《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!
電網木村書店 Web無料公開 2003.11.6
第二章 NHK《受信料》帝国護持の論理 6
野党精神はどこへ?
その際、最大のポイントは、野党質問のはずだが、これが冴えない。上田哲先生は、内部告発の材料を握れる立場なのに、社会党への資料提供をしていないのだろうか。
ともかく、受信料の実態を知らないわけはない。日放労の大会でも、深刻な討論があったのだ。そして、さきにあげたように、上田委員長(当時)の大会発言さえ活字になっている。もう一度要点だけ引用し直してみよう。
「大体現況では、全国的に八十パーセントを超えるか超えないかというところにきていると思います。……(略)……
沖縄のOHKだけが、世論の合意の洗礼を試みたんです。洗礼を受けようと努力したら、今日までやっと五十パーセントを出たか出ないか」(『あなたの知らないNHK』ほか)
これが一九七二年、上田議員の参議員第一期生時代のこと。文書証拠があるから、まるまる否定はしにくい。そこで、冒頭で紹介したような名文句(?)がでてくるわけだ。「自発的な受信者が八十%」というのだが、どうして“自発的”だと断定するのか。このへんにも、上田調“美文”の、思想的崩壊状況が見受けられる。さきにあげた「営業費」の激増は、逆粉飾でなければ、“自発的”な納入の“少なさ”を反映しているのだ。
それはさておき、上田議員は衆議院に転進。社会党のホープといわれはじめる。その結果、受信料だけについていうと、日放労の議案書は前述の通り。かつては「放送白書」運動もあり、国会で引用されたものだが、いまでは実態報告を避けるようになった。その理由の一端は、つぎのように、“文学的”に表現されている。
「またこのなかでわれわれのたたかつた東京二区の圧勝の意味はひときわ引き立ってくる。繰り返していわねばならない。このたたかいは長い権力の言論介入が俄かに高まる圧迫のなかでこれをはねかえす政治決戦であった。
附帯決議への攻撃からはじまって、合理化、役選とつながる露骨な政治圧力は直線的に日放労へと向けられた。組合機関紙の片言隻句さえ故意に曲けられて悪質週刊誌の中傷記事として、ほとんど定例的に掲載されるという陰湿な弾圧に対して、われわれの反撃は明るい世論のなかでの権力に対する発言権の認知をうることであった」
文中「附帯決議」とあるのは、例の小野元会長が角栄宅を訪ねて追放された折、NHK予算案承認と一緒に採択されたもの。毎年似たような文章が作られ、一向に守られないのが慣行(?)なのだが、労組や社会党の側では例年の話を抜きに「通った、通った」と大衆宣伝。そのしっぺがえしが、あったのか、なかったのか。いずれコップの中のあらしに過ぎない。
自らがマスコミの労使でありながら、ともに、マスコミが大々的に取り上げぬかぎり、実態を隠しきろうというのだろうか。これほどまでに、巨大NHKの本質を示す問題もないと思うのだが、どうだろうか。
もっとも、一九七〇年代には、市民運動の盛り上がりがあった。そして、ミニコミ誌の『だぶだぼ』(’74・28号)が、NHKのお偉方二人に頭を下げさせ、その写真を掲載したこともある。NHKの取材態度の悪さに怒った若者誌『だぶだば』の編集者が、謝罪しなければ受信料不払い運動を展開すると、誌上で宣言したのだ。
だが、いまのNHKは、そういう火消しで済む段階ではない。数年来の沈黙戦術の背景には、“なだれ現象”への恐怖が潜んでいる。『毎日新聞』の投書欄でNHKの“回答”(?)を引き出した「主婦(二十九歳)」は、「十%」の不払いを知っての「不公平感」を記している。これが本当は、二十~三十%だと知ったら、どうなるか。子供のいう「みんな持ってるよ」もそうだが、カラーテレビの普及も十%を越えてからは“なだれ現象”だった。他ならぬその受信料が、逆の方向で、この法則に従って激減するのではないかというのが、NHK関係者の“恐怖の真相”らしいのだ。
そのくせ、“自発的な受信者”といったり、つぎのように“契約の強制”を主張したりするのだから、よくまあ神経が持つものだと思う。
「受信料の支払いについて、放送法三二条は『協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない』と定めています。これは、受信者の支払いの義務を契約の強制という形で表現したもので、放送法上、受信料支払いの義務があることには疑問の余地がありません」(『NHKの現況~1980~』)