相手方のアメリカもクウェイトも、提出された証拠をはっきりと否認する態度は示していない。なにか発言すれば世間の注目が集まると判断し、大手マスコミ企業がろくすっぽ報道しないのをよいことに、「ひとの噂も七十五日」を決め込もうとしているのだろう。だが、これが裁判で証拠の「認否」が争われていると考えれば、「不知」(知らない)という弱い態度表明にさえならない。「不知」でも、贋物だという積極的な「否認」の主張とは違った扱いであり、次の段階での「争点」としては取り扱われない。はっきりと「否認」して真偽を争わなければ、消極的に成立を認めたと同様に見なされる。裁判官は迷うことなく、これを証拠認定できるのである。ところが、アメリカとクウェイト当局の対応は、裁判所への出頭拒否に似たものなのだから、「不知」以下である。

 裁判官をメディアと置き代えて考えれば、メディアは、この文書を本物と断定してしかるべきである。いかにメディアの腰が抜けているかは、このことからも明白であろう。

 だから本書では、巻末に参考資料として収録するという方法を取らずに、まず全文を紹介する。書簡で展開されているイラク側の主張についても、その後に起こり、現在も継続中の事態と照らし合わせながら、でき得れば細部にいたるまで直接検討していただきたい。


「イラク副首相兼外相より国連事務総長あての書簡

(一九九〇年十月二十四日)

 旧クウェイト内務省国家公安局長が一九八九年十一月二十二日、内相にあてた書簡をここに同封する。この危険な文書は、同政府と米国の間でイラクの情勢を不安定化するための陰謀があったことを証明している。この陰謀について、私はすでに一九九〇年九月四日付の世界各国外相あて書簡のなかで注意を喚起した。私はそのなかで、問題の歴史的背景と、イラクに対するクウェイト指導者の陰謀的行為について次のように説明している。

『だからこそ、旧政権の指導者たちがイラク経済を破壊し、その政治体制を不安定化するための陰謀を続ける意思を持っていたと結論しなければならない。クウェイトの旧政権にいた者が、大国の支援と保護を受けることなしに、イラクのような強い国に対するかくも大がかりな陰謀に乗り出すことができたとは想像できない。その大国とは米国にほかならない』

 また、私は書簡のなかで次のように指摘した。

『私の歴史的背景に関する報告と、事件についての説明で明らかになったように、両国間の不和は単に経済問題や通常の国境問題に関してだけではなかった。われわれは二十年間にこの種の紛争を数多く経験し、クウェイトの指導者たちがイラクに対し侮蔑的な行動をとり礼を失した態度をとっていたにもかかわらず、常に彼らとできる限り良好な関係を保とうと努力してきた。だが現実には、イラク経済を不安定化し、イスラエルの帝国主義的企図とアラブ世界への侵略に対するイラクの防衛能力を崩そうとする組織的な陰謀があり、さらにクウェイトの旧指導者らが、米国の支援を得て意図的に参加したということである。そこでは、イラクの政治体制を弱め、この地域における米国の覇権、特に石油資源に対する覇権を強めることが狙いだったに違いない。事実、サダム・フセイン大統領がバグダッドでのアラブ首脳会談で宣言したように、そして私がアラブ連盟事務局長あての書簡のなかで強調したように、これはイラクに対する戦争だった』

 この資料は、米CIAと旧クウェイト政府の情報機関が共同で、イラク国家の安全と領土保全と国民経済に対する陰謀を企てたことを疑いようもなく明白な形で証明している。

 この書簡と付属文書を安全保障理事会の正式文書として配布していただきたい。

 一九九〇年十月二十四日、バグダッドにて

イラク副首相兼外相タリク・アジズ


 極秘・親展

  サレム・アッ・サバハ・アッ・サレム・アッ・サバハ殿下・内相あて書簡

(一九八九年十一月二十二日)

 一九八九年十月二十二日の謁見の際、殿下より与えられた命令に従い、私は一九八九年十一月十二日から十八日まで、アハマディ州庁の調査局長イシャク・アブド・アル・ハディ・シャダト大佐を伴い、米中央情報局(CIA)本部を訪問しました。米側は、湾岸協力会議の兄弟国、イランとイラクの感情を考慮して、この訪問を極秘扱いとするよう強調しました。

 私はこの書簡で、一九八九年十一月十四日火曜日に米CIAのウィリアム・ウェブスター長官との非公式会談で合意した主要点について殿下に報告します。

(一)米国は、われわれが選んだ人物を首長殿下とサアド・アル・アブドラ・アッ・サレム・アッ・サバハ皇太子殿下の警護要員として養成する。教育と訓練はCIA本部で行われることとし、その数は百二十三名とする。そのうち何名かは皇太子殿下により定められた首長家のための特殊任務につくこととする。

 この件に関し米側は、かつて首長殿下へのテロがあった際の首長家警護隊の行動が満足すべきものではなかったと述べた。

(二)われわれは、クウェイト国家公安局と米CIAの間で、あらゆるレベルの相互訪問を行うこと、さらにイラン、イラクの軍備、社会・政治構造に関する情報交換を行うことで米側と合意した。

(三)われわれは、対米会談の際の優先課題とすべきだとの首長殿下の指示に従い、クウェイト国家公安局の組織を改善するため、CIA専門家の助力を要請した。われわれは、国家公安局内にコンピューター・システムと自動装置を設置し、湾岸地域の変化と国内情勢に対応した新戦略を起案するため、米CIAの経験に助力を得たいと考える。

(四)米側は、われわれの要請に基づき、クウェイト国内および湾岸協力会議諸国内のシーア派過激グループの活動に関する情報を交換する用意があると言明した。ウェブスター長官は、イランに支持された勢力と戦うためにわれわれのとった措置を歓迎し、さらにCIAが湾岸地域の緊張を除くため共同行動をとる用意があるとわれわれに確認した。

(五)(すでに紹介したイラク対策部分そのままなので、ここでは省略する)

(六)米側は、クウェイトとイランとの関係について、一方では両国がいかなる接触も持たないで済まされるように、そして他方では、表向きイラン・シリアの同盟支持に努めつつ、イランに対しできる限りの経済的圧力をかけるべきだ、との見解である。米側と一致したのは、クウェイトが公にはイランに関する否定的発言を避け、仮に発言してもアラブ諸国の会合に限るべきことである。

(七)われわれは、CIA麻薬局の専門家から、相当な額のクウェイトの資金がパキスタンやイランにおける麻薬取引の活発化に使われていること、かつ、この取引が拡大すればクウェイトの将来に有害な結果をもたらすこと、などを聞いた後、国内での麻薬との戦いが重要であるとの点で一致した。

(八)米側は、文書による通信を必要としないような両国間の見解・情報の迅速な交換を促進するため、衛星電話回線をわれわれに一本提供した。電話番号はウェブスター長官専用の(二〇二)六五九-五二四一である。

 殿下よりの指示を待ちます。

敬具  

クウェイト国家公安局長  ファハド・アハマド・アル・ファハド准将」


 さて、全文を紹介した上で先に進むが、文書中の「イランに対しできる限りの経済的圧力をかけるべきだ」という部分についてだけ、当時の合意の意味と、その後の経過を指摘しておきたい。

 石油の輸出に国家財政が大きく左右されるという点では、イランはイラクと同じ経済構造を持っている。だから、この「経済的圧力」の方法は、イラクに対してと同じでよかった。石油価格引き下げが、まさに一石二鳥の効果をもたらしたわけである。湾岸戦争後の経過は第三部で詳しく述べるが、アメリカ支配のサウジアラビアとイランが裏舞台で提携して、石油価格の安定化を図るという力関係ができた。イランとアメリカの外交関係も修復に向かっている。


(19) テレビ朝日『ザ・スクープ』のみが概略を報道