終章 ―「競争」 7
―インベーダーの狙いをくじき、撃退する手段はどこに―
電網木村書店 Web無料公開 2008.6.2
企業意識の深層濁流
「企業意識」は、しかし、読売新聞の専売特許ではない
「『日本には《朝日メン》《読売メン》などはいるが、一本立のエディターやリポーターはいませんね』と、ある外人記者が評していた。その中でも、『わが社、わが社』といって、軍艦旗のような社旗を立ててよろこんでいるのは、朝日の社員である」(『東洋経済新報』別冊、一九五二年三月「日本の内幕」一七七頁)
こんな文章が、読売新聞の資料を当っているうちに、ふと眼にとびこんできた。これが二七年前、テレビ発足以前の話である
そして、いまなお、……
「読売新聞社内を歩くかぎり、まるで金太郎アメのように、どこからもでてくる反応は、『朝日が仕掛けてくるから読売が買う』というセリフだった」(『現代』一九七八年三月号、一三一頁)
この意識パターンの活用法は、すでに第二章「背景」の大阪の陣でもふれたところである。東京対大阪、巨人対阪神、……しかし、たとえば読売新聞が、東京の地元の住民問題をどれだけ取り上げたろうか。地方版なり地方紙の方が、ずっとくわしく報道しているというのに、中央紙の権威を高く買わされ、東京ローカルの沙漠については、不充分な報道、キャンペーンしかしてもらえないのだ
中央紙がなくても困らないということは、『現代』のルポ、「ブロック・地方10紙VS全国紙の血みどろ抗争」(同誌一九六八年三月号)などをみれば、よくわかる。「中央」なり「海外」なりの通信には、共同通信や時事通信の記事が供給されるから、地方紙でも、世間に遅れる心配はないのである
ラジオ・テレビについても、ことは同じである
さらに、まやかしの競争の原理とか、弊害とかを、深く論じる余裕はないが、この意識が、たとえば読売新聞争議を通じて、強力に押しつけられたことは、いまの読売グループだけでなく、戦後日本の全企業とも関わりがあるといって差支えないだろう。イデオロギーのリーダーたるべき新聞人が、企業の枠の中へ閉じこめられ、「読売メン」「朝日メン」「毎日メン」としてしか発言しなくなるということは、同時に、日本人全体を、イデオロギー的にも、企業の枠組の中へ、資本主義の支配の下へと追いかえすことでもあった
もちろん、その実態と意識を完成させるためには、第二次読売争議の三七名退社だけでは足りなかった
東宝争議の第三次ストライキでは、日本の武装警官隊二〇〇〇名に加えて、アメリカ軍の戦車、飛行機、騎兵隊、歩兵が出動した。目的は「東宝から赤字とアカを追放することだ」と称された。これが一九四八年のことである
つづく一九四九年夏には、「定員法」と称して、二六万人の公務員が解雇され、民間でも、一〇〇万人の人減らし合理化がすすんだ
反対闘争をつぶすために、下山、三鷹、松川の三大事件をはじめ、各地に謀略事件がひきおこされた。一般の刑事事件でも、自白強要などによる誤審事件が集中して起きたのが、この年である
そして、翌一九五〇年にかけては、レッド・パージである
新聞・放送(NHKのみの時代)は、最初の目標でもあり、他産業の平均解雇率○・三八%を大幅に上まわる二・三五%と、最払、比率が高かった。人数は、民間総数一万九七二名、官公庁総数一一九六名に対し、新聞・放送で七〇四名を数えた
おもなところは、NHK一一九名、朝日新聞一〇四名、毎日新聞四九名、中国新聞三六名、共同通信三五名、北海道新聞三五名、読売新聞三四名となっている。読売新聞の場合には、第二次争議の退社三七名を加えると、計七一名が職場から排除されたことになる
レッド・パージ対象者を職場から追いだすために、NHKにはカービン銃をかまえたMP、共同通信には武装警官隊が出動した
レッド・パージとは反対に、正力松太郎らの新聞経営者を含む戦犯の公職追放者に対しては、追放解除の処置がとられた。一九五〇(昭和二五)年の一〇月、一一月で一万九〇名、つづく一九五一~五二年の間に、二一万余名の全員が解除された。まさに、形勢逆転である。しかも、その間、共産党中央委員二四名、アカハタ編集幹部一七名が公職追放となり、国会の議席も奪われた
背景には、一九四九年の中華人民共和国成立、一九五〇年からの朝鮮戦争があった。そして、一九五〇年六月二五日、朝鮮戦争勃発と同時に、アカハタも停刊となり、関係紙にも追いうち停刊がかけられ、指令違反の検挙は四三九一名を数えたという
民間のラジオ(一九五一年)、テレビ(一九五三年)の発足は、実に、この状況下の出来事であった。正力らの強引さを、正面からチェックする勢力は、この時、いなかったのである。
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