第三部:戦争を望んでいた「白い」悪魔
電網木村書店 Web無料公開 2001.6.1
第八章:大統領を操る真のアメリカ支配層 3
ベクテル出身閣僚が四人も出た裏に原子力利権
レーガン陣営が勝利した結果、ベクテルにも世間の目が集中した。
ただし、企業宣伝のために名前を派手に売り込んだりしたわけではない。秘密主義に変化はない。ベクテル周辺によると「不本意」な結果だというのである。
「不本意」とは、レーガン政権の中枢に四人ものベクテル幹部が入ってしまったことである。わけても、ベクテル本社社長のシュルツが閣僚中でも最重要ポストの国務長官に指名されたことは、マスコミをゆるがす「大事件」であった。シュルツ国務長官(ベクテル社長)、ワインバーガー国防長官 (ベクテル副社長、最高法律顧問)、デーヴィス・エネルギー副長官(ベクテル副社長)、ハビブ中東特使(ベクテル副社長)……。長官がすでに二人。そのため、三人では多過ぎると長官になり損ねた副長官が一人、石油業界に決定的な影響を及ぼす中東特使が一人。合わせて四人。これだけ並べば、合衆国政府がベクテルに乗っ取られたと騒がれても仕方ない。
ベクテルは民主党にも献金している。それが主に共和党に肩入れし、カーター追い落としに奔走するにいたった背景には、原子力をめぐる利権争いがからんでいた。
ベクテル・マコーン社時代の共同経営者ジョン・マコーンは、共和党から立候補したアイゼンハワー大統領の下で、原子力委員会の委員長となった。ベクテルは、アイゼンハワーと彼の副大統領だったニクソンをも支持し、以後も共和党政権の後ろ盾となった。
マコーン委員長の計画で一九五九年に完成したドレスデン原子力発電所の一号炉は「世界で最大、最高、最新鋭」を誇ったが、この原子炉を建設したのは、GEとベクテルであった。マコーンは原子炉の輸出も計画したし、核兵器開発にも熱中した。だが、アイゼンハワー大統領は、原子力委員会と国防省の協力による核兵器工場が「自分の手におえなくなった」と側近に告げた。軍事利用を目的とするすべての核実験停止に取り組むというアイゼンハワーの提案は、マコーンの猛烈な反対を受け、ケネディー政権になるまで実現しなかった。ケネディーは任期半ばに暗殺されたが、その背景にはCIAが存在したという証拠がいくつもあげられ、ほぼ立証されつくしている。映画にもなった『JFK』など、あまりにも有名な事件なので下手な論評は控えたい。
ときのCIA長官は、ベクテルの共同経営者という経歴の持主、マコーンだった。
ケネディ政権とケネディ暗殺後を継いだジョンソン政権は、民主党政権であって、ベクテルは政治的に有利な立場にはなかった。だが、共和党のニクソンが政権を奪い返すと、次々に大仕事が舞い込んできた。アラスカのパイプライン、ワシントンの地下鉄、数々の原子力発電所。ベクテルの売上げは、一九六八年の七億五千万ドルから一九七四年の二十億ドル近くへと、二倍半にも伸びた。ニクソンが任命した輸出入銀行総裁ヘンリー・カーンズは、古くからのステファン・ベクテルの友人で、ベクテルの海外プロジェクトへの融資を積極的に世話した。
ベクテルは世界中の原子力発電所のほぼ半分、百ヶ所以上を建設した。だが、ニクソンはゴールデンゲート・スキャンダルで辞任を余儀なくされ、副大統領から昇格したフォードは民主党のカーターに敗れた。カーター政権は、フォード政権下ですでにトラブル続きだった原子力産業に、強力なストップをかけ、ベクテルと鋭く対立する関係になっていた。
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