『アウシュヴィッツの争点』(24)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.6.2

第1部:解放50年式典が分裂した背景

第2章:「動機」「凶器」「現場」の説明は矛盾だらけ 6

「復元」「改造」「偽造」「捏造」、戦後五〇年の記念の軌跡

 アウシュヴィッツIの「ガス室」については、問題の『マルコ』発売の直後になされた国際報道が、見直しの議論の進行状況と同時に、日本国内での「解放五〇周年に取り上げたこと自体が暴挙」といった類いの議論のお粗末さを見事に裏づけてくれた。

「アウシュヴィッツIのたったひとつの火葬場Iが、いちばんはっきりした実例だ。(中略)そこにあるものはすべて捏造(または“ウソ”)だ」

 すでに内容の一部を紹介した『レクスプレス』(国際版95・1・26、本国版1・19/25)のメイン掲載記事、「悪の記念/五〇年後のアウシュヴィッツ」の一節である。文中の拙訳「捏造」に当たる原語はfauxである。手元の仏日辞典の訳語は、つぎの順序でならんでいる。

「虚偽、錯誤、邪(よこしま)、模造、偽造、贋造」

 日本語で簡単にいえば「ウソ」なのだが、日常つかわれる言葉の意味は非常にあいまいにある。ウソはウソでも、以上のうちの「模造、偽造、贋造」は、すべて元になる「本物」の存在を前提にしている。「贋造紙幣」などが典型である。だから、これらの訳語を採用すると、どこかにまだ「本物のガス室」あることを意味しかねない。手元の国語辞典の「捏造」の説明は、つぎのようである。

「本当はない事をあるかのように偽って作り上げること。でっちあげ」

 わたし自身は、この訳がいちばん実態に近いと思っている。しかし、わたしのこの訳に原文の執筆者のエリク・コナンが賛成するかどうかは断言できないので、一応、もっとも素朴な“ウソ”の訳例をも添えておいた。コナンの文章には、微妙に文学的な表現がちりばめられているからだ。なぜ「微妙に文学的」になるかというと、それには深い歴史的な事情がある。

『レクスプレス』は、フランスのジャーナリズムを代表する時事報道専門週刊誌で、オーナーはユダヤ人である。わたしは国際版発売以前に、フランスの代表的な「ホロコースト見直し論者」で歴史家のロベール・フォーリソン博士からの緊急ファックスで、この記事の掲載を知らされた。フォーリソンの注意書きによれば、執筆者のエリク・コナンは、「反・見直し論に生涯をささげてきたジャーナリストで歴史家」である。当の「ガス室」が、戦争中の防空壕を戦後に改造したものであることを、フォーリソンが最初に指摘したのは一九七六年のことである。コナンは、さきに引用した一節、「そこにあるのはすべて捏造だ」の直後に、フォーリソンの指摘の経過をしるしている。以後、足掛け一九年になる。「反・見直し論」のコナンが、論敵のフォーリソンの長年の主張に「微妙に文学的」な表現で同意したことになる。フォーリソンはただちに、このコナンの論文にたいする評価をまとめており、そのコピーもわたしの手元にとどいているが、その紹介は別の機会にゆずりたい。

 一方、こちらもすでに紹介済みのデイヴィッド・コールは、ホロコースト見直し論者の立場で、アメリカのネットワークの人気ショー、『ドナヒュー・ショー』(94・3・14)『シックスティ・ミニッツ』(94・3・20)に出演して論争している。『歴史見直しジャーナル』(94・5/6)によると、コールはこのほかにも『モンテル・ウィリアムズ・ショー』と『モートン・ダウニー・ショー』にでており、『ドナヒュー・ショー』(94・3・14)でコールと同席していた「ホロコースト」見直し論者のブラッドレイ・スミスは、CBSの『四八時間』にも出演している。

『マルコ』の公称二五万部、実売一〇万部などはおよびもつかない数千万のマンモス視聴者の目の前で、かれらは激しい議論を展開しているのである。『ドナヒュー・ショー』では、マイダネク収容所の「ガス室」と称されてきた「シャワールーム」の矛盾に満ちた映像を公開し、キャスターのドナヒューに「あなたは本当にコロンボ刑事みたいですね」といわしめている。その映像は、「ガス室」のドアが「内開き」または「内閉じ」だということを示している。つまり、トイレや風呂のドアと同じ構造なのだ。これでは「(外から)閉じ込めて毒ガスで殺す」ことなどは不可能である。わたしはこの『ドナヒュー・ショー』などのビデオを航空便で受け取ってハイライトの日本語版を制作し、『マルコ』廃刊にさいしての二度の記者会見で上映した。だが、こちらもやはり「マスコミ・ブラックアウト」の目に会っている。

 国際的な報道状況の常識的事実は、この『レクスプレス』『ドナヒュー・ショー』『シックスティ・ミニッツ』などによって象徴されている。デイヴィッド・コールの映像によるアピールには、別に新しい発見があったわけではない。フォーリソンらが早くから指摘しつづけていた問題点だ。だが、新技術のビデオは、従来の活字メディアだけによる論争の域をはるかに越えた大衆的討論を発展させるきっかけになった。ブラッドレイ・スミスは、ワシントンの「ホロコースト」博物館には「殺人用のガス室についてのいかなる証拠も、ドイツのジェノサイド“計画”によって殺されたという、たったひとりについての証拠さえない」と主張して、「ホロコースト」に関する公開討論を呼びかける広告を全米の一六の大学新聞に掲載した。『ドナヒュー・ショー』で当時のローパー世論調査を紹介しているが、それによると、二二%のアメリカ人が「ホロコーストはなかった可能性がある」、一二%が「わからない」と答えていた。

 コールの映像による活動は、さきの『レクスプレス』にも「アメリカの否定論者がガス室でビデオ撮影をした」という表現で記録されている。これもやはり著名なアメリカの時事報道誌『ニューヨーカー』(93、15号)の長文記事「悪の証拠」には、デイヴィッド・コールの映像活動の具体的内容について、実名入りの三分の一ページほどの記述がある。

 以上の、この項でふれたアウシュヴィッツIの「ガス室」と、マイダネク収容所の「ガス室」こそが、現存のたったふたつの「ガス室」なのである。商品にたとえれば、銀座の有名デパートのショーウインドーに飾ってある見本が「でっちあげ」とか「デタラメ」とかいわれだしたような事態なのだ。

 このほかに見物できるものは、アウシュヴィッツ第二収容所のビルケナウにある「破壊されたガス室」跡、または「火葬場」の瓦礫の山しかない。しかも、そんなに大規模なももではない。こちらについても、絶滅説の論者の間にさえ、最初から「ガス室」として建設されたという説と、改造説のふたつがある。いわば検事側の主張が分裂しているのだ。「生き残り証人」を自称する作家などによると、「千人」とか「二千人」を一度に殺して、焼いて、灰にする「オートメ工場」のような巨大な「ガス室」があったというのだが、その物的証拠は一度たりともしめされたことがない。広島や長崎の実情がしめすように、原爆でさえもコンクリートの建物を完全には消滅させることはできなかった。証拠湮滅のために、「巨大なガス殺人工場」がまったくなんの痕跡ものこさずに消滅したなどということは、にわかには信じがたい。

 問題は、やはり、実地検証の有無に帰着する。人類数千年の法の実践の歴史を無視することは、いかなる場合でもゆるしてはならないのだ。


(25)揚げ足取り論評の数々、「ガス室」と「気化穴」のすり替え