『湾岸報道に偽りあり』(19)

第二部:「報道」なのか「隠蔽」なのか

電網木村書店 Web無料公開 2001.1.1

第三章:CIA=クウェイトの密約文書 4

テレビ朝日『ザ・スクープ』のみが概略を報道

 さて、大手マスコミ企業でこのCIA密約文書の存在を報道したのは、テレビ朝日の『ザ・スクープ』(91・7・26)だけだった。せっかくのテレヴィ的な映像演出を平板な活字になおすのは不本意だが、その主要部分を紹介しつつ、若干補足しておきたい。

 平和の女神にかぶせて「検証:アメリカの正義」の題名スーパー。

 紙吹雪の舞う戦勝パレード風景に続いて、得意げに演説するブッシュの顔が崩れ、いかにもしてやったり、笑顔を隠し切れずにニヤリという感じの表情になったところでストーップモーション。そこに「Part1:アメリカ謀略説」のスーパー文字がかぶり、クールな調子のナレーションが流れる。

「世界中でひそかにささやかれるアメリカ謀略説。私たちは数々の極秘文書を入手した。果たして謀略はあったのか」

 キャスターの二人、鳥越俊太郎と田丸美寿々が自己紹介し、最初の文書、アメリカのイラク大使グラスピーとサダム・フセイン大統領の会談記録を紹介した後に、黒い画面をバックにして、ナレーターの声と一緒に白文字のスーパーが右から一行づつ現われる。

「戦争を始めるためには、それがいかに正義であるかということを、繰り返し述べねばならぬ。一旦勝ってしまえば、その戦いが正義であったか否かを問い質す者はいない。

アドルフ・ヒトラー」

『ザ・スクープ』はワシントンで、まず現CIA長官ウェブスターに会見を申し入れるが、拒否される。

 元CIA長官(1973.9.4-1976.1.30)のコルビーは会見に応じたが、文書を示されると、「いたく不機嫌になった」。放映された画面では、固い表情でカメラをにらみ、同じ台詞を二度繰り返すだけだった。

「このことについてはなにも知らない (I don't know anything about)……」

 コルビーは弁護士だが、CIAの前身OSSの二代目長官で実質的な創設者でやはり弁護士だったドノヴァン(あだなはワイルド・ビル。一代目はFBI長官のフーヴァーが兼任)の事務所の後輩である。その後、各国大使の補佐官などの立場でCIA生え抜きの活動を経験している。長官への起用は、ニクソン大統領が辞任に追い込まれたウォーターゲート事件の処理という、CIA史上でも難局中の難局に当たってだった。この大変な曲者が、否定するわけでもなく、こういう不器用な返事しかできないのだ。大いに思い当たることがあるのだろうという心証を強くする。

 元CIA工作員で『CIA日記』(『Inside the Company…CIA Diary 』)を書いた作家のフィリップ・アギーは、実感をこめてうなずき、噛んでふくめるように語る。 「この文書は、何か真実を示唆しています。つまりCIAが、占領前にクウェイトの保安部隊と非常に密接に関係していたということです。今も絶対に同じ関係を持続させています。CIAは世界中で活動しているのです。そして、多くの国々の保安機関と密接な関係を保っているのです」

 国防情報研究所のジョー・キャロルは静かな口調でキッパリ断言する。

「私は、これは、間違いなく本物だと思います。私の読むかぎり、この文書の中に、CIAとクウェイトの指導者との間に……こういった計画があったことを疑う余地はありません。文書の中には、絶対に本物だといえる専門的フレーズが何ヵ所もあります」

 さてそこで、イラクを経済的困難に追い込んだ後、CIAとクウェイトは、どういう作戦を準備していたのだろうか。もう一つのアラビア語の押収文書の下の方には、斜めに数行のメモが加えられている。内容は、クウェイトのジャビル首長からサアド皇太子に当てたものだ。七月三十一日には、サウジアラビアのジッダで、イラクとクウェイト間の紛争解決のためのアラブ首脳会談が開かれたが、サアド皇太子はそこにクウェイト代表として出席していた。ジャビル首長の署名入りでこう書かれていたというメモのスーパーが入る。

「イラクのいうことには耳を貸すな。我々にはワシントンとロンドンがついている。我々は、彼らが考えるより、ずっと強いのだ」

 なお、このメモ入り文書の存在についても、テレビ朝日以外の大手マスコミ企業の報道は見かけなかった。テレビ朝日では、この『ザ・スクープ』以前にも戦争中に、この文書とジッダ会談から侵攻への裏話を報道していたが、それは外国製の「ヴィデオ」そのままらしかった。私は出所を確かめるために電話をかけたが、回答は得られなかった。この文書は、CIA密約文書に次ぐ証拠価値を持つものである。「次ぐ」という評価の理由は、メモの内容が漠然としており、個人名やCIAなどとの直接の関係を明記していないためである。もっともそれだから、アメリカの大手メディアが早くから、安心して報道の材料としたのかもしれない。個人や組織を名指しで攻撃する結果となる報道に踏み切るには、それなりの覚悟が必要だからだ。

 また、これは不思議なことだが、先に紹介したとおりにCIA密約文書の全文を載せた『湾岸戦争――隠された真実』では、なぜか、この「メモ入り文書」を取り上げていない。「メモ入り文書」の全文を載せているのは、現在までのところ、アルリファイの『アラブの論理』だけのようだが、それによると「次の通りの内容であった」。

サード皇太子宛て

 会議には既にわれわれが同意した通りの立場で臨むように。われわれの国家利益が最も重要なことである。サウジアラビアの人間やイラク人がアラブの兄弟関係や連帯について語っても耳を傾けてはいけない。どちらも自分たちの利益がかかっているのだから。サウジアラビアはわれわれの立場を弱め、イラクに対してわれわれを屈服させて、将来、国境地帯を彼らに与えることを望んでいるし、イラクはイラン・イラク戦争の負債をわれわれに支払わせようとしているのだ。

 このようなことは、どれも起こってはならない。これはエジプト、ワシントン、ロンドンの友人たちの見解でもある。

 われわれは、彼らが考えているよりも強いのだから、交渉では自らの主張に固執するように。成功を祈る。

  署名:ジャビル・アル・アハメド・アッ・サバハ

七月二十九日」

 さて、ジッダ会談は事実、クウェイトの予想以上の強腰もあって決裂した。

『ザ・スクープ』が、このメモ入り文書の入手者として紹介したのは、カリフォルニア州立大学教授でジャーナリストでもあるマイケル・エメリーだが、彼はさらに、ヨルダンで裏づけ取材を続けていた。

「この裏には何があったのでしょう。私は今年に入ってずっと真相を調査しており、二月にはヨルダンに行き、国王とその他の人々に取材しました。どうやらこの裏にあったのは……『サダムが侵攻に出れば、アメリカは応援にくることを約束しよう』……ということだったようです。ジッダ会合の数日前には、皇太子自身が軍の幹部を呼んで……『もし侵攻があったならば、とにかくサダムの軍隊を二十四時間食い止めろ。そうすればアメリカがやってくるだろう』……と伝えているのを突き止めました」

 エメリー教授は、アメリカがわなを仕掛けたと推測する。サダムが踏み込むのを待って、「逃がさないようにロープを引っ張り、戦争になった(We had a war)」というのだ。


(20) ペルシャ湾で警戒態勢を発令したアメリカの姿勢