『アウシュヴィッツの争点』(57)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.9.9

第4部 マスメディア報道の裏側

第7章:はたして「ナチズム擁護派」か 1

NHK放映『ユダヤ人虐殺を否定する人々』をめぐって

 前章で指摘した『ニューズウィーク』の手法は、別に、「高度な世論操作」というほどのものではない。

 論争の的となっている問題、つまりは複数のことなる意見が存在する問題については、それぞれの意見を「公平」に紹介するのが、マスメディア、とりわけ「公共性」が強調される電波メディアの原則とされている。この「公平原則」による言論の自由の「まやかし」の歴史と現状については、前著『電波メディアの神話』で、われながらくどすぎるほど論じつくしたばかりである。

 わたしの主張を要約すると、「公平」「公正」「中立」などの用語に共通する「あいまいさ」こそが、言論の自由の自称を保障する「まやかし」の秘訣である。「あいまいさ」はアカデミズムの「紳士」的な援護射撃をうけ、メディア、とくに大手マスメディアの体制擁護の正体をおおいかくす。受け手だけではなく、送り手自身をも「まやかし」てしまう。送り手は、公平に判断の材料を提供しているかのようによそおいながら、または自分でもそう思いこみながら、実際にはたくみに演出意図にそう都合のいい材料だけをひろいあげ、結果として制作者の主観をおしつける。これを称して「編集」というが、マスメディアではありきたりの習慣的な作業手順なのである。

 NHKが「海外ドキュメンタリー」(3チャンネル、93・6・4)で放映した『ユダヤ人虐殺を否定する人々』では、『ニューズウィーク』の場合よりもさらに手のこんだ手法がつかわれている。「発疹チフス」のようなキーワードをかくすばかりでなく、映像に特有の錯覚をつくりだし、「否定する人々」の実態をゆがめてつたえる結果になっている。

 ただしわたしは、『ニューズウィーク』の編集者や、NHKの海外番組放送担当者や、その原版を制作したデンマーク・ラジオのスタッフらが、意図的に「悪質な報道操作」をしたとまでは断定しない。だが、「世論誤導」という結果責任はあきらかである。実際の世間的効果はおなじようなものだが、担当者は単に事実を知らずに不勉強なまま、既成の世間的通念にしたがっただけなのかもしれない。

 NHKによる日本語版演出の部分では無知があきらかである。無知ゆえになおさら、日本語版の解説や語りの演出に原版以上の「正義派」気どりの力みが感じられる。その無邪気さがかえってこわい。

「ユダヤ人虐殺を否定する人々」の演出手法は、「ホロコースト」否定論または見直し論にたいするマスメディアの反応の仕方の一つの典型をなしているし、今後の事件検証のための基本的な材料をふくんでいるので、以下、要点を紙上再録してみる。

 画面は政治集会の会場シーンからはじまる。最初はストップモーションで、右下に「海外ドキュメンタリー」という決まり文字の番組名がスーパーされている。絵が動きはじめ、カメラが引くと、会場には何百人もの人々がひしめいている。若い男女がおおくて、雰囲気はあかるい。パーン、パーンと、調子をそろえた拍手がなりひびく。色とりどりの旗が左右にはためく。旗の波の下に「制作・DR(デンマーク 1992)」の白抜きゴシック文字がスーパーされる。

 調子をそろえた拍手は、集会の講師にたいする歓迎の気持ちを表現している。熱狂的な拍手でむかえる群衆の間から、典型的にいかつい四角の顔をした講師が、むずかしい表情ではいってくる。いかにもネオナチの理論的指導者風だが、すでに紹介ずみの(わたしの考えでは「軽率な」)イギリスの作家、デイヴィッド・アーヴィングである。

 アーヴィングの顔のうえに、丸い白地にえがいた大型の黒のカギ十字(旧ナチ党の党章)がかさなり、ディゾルヴ(溶明、溶暗)で画面がいれかわる。赤い生地にはたくさんの小型カギ十字がうすくあしらわれている。生地は幕か壁の模様のようである。さらにそのうえに「ユダヤ人虐殺を否定する人々」の筆文字(つまりNHKが日本版用につくった文字)が回転してきてかぶさる。下には副題として「~ナチズム擁護派の台頭~」という白抜きゴシック文字がはいる。

 ここまではまったくセリフがない。だが明確に、「ユダヤ人虐殺を否定する人々」と「ネオナチ」、「旧ナチ党」などの同一性を強調する画面構成である。視聴者は最初に、そういう印象、先入観念をあたえられてから、この番組の中身を見ることになる。四五分(CMがはいる民放なら一時間)という長時間番組のわりには、視聴者の判断の選択幅が最初からせばめられているといえよう。さきの『ニューズウィーク』のたった二ページの記事が、メイヤー教授を「左翼」で「ユダヤ人」などと紹介していたのに比較すると、その幅のせまさはあきらかである。


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