ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
電網木村書店 Web無料公開 2000.6.2
第1部:解放50年式典が分裂した背景
第2章:「動機」「凶器」「現場」の説明は矛盾だらけ 2
「ヒトラーにたいする宣戦布告」を発表したユダヤ人国際組織
第三は、これまでに語られることが、いちばんすくなかった要素であろう。
アメリカの強制収容所問題については、日系アメリカ人だけが、おなじく枢軸国側だったドイツやイタリア系のアメリカ人と人種的に差別され、強制収容されたという側面がある。それは事実であり、アメリカ政府はそれをみとめて謝罪し、損害賠償に応じた。だがその一方で、日系人だけが差別待遇されても仕方ない状況を、かれらの出身国の日本がつくったという事実も確認しておく必要があるだろう。日本は、ドイツやイタリアが慎重にさけていたアメリカへの攻撃を、真珠湾基地のだまし撃ちという、もっともおろかな方法で犯してしまったのである。
ユダヤ人の強制収容の場合には、ナチス・ドイツのユダヤ人排除政策に基本的な問題点がある。だが、強制収容以前にユダヤ人の側も、「世界ユダヤ人経済会議」とか「ユダヤ人中央委員会」とかの中間段階をへて「世界ユダヤ人評議会」を結成し、「ドイツ商品ボイコット」の運動を国際的に展開していた。
しかも、その開始は、ヒトラーが政権についた直後の一九三三年のことである。旧帝国時代からのヒンデンブルグ大統領が存命で在職中だし、ヒトラーの足元はまだ固まっていない。だからこそ、この時とばかりに、「ドイツはこの冬に崩壊する」というアジテーションのもとに、「ドイツ商品ボイコット」運動がはじまったのである。その結果、一九三三年のドイツの輸出総額は一〇パーセント低下し、利益は前年の半分におちた。
一九三三年三月二四日付けの『デイリー・エキスプレス』には、「世界のユダヤ人のヒトラーにたいする宣戦布告」が掲載されていた。
ユダヤ人の指導者の目標は、このボイコット運動によってヒトラーを政権の座からひきおろすことにあった。しかし、ヒトラーは、この挑戦をのりこえてしまったのだ。結果として、両者とも宿敵の関係を強めることになった。
このようにユダヤ人は当時、国際的にナチス・ドイツに対抗する同盟を結成して、あらゆる国のユダヤ人の仲間に共同のたたかいをよびかけていた。西欧のユダヤ人には、ユダヤ教という共通の基盤があり、国際的な連帯の伝統がある。この「国際的な連帯」の強さは、日本人と日系アメリカ人の関係の比ではない。しかも、妥協はありえなかった。
だが、戦時の「敵国人」あつかいの「隔離」が、すなわち「絶滅」に直接つながらないことは、日系アメリカ人の場合も、ナチス・ドイツ支配下のユダヤ人の場合も、論理的には同様である。
その一方、連合国側では、「強制収容所」の主目的は「集団的民族虐殺」にあるという解釈に立つ「反ナチ宣伝」がもっぱらおこなわれた。敵側のナチス・ドイツへの憎しみをかきたてて、味方の戦意を高揚させるための常套手段である。「虐殺」の方法については、「焼き殺している」から、つぎには「ガス・バーナーで焼き殺している」、さらには「ガス・オーヴン」という「焼却炉」または「火葬炉」の表現があらわれ、最後には「ガス室で殺されている」というように、いくつかのパターンがあったようである。
だが、これらの宣伝の材料になったもとの情報の裏はとれていなかった。「未確認情報」であった。いわゆる「戦時宣伝」である。場合によっては「謀略宣伝」でもありうる。
たとえば、湾岸戦争の最中にイギリスの雑誌『ニューステイツマン』(91・2・8)は、水鳥報道の直後にアメリカ軍の発表に疑問をなげかけ、「嘘、いまわしい嘘と軍事発表」と題する記事を特集した。
その際、同誌は、「サダム・フセインの悪魔化」とおなじことを、イギリスの情報将校が第一次世界大戦中におこなったと指摘している。同誌によれば、「われわれ[イギリス人のこと]は、この種のことをほかの民族よりも上手にやるようだ」とのこと。典型的な例としてあげているのは、ドイツ人が死体から弾薬につかうグリセリンをとりだしているという、つくり話だった。偽造の「証拠写真」まであった。当時のマスメディアは一斉に、このつくり話を写真入りで報道した。ところが戦後になって、作者の情報将校自身がみずから、つくり話だった事実と同時に、偽造写真をわざわざ香港経由でながしたという経過まで告白した。イギリス政府も事実をみとめて謝罪したので、以後、意図的な「謀略宣伝」だったことが広くしられるようになった。
「ホロコースト」物語の場合にも、たんなる誤報ではなくて、最初から意識的な報道操作がおこなわれていたのである。ただし、その時点では、どこまでこのつくり話を語りつづけるのかまでは決まっていなかっただろう。まずはつくり話の火元になった材料の問題がある。