『読売新聞・日本テレビ グループ研究』(0-01)

電網木村書店 Web無料公開 2008.4.25

はしがき

 「日本的なファッシズムの組織は外からの力によって潰滅した。しかし監視を怠るならば、ファッシズムの変種がふたたびあらわれて、勢力を持つにいたる危険がきわめて濃い」

 故中島健蔵の、敗戦直後の警告である。あのべらんめえ口調の話に、二〇年前はじめて接した時のことを、その末席の位置さえ想い出せるのが不思議だが、それほどに印象に残る大先輩であった。

 筆者はまた、それとほぼ同じ趣旨の、やはりマスコミ界の先輩の言葉に励まされて、読売グループの氷山の一角なりとも明らかにしたいと、努力したことを記しておきたい。

 「日本の民主主義が上っつらだけになっているのは、戦争責任が追及されていないからです。支配層の戦争体質を洗い出さないと、本当の戦後も民主主義もこないと思う。いまからでも遅くはないんです」

 『性的非行』、『暴力非行』の著者、千田夏光の言葉である。

 いま、青少年の非行などを云々しつつ、支配層は、新しいファッシズムの体制をきずき上げている。その一翼に、「第四権力」ともいわれるマスコミ経営者がいる。彼らの支配下、マスコミは、汚職政治家という大人の“非行”を、どれだけ深く追及できるものであろうか。マスコミの報道は、汚職の構造のかげにかくれた死の商人たちの、世界的な政治・経済・軍事上の陰謀に、どれほど迫りうるものだろうか。そして、その仕事をやりとげるための、はたらき手であるマスコミ労働者の状態は、どうなっているのだろうか。

 多くの疑問、課題をかかえながら、ともかくも、読売グループの全体像の特徴なりとも、一冊の本のなかで浮び上らせてみたいと願った。集めてみれば意外に多い資料を、とりあえず、「体質」を生々しくつたえ、いまの「競争」の正体をきわめるべく、いくつかの特徴的なポイントに整理してみた。その点からいうと本書のテーマは、読売新聞・日本テレビ・グループの「体質」と「競争」篇といえるかもしれない。

 歴史の真相は、まだまだ深く、遠いものであろう。本書の作業は、出発点でしかない。当時の生の資料をできるだけ生かし、人物像にせまることで、読者諸兄姉の想像にゆだねる部分をひろげたつもりである。ぜひとも、陪審員の立場で、自由なる心証により、読売グループへの判決を定めていただきたい。

 また、すでにこの汐文社からも、毎日新聞と朝日新聞について、在籍者の実名による企業批判の内容をもつ著書が刊行されている。テレビでも、東京放送には作家の平田敬がいて、『小説TBS闘争』、『けものたちの黄金』などで、経営者への批判の書を著わしている。マスコミ企業では、諸般の事情で企業の外に出たものの手による企業批判は数多い。しかし、企業の中にいてこそ、その企業の真相に肉迫できる部分もある。日本という国を良くするためには、外国人の批判ばかりに頼るわけにはいかない。それと同様に、外部からの批判にこたえて、企業の中にあるものが、内部告発の勇を鼓さずして、真の民主化はありえない。まして、言論機関においてをや、である。

 その意味で、筆者がペンネームで、書かざるをえないということは、筆者自身の力量のいたらざるところでもあるが、読売グループの実状の反映とも考えていただければ幸いである。

 それにしても、迫れば迫るほど、日本のマスコミは強大で狂暴さを秘めている。

 「『オイ、新聞を敵にするなよ。新聞というのは、お前なんか一ヒネリにしてしまうほど強大なんだ。何を書いても勝手だけど、決して、新聞を敵にするなよ』……」(『最後の事件記者』二七三頁)

 かつて、読売新聞社会部の花形記者だった三田和夫に、「友人」が忠告した言葉である。ここに、あえてその愚を犯す次第であるが、読者の御賢察に待つほかはない。

 資料についてはなるべく企業側の資料を用い、また、いちいち文献名と引用個所を明記したが、あたうかぎり通読の邪魔にならぬよう工夫もしたつもりなので、お許し願いたい。なお引用文は、カナづかい、数字表記、漢字のひらがなへの書きかえ、句読点など、よみやすくするために改めた。また、ひんぱんに出てくる文献名は略称を用いたが、巻末のリストを参照していただきたい。以下、本文中も敬称は略させていただく。

図 読売新聞・日本テレビ・グループ概念図


原著目次

序章「体質」 江川問題で表面化したオール読売タカ派路線
(1) 江川騒動とラジオ・ジャック