『湾岸報道に偽りあり』(18)

第二部:「報道」なのか「隠蔽」なのか

電網木村書店 Web無料公開 2001.1.1

第三章:CIA=クウェイトの密約文書 2

大手メディアは知りながら無視ないしは軽視

 これらのクウェイトの行為が、アメリカと示し合わせた謀略だという疑いの物的証拠として最有力なものは、イラクがクウェイト侵攻後に現地で押収した当局文書である。その一つによれば、一九八九年、クウェイト国家公安局長はCIAを「極秘」に訪問し、「非公式会談」を行なっている。「合意した主要点について」の「報告」の中には、次のように事実経過と見事に符合する部分がある。

「イラクの経済情勢の悪化を利用して、イラクがわが国との国境を画定しようとするよう仕向けることが重要である、との点で米側と一致した。CIAは、彼らがふさわしいと考える圧力のかけ方を説明し、こうした活動が高いレベルで調整されることを条件に、両国間の幅広い協力関係をつくるべきだと詳述した」

 この文書の内容は『週刊ポスト』(91・1・4/11)が日本では一番早くスクープ報道しているが、ここではピエール・サリンジャー他による『湾岸戦争 隠された真実』の巻末資料の訳文を引用した。サリンジャーはケネディ政権の報道官で、現在はアメリカ三大ネットワークの一つであるABCの欧州中東総局長という立場。アメリカ当局がこの文書に関して沈黙を守っていることなどから、信憑性ありと主張している。

 私がこの文書の存在に初めて気づいたのは、右に記した『週刊ポスト』の記事によってである。その後の私とこの文書のふれあいは、一つのメディア体験でもあるので、以下、簡略に事実経過に添って記す。

 私は、『週刊ポスト』の定期購読者ではなく、電車の中吊り広告を見て記事の存在を知り、早速買い求めた。中吊り広告以外にも、あのデカデカと書き立てる週刊誌特有の発売当日広告は、大手新聞のすべてに掲載されていた。だから私は、この記事の存在に気づかなかったというマスコミ関係者に対しては、失礼ながら「感度鈍し」という評価をせざるを得ない。CIAと中東の深い関係については第三部でふれるが、大手メディアは、このCIA・コネクションと湾岸危機の関係についても、まったく報道しなかったといってよい。

『週刊ポスト』の記事の表題は「スクープ!/米国=クウェイト密約文書を入手!/湾岸危機はCIAの陰謀だった」であり、スクープの主は、パレスチナ問題を追い続けてきた報道写真家の広河隆一である。だが、広河が問題の文書の存在を知った情報源は、「レバノンの知人を通して」としか記されていない。「アラビア語で綴られた4枚の文書」の入手経路も明らかにはされていなかった。

 その後、私は日本の雑誌社を通じて、イラク大使館の専用便箋に日本語訳が印刷された文書を入手した。内容は同じもののようだった。「ようだった」というのは、『週刊ポスト』の記事には文書の全文が載っていなかったからである。雑誌社の話によると、「イラク大使館が流している」ということだった。どの大手メディアも報道していないという事情も手伝って、いかにも「アングラ情報」らしい匂いが漂っていた。

 ところが、『湾岸戦争/隠された真実』の巻末参考資料を熟読してみると、事情がまったく違うことが判明したのである。

 この文書は、なんと、一九九〇年十月二十四日というかなり早い日付で、イラクのアジズ外相から国連事務総長宛ての公式書簡の付属文書として提出されており、しかも書簡の末尾には、「安全保障理事会の正式文書として配布していただきたい」という要望が加えられていたのであった。イラク側は、それゆえなにも、この文書の存在をアングラ扱いする必要はなかった。隠すべき理由はなにもなかったのである。ではなぜ、この文書の存在と内容は、しかるべく報道されなかったのであろうか。

 そこで私は早速、通信社のトップクラスの友人をつかまえて、「サリンジャーが入手できた国連総長宛ての文書を、なぜ日本の記者は入手できなかったのか」と聞いた。すると彼は、こともなげに、こう答えた。

「入手できないはずはない。しかし、あちらにいた記者が、そういう問題意識を持っていなかったのだろう。日本の記者は普段から官庁の発表を追うのが精一杯で、裏情報を探る姿勢を失っているんだ」

 いわれてみれば、そのとおりで、同じ趣旨の報道批判は随所に発見できる。

 現在までのところ、この文書の存在を報道したのは、週刊誌では『週刊ポスト』だけ、テレヴィではテレビ朝日制作、全国系列で七月二十六日放映の『ザ・スクープ』だけである。新聞はまったく報道していない。共同通信は事後になって、先に紹介した『湾岸戦争――隠された真実』を出版しているが、本来の業務である契約社へのニュース配信はしていなかった。講談社も事後に、イラク大使アルリファイの著書『アラブの論理』を出しており、その中にはこの文書も出てくるが、『週刊現代』では取り上げなかった。この際、興味深いのは、『湾岸戦争――隠された真実』と『アラブの論理』の訳者が、ともに共同通信の現役記者だったことである。当然、「知らなかった」わけではないのだ。こうした報道状況は、日本の大手マスコミ企業の姿勢を象徴している。

 さて、ここまで書いてから、私は不安になった。ことわざにも「七度(ななたび)探して人を疑え」とある。本当に大手メディアは当初から知らなかったのだろうか。取材しなかったのだろうか。報道しなかったのだろうか。また、イラク側もいかに広報が下手とはいえ、国連事務総長に提出した重要文書について、まったく記者会見もせず、公式ルートで流さなかったのであろうか。私は、ジャーナリストの友人知人に会う機会をとらえては、この文書に関する大手メディア報道を見たかとたずね、だれからも否定の返事を得ていた。しかし、油まみれの水鳥に関しても、それ以前のアメリカ軍の石油関係施設爆撃はベタ記事しかなく、私自身も見逃していた部分があった。

 もしやと思って、念のために図書館で縮刷版を調べることにした。日付は、アジズ外相が国連事務総長に文書を提出した一九九〇年十月二十四日以降でよいだろう。

 するとやはり、ちいさな、ちいさな、ベタ記事があったのだ。

「侵攻前にCIAが経済的圧力を画策。駐米イラク大使語る」の一段三行見出し。

「[ワシントン三十一日=定森特派員]マシャト駐米イラク大使は三十一日、記者会見し、イラクが湾岸危機の交渉による解決になお望みをかけていることを明らかにした。その一方で、米国がイラク軍によるクウェート侵攻前に米中央情報局(CIA)を通じてイラクに圧力をかけ、当時のイラク─クウェート国境を認めさせようと、米・クウェート両国が合意していた、と非難。そのやりとりを示す文書があると述べて、そのコピーを記者団に示した」(『朝日』90・11・1)

「対イラク秘密工作/米・クウェイト検討。駐米イラク大使」の一段二行見出し。

「[ワシントン三十一日=三科記者]マシャト駐米イラク大使は三十一日記者会見し、米国とクウェートの情報機関が対イラク秘密工作を検討していたとするメモを発表した。メモはクウェート保安当局から押収、ウェブスター米中央情報局(CIA)長官とクウェートの情報機関が八九年十一月に会談し、イラクの経済悪化をイラクとクウェートの国境問題解決に利用することで合意したという。同大使はクウェート侵攻以前から、イラクに対する工作計画があった証拠として、米国を非難した」(『日経』90・11・1)

 その他、読売と毎日の縮刷版紙面からは、なにも発見できなかった。私は正直いうと、これらのベタ記事を発見した瞬間、いささか気落ちした。それまでは、大手メディアはまったく無視した、取材さえしていなかった、という強烈な「マスコミ・ブラックアウト」の実感を持っていたからだ。

 しかし、さらに考えなおすと、ベタ記事という取り扱いは、本来、ブラックアウトすれすれのようなものなのである。私だけでなく、ほとんどの読者にとって、このイラク側「当局発表」は、存在しないに等しかった。ベタ記事を見たとしても、文書の内容と意味は、ほとんど報道も論評もされてはいなかったのだ。しかも朝日新聞の場合、私はすでに、「なぜこの文書の存在を報道しなかったか」という問を発していた。その際の編集局からの回答は、「編集権の問題だから説明しない」というものであって、「ベタ記事で報道した」とはいわなかった。朝日新聞の記者すらが、自社のベタ記事報道を見落としていたのであろう。逆にこのベタ記事は、さらに重大な疑問を抱かせるものである。

 日本の大手メディアは、イラク当局発表を、いったんは受けていた。取材の努力すら必要ではなかった。だが、その重要性に気づかなかったのか。それとも、意味を理解しながら意図的に軽視ないし無視したのか。ともかく、黒い水鳥の場合と同じく、アメリカ寄りの報道姿勢を保ったと判断せざるを得ない。この「密約疑惑」が、お得意の一面トップ超大見出しで詳しく報道されていたなら、武力制裁は防げたかもしれない、と思えばなおさらのことである。


(18b) 国連書簡とCIA=クウェイト「密約」全文