《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!
電網木村書店 Web無料公開 2003.12.1
第三章 NHK=マスコミ租界《相姦》の構図 4
スマイル作戦とマスコミ報道シャットアウト作戦
NHKによる総評系の労組対策については、上田哲“闇将軍”の一件で、大方お察しの通りである。つぎに恐いのが、共産党系の勢力だが、これには「政党座談会」等の番組への出演で、大幅な譲歩をしている。早くも十年前、元読売新聞記者の本田靖春が、「ゆれ動くNHK王国を解剖する」と題したレポートの中で、共産党とNHKとの“密月”説をにおわせたりした。
「内に経営悪化、造反、外に政府干渉、偏向批判、受信料不払いと、さしもの王国も、多事多難である。
政党討論会に共産党が出席するようになったことと、赤旗のテレビ欄がNHKの番組を優先的に扱っていることを結びつけて、NHKと共産党の“蜜月”を取り沙汰する向きまで出てくる始末。ちなみに七月十目付の赤旗をみると、NHKの番組紹介は全部で九本、民放は全局あわせて四本とNHKが圧倒している。だから、共産党による不払い運動の組織をおそれるNHKと、スマイル路線の中での全国ネットワーク利用をはかる共産党の、双方の思惑が“道ならぬ恋”を生んだというのである。NHK側は『うちの番組が赤旗に多いのは、赤旗がこまかい版建てをとっていない全国紙で、NHKが全国放送である、たったそれだけの理由』と、もちろん否定する」(『現代』’71・9)
たしかに、十数%の得票率ながら、組織力を誇る共産党がNHK受信料の不払い運動を始めたら、御家の一大事であろう。財政だけではなく、制度論争ともならざるをえない。そこで、共産党の代表がテレビ出演するという時代に、なったのだが、それで丸めこまれては困る。NHKでの放送をテープ録音して、それを『赤旗』に転載していればよいというものではないだろう。
ともかく、以上が主要な野党なり、反対勢力ヘの対策。そして、すでにふれた「NHK視聴者会議」への、警官動員騒ぎまであった。
もちろん、この暴挙に対しては、世論も反撃し、市民運動はかつてなく盛り上がった。市民運動というものは、組織力が弱いので、マスコミ報道のあるなしが、その消長を左右する。そのマスコミに対しては、すでにふれたような「ラジオ・テレビ記者会」以下の複雑な仕掛けがあったのだが、飯田“広報室長”の暴言があって、しばし歯止めが効かなくなっていた。
そこで、一九七五年には、『朝日新聞』にさえ、つぎのように、「NHK受信料値上げ反対、市民団体が連絡会議」という二段見出しの記事が出た。
「今年度二百十六億円の赤字予算を計上、『経営危機』に直面しているNHKは、来年度からの受信料値上げの準備を進めているが、NHKの『値上げ宣言』の先手を打った形で十八日、市民団体による『NHKを私たちのものにするため値上げに反対する連絡会議』(仮称)が発足、東京都渋谷区の新橋区民会館で初会合を開き、全国的な値上げ反対運動に乗り出すことを決議した。
連絡会議の呼びかけ団体は『全国放送市民センター』(世話人西片浄さん)『NHK視聴者会議』(佐野浩代表)『テレビを告発する会』(滝沢江子会長)の三者。いずれも『NHKの番組は一方的で視聴者の声が反映されていない』などの理由で、これまでもNHK批判を進めて来ているが、『今後は値上げだけに反対する層とも共闘する』として消費者団体、婦人団体や労働組合にも働きかけることにしており、現行の受信料でも『不払い』や『未払い』の拡大に悩まされているNHKとしては、値上げ乗り切りに新たな難問をかかえることになりそうだ。
連絡会議の結成大会では、各団体や参加者が、『現在のNHKの放送は公正・中立の大義名分のもとでゆがめられ、国民の利益を代表していない』などきびしくNHKを批判、『財政危機』についても『巨大化のためにNHKが自らの責任で作り出した赤字のツケを国民に回すのは責任転嫁だ』と非難した。
NHKは、受信料を現行のまま据え置いた場合、来年度以降赤字はさらに大幅にふえるとして、受信料値上げの意向を固め、すでに七月から外部の有識者による『NHK基本問題調査会』を設置、受信料値上げに対しての『国民的合意』を得る努力を重ねている。連絡会議側では、『基本問題調査会の設置や、八月に改選されたNHK経営委員に春野鶴子主婦連副会長を選任したことなどは単なる世論工作にすぎない』と強く反発しており、近く行われると見られる公式の値上げ宣言とともに対立は一層深まりそうだ」(『朝日新聞』’75・10・19)
これらの市民運動そのものも、一編の物語である。しかし、細部の模様は別の機会に譲らざるをえない。ここで問題なのは、さすがNHK、市民運動が進むと見るや、「外部の有識者」とやらをかき集め、「NHK基本問題調査会」という屋上屋を重ねるトーチカ作りに走ったことだ。これらの“高等戦術”の諸相も、のちの章の課題とするが、さらに際立って権柄づくだったのは、民放テレビ局対策である。しかも、このケースのNHKの論理を許せば、事件当事者の民放出演のすべてを、妨害できることになるのだ。
一九七六年一月三十日、UHF局の千葉テレビが、生番組「スペシャル・フライデー46」で、「わが愛する国民の放送局NHKを激励する大討論会」を放送した。午前十一時から五時間にわたるもので、単独U局としては、新境地を開く番組枠であった。
ここで、NHKから解雇されたディレクター龍村仁に対する出演拒否事件が起こった。翌日の『朝日新聞』は、つぎのように経過を伝えている。
「『スペシャル・フライデー46』は、二十三日からスタートした新番組で、放送評論家や学者の集まりである『放送批評懇談会』(鈴木均理事長)が全面的に制作に協力、プロデューサーや司会者も引き受けて話題を呼んだ番組。三十日の二回目には『放送界のタブーを破って、値上げを控えたNHKの問題を取り上げよう』という企画で、今月初め局側との合意ができ、会員で評論家のばば・こういち氏が司会者兼プロデューサーを担当することになり、テレビ司会者の栗原玲児氏、下重暁子さん、作家の田中光二さん、プロデューサーの和田努さん、元ディレクターで映像作家の龍村仁さんらNHK出身者に出演を依頼していた。
ところが、千葉テレビ側が、このうち龍村氏について、放送三日前の二十七日になって『一昨年七月にNHKを懲戒免職になったことで、現在東京地裁で係争中なので、裁判の一方の当事者だけを出演させるのは、民放連の放送基準第二章第八項に触れる』と出演拒否を申し入れた。これに対し『全員の出演は不可欠。裁判をテーマにした番組ではないので問題はない』とする放送批評懇談会側と対立したまま、三十日のナマ放送を迎えた。
番組が始まってからも、ばば氏は再三局側の再考を訴え、同時に別室での交渉経過も懇談会の会員がレポート、また栗原さんら他の出演者も『出演拒否の理由はない』と主張したため、千葉テレビ側は、責任者の鳴海景介企画部長がスタジオで釈明を繰り返した。この模様は、すべて放映され、期せずしてテレビの内幕まで紹介するドキュメンタリーになってしまったため、スタジオの電話にも『出演させるべきだ』『出演させなくてもいい』という視聴者の電話が相次いだ。
結局、放送終了十五分前に、局側が『電話の声だけならいいが出演はさせられない』と最終決定をスタジオに通告。ばば氏は、龍村氏に電話して『このような自主規制が大きくなるとNHKになってしまう』という龍村氏の短い発言を紹介したあと、三時五十二分に『やはり納得出来ない』と退席。番組は鈴木理事長が司会を代行、出演者一同重苦しく口をつぐむという状態で終わった」
事件の大筋は、こういうことである。ただし、当日の出演者は他にもいた。さきにふれた視聴者運動の代表者である。平凡社勤務で和光大学の講師もしている永畑恭典は、その事情を、こう書いている。
「私は偶然の機会から、この番組に参加することができた。それは、私が放送批評懇談会の鈴木理事長と、二十年来の知り合いであり、さらに『全国放送市民センター』という、視聴者運動の代表世話人であったからである」(『自由』’76・5)
永畑は、NHK受信料値上げ反対、さらには受信料不払い運動を展開中の立場だった。龍村仁の出演拒否が騒ぎにならなければ、受信料不払い問題は、もっとクローズアップされるテーマだったのである。NHKの妨害工作が、そこまで先読みをしていたとも思えないが、事実はそうなった。永畑は、さらにこうつづけている。
「一月三十日に千葉テレビの鳴海企画部長は、龍村出演問題に関連して、『開局以来、五年目の地方のU局では、やはり係争中の龍村氏には遠慮してもらわねばなりません。免許のこともありますし……』と洩らした。免許とは郵政大臣による電波割当のことである。大臣による、とはいっても、これには諮問機関があり、その答申にもとづいて、割当が決まることはいうまでもない。しかも、その審議会のメンバーにはNHK関係者が多い、ということである。NHK批判をやったU局がニラまれるのは当然である。これは直接NHKが手を下すことではないかもしれない。しかし、NHKはNHKを批判する勢力を、手を下さないで圧殺することが可能である。いや、可能であるほどNHKは権力をもっているのである」(同前)
そこで、もうひとつ疑問なのは、『一方の当事者だけを云々」という“妨害”理由である。龍村の裁判が問題なら、“もう一方の当事者”たるNHKの代表が、自分の出演を要求すればよいのだ。かつての共産党も、それで粘ったはずだ。しかし、NHKの出演要求は、すんなりと受け入れられるだろうから、その手は使わずに、“闇から闇”に龍村の抹殺を計ったのだ。しかも、同じ論理でみておかしいのは、受信料不払いの運動家が出演するというのに、こちらには「一方の当事者だけ……」といってはいない。要するに、いいがかりをつけにくい部分は、避けて通る戦法なのだ。
“いいがかり”といえば、ここでも労使協調の一例がある。ある民放テレビの番組で、NHK批判の企画を組んだところ、日放労の幹部と名乗る者から電話がかかってきた。台本を見せろというので、どういう意図で調べるのかと問い返したところ、「日放労がどうのこうの、という場合が考えられるから……」などと口を濁したという話だ。電話だから、本当に日放労の幹部かどうかは確かめようもないが、こんなことは他の大企業を取り上げた時にも、起こったためしはないという。
もちろん、というべきか否か、NHKは公然たる番組干渉もしている。「NHKが沈黙を破って抗議!」というのが、『週刊読売』の「NEWS OF NEWS」欄の見出しで、こうある。
「大抵のことは小石のごとく黙殺するあのNHKが、日本テレビに抗議した。
十一日、NHKの佐藤広報室長が日本テレビの津田制作局長を訪ねて『公正を欠く』旨、口頭で申し入れを行ったのだ。
モンダイとなったのは、八日の『11PM』巨泉は考えるシリーズ、題して『拝啓NHK様! 一体あなたは誰のもの!?』。
ショッパナから日の丸をハタハタさせ、『君が代』を流す(つまり、NHKの毎晩放送オワリのパロディー)というセマリ方。パロディーあり、大討論ありと振幅はげしく“考えた”わけである。
NHKがオコッた理由は、こうだ。
『“公共放送をくだけた形で紹介するもので、NHKに働く人たちを批判するものではありません”という趣旨だったので、カメラもNHK内部に入ってもらったし、インタビューにも応じたのですが、結果は、公正を欠いている印象だった。とくに、集金人のパロディー部分は許せません。われわれは、放送法の制度を順守しているにすぎないのですよ』(NHK・佐藤広報室長)と言う。
日本テレビでは、訪中している小林社長の帰国を待って『何らかの返答をすることになると思う』(日本テレビ・勝田ディレクター)。
巨泉は終わりに、『NHKの方でこの番組に発言があれば、次の機会にぜひ来ていただきたい』と言っていたが、さてどうなりますかな」(同誌、’76・3・27)
ただし、この例外的な“表沙汰”(とはいっても、テレビには映らず)抗議は、NHK自身の意志ではなく、「日の丸」とか「君が代」のことになると“血が騒ぐ”向きからの圧力に屈した動きと見る人もいる。
さて、以上のような民放テレビヘの干渉が何度かあり、電波戦線はヒビワレ状態。NHK内部にも、ミニコミ批判等に良心のうずく向きもあってか、自前の「NHK批判?」番組が企画された。だが、やはりそこはNHK。小田原評定の挙句の果てに、ついに“裸”になるのはいや! という向きが大勢を占めた。『週刊新潮』の「結局“自己批判”番組はムリ、NHKの唯我独尊」と題した一文は、なぜか「スポーツ新聞ハイライト」欄なのだが、こうなっている。
「二年後には八百億円を超える赤字、ふえる一方の受信料不払いなど難問をかかえるNHKが、何を思ったか坂本朝一会長以下経営陣をそろって出演させ、大橋巨泉らアンチNHK派を招いてスタジオで丁々発止とやる二時間の特別番組を計画した。よせばいいのにと思っていたら、案の定、お流れになってしまった。東京中日(5・16)は『裸になれなかったNHK』で、この間の経緯を書いている。
この特別番組は、これまでNHKを厳しく批判してきた評論家、学者、芸能人を一堂に集め、坂本会長をはじめ、堀四志男専務理事、中塚昌胤専務理事の放送、営業部門の最高責任者が出演し、問題点を洗いざらい討議しよう、というドキュメンタリータッチのものだった。当初の放映予定日はさる三月二十二日の放送記念日だったが、『企画に問題あり』として四月一日に延期、そしてさらに無期延期となってしまった、という。ここまで後退した背景には、局内の『受信料不払いや、NHK批判は鎮静化した。改めて火をつけ、油を注ぐことはない』とする放送反対派が、『国会でも放送することを約束したはず。NHKは、決しておかしな企業じゃない。この際、裸になって存在を問うべきだ』との放送賛成派を抑えこんだため、とみられている??というのが同紙の見解。二時間の放送時間で三月七日には仮台本も完成し、『日本の戦後』などを手がけたスペシャル番組班が担当、というところまで決って、意欲的とみられていた番組も、結局は、事なかれ主義のNHKらしい決着となってしまったわけだ。が、それでも一応は見せかけだけでも、と考えたのか、代りに登場したのが、前文相の永井道雄氏、作家の松本清張氏をかつぎ出して、坂本会長と語り合う対談番組『放送を語る』(仮題)という番組(注=放送時間は四十分で、五月二十二日収録)」(同誌、’78・6・1)
この際、NHK広報室は、「会長から企画の見直しという注文が出て再検討している」と語ったようだが、大橋巨泉を呼ぶ気配はない。NHKの「再検討」も、国会答弁用語と同じで、少なくともそのままでは「やる気なし」の意味である。なお、これには、のちにふれる後日談がある。
もっとも、民放テレビによるNHK批判も、まことに散発的。核心に迫ったとはいえない。しかも、民放経営者の動きには、読売グループの日本テレビが発火点だけに、あやしい雰囲気がある。というのは、一九七五年の秋には、日本民間放送連盟(民放連)の会長(当時)だった日本テレビ社長の小林与三次が、受信料のNHKによる独占に、ちょっかいを出しているのだ。
「NHKの徴収する受信料は、自らの放送の受信に対する対価ではなく、全民放をも包括したすべての放送の受信に対する受信者の出損と考えるべきものであります」(『月刊民放』’75・11)
相呼応して、他のテレビ局社長も、「視聴者は民放も見ているから満足して受信料を払っている」といった記者会見発言。これらが、国会の逓信委員会でも取り上げられている。
受信料を民放にもよこせという話は、いままでにも何度か出ている。しかし、民放側が本気で放送法の改正に動いたなどという事実はない。国会を揺り動かす法改正運動どころか、改正案の提出すらなしに、ただブツブツいっても現実には何の意味もないのだ。とりわけ日本テレビの小林社長は、元内務官僚で自治省事務次官任期の最長記録保持者。法の何たるかを一番心得た立場にある。だから、この“ちょっかい”の真意は、別にあると考えなければならない。つまり、何らかの目的で、NHKに揺さぶりをかけ、自分に協力させようとしたのだろう。
そして、この時期からの小林の突進目標が、テレビ音声多重放送にあったことは、あまりにも有名な話だ。ラジオ系列を持たない読売新聞=日本テレビ・グループは、巨人戦の後楽園中継独占権で、ラジオ関東を系列下に組み敷こうとしたり、FMの免許申請をしたりした。テレビ音声多重放送では、「補完利用」の試験放送でわざと範囲を逸脱。郵政省相手に“横紙破り”の勇をふるって見せた。背景には、“オンセイタジュー”新型テレビのコマーシャルが、軍艦マーチよろしく鳴り響いていたし、新聞のファクシミリ電送をめぐる権益確保の前哨戦たけなわであった。
一方のNHKには、ラジオの中波二つ、FM一つがある。音声多重も、「電波新聞」も、急ぎの御用ではない。しかし、電波行政では、NHKの占める位置は大きい。テレビの発足、カラー放送認可と、いずれも“奇襲戦法”で知られた日本テレビの故正力松太郎ワンマンが、NHKを挑発しながら実現している。多重放送も、これと同じパターンの再現なのである。
だが、奇襲、挑発、はたまた陽動作戦なり、からめ手作戦なりとしても、軽々しく受信料を云々した責任は、今度は視聴者側から追及しなければならない。結論から先にいうと、それだけ欲しがるなら何%か「負担金」を分けようではないか、ということだ。ただし、当然のことだが、民放も視聴者大衆の監督下に入っていただく。そして、放送時間の分割請求の対象となっていただく。その際は、言を左右に逃げまわらないで欲しいものだ。
そしてNHKに対しても、そういう視聴者または住民の権利を、意地汚ない独占欲で妨害しないように、警告しておこう。なお、のちに紹介するように、ヨーロッパでは、それに近い放送体制が、すでに実現しているのだ。
話を受信料制度そのものにもどすと、一番の問題点は、その根拠のあいまいさにある。そして、そのあいまいさこそが、“国営”問題と表裏一体の関係にあり、NHKの存在意義そのものともいえるのだ。または、それが、NHKの“歴史的性格”なのである。
(4-0)第四章 NHK《神殿》偽りの歴史
(4-1)日本放送協会の利権的出発点 へ