第三部:戦争を望んでいた「白い」悪魔
電網木村書店 Web無料公開 2001.5.1
第七章:世界を動かす巨大ブラックホール 7
中東戦争とCIAクーデター時代の陰の主役は誰か
ベクテルが戦後にサウジアラビアを起点として中東一帯に石油利権を開発した時代は、米ソの冷戦激化の時代でもあった。中東には、イスラエル建国による新たな紛争の火種もまかれていた。時として激烈な反米闘争が燃え上がる諸国におけるアメリカ系企業の活動は、準戦時下ともいえる態勢であった。
一九四七年、ベクテルは、サウジアラビアのラスタヌーラに建設した精油所に、数名の「私服」のアメリカ海軍士官が駐在するのを認めた。ベクテルは海軍情報センターを建設し、CIAの情報収集のために社員を提供した。イスラエルの建国宣言直後に起きた第一次中東戦争に際して、ベクテルはアラブ側の現地情報をアメリカ政府に送ったが、アメリカ政府はイスラエルを支援していたのである。
アラブ側はイスラエルを支援するアメリカを非難した。シリア政府は、ベクテルが建設するパイプラインがシリア国境を横切ることを許可した協定を、破棄するにいたった。ベクテルはこの協定破棄で何百万ドルもの損害を受けるはずだった。ところが一九四九年にCIAが支援するクーデターでシリアの文民政府が倒れ、アメリカの利権に有利な軍事独裁政権が成立。ベクテルは再びシリア横断パイプライン建設の許可を得た。当時の国務省の文書には「ある“多国籍企業”が反乱軍に武器と資金を援助したことが大きな要因となって、シリア政府が転覆した」と記されているという。
ベクテルはイランの開発にも関係していたが、第二次世界大戦後の独立と民主化の波はイランにも押し寄せ、民族政権と呼ばれたモサデク政権はパーレヴィ王朝を追放し、ソ連との連携を深めようとしていた。モサデク政権はまた、中東諸国に先駆けて石油の国有化宣言を発表した。当時CIA副長官だったアレン・ダレスは、ベクテル重役のシンプソンと相談し、イランがソ連までのパイプラインを建設する技術的ノウハウを持っているかどうかの調査を依頼した。結論は「可能」と出た。
一九五三年にCIAはイランでクーデターを起こし、シャー・レザー・パーレヴィを王位に復権させた。石油国有化方針は破棄され、以前はBP(英国石油)がすべてを握っていたイラン・コンソシアムに、アメリカ系メジャーが四〇%の持ち株を得た。ことの次第(ただし都合の良い部分のみ)は、すでに紹介ずみの元CIA作戦主任カーミット・ローズヴェルトが、『CIAの逆襲』(原題『COUNTERCOUP 』)という著書で公表している。
ちなみに、このクーデターの現地指揮官ノーマン・シュワルツコフ(シニア)准将もすでに紹介ずみだが、今度の湾岸戦争の中東軍総司令官ノーマン・シュワルツコフ(同名)大将の父親であった。ノーマン・シュワルツコフ准将はアレン・ダレス配下のOSS隊員であり、第二次世界大戦中の一九四二年から先代パーレヴィ王の警備隊長( Plice chief)をつとめていた。
一九六三年のイラク軍事クーデターに関してはすでに第二部でふれたが、このときのCIA長官が、これも紹介ずみのジョン・マコーン。ステファン・ベクテルの親友で元共同経営者であった。マコーンはスタンダード石油の大株主・重役にもなっていた。
第八章:大統領を操る真のアメリカ支配層
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