第三部:戦争を望んでいた「白い」悪魔
電網木村書店 Web無料公開 2001.6.1
第八章:大統領を操る真のアメリカ支配層 6
中東和平会談の裏に潜んでいた砂漠の「水争い」
七月七日からピッツバーグで開かれていた日米財界人会議の席上、日本側代表団は、「湾岸大型平和プロジェクト」なるものを発表した。その名も「PWP(ピース・ウォーター・パイプライン)計画……トルコ国内を起点に、中東地域に東西二本の大型給水パイプラインを敷設し、サウジアラビアなど関係八ヵ国にトルコの豊富な水を供給。総延長距離は六千五百五十キロ、総工費は二百十億ドルを予定している」(『読売』91・7・8夕)
計画の検討に当たっているのは、すでに紹介したGIF(日本グローバル・インフラストラクチャー研究財団)である。
読売新聞の記事には、給水の相手国として、イスラエルの国名は上げられていない。だが、イスラエルが不法占領地区を手放したがらない死活的理由の一つに、「水資源」問題が横たわっているのだ。現在問題になっている占領地への入植キャンプも、パイプで水を引くという高価な代償の上に成り立っている。
中東と石油問題の専門家であり東海大学文明研究所教授の松原清二郎は、著書『イスラム・パワー』の〈補論〉として、「中東和平を妨げる水資源問題――イスラエルのサバイバル戦略」を設けている。その詳しい研究を要約すると、まず、イスラエルの地中海側にはパレスチナ側の西岸地区から地下水が流れ込んでいるから、西岸地区でアラブ側が地下水を使うような独自の開発を阻止する必要がある。ヨルダン川とその源の中間にあるガリラア湖の水資源に関しては、さらにその源をなす上流の川がアラブ側にある。これまでにもアラブ・イスラエル双方の転流計画があり、そのための国境紛争さえ起きていた。これらの上流の水源地帯を制圧するために、ゴラン高原とレバノン南部が地理的に重要な戦略地帯なのである。
中東和平会談を横目で見ながら打ち上げられた巨大プロジェクトの背景に、なにが隠れているのだろうか。もしかすると、砂漠地帯への給水によって平和的に新たなカナーンの地を生み出し、イスラエル対パレスチナ問題の一挙解決を図ろうとする起死回生のアイデアなのではないだろうか。
早速GIF事務局を訪ねて、この点を質問したところ、やはり、そういう可能性をにらむ気配が濃厚であった。「一九八六年に水源地トルコのオザル大統領が提唱した計画。技術的には十分可能だが、政治情勢とカネの出所が心配」だという。カネの出所には、石油よりも水の方が高いという金満国家クウェイトも数えられている。技術的な競争相手は湾岸戦争で有名になった「浄水装置」である。
しかも現在、「ユーフラテスの水源地帯にダムを築いたことでもめている」とのこと。ユーフラテスは、チグリスとともにメソポタミアの古代文明を育てた大河であり、今もなおイラクの農業地帯をうるおしている。つまり、イラクをふくめた国際協調なしには、肝腎の水源問題は解決しないはずなのである。
これは大事件というよりも、やはり湾岸戦争の深層には「中東改造」の巨大プロジェクトが潜んでいたのではないだろうか、という疑いをますます濃くする。だとすれば、日本の財界が提案者に回ったことの政治的意味を、今こそ深く考える必要があるだろう。「平和」の売り込みのコロモの陰から、エコノミック・アニマルだのバブルだのだけではなく、自衛隊の海外派遣のヨロイまでチラチラするようでは、せっかくのアイデアも台無しだ。
その後、懸案の「中東和平会談」がアメリカ主導で進められているが、やはり、「地域協議」の議題の報道記事の中にまず一行、「水利問題」が入っていた。少しづつ具体的な中身が報道され、ついには「日本への協力要請」から「参加決定」までトントン拍子。展開は意外にも早い。「中東和平会談」開始後から数えると三ヵ月目になるが、「イスラエルが共通の水浪費」と題する「ヨルダン大学水研究所長」の談話も報道されるようになった。次のように具体的な数字まであげられている。
「水不足は極めて深刻だ。水問題は一国では解決できない。ヨルダン、パレスチナ占領地とイスラエルは、ヤムルク川やヨルダン川という共通の水源を利用しているからだ。……人口三百五十万人のヨルダンが一年に七億五千万立方メートルなのに対し、四百五十万人のイスラエルは二十億立方メートルを消費している」(『朝日』92・2・1)
現在もなお、アラブ側の反対を押切って進められている旧ソ連からの大量移民計画は、水不足をますます加速する要因となる。「水と油」などとダジャレを飛ばすつもりはないが、近代工業社会の「命の水」となった石油の支配権をめぐる長期戦争が、人類社会始まって以来の「水争い」とともに解決が急がれるというのも、歴史の長さを誇る中東諸国ゆえの宿命なのであろうか。
第九章:報道されざる十年間の戦争準備
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