注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
051011 | いじめ自殺 | 2013.5.6 2014.10.20更新 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005/10/11 | 埼玉県北本市の市立北本中学校の中井佑美さん(中1・12)が、朝、家を出たあと、制服姿でマンションから飛び降り自殺。 遺書にはいじめをにおわすような記述があり、一部の生徒に無視されていたなどという証言もあった。 |
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遺 書 | 自宅勉強机の引き出しから、ノートを切った紙2枚が出てきた。母親の似顔絵が書いてあった。 「お母さんへ 急にだけど、私を産んで育ててくれてありがとう。 家族の中で一番、とってもとっても大好きだったよ! 料理は上手ないし過保護だったけど、私が困った時、 とてもよく助けてくれた。とても感謝しています。 そもそも、家では問題が多いです。老人のこと、○○ちゃんのこと、 私のこと・・・・・。私はその1/3をしめていたんだと 思います。でも今、その問題は大きな1コの問題として去ろうとしています。 晩婚で苦労もたくさんあった私、 ごめんね。生きるのにつかれました。本当にごめんなさい。 私がもし死んで帰って来た時・・・・・、 1.(略) 2.(略) 3.私の8万円(ゆうちょにためてある=挿入文)の遺産は○○ちゃんにあげて下さい 今まで友達でいてくれていたお礼です。 4.死んだのは、学校の美術部のみんなでも学校の先生でもありません。 ■■■■(「クラスに」と書いて、黒く塗りつぶしてあった) クラス(の一部=挿入文)に勉強にテストのせいかも 5.私のあとを追って死なないでね。 5つの事をできれば約束して下さい これから楽しい事もあるけどつらい・いやな事は何億倍あるから いそがしい時にごめんなさい。 私、お母さん大好きなのにね。 ゆみより」 と書いていた。 |
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小学生時代の いじめ態様 |
小学校4年生のとき、同級生の女子児童(44ほか)から悪口を言われるなどのいじめにあっていた。 佑美さんは「中井君」と呼ばれるのをいやがっていたが、「中井君」と呼ぶ児童が何人かいた。 「きもいんだよ」「ばっかじゃないの」と言われたり、ぶたれたりした。 小学校6年生のとき、19から、佑美さんが気に入っている黒いジャンパーをわざと鳥小屋に落としたり、黒板消しでたたいたりされた。 社会科見学のとき、5人のクラスメイトのリュックを持たされたりした。 髪の毛を結ぶゴムを19に突然、引っ張られて、首の筋を痛めて通院した。(6年生の2月1日) 19、46からトイレに連れ込まれ、便器に顔を突っ込まれそうになって、逃げた。佑美さんは担任に伝え、19、46は担任から叱られた。(6年生の2月4日) 19が遊びに誘っても佑美さんはいろいろ理由をつけて断るようにしていたが、電話でしつこく誘われて困っているのを母親が代わりに断ったことがあった(6年生の2月17日)。翌日、19から断り方が気に入らないと文句を言われ、佑美さんは胃痛を訴えた。 担任教師との交換日記で、佑美さんはたびたびいじめについて相談していた。 19に、担任との交換日記を読まれたりした。ノートの表紙にいたずら書きされていた。 |
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小学校6年生の 教師との交換日記(抜粋) |
佑美さんが亡くなったあと、小学校6年生時の佑美さんと、担任との交換日記が見つかった(両親ははじめて内容を読んだ)。 親の知らないいじめも書いてあったが、日記を読まれていたためか、親に訴えていながら日記には書いていないいじめもあった。 ※ ←青字 は担任教諭のコメント ■(青の色づけは)は、とくに重要だと思われる日記の部分。
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小学校担任の 認知と対応 |
佑美さんは、6年生の女性担任との交換日記で何度も、いじめについて訴えていた。 佑美さんは母親にいじめのことを話し、母親も担任に対し、いじめへの対処を求めていた。 (とくに、修学旅行前の保護者面談と、2月23日の朝) 小学校6年生の「総合所見及び指導上参考となる諸事項」には、「自分の考えをしっかりと持ちながらも、相手の気持ちを受け入れる優しさと寛容さを持っている。また、礼儀正しい生活態度が高学年としての落ちつきと自覚を表していた。たいへんな努力家で地道にこつこつと取り組み、家庭学習もしっかりできた。 学級委員として、クラスの先頭に立ち、見事にその責任を果していた。やや友人関係が気になる」と書いていた。 小学校から中学校へ、佑美さんへのいじめは引継ぎされなかった。 佑美さんの自殺後、元担任教師は、「中井さんに対する『いじめ』があったとの認識はなかった」と報告。 母親がいじめの相談をしたことも、「覚えていない」という。 |
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中学生時代の いじめ態様 |
佑美さんが亡くなったあと、両親が同級生や保護者を訪ねて話を聞いた結果、いじめを受けていたとの証言があがる。 ・入学直後から悪口を言われていた。 ・ 同級生から「キモい」「うざい」「暗い」などと言われ、笑われていた。 ・上履きを隠されていた。 ・一部の生徒から無視されていた。 ・体育祭の練習中に、「内股だよね」と言われた。 ・席替えのとき、佑美さんに断りもなく席を交換しようとする生徒がいた。 佑美さんが亡くなったあと、理科室の机に「The End」「See you」と書いた女子生徒や「せいせいした。よかった」と言った女子生徒がいた。 |
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(中学) 塾強要の手紙 |
2005/9/中旬 自宅テーブルの上に、小学校時代の同級生で、同じ中学に通う19からの学習塾を強要するに誘う手紙がおいてあった。 母親が見つけて、佑美さんに塾に入りたいのか確認したところ、佑美さんは「入りたくない」「自分で断る」と話した。 後日、学習塾の塾長から、19から佑美さんが塾に入りたがっていると聞いたと電話が入る。 母親が佑美さんに確認したところ、19に、塾には入らないと伝えたと話した。 佑美さんが亡くなった後、机の中から、塾強要の手紙が2通(生前母親が見たものと、見ていないもの)が出てきた。塾に入らないと、「ヤバイ系」「絶交」「ウワサばらまいてやる」などと書いていた。 |
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(中学) 美術部の 本音大会 |
2005/10/4 美術部で、2年生部員が「本音大会」を提案。顧問を教室から追い出して、2年生、1年生で順番に一人ずつ、言いたいことを言う。 佑美さんは同級生からも「タメなのに敬語は使わないで。うざいんだ」と言われ、泣きそうになっていた。 佑美さんは、「うわばきが下に落とされているんですが、誰か知りませんか?」と聞いていた。 「以前にいじめにあったことがあるひと」と聞いたところ、美術部全員が手をあげ、「今もいじめがある人」という質問に、1年生の女子生徒4人以外の全員が手をあげ、佑美さんも手をあげていた。 本音大会の話のあと、佑美さんは泣き出してしまったという。 佑美さんは本音大会の前日、母親に「お母さん、明日はぼこぼこになって帰ってくるかもしれない」と話していた。母親が理由を尋ねると、「明日は、美術部で一人一人思っていることを言い合う」と話していた。 翌日、帰宅した佑美さんに結果を尋ねたが、佑美さんは詳しい内容は告げず、「大したことはなかったから、大丈夫だったよ」と言っていた。 後日、再び尋ねたところ、「同級生なのに、丁寧な言葉づかいをするのが嫌だと言われた」と話した。 |
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中学校担任の 認知と対応 |
中学1年生の指導要録「総合所見及び指導上参考となる諸事項」には、「落ち着きがあり現状に処して最善を尽くすことができた。授業は集中した取り組みがあり、清掃では一人でも黙々と取り組む姿がある。」と書いていた。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
被害者 | 成績優秀。勉強で悩んでいた様子はなかった。 美術部に所属。けんかして落ち込んでいる友だちの相談相手になるなど、優しい性格だった。 友人に「いじめられている」と打ちあけてた。 中学に入って、小学校時代に親しくしていた友達とは別クラスになり、小学校時代に悪口を言うなどのいじめにあっていた44らと同じクラスになる。 中学校の夏休みが終わるころ、「夏休みが変わって、また学校に行かなくてはならないので嫌だなー」などと言っていた。 |
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親の認知と対応 | 小学生のときのいじめについては、佑美さんは親に話をしていた。母親も、連絡帳や電話(佑美さんが「学校には来ないで」と言っていたので)、保護者面談のときなどに、いじめへの対応を頼んでいた。 中学校になってからは、いじめについて話さなくなった。親が聞くのもいやがった。家では、悩んでいる様子はみられなかった。 車で外出したときに、同級生を見かけると、佑美さんは座席に身を倒して見つからないようにした。 佑美さんの自殺後、両親は遺書のコピーを渡して、生徒たちに、クラスの一部にいじめの事実があったことを伝えてほしいと依頼。またクラスで何があったか、調査を依頼した。 両親は、中学校だけでなく、小学校時代のいじめについても調査してくれるよう、教育委員会に依頼。 |
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誹謗・中傷 | 学校関係者から「自殺したのは家庭の問題」だと聞いたという噂が流れる。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中学校・ほか の対応 |
2005/10/12 佑美さんの自殺の翌日、校長は朝礼で、佑美さんの自殺には触れず、「命の尊さ」について話した。 10/12 夕方から、保護者会開催。学校側は、佑美さんの名前も、生徒が自殺で亡くなったことも伝えず、心のケアの話と、さわやか相談員を増員したことなどを話した。 10/18 教育長らが中井家を訪問。父親が塾強要の手紙を見せ、「いじめの手紙ですよね」と聞いたところ、「これは脅迫状です」と答えていた。 10/25 教育長らが中井家を訪問。「本校の取り組みについて(案)」と題する書面と、学校生活アンケート、学校再生プログラムを交付。 12/8 北本市と遺族との1回目の会合。 二者面談で佑美さんにかかわる情報が一切なかったと報告。開示されたアンケート内容は、項目ごとの集計結果を学年ごとにまとめただけのものだった。 報告内容は、遺族が調査した内容とは異なる指摘がほとんどだった。 2005/12/15 2回目の報告会会合。報告書さえなかった。 2006/3/23 「調べたがわからない」「何もありませんでした」「現段階でいじめはなかったと認識している」と言われる。 一方で工程表や調べた経緯の報告もない。再調査を依頼するが、同じ調査はできないと言われる。 市の教育委員会は両親に「いじめはなかった」と報告。 佑美さんに「きもい」と言った生徒に面談した結果、「いじめではない」と解釈。 靴を隠されたことも、「佑美さんだけでなく、複数の人を対象とした悪ふざけ」と断定。 また、小学校時代にも、いじめはなかったとした。 |
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アンケート | 2005/10/26 学校は「学校に来るのは楽しいですか」「心配事や気になることはありますか」「学校生活で、何か心配なことや、気になることはありますか」「今、先生に話しておきたいことがありますか。どんなことでも聞かせてください」など、一般的な質問を書いたアンケートを実施。 佑美さんの名前も、いじめに関する質問も入っていなかった。 アンケートに佑美さんの件が何も書かれていない理由について、教育長は「犯人捜しのようなことをすると、人権保護団体からクレームが来るから」と説明。 学校はアンケートに際して、「佑美さんの自殺で知っていることを書くように口頭で説明した」と言う。 遺族は、回答しやすいよう、無記名アンケートを希望したが、「なるべく名前を書いてください」と説明して実施したクラスもあった。 2005/12/8 アンケート項目ごとに「はい」「いいえ」の各回答率およびそれらの大まかな理由をまとめたもののみ、遺族に報告。 「今、先生に話しておきたいことがありますか。どんなことでも聞かせてください」という質問に対する回答は全く開示されなかった。 その後も、同様の生活アンケートを学校は実施。 |
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その他の調査 | 2005/11/8 この日から二者面談を行う。 佑美さんのことも含めて、学年やクラスの実態等を把握すると遺族は説明されていたが、生徒の保護者からは佑美さんのことは何も聞かれなかったとの情報が入る。 学校側は、二者面談で佑美さんに関する情報は一切なかったと報告。 |
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事故報告書 | 2005/12/ 市教委は、埼玉県教育局に任意で提出した事故報告書に、両親からいじめの可能性について学校に調査依頼があったことを記載していなかった。 2006/10/ 埼玉県教育局は、2004年から2005年度にあった公立中高生の自殺20件のうち、遺族からいじめの調査依頼があったケースは「ない」と公表。 2006/11/27 記者会見で、埼玉県教育局の生徒指導室長は「依頼の事実は報道で初めて知った。市教委から報告は受けていなかった」とした。 北本市教委の学校教育課長は、「事故報告書は事実のみを報告する様式。遺族からの問い合わせうんぬんは記載しない」として、調査依頼の報告は義務付けられていないとした。 |
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文部科学省の 調査 |
2006/10/27 文部科学省は、「『いじめ』による自殺が疑われる事例の調査について(依頼)」が通知される。 1999年3月から2006年10月までのいじめによる自殺が疑われる事案41件について、11月2日までに再調査の結果を報告するよう依頼。 10/28 文部科学省初等中等教育局児童生徒課から埼玉県教育委員会に対し、具体的に3件の事例をあげて、再調査を依頼。 そのなかに、中井佑美さんの事案は含まれていなかった。 11/6 文部科学省児童生徒課長から、都道府県教育委員会に対し、「『いじめ』による自殺が疑われる事例の調査について(依頼)」を通知。 平成11年度から17年度間の自殺事例のなかから、 @自殺した児童生徒に対する「いじめ」があったのではと疑われていた事例 A事件発生年度の調査報告後、 ・自殺した児童生徒に対する「いじめ」があったのではと疑われていた事例 ・マスコミで、「いじめ」があったのではとの報道がなされた事例等 自殺に「いじめ」が関係していると思われる事例の全てについて、11月10日までに回答するよう依頼。 11/10 埼玉県は、上記年度間に県下公立中学校、高等学校で発生した事例(中学校16件、高等学校30件)について確認したうえで、「該当事例なし」と報告。 (11/17 中井さんの提訴が報道される) 11/17 埼玉県教育委員会から文部科学省に対し、新たに「いじめ」による自殺が疑われる事例として、中井佑美さんの事例がメールで報告された。 11/20 文部科学省から埼玉県教育委員会に対して、中井佑美さんの自殺についても報告するよう、依頼がなされる。 11/21 埼玉県教育委員会から、市町村教育委員会に対し、「いじめによる自殺が疑われる事例の調査について」が通知され、11/22までに電子メールで回答を求められる。 11/22 北本市教育委員会は、いじめの有無は「無」、遺書は「無」とした。「いじめが自殺理由の一つとして考えられない」と報告。 事故発生当初の認識として、「原因・動機に思い当たるところがなく、警察も「自殺と断定。原因・動機については不明」「学校は事実確認のため、全校でアンケート調査、二者面談、個人面談等を実施したが、自殺の原因・動機は不明であった。」と報告。 再調査での判断理由として、「事故後も定期的に生活アンケートを実施したり、事故者が在籍していたクラスの生徒より事故者宛に手紙を書いたりしたが、新たな事実は出てこなかった。」ことをあげた。 |
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背 景 | 立地条件等からも、中学受験をする子どもは少なく、小学校からほとんどの児童が同じ中学に進学した。 中学入学の際の説明会で、「万引きをする生徒がいる」という説明があった。 佑美さんの2年上の生徒会長が、不良グループから殴られて、病院と警察に行くという事件があった。 佑美さんのクラスは、「ギャルグループ」と「地味グループ」に分かれ、佑美さんは「地味グループ」に属していたという。 |
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裁 判 | 2007/2/6 北本市と文部科学省を相手どって、計2000万円の損害賠償を求める民事裁判を起こす。 原告側は、「娘が自殺したのはいじめが原因。学校や市教委はいじめの防止義務と、調査義務を怠った」「いじめ調査が進まないのは文部科学省の方針に原因がある」と主張。 教員の評価制度強化など、教員への管理強化が、評価が下がるのを恐れ、いじめを隠蔽する体質を生み出したと主張。 |
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両親の思い | 1.娘に学校で何があったのか、そして、娘がなぜ死を選ばなければならなかったかを知りたい。 2.もうこれ以上、子ども達を被害者や加害者にしたくない。 3.学校、教育委員会は、いじめを防止し、学校で生徒に起きた問題につき調査、報告してほしい。 4.文部科学省は、いじめを防止し、学校で生徒に起きた問題につき、学校等が調査、報告するよう指導監督してほしい。 5.こんな悲惨な裁判は、私達だけで最後にしてほしい。 |
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判 決 | 2012/7/9 東京地裁(舘内比佐志裁判長)で、棄却。 西小学校6年生の時から北本中学校1年生の2学期まで、継続的に、自殺を決意するほどの行為を受けていたとまで認めることは困難であるとした。 調査報告義務違反についても、「北本市が、その委ねられた合理的な裁量の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと解することは困難である。」とした。 国の責任については、「個別の国民の法的利益を直接保護することを目的とする規定は存在しない。」と判断 |
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判 決 | 2013/4/25 東京高裁(設楽隆一裁判長)で、棄却。 「当裁判所は、亡佑美が自殺した原因が『いじめ』によるものであったかについて、控訴人らの主張に基づいて検討したが、外形的事実の一部が認められるところはありこれらのうちの一部の出来事が亡佑美に精神的な不快感を与えたことは否めないとしても、本件証拠に基づき、客観的に見た場合に、亡佑美が自殺を決意するに至った原因となるような『いじめ』があったと認めることは困難であると判断せざるを得ないものである。」 「本件訴訟における一審以来の審理を通じても、証拠上、亡佑美が自ら死を選んだ理由は、結局、解明されなかったというほかない。 また被控訴人北本市が行った調査及び報告の内容が、調査報告義務を果たしていないともいえないし被控訴人国に対する請求も、いずれも認め難い」とした。 |
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判 決 | 2014/9/25 最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は上告を棄却。 北本市いじめ裁判 上告受理申立ての理由要旨 |
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その後 | 2014/10/7 弁護団は記者会見を開き、「北本市いじめ自殺裁判最高裁決定を受けて 原告・弁護団・支援団より声明・メッセージ」を発表。 |
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参考資料 | 2006/11/17毎日新聞、2006/11/23東京新聞、2006/11/28毎日新聞、2007/2/7産経新聞、2007/3/1Fonte/全国不登校新聞社、「北本市いじめ自殺裁判」/弁護士児玉勇二/人権タイムスNo268、「中井裁判を支援する会」の通信、裁判の傍聴、ほか 「さいたま北本中いじめ自殺裁判支援の会」のホームページ http://ijimezero.jimdo.com/ |
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サイト内リンク | 両親の陳述書 me070419 me070706 me071126 me080218 me081015 me081213 me091225 me110711(学校関係者証人尋問)、me110914 me111107(両親の証人尋問) |
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冒頭陳述 | 意見陳述要旨 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007年 4月12日 原告 中 井 紳 二 |
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1.はじめに 1992年10月27日に産声をあげた娘に、多くの人の支えになり、美しい心を持った女性に育ってほしいと願いを込めて、佑美と名づけました。 佑美はその名のとおり、非常に優しく思いやりのある子に育ってくれ、小学校に入学してからも多くの友達を支え学校生活を送っていました。また、母親思いで友達のように接している佑美を見て私は、成長が楽しみでした。 そんな佑美が、夢や希望に胸をふくらませ北本中学校に入学し、7ヶ月ほど経った2005年10月11日のことでした。その日も普段と変わらずに朝食を食べて7時45分に「行って来ます」と言って、家を出て北本中学校に向かいました。しかし、その日以降中学校の門をくぐることはありませんでした。 私たち家族には全く想像のつかない「○○マンション」の8階から飛び降り、12年という短い人生を閉じてしまったのです。 これからという時なのです。マンションを死に場所と決めて、歩いて行く娘の姿を思うと涙が止まらなくなります。まだ12歳なのです。どんな思いで、歩いていったのでしょうか。辛く、苦しかったのだと思います。親としては、不憫でなりません。それと同時に何で気づいてあげられなかっただろう、何で守ってあげられなかったんだろうと、親としてのあり方を厳しく問い直しました。妻もまた同じでした。 亡くなる前の連休中に大工さんと打ち合わせをし、前からほしがっていた自分の部屋がやっとできると楽しみにしていましたが、それも叶いませんでした。 娘の遺書の最後には、「私、お母さん大好きなのにね」という言葉が書かれています。この言葉には、本当は、まだ、生きていたかったのに、死ななければならなかった辛い思いが込められていると思います。 佑美が亡くなって1年6ヶ月が経とうとしています。娘がなぜ自らの命を絶たなければならなかったのでしょうか。学校の門の前で佑美を見かけたと言う話もありました。佑美が学校の中に入ることができずに、踵を返して「○○マンション」での自殺を選んだとしたら、学校の中で何が起きていたのでしょうか。なぜ辛い気持ちを両親にも友達にも言えず一人心の中に閉じこめたまま死を選ばなければならなかったのか、毎日、遺骨の前で手を合わせながら私たちは何度も問いかけています。 娘が12歳で自ら命を絶たなければならなかった気持ちを考えると、親がしてあげることは何があったかを知り、その無念の気持ちを少しでも分かってあげることだと思っています。 娘が生きている間にその辛い気持ちを知ってあげられなかった分、せめて今からでも娘の心の傍らに寄り添っていたいのです。いつか天国で娘に会った時に、何もしないままでは、親として顔向けができません。 また、私達も、娘に何があったかを知るまでは、その死を受け入れることができません。娘が死んだのは、悪い夢だったのではないかと思うことも一度や二度ではありません。娘の遺骨を未だに納めることもできず、現実感のないまま日常生活が過ぎています。 私達のこんな苦しい、やりきれない思いがいつまで続くのでしょうか。娘が死に至った原因や経緯をそれがどんな事実であろうとも知りたいのです。 娘の遺書には自殺の原因の一つとしてクラスのことが書かれています。この部分は、何度もクラスと書いては消し、最後に、「クラス」の後に「一部」という言葉を書き加えるなど、娘が自殺を選ぶに到る苦悩が切々と伝わってきます。 2.北本中学校と市教育委員会の対応 北本中学校や市教育委員会に対しては何度も事実関係の調査をお願いし、誠意のある対応がなされることを信じて、長い間、待ち続けました。 しかし、結局、何も調査はされませんでした。そして、北本中学校や市教育委員会は、娘が自殺したことを保護者や生徒に対して説明することさえしてくれなかったのです。 私達は裁判を起こすことなど全く考えていませんでした。しかし、愛する娘の自殺の原因を知ることすら妨げられ、この選択肢以外に見つかりませんでした。 娘が自ら死を選ばなければならなかった気持ちを知りたい。また、「もうこれ以上子ども達を被害者や加害者にしたくない」と願い、文部科学省の教育政策の問題性も含めてこの裁判を提起させていただきました。そして、こんな悲しい裁判が起きるのは私達だけでもう最後にして欲しいと心から願っております。 以 上 |
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原告 中井 節子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一人娘の佑美は、1992年10月27日に、蕨市の病院で生まれました。6ヶ月で北本に引っ越してきました。小さいころは、風邪をひきやすい子でしたので、よく病院通いをしていました。小学校に行くようになったころからすこしずつ丈夫になりました。3歳頃から、年に2回ぐらい家族で旅行をしていました。冬はスキー、夏は山や海に連れて行きました。 亡くなる2ヶ月前の夏休みに、私と佑美の二人で、念願だった、愛知の地球博に2泊3日で行きました。二人だけの旅行は始めてで少し不安でしたが、2日間、朝早くから夜7時ごろまで、たくさん見学しました。友人にお土産を買い、自分のお小遣いでキッコロの大きなぬいぐるみを買って大事そうに持って帰りました。地球博での佑美のきらきら輝いた目と、喜びいっぱいの笑顔は一生忘れません。 同じ夏休みに、家族で長野の野尻湖へ行きました。野尻湖のナウマン象博物館に行き、夏休みの宿題にするため、写真をたくさん撮っていました。ナウマン象の発掘調査のことが詳しく展示されていました。佑美は、来年の春休みに発掘調査に加わりたいと言って、埼玉友の会の電話番号と住所をメモに書いていました。その時のメモは机の引き出しにしまってありました。あんなに楽しみにしていた発掘調査でしたが、一度も出来ませんでした。 亡くなる前の日の夜に「お母さん、肩こっているね。肩たたいてあげるね。」と言って肩をたたいてくれました。その時の、佑美の手の感触は、今でも忘れません。思いやりのある、やさしい子でした。 佑美と旅行することも話をすることも、佑美の声を聞くことも出来ません。 佑美の輝く未来も、12歳11ヶ月で止まってしまいました。 どうして守ってあげられなかったのか、どうして気づいてあげられなかったのかと後悔の気持ちでいっぱいです。 佑美が亡くなって1年6ヶ月が経とうとしていますが、悲しみは、日に日に深まるばかりです。私たちが辛い日々を過ごす以上に、佑美は、辛く苦しい日々を過ごしていたのだと思うと、胸が締め付けられる思いです。そして、両親にも友人にも誰にも言わずに一人で心の中にしまい死を選ぶいかなかったことを思うと涙があふれてきます。 争いごとの嫌いな佑美ですが、学校・教育委員会が誠意ある対応をしてくれないのであれば、裁判によって真実を明らかにする以外に方法は無いと思い、文部科学省の教育政策の問題性を含めて提訴することにしました。 学校で何があったのか真実を知り、それがどのようなことでも、受け止めて、佑美の無念な気持ちを晴らせればよいと願っております。 以 上 |
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最終陳述 |
意見陳述要旨 2012年4月9日 中井紳二 私は、佑美の父親として、意見陳述させていただきます。 1.佑美の残したメッセージ 私の娘・佑美は、今から6年前に自殺で、未来ある尊い命を失いました。まだまだ、生きていたかったと思います。 佑美は、母親あてに遺書を残していました。そこには、自殺しなければならなかった原因として、「クラスの一部」と書かれていました。これは、佑美が命を懸けて、私たち両親・学校・生徒に突きつけたメッセージでした。 「学校で何が起こっていたのか?」事実を知りたいという思いは、子どもを亡くした親であれば、誰でもが持つ自然な気持ちだと思います。この残されたメッセージに応えなければ、佑美の心に寄り添うことはできません。 佑美が亡くなってから一週間待ちましたが、学校・市教委の動きはありませんでした。市長に面会を申し込んだ途端、市教委が我が家を訪れました。O教育長は、「ちゃんと調べるから」と約束しましたが、報告はいつも、「調査したけど何もなかった」と、調査の経緯も教えることなく、これを繰り返すばかりでした。 2.佑美に対するいじめ 佑美に対するいじめは、小学校4年生のころから始まりました。「いじめ」は、6年生の時に激しくなっていたようです。このことは、佑美がなくなった後に見つかった佑美とN教諭との交換日記の内容からよく分かります。佑美は、いじめられていることを、毎日のようにN教諭に訴えていました。特にひどい「いじめ」としては、2人の同級生にトイレに連れ込まれ、便器に顔を突っ込まれそうになったことがあります。日記の表紙にもいたずら書きをされました。たまりかねた節子は、N教諭に「いじめ」をやめてくれるようにお願いしました。 公立小学校ということもあって、これらの生徒のほとんどが、北本中学校に進学します。当然「いじめ」も一緒に進学することになります。 佑美が中学に進学してからも、脅迫の手紙、靴隠し、悪口、無視などが続き、佑美は徐々に無口となり、孤立へと追い込まれていったのです。 3.どうすれば佑美の命を救えたか 佑美は特に小学校6年生の時には、N教諭に日記を通して、毎日のようにいじめられていることを訴えていました。この時に、N教諭が、いじめっ子に「いじめは悪いことなんだよ。やってはいけないことなんだよ。」ときちんと指導し、「悪いことをしたら、謝らなければならない」ということを教え、佑美に対する「いじめ」を断ち切っていれば、佑美は、中学に進学しても自殺することはなかったと思います。同時に、これは、学校全体で取り組まなければならいことでもあります。佑美は、ここで、大人から命を救ってもらえるという大切な機会を失いました。 次の問題は、N教諭が、佑美がいじめられていたことを中学校に引き継がなかったことです。ここで、2度目の救出の機会が奪われたのです。 中学に入り、Y担任が我が家に来た時に、Y先生に、『クラスで佑美をいじめている子は誰だと思いますか』と尋ねると、先生は、2人の生徒の名前をあげました。また、先生は「佑美が一人で黙々と掃除当番をしている姿を見た」と言いました。佑美が掃除当番を一人でやらされていたことは、北本中学校の佑美の指導要録(甲49) にも記載されています。Y先生は、佑美がいじめられていたことを知っていたのです。にもかかわらず何の指導も行わず、「いじめ」を見て見ぬふりをし続けました。ここで、3度目の救出の機会が奪われました。 それぞれの場面で、教師が「いじめ」に対する十分な認識を持ち、適切な対応がとられていたならば、佑美は亡くならずに済んだのです。佑美は、小学校と中学校で3度も生きる機会を奪われ、幼い命を自ら断ったのです。これにかかわった教師達の証言を聞きましたが、保身のための証言はあっても、反省の色はうかがえませんでした。なぜ気づいてくれなかったのか、なぜ放っておいたのか、残念でなりません。 4.調査報告について 学校や北本市は、「いじめ」の事実があることが明らかになった後にも、「いじめ」について何の説明もなく、従来の主張を繰り返しています。 学校は子どもたちのプライバシーを守っていると主張しながら、実は自分達のことを守っています。調査の内容を両親にも伝えず、もしくは無かったことにして先送りしているからこそ、いつまで経っても「いじめ問題」が無くならず、より見えにくい部分で深刻化している現実があります。学校はその責任を感じるべきです。 5.最愛のわが子を失った親として 佑美は、もう帰ってくることはありません。先生方には、佑美が自殺を図らなければならなかった原因が、先生方にあるということをしっかり認識していただきたい。また、北本市や文部科学省においては、事実確認や報告を怠った自分たちの行動を真摯に反省していただきたいと思います。 佑美がその命を落としてまでも訴えたかったことに一緒に向き合わなければ、「いじめ」の問題は何も解決しません。 また、裁判官におかれましては、未だ日本においては、学校や市・文部科学省の隠蔽体質が、「いじめ」や「いじめ自殺」が続いている根本原因であるという現実に、真剣になって向き合っていただき、その責任をきちんと認めていただきたいと思います。 もうこんな悲しい出来事は、終わりにしてください。 佑美という、かけがえのない存在の父親として、強く求めます。 以 上 |
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意見陳述要旨 平成24年4月9日 中井節子 佑美は、私たち夫婦の太陽であり希望でした。その佑美が亡くなって、残された私たちには、心からの笑顔はなくなりました。そのままになっている佑美の机を見れば、勉強をしていた佑美の姿が浮かんできます。「ただいま」と帰ってきた玄関にも、一緒に囲んだ食卓にも、佑美の姿を思い出せるのに、もう二度と帰ってきません。あの日から、家の中には光が差しこまなくなり、私たちは日々ただ生きているだけの生活になりました。 いくら時間が経っても心が癒えることはなく、辛さと苦しみは増すばかりです。 佑美が生まれたとき、私たちは、健康で、優しく思いやりのある子に育ってほしいと思いました。佑美はそのとおり、お友達や先生やご近所の方にもきちんと挨拶をすることができ、人の嫌がることを言ったりしたりしない、やさしく思いやりのある子に育ってくれました。 その優しさは私たち親に対しても同じでした。小学校6年の時にクラスで受けていたいじめを私たちには告げずに、担任との交換日記の中で必死に担任に救いを求めていました。そして、中学校にこのいじめが続いていかないように、子どもながらに一生懸命になっている姿がありました。担任は佑美が真剣になるほど、冷淡に突き放していたように見えました。 結果、中学校でもいじめは止まらなかったのです。佑美の心の傷は深まり、絶望したのでしょう。両親にも打ち明けることなく、自分の胸に抱え、一人逝ってしまいました。 佑美が最後にエレベータから降りるマンションのモニター映像が残っていました。その姿は忘れられません。思い出すだけで涙が止まりません。 子どもを亡くした親は、「子どもがなぜ亡くなったのか」、「子どもに何が起こっていたのか」、そのことを知りたくて知りたくて気も狂わんばかりの気持ちになります。わが子の状況をだれより知っている学校に何度も調査をお願いしましたが、形式だけの調査と、国に至っては、いじめ自殺への社会の反応に驚き再調査を実施したのですが、実施期間わずか1日という形だけのものでした。どうして、子どもがひとり自殺したのに、そんなに軽く扱えるのでしょうか。 私たちは、生徒が書いた学校生活アンケートを何回も見せてほしいと情報開示を行いましたが、個人情報だからと拒否された上、裁判の中で、開示を求めたときには「アンケートのおおかたをシュレッダー処分した」と回答してきたのです。子どもの生きた証を最後の子どもの様子を知る手立てを、学校はシュレッダー処理したというのです。 佑美の自死についての聴き取りが、残された子どもたちに悪影響を及ぼすというなら、私たちは我慢しなければいけないと思っていました。でも、命日に来てくれる子どもたち(複数人です)の話からは、逆に佑美の自死が学校からきちんと説明されていなかったことが、今も子どもたちの心の中には、喉に物がつかえているような、すっきりしない気持ちを持ちながら、生活をしていることがよくわかりました。 子どもの自死を防ぐような取り組みとともに、事件の事実解明をすること、残された子どもたちにそれを説明する事がこのような悲劇を防ぐ方法になるのだと思います。 私たち親は、学校の責任を必要以上に追及したいのではありません。子どもを持つ親の心を理解してほしいのです。子どもを亡くした親は子どもに何があったかを知りたいのです。その気持ちに向き合ってもらえないことは、佑美を亡くした私たちを二重に苦しめることになりました。 13歳の誕生日の直前で佑美の輝く未来は、終わってしまいました。親として佑美を守ってあげられなかったことに後悔の気持ちでいっぱいです。 残された私たちにできることは、佑美の無念な気持ちを晴らしてあげることしかありません。佑美に会える日に良い報告ができることを願っています。 よろしくお願いいたします。 |
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