『アウシュヴィッツの争点』(28)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.6.2

第2部 冷戦構造のはざまで

第3章:発言処罰法という「新たな野蛮」の
裏の裏の背景 1

「権威に弱い独マスコミ」と、ドイツという国の真相

 一九九四年の春、東西統一後のドイツでは、「アウシュヴィッツの嘘」発言処罰法案が議会に上程され、秋の九月二三日に成立した。この問題をめぐる状況をまず検証してみたいのだが、その前に、ドイツという国そのものと、ドイツの大手メディアまたはマスコミについて、おおくの日本人がいだいていると思われる誤解をといておく必要がある。

「権威に弱い独マスコミ」(日経94・8・22)という「ボン=走尾正敏」発の「海外記者リポート」には、政権党への露骨な提灯持ちを演ずる「公共放送」、「政府・与党の広報機関と見まごうばかりの」「活字メディア」、「中央官庁」による報道操作などなど、予想以上の実情がしるされている。まぜっかえすようで悪いが、当の日本経済新聞などの大手紙が日本で率先しておこなっている以上の癒着関係が、ドイツでもさらに露骨に展開されているのだ。つぎのような最後のしめの一節も、わさびがきいている。

「率直な印象を言わせてもらえば、おかみとか権威に弱く、宣伝に乗りやすいとされるドイツ人の体質は、第三帝国やそれ以前の時代とあまり変わっていないようなのだ。世論は時に、上からつくられもする。政治家側の攻勢の前に、この国のジャーナリズムは少々押されぎみという感じだ」

 そんなドイツから日本に最近きたドイツ人医師の話によると、「ホロコースト」物語のおかしさに気づいている知識人はドイツにも非常におおいようだ。だが、日本人が思っている以上に、ドイツの社会には言論の自由がない。なぜかというと、最近までつづいていた東西ドイツの政治的対立の中で、西側では共産主義思想が、東側では自由主義思想が、それぞれ極端におさえこまれてきたのである。

 ドイツの言論状況をまとめた資料は発見できなかったが、『比較憲法入門』という本では主要大国の憲法理念を比較検討している。日本の憲法にあたるドイツの基本法については、つぎのような特徴を指摘している。

「基本法は政党の結成の自由を保障すると同時に、(中略)『政党のうちで、その目的またはその党員の行動からして、自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、またはドイツ連邦共和国の存立を危うくすることをめざすもの』について、連邦憲法裁判所によって違憲と判断される可能性を認めている(21条2項)。違憲と判断された政党は解散され、代替組織を作ることが禁止され、財産は没収される」

 実際に「禁止」と「財産没収」の対象となったのは、社会主義ライヒ党(52年判決)およびドイツ共産党(56年判決)である。

『第二の罪』(87年に原著出版)によると、ドイツの「刑法典第一九四条第二項」では、「ドイツ占領下のヨーロッパのユダヤ人の絶滅にたいして疑念を抱く者」には「二年以下の自由刑を科すとしている」という。このような言論の「不自由」状況がゆがみにゆがんで、現在、ネオナチなどのウルトラ民族主義の爆発的台頭をまねき、さらに深刻な社会問題をうみだしているのだ。

 もうひとつの例だが、「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目になる」という、元西ドイツ大統領のヴァイツゼッカーが終戦四十周年の一九八五年におこなった演説のくだりは、日本でいささか過剰ぎみの感激をこめて語られている。だが、ドイツ特派員だった五島昭は、「ワイツゼッカー演説の評価」(毎日94・8・14)と題する「論説ノート」で、ワイツゼッカー自身のナチスドイツ軍兵士としての前歴への批判や、「戦後も、ヒトラー政権の外務次官の地位にあった父親の戦争責任裁判で弁護団助手をつとめた経緯があることなどから、同氏の演説の価値を疑問視する声は一部に根強くある」などという事実を紹介している。

 その一方で、ヴァイツゼッカー演説を日本に紹介した朝日新聞記者の永井清彦自身が、著書『ヴァイツゼッカー演説の精神』のなかで、つぎのような興味深い事実を紹介している。

「ドイツのイスラエルへの態度について、シオニストではないあるユダヤ人哲学者は『イスラエルに名指しされるたびにドイツ人がひれ伏してしまう傾向』と指摘した」

 永井はさらに、ユダヤ人とイスラエル国家にたいする補償の基本となった「イスラエル協定締結交渉の、裏側の事実関係に目を向ける。同時並行で、「マーシャル・プラン」などによる対外債務処理の交渉がおこなわれていたのだが、……

「イスラエルとの交渉と並行してロンドンで進行していた対外債務問題の交渉団長であるヘルマン・J・アプス(のちの連邦銀行総裁)に宛てた、一九五二年四月八日付けのアデナウアー[当時のドイツ首相]書簡」には、つぎの字句があった。

「ユダヤ人の、少なくとも有力者を宥めることに成功したら、対立が続いていく場合よりも、より大がかりな援助を期待しうるものと思う」

 アデナウアーと対照される日本の元首相、吉田茂も、アメリカとの関係では「おめかけ外交」という批評がしきりだった。ときには「ひれ伏す」のも、芸の内なのである。

 そんなことだから、日本という国にたいすると同様にドイツという国にたいしても、ぜひとも眉にツバをつけて観察の目をむけてほしいのである。

 ドイツの戦争責任を考えるうえでとくに望みたいのは、パレスチナ問題についての根本的な問いなおしである。ドイツでは、戦争責任の反省と、イスラエル建国支持や湾岸戦争でのアメリカの同盟軍への参加とが、いったいどういう脈絡でつながっているのだろうか。有名なロンメルの戦車軍団がアラブの領域をふみあらしたのは、まぎれもない歴史的事実なのだから。

 永井清彦は、その点にも目を向けている。永井は、東京裁判の裁判官だったオランダのレーリンク博士のつぎのような発言を引用している。「日本の戦争犯罪追及は不十分ではないか」という趣旨の『朝日ジャーナル』(83・6・10)編集部の質問にたいしての回答の一部である。

「ドイツでも通例の戦争犯罪については必ずしも、きちんと対応していない。やっているのは『人道に対する罪』、つまりユダヤ人を中心とする非戦闘員虐殺の責任追及だ」


(29)『アウシュヴィッツの嘘』の内容をなぜ正確に報道しないのか