《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!
電網木村書店 Web無料公開 2003.10.20
第一章 なぜNHKは《国営》ではないのか? 7
受信料制度の“多数派”指向?
マスコミ・文化共闘の討論集会に参加した友人のJは、日放労の代表の報告発言を聞いて、「あれれ?」と思ったそうだ。
日放労としては、いまの受信料制度が「ベストではないがベター」であるとしている。そして、これを「言論保障制度」と位置づけている、という。ここまでは例のごとき“美文調”である。ところが、具体的な数字が出てきた。二千八百万の受信料納入に対して、「不払い」はわずか九十八万世帯。三%でしかない。日放労は、この二千八百万という”絶対多数”の側に立ち切る。それがNHKを守る道だ、というのである。
集会の名称は、「第一回マスコミ・文化研究集会」で、「80年代、マスコミの復権を!! 文化の再生を”――この右傾化時代にどうたち向うか」というサブタイトルがついていた。記念講演には、敗戦直後の朝日新聞で「国民と共に起たん」という『宣言』の社説を起草したことで有名な森恭三が、老躯をおして立ち、「少数意見を大事にするのが本当の民主主義。戦後の新聞放送単一、産別会議の主導権を握っていた共産党には、そういう心構えが欠けていた」としゃべったばかりのところだった。森恭三は、そういう批判を抱いて産別会議脱退を主張した方の中心人物だった。
ところが、やはり当時、組合民主化を掲げて産別を脱退し、企業別に結成された日放労の後継者が、いま同じ会場で、視聴者大衆のこととはいえ、「多数の立場」を取ることが「言論保障」につながる、と主張しているのだ。
その上、日放労の代表は、座を和らげるためであろうが、「ここには三%の方は、よもやいないとは思いますが……」といったらしいのである。これには、儀礼的な笑いが起きたが、Jはゾクッとしたという。受信料支払い拒否の方だったからだ。しかも、この時の司会者がまた日放労の出身で、もちろん悪気はないのだが、もう一回、同じシャレ(?)を繰り返したというから、Jの眠気は吹っ飛んでしまった。
だが、Jが一番おどろいたのは、受信料「不払い」の数字なのであった。いわゆる「収納率」は、たしか七十%台に落ちているはずなのだ。そう思って、配られた資料をめくってみるが、どこにもない。あるのは、『朝日新聞』の「天声人語」欄のコピーだけで、そこには三%としか書いてないσだ。
Jは、その集会が終って帰宅するとすぐに、本棚を引っかきまわした。あった、あった。すでに五年前の一九七五年に出版された『あなたの知らないNHK』(前出、志賀信夫著)には、当時の上田哲委員長の日放労大会での発言が、つぎのように収められていた。
「NHKというものは、社会的機能として一度も世論の合意の洗礼を受けていない。一度も自らの存在について、社会の合意の洗礼を受けずにきた。考えてみれば、民放の存在に対してもほとんど無知なまま二十数年間も併存をつづけてきた不思議な存在だといわねばならぬ。それが、今日まできているということが、どういう理由であれ、破綻を生ずるであろうことは物理的必然であったのではないかと思うのです。
あまりこまかい数宇を申しあげるつもりはないですけれども、今日まあ大阪がひどいんだが、それらを含めて、極めて端的な数字で出すことは難かしいので、おおよその数字ですが、大体現況では、全国的に八十パーセントを超えるか超えないかというところにきていると思います。沖縄の返還ということは一つの面白い影響をしたと私は思っています」
「沖縄は何もないところから民放と、一、二、三ででき上がった。沖縄のOHKだけが,世論の合意の洗礼を試みたんです。洗礼を受けようと努力したら、今日までやっと五十パーセントを出たか出ないか。民放といっしょに零から出発して用意ドンをしたら、公共放送はやっと五十パーセントを出るか出ないかというところ。沖縄という現状からかも知れません」
これが、一九七二年の発言である。Jがこの部分をかすかにでも記憶していたのは、NHKの当局側が、一、二%と公称していたのに、日放労が一桁以上多い数字を出していたという、その対照を、強く意識したからである。つまり、さすがは労働組合、くさってもタイか、と思ったわけである。
ところが……なのである。しかも、Jがさらにおどろいたのは、自分の産業別の幹部に、その疑問をただしたところ、「数字の取り方にはいろいろあるからね」という、おそるおそるの返事だったことだ。つまり、日放労の代表の発言を、いわゆる「組織的」配慮でバックアップしているのだ。それでいよいよ、Jは、おそろしくなってしまったというのだ。
わたしは、Jの怖れが、当たっていないことを願いたい。しかし、一九七二年以後、受信料の収納率が上昇したはずはない。その間の数字でうかがえば、NHKが「意識的」な不払いと呼んでいた数字は、急上昇している。日放労の「80年代中期方針(案)」という議案書には、やはりさきの三%という「天声人語」などの数字、もとをただせばNHK当局=NHK基本問題調査会の発表数字しか載っていない。ところが、「各系列・支部の報告」のなかには、「営業現場」の声として、こうあるのだ。
「収納率低下の現実の前に視聴者にはむしろおろおろしてしまう」
さて、NHK当局もそうだが、日放労やマスコミ・文化共闘ともあろうものが、“真実”の報告にもとづかずに、「言論保障」を論じてよいものだろうか。
第二章 NHK《受信料》帝国護持の論理
(2-1)ちょっと“低次元”ですが へ