『読売新聞・日本テレビ グループ研究』(2-1)

第二章 ―「背景」 1

―国会を愚弄するテレビ電波私的独占化競争の正体―

電網木村書店 Web無料公開 2008.4.25

ロッキード汚職以上の角栄犯罪

 「郵政大臣から大蔵大臣のときにかけて、放送免許や国有地の払い下げで、いかに各社の面倒をみたかを、いちいち社名をあげて力説したあげく、『オレは各社ぜんぶの内容を知っている。その気になればこれ(クビをはねる手つき)だってできるし、弾圧だってできる』『オレがこわいのは角番のキミたちだ。社長も部長もどうにでもなる』という発言」(『文芸春秋』一九七二年二月号、二〇頁)

 ごぞんじ角栄ぶしの一節である。

 ときの日本国総理大臣、いまやロッキード汚職事件被告田中角栄が、九名の記者を相手に、軽井沢の料亭「遊ふぎり」で、高級ブランデーを召し上りながら、あの独特の口調でぶち上げたのは、一九七二年八月二〇日のことであった。

 田中は、この年六月に引退した佐藤栄作のあとをおそって、首相になったばかり。その佐藤も、六月一七日の引退記者会見で、「偏向的な新聞は大きらいだ。新聞記者のいるところでは話したくない」、「テレビはそのとおり伝えてくれる」、「NHKはどこにおるか」と、テレビカメラだけに向って独演会。その往生際の悪さをみせつけた。

 これにつぐ田中の大暴言だから、記者も黙ってはいられない。クビを覚悟の暴露にふみきることとなり、『週刊現代』がとりあげ、『赤旗』も報告、参院予算委員会での追及ともなった。最後の田中のセリフは、「わたしが『余は法律である』、そんな格調の高い人間かどうかですな、おわかりでしょうよ(笑声)」(同委員会議事録、一九七二年一一月一一日、三一頁)という、ヤケッパチのものであった。

 さて、田中は軽井沢で、「各社の内情は全部知っているから、社長も部長もどうにでもなる」といったのだが、その頃、日本テレビの小林社長は、政治的には田中派で通っていた。日本テレビの経営政策の上でも、小林は田中角栄と同じ発想であった。そして、その筋では早くから有名な「田中角栄構想」推進の先頭に立ったのである。

 田中角栄は、一九五七年に、弱冠三九歳で郵政大臣となり、テレビの大量免許をおこなった。その時からの構想が、新聞とテレビを結びつけ、全国のテレビ・ネットワークを系列化することであった。」

 読売新聞=日本テレビ(一九五三年開局)

 毎日新聞=東京放送(一九五五年開局)

 朝日新聞=テレビ朝日(一九五九年開局)

 サンケイ新聞=フジテレビ(一九五九年開局)

 日経新聞=東京12チャンネル(一九六四年開局)

図 日本テレビ系列全国ネットワークの例

図 日本テレビ系列全国ネットワークの例

 これが、現在の五大全国紙と民放テレビ・東京キー局との関係であり、別図(二七五/資料)のような、四大全国テレビ・ネットワークが完成している。また、別表(一〇四頁/(2章6)マイクロ・ウェーブで「怪文書」)のように、読売グループの持株は、末端のローカル局にも及び、地方新聞のそれを圧倒している。なお、角栄構想は、世界一の広告会社電通や中日・西日本などのブロック紙の思惑もあり、単純化はできないが、その点は省く。

 ところで、この系列づくりは、ともに違法なのである。テレビ免許の当初の方針とは、真向からくいちがうし、現在の行政指導の文面からいっても、明らかに違法なのである。そして、違法であったからこそ、当初からスムーズには実現しなかったのである(二六八頁資料参照/資料)。

 実態については、おいおい見ていきたいが、とりあえず民間放送(ラジオ・テレビ)の発足より以前、すでに一九四五(昭和二〇)年一〇月八日には、「民衆的放送機関設立に関する件」の閣議諒解の下、GHQと日本の逓信院電波局との間で、つぎの問答がかわされている。

 GHQ この構想は面白いが、発起人や株主として、どのようなものを考えているか。

 電波局 ここに記載されている会社の責任者や自由人といわれる文化人を加えたい。

 GHQ それは良い考えだ。アメリカの経験によれば、少数の大資本がこれを牛耳ると弊害があるが、これについてどう考えるか。

 電波局 単なる資本家の営利事業とする考えはない。放送に関係ある機関から共同して出資してもらおうとするもので、そのような懸念のないようにしたい。

 GHQ これについて十分気をつけることが望ましい。そうすればこの構想は良い。 (『逓信史話』上、四〇五頁より)

 なお、この時の「民衆的放送機関」の案には、すでに「テレビジョン放送の許可」も含まれており、テレビ局づくりの発想は、日本テレビの『25年』の主張とちがって、決して正力の創案によるものではない。

 GHQの動きは、それ以後、複雑に揺れるのだが、いずれにしても、マスコミの独占集中排除は、放送関係法の基本になっている。そして、いまや行政指導としてはズルズルと既成事実の容認に落ちこんでいる当局でさえも、小林与三次が日本テレビと読売新聞の社長を兼任することについては反対し、つぎのように語っている。

 「『兼任は芳しいことではないですね。確かに東京など大都市では、複数の新聞、テレビ局があるため、兼任がただちにマスコミの寡占とか独占とはならないでしょうが、放送法の精神としては、やはり自重してもらいたい』(松沢経人電波監理局放送部長)」(『経済界』一九七九年四月二四日号、五二頁)

 実態からみれば、いまの東京の五大紙なり六大紙なりの状況は、独占体制そのものであるから、一「……とはならない」という右の見解のおかしさは、追及しなければならない。しかし、それでも、社長兼任だけは「自重してもらいたい」というのである。本音をいえば、そこまで違法をやられると、自分たちのザル指導の責任まで問題になりかねない、ということなのであろう。

 さて、田中角栄の構想と「遊ふぎり」放言は、これを、ニクソンのマフィアばりのテープ会話と比較すると、その犯罪性がいっそう明らかになってくる。

 ニクソン あんちくしょう、仕返ししてやる。

 側近1 そういえば、ワシントン・ポストはローカルテレビ局を持っていた。」

 側近2 テレビだけでなく、ラジオ局も持っている。

 ニクソン そうか、それは全く都合がいいや。(免許更新のさいに)手荒く扱ってやれ。

 アメリカの新聞は、日本のような全国紙ではない。チェーンづくりはしているが、まとまった大衆的な影響力からいえば、テレビやラジオの方が大きい。しかも、こちらの方がドル箱である。だから、ウォーターゲート事件を追及したワシントン・ポスト紙を脅かすために、こういう会話が生れたのである。そして、日本でも、これと同じ状況が、いや、もっと進んだ形でのマスコミ支配の形が完成しているのである。


(第2章2)反共十字軍のテレビ・ネットワーク