ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
電網木村書店 Web無料公開 2000.6.2
第1部:解放50年式典が分裂した背景
第1章:身元不明で遺骨も灰も確認できない
「大量虐殺事件」1
【原著p60第1表:ニュルンベルク国際軍事裁判(IMF)判決
(出典)東京裁判ハンドブック編集委員会編『東京裁判ハンドブック』青木書店、1989年、190ページ。】
【原著p63第2表:ニュルンベルク継続裁判(NMT)判決
(出典)東京裁判ハンドブック編集委員会編『東京裁判ハンドブック』青木書店、1989年、191ページ。】
「六〇〇万人」のユダヤ人犠牲者という数字の根拠は?
「ホロコースト」物語をひとつの犯罪事件の告発として考えると、その第一の特徴は、「死体なき大量殺人事件」だということになる。もっとも典型的な「ガス室」における「計画的大量虐殺」の場合の「死体処理」についての説明は、つぎの順序である。
(1)「ガス室」で殺した。
(2)「焼却炉」(火葬場)で焼いた。
(3) 焼け残りの骨を「骨粉製造機」にかけるなどして「灰」にした。
(4) その「灰」を「川、森林原野、畑」に撒いた。
結果として「死体がない」ので、「ホロコースト」物語の映像としては常に「チフス患者の死体」が死因の説明なしにつかわれている。これをまず訂正しなければ、絶滅説は、「最初から嘘ばかり」という非難をまぬかれることはできない。
通常の殺人事件の場合ならば、たとえ被疑者の自白があっても、「灰」の実物の存在まで突き止めなくては有罪にはできないだろう。しかし、ニュルンベルグ裁判では、まったく実地検証をしていない。「川」にながした分は無理だろうが、「森林原野、畑」の分は、当時でも現在でも検証が可能なはずだ。
つぎに問題になっているのは、「六〇〇万人」のユダヤ人犠牲者という、最大の数字の根拠である。映画『シンドラーのリスト』の最後の画面にも、この数字がはいっていた。
公式の認定という意味では、この数字を確認したのはニュルンベルグ裁判の判決であるが、ニュルンベルグ裁判と総称されている一連の軍事裁判には、いくつかの段階と種類のちがいがある。
いちばんの中心は、一九四五年から四六年にかけて、アメリカ、ソ連、イギリス、フランスの各国政府が共同でおこなった「国際軍事裁判」である。この裁判では、ナチス・ドイツの首脳が、各種の既存国際法による戦争犯罪にくわえて、あらたに提起された「平和に対する罪」および「人道」についても有罪を宣告された。つづいておなじくニュルンベルグで、アメリカ政府が独自の軍事裁判をおこなった。アメリカ政府は別途、ダッハウ元収容所でも軍事裁判をおこなっている。イギリスも独自にリューネブルグとハンブルグで同様の裁判をおこなった。以後、西ドイツ、イスラエル、アメリカが、それぞれ「ホロコースト」関連の裁判をつづけており、一九六三年から一九六五年にかけても、フランクフルトでアウシュヴィッツ裁判が行われた。
「六〇〇万人」の認定は、いちばんの中心で、しかもいちばん最初のニュルンベルグ国際軍事裁判でおこなわれたまま、その後、変更されていない。
わたしの手元には、『六〇〇万人は本当に死んだか/最後の真実』(以下、『六〇〇万人は本当に死んだか』)と題するA4判で二八ページの英文パンフレットがある。この題名の論文では、ヒトラー台頭時代のヨーロッパのユダヤ人の人口統計、その後の支配拡大をふくめた地域からの移住数、移民数、戦後の人口統計などを総合した計算をしめして、「六〇〇万人」の数字はまったくの虚構だと主張している。
第二次世界大戦の前後という時期だから、統計資料は完全ではありえないが、おおすじを推定するだけの材料は十分にある。まず世界中のユダヤ人の人口についての統計から見てみよう。
『世界年鑑』の一九三八年版の統計では、一六、五八八、二五九人である。これを約一六六〇万人としておこう。
一方、『ニューヨーク・タイムズ』の一九四八年二月二二日号によると、最小で一五〇〇万人、最大で一八〇〇万人となっている。
最大値の場合には、一九三九年から四五年までつづいた第二次世界大戦を間にはさむ一〇年間に、ユダヤ人の世界全体での人口は約一四〇万人ふえていることになる。
『チェンバーズ百科事典』の一九三九年の統計によれば、「ナチ・ヨーロッパ」[ナチス・ドイツの支配下にはいったヨーロッパ]のユダヤ人の人口は、六五〇万人だった。「六〇〇万人」が本当に虐殺されたとすれば、そのほとんどにあたる。
ところがまず、中立国スイスの統計によると、一九三三年から四五年にかけて、一五〇万人のユダヤ人が、イギリス、スウェーデン、スペイン、ポルトガル、オーストリア、中国、インド、パレスチナ、アメリカに移住している。そのほかの移住の数字をあわせて計算すると、ヨーロッパのユダヤ人の人口は約五〇〇万人に減少していることになる。そのうち、ポーランドなどからソ連に移住したのが約一五五万人、連合国側と中立国で生きのこっていたのが四〇万人以上である。
結局、ナチス・ドイツの支配下にのこっていたのは約三〇〇万人あまりにしかならない。しかも、その全部が収容所にはいっていたわけではない。
ユダヤ人の国際組織の推定によると、「ナチの地獄を生きのびた」ユダヤ人の数は、一、五五九、六〇〇人となっていた。これを約一五六万人としてみよう。ナチス・ドイツの支配下で減少したユダヤ人の人口の総数は、約一五〇万人以下となる。
『六〇〇万人は本当に死んだか』が採用した以上のような数字は、移住などの減少をすべて控え目に計算したものである。
『二〇世紀の大嘘』では、さらにくわしい統計資料をもとに論じているが、おおすじの結論は同様である。しかも、のちに紹介するカナダのツンデルが、一九九四年の末にわたしあての航空便でおくってきた「自由放送」の録音テープによると、その後さらに「ホロコーストの生きのこり」の数はふえつづけている。イスラエルとドイツがむすんだ協定で補償金がでるので、「ユダヤ人であることを隠してくらしていた」などといって、つぎつぎになのりでる生存者がいるのだ。その数を合計すると、一九九四年現在で、「ホロコーストの生きのこり」は約三四二万五千人までふえた。なんと、さきにしめした『六〇〇万人は本当に死んだか』による計算、「ナチス・ドイツの支配下にのこっていたのは約三〇〇万人あまり」を、完全にうわまわってしまうのである。
しかし、この時期にユダヤ人の人口が増加したというのは、やはり信じがたい。もともと、ユダヤ人独自の戸籍登録簿などはなかったのだから、戦前の統計数字も推定にすぎない。ヨーロッパ全体で数十万単位の誤差は、あって当然と考えるべきだろう。