『読売新聞・日本テレビ グループ研究』(6-6)

終章 ―「競争」 6

―インベーダーの狙いをくじき、撃退する手段はどこに―

電網木村書店 Web無料公開 2008.6.2

最後の“競争教”教祖

 「全民放の雄たれ(見出し)……(略)……役員も社員諸君も、企業あっての存在である以上、企業の成績を上げること、そのための計算を忘れてはならない。……(略)……競争となったら、負けてはいられない。負けた時は、企業が存在できなくなる時である」(『社報日本テレビ』一九七〇年五月三〇日号、二頁)

 小林与三次の日本テレビ社長就任のあいさつの一節である。

 以来-…

 「自由競争というものが人類発展のカギ」(同前一九七〇年九月三〇日号、六頁)

 「一緒にやるのか、やらぬのか」(同前一九七〇年一〇月三〇日号、二〇頁)

 「企業の維持と存続と発展のために協力する気のない人がおれば、これは袂をわかつよりしようがない」(同前一九七一年九月二五日号、五頁)

 「ともかくも、会社意識、企業意識だけは、はっきり持ってもらいたい。……(略)-…会社に弓を引くのか引かぬのか」(同前一九七二年二月一日号、一一頁)

 「競争力はできた、再びトップの座を(見出し)……(略)……諸君にはある程度がまんを求めなくてはならぬ。どっちが余計に耐え抜けるか。合理的な経営体制を確立するか――これが他局との競争を左右する一つのポイントだ」(同前一九七四年二月二〇日号、二頁)

 「『民放王座獲得総決起大会』開かる(見出し)……わが社はいよいよ民放の王座獲得の決勝戦に立ち向うことができるようになった」(同前一九七四年五月二〇日号、一頁)

 そして、ボロモウケをかくしきれなくなると……

 「不況の波によって収支が違うのだから、それに対する景気調整の資金はある程度どんなことがあってもいる。わたしは、それをできたら早く積み立てたい。そうしなかったら、経営というものは、長期的に安定しないのです」(同前一九七四年九月一五日号、六頁)

 はい、このへんでひとまず。

 なにしろ、毎回一、二時間の大演説で、同じような“競争”教の教義をぶちまくるのだから、それをスタジオの床の上で、直立不動のまま聞かされる方も、たまったものではないという。

 さらに、読売新聞の出版局長から日本テレビの専務となった上子俊秋(小林の同郷人)が、側面援護する。

 「会社の上に組合があり、組合の上に党があると考えているような人間……(略)……わたしが来春、一〇〇人位の希望退職を社長にお願いするといったのは、このような全社員にとって好ましくない人間が、現在これくらいいるという考えがあってのことである」(同前一九七二年七月一日号、一一頁)

 もうひとりの、元読売新聞記者、松本幸輝久専務(本人の弁では『八十年史』の執筆者)については、』すでに紹介ずみである。番組面の抱負(?)だけを抜粋しよう。

 「ネズミを取って食えばペストになるかもしれない。しかし、死にそうなときにペストになることをこわがっていられないだろう」(同前一九七一年二月二〇日号、一四頁)

 「いまのわが社にとっては、イージーといわれようが、なんといわれようが、安定路線をとらざるをえない」(同前一九七二年八月一日号、四頁)

 どうであろうか、一応の“教義”は出揃っているのではなかろうか。「競争」、そして「企業意識」、そのありきたりな“資本の原点”を、いかにトリカエ、スリカエ、ぶちあげ、守りぬくか、というのが、彼らの敢闘精神なのである。


(終章7)企業意識の深層濁流