『NHK腐蝕研究』(1-5)

《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!

電網木村書店 Web無料公開 2003.10.20

第一章 なぜNHKは《国営》ではないのか? 5

報道最前線の“錦の御旗”

 NHKの報道機関としての機能については、のちに、歴史的な見直しを試みる。ここでは、ニュース報道部門の位置づけを簡単に記して、NHK解剖の切り口をひろげておきたい。

 戦前のNHK(一応、これで総称しておく)では、ニュース取材をまったくしなかった。もちろん検閲つきだが、新聞杜や通信社、大本営等の発表記事を、そのまま読み上げていたのである。

 戦後の経過については、日本経済新聞で長年放送欄担当記者としての経験を積んだ松田浩が、こう書いている。

 「もともと、戦前のNHKには、いわゆる放送記者なるものが存在せず、通信社から配信される記事をラジオニュース用に書きなおして使っていたのである。

 敗戦直後、その後レッドパージになった柳沢恭雄報道部副部長(現・日本電波ニュース社長)や高橋武彦同部長(元・NHK報道局長、ニッポン放送取締役=故人)がこれではいけないと自主取材の方針を立て、四六年四月に放送記者第一期生二十六名、その年の九月に同第二期生十三名、合わせて三十九名を採用した。

 ところが、その後、これらの放送記者を中心とした報道部の職場が労働運動の拠点となるに及んで、放送記者の採用をやめてしまった。こうして五〇年に放送記者の採用が復活するまで、NHKでは放送記者のブランクが出来たのである。

 中断していた放送記者の採用を復活させたのは、商業放送の出現に備えて、是が非でも自主取材体制を強化しなければならないというNHK側の家庭の事情に外ならなかった。それに五〇年ごろには、第一組合脱退組による新労組、日本放送労働組合(日放労)の指導権が確立され、協会側も若手記者の左傾化を心配する必要がなくなっていた」(『ドキュメント放送戦後史I 知られざるその軌跡』)

 こうして拡充されたNHK報道局も、もちろん、いろいろな思想傾向、性格の持主で構成されている。労使関係だけではなく、仕事の体制上でも、すでに複雑な要素をはらんでいる。たとえば、くだんのNC9のロッキード特集企画の経過を見てみよう。

 一月十九日に「取材部長会」。出席者は、報道局次長、政治部長、経済部長、社会部長。そして、ロッキード企画の提案者は、社会部長である。ここには不在の島局長は、政治部出身である。

 一月二十日に「検討会」。呼びかけは社会部。政治、経済、社会、整理、外信、報道番組、カメラ取材の各部デスクが出席。三木元首相などの政治家インタビュー取材は、政治部の担当。そして結果的に、政治部取材分が全面カットになっている。

 もちろん、それぞれの部も、一枚岩ではない。とくに、政治部には国会記者として、特殊任務を課せられ、または積極的に志願するものが多い。NHKの特色は、受信料値上げがらみの国会対策である。派閥取材の腐れ縁は、新聞や民放も同じパターン。自分の売りこみに熱心な記者も出る。あまりにも見苦しい手合いには、「某々のポチ」という、飼い犬なみの評価が加えられる。

 「魁さんが盛岡支局の政治記者だった頃からの付き合いだそうだが、鈴木邸の正月宴会でも、床の間をしょって最後まで居続けるくらいでね。去年の七月人事で局長に昇格したんだけど、これが折しも鈴木内閣発足の一週間後。当時、NHK内部では、『鈴木政権対策のバッテキ人事』と、カゲ口をたたかれたものですよ」(『週刊文春』’81・3・5)

 この「放送記者」の証言が本当なら、“島ゲジ”は“鈴木善幸のポチ”修業を勤め上げたわけだ。一方の上田哲は、社会部記者だった。しかし、日放労の組織では、政治経済と社会の両部が同じ分会だった時に分会長となり、ここから中央執行委員に立っている。当時の日放労は十七時間のストを打つほどに戦闘化しかけていたのだが、上田は、エリートで右寄りの体質といわれ、ストから脱落ぎみだった報道をバックにのし上がり、左派退治をしたというのである。その上田哲が、いま、右からの攻撃を受けはじめているのだ。

 また、組織体制や経過は複雑だが、報道部門は外部との接触もあり、まだまだ左傾化の可能性を持っている。そういう歴史的な矛盾が、今度のカット事件の底流にもあるようだ。

 しかし、NC9で表面化しはじめた矛盾は、そのまま見過してしまうと、取り返しのつかない事態になるかもしれない。島桂次は上田哲に対抗意識を持ち、「オレがクビになれば必ず上田哲も道連れにする。あいつが日放労委員長としてやってきた悪事をぶちまけてやる」(『サンデー毎日』’81・3・8)などといっているらしい。

 すでに相前後して、『文芸春秋』四月号が、「上田哲、NHKの“闇将軍”」という特集を組んだ。『週刊文春』(3・19)は、「上田哲代議士の『NHK私物化問題』」という特集に、「遂に逓信委員会に持ち出される?」と、無気味なサブタイトルをつけた。三月六日の日放労臨時大会では、冒頭にNC9カット事件を春闘でたたかい抜くという須藤委員長の決意表明があった。しかし、結びの演説は、『文芸春秋』四月号特集のゲラを手にしての怒りの声に終ったという。

 そして『週刊文春』の予告通り、三月十八日の国会には、くだんの『文芸春秋』の特集を材料として、「NHK・OBの水野清」自民党代議士の質問、という場面が展開された。『朝日新聞』はこの質問を、参院予算委員会でのロッキード事件に関する秦野章質問――コーチャン嘱託尋問は違憲という露骨な“角影”援護射撃―に関連づけて、こう報じた。

 「一方、午後三時半過ぎから開かれた衆院逓信委員会では、水野氏が『NHKの“闇将軍”』のタイトルを掲げた月刊誌・文芸春秋の特集記事を下敷きにしながら、NHKの“体質”を質問。『NHKでは政治闘争資金の名目で、本人の応諾なく、毎月五十円ずつ給料から天引き、特定候補の政治資金に使っていると聞くが』とか、『衆院選の際、組合員が休暇をとって、東京二区に集中して上京してくるとの話もあるが』など、言外に、上田議員とのかかわりをほのめかしながら、NHKの労使関係をチクリチクリと批判。……

 これに対し、NHKの坂本朝一会長らは『組合費を一括して天引きしているが、政治闘争資金という名目で取っているかどうか確証がない』『選挙運動については、公正を疑われぬよう通達も出しており、耳を疑う思い』:…などと答えた」(『朝日新聞』’81・3・19)

 見出しは四段で、「自民、国会質問も“高姿勢”、ロ事件裁判を批判、『NHKと上田議員』もヤリ玉」とある。

 ついで七月七日には、大量の人事異動が発表され、報道局職制は根こそぎ配転。週刊誌も一斉に書き立てた。「ロッキード報復人事」だというのだ。

 なにやら、キナくさいといわねばならない。ことは、島桂治や上田哲個人だけのことでは済まされない。もちろん日放労や社会党だけへの打撃で終る性質のことではない。戦後の放送スト崩壊も、レッドパージや共産党の四分五裂だけでは終らなかった。国際的には朝鮮戦争からベトナム戦争にかけての戦乱、国内では“臣茂”の暴政を許す突破口となったのだ。

 「放送は放送人たちに任せておくには余りにも重大すぎる」(『文研年報』19号)

 一九六八年にこういって、BBC放送を批判したのは、労働党の閣僚、ウェッジウッド・ベンであった。意図とは別に、これはミノーの「テレビは一望の荒野」と並ぶ名言である。

 「天下り会長人事反対」とか、「NHKの国営化反対」などは、国際的に通用もせず、名言でもない。しかし、“錦の御旗”の役割は充分に果たしただろう。そこへかけられたのが、搦め手の攻撃である。ここで“錦の御旗”といったのは、そのたたかいに、明治維新と同じような矛盾の数々が潜んでいる、という意味でもある。

 たとえば、“国営化反対”のスローガンだが、もともと足元のNHKの労働者自身が、ほとんどといっていいくらい、「NHKは国営か準国営状態」だと感じているのだ。わたしも最近、他の政治問題などでは人並以上の見識の持主から、「NHKってのは、国営じゃないんですか?」といわれ、びっくりした経験がある。それが、受信料をちゃんと支払っている人なのだ。だからこの際、放送人とその周辺だけの“錦の御旗”の奪い合いに終らせぬため、もっと突っこんだ討論が必要だと思うのである。


(1-6)だれが“国営化”をのぞんだのか