2011/9/14 | 中井裁判と、自殺後の学校調査 | |
2011年9月8日(木)、東京地裁103号法廷で、13時30分から、埼玉県北本市の市立北本中学校の中井佑美さん(中1・12)が自殺した事件の民事裁判(平成19年(ワ)2491号)の証人尋問があった。 100人収容の103号法廷は、8割から9割方埋まっていた。 今回の証人は、最初に北本市教育委員会の宮尾主幹兼指導主事。当時、佑美さんの自殺後のアンケートの原案等、自殺背景の調査と報告に当たった。そのあと、小尾(おび)教育長の尋問。両人とも、北本市の出してきた証人で、主尋問は北本市、反対尋問が原告代理人となった。 佑美さんが自殺をしたのは、2005年10月11日。朝、登校途中にマンション屋上から飛び降りた。 尋問のなかでも引き合いに出された北海道滝川市の松木友音さん(小6・12)が、学校の教室で自殺を図っているのが発見されたのが9月9日(亡くなったのは翌年2006年1月6日)。 中井さんの提訴は、友音さんのいじめ自殺と、学校・教育委員会の隠ぺいが大きく報じられた2006年秋だった。 それまで、事件のことはほとんど報じられることはなかった。 この当時のいじめが原因と思われる他の事件も、直後というより、いじめ自殺が大きく報道されるようになって初めて、新聞の全国紙の紙面等で大きく取り上げられるようになったものもある。 世間が、関心を持つときも、持たないときも、同じように、子どもたちはいじめに苦しみ、死に追い詰められている。 そして、表に出てこないいじめ自殺は、私たちの想像以上にたくさんある。 佑美さんは遺書を残していた。 「お母さんへ 急にだけど、私を産んで育ててくれてありがとう。家族の中で一番、とっても大好きだったよ!」 「ごめんね。生きるのにつかれました。本当にごめんなさい」 「これから楽しい事もあるけど、つらい、いやなことは何億倍もあるから。いそがしい時にごめんなさい。私、お母さん大好きなのにね」と書かれていた。 また、「死んだのは、学校の美術部のみんなでも学校の先生でもありません。」と書き、さらに何かを書こうとして2カ所に横線を引いて消し、「クラスの一部に勉強にテストのせいかも。」と書いていた。 そして、小学校時代からの同級生から、塾勧誘(強要)の手紙も発見された。 ●アンケート調査について 教育委員会の宮尾主幹兼指導主事が、佑美さんの自殺の背景調査としてアンケートの原稿を書いて、10月26日に学校が実施した。 アンケートの名称は、「学校生活アンケート」。 内容は @学校へ来るのは楽しいですか。 A学校生活で、何か心配なことや、気になることがありますか。 B学校以外で、何か心配なことや、気になることはありますか。 C自分の将来や進路、勉強のことで何か気になることはありますか。 D今、先生に話しておきたいことはありますか。どんなことでも聞かせてください。 事前に佑美さんの両親から、@中井佑美の名前を出してほしい、Aいじめという言葉を入れてほしい、B記入者は無記名にすべき、という要望が出されたが、学校、教委は無視し、佑美さんの名前も、自殺のことも、いじめのことも書かれていなかった。 記名式アンケートだった。 宮尾氏は、佑美さんの名前やいじめという言葉を書かなかった理由として、「確かな情報がなかった」「佑美さんに対するいじめがあったかなかったかを含めて、何があったか知りたかったから」と答えた。 「佑美さんの名前を出さなくても、情報はとれると考えていたのか?」の問いに、「はい」と答えている。 しかし、これで、生徒は、佑美さんのことを聞かれていると思うだろうか。 むしろ、書いてよいかどうか迷うと思う。この内容のアンケートで、もし生徒が教師に、「佑美さんについてのことを書いてもいいですか?」と聞いたとしたら、「これは学校生活アンケートです」「他人のことではなく、自分自身のことについて書いてください」と言われるのではないか。 そうでなくとも、子どもたちは「チクる」というのは卑怯な行為だ、仲間を裏切ったのだから、制裁としていじめられても仕方がない、と強く思い込まされている。 その罪悪感や恐怖感を払しょくするためには、聞き出す大人が、「事実を明らかにするのは、再発防止のために必要なことで、けっして卑怯なことではない」「事実を明らかにするのは、亡くなった佑美さんのためでもあり、ご両親のためでもあり、あなた自身の正義のためです。」「学校、クラスをよくしていくために必要なことです」ということをきちんと伝えなければならない。 学校や教委は、これは佑美さんの自殺背景調査のためのものだと各クラスで口頭では説明してから実施したという。 しかし、そういう基本的に一番大事なことこそ、各教師によって対応の差が出ないよう、アンケート用紙に明記する必要がある。 ジェントルハートプロジェクトでは、児童生徒に講演後のアンケートを書いてもらっている。書きにくいのを承知で、できるだけ体育館などでも、その場で書いてもらうようお願いしている。 教師の一言で、感想文が全く別のものになってしまうことがあるからだ。 どうしてもと言われて、クラスに戻ってから書いてもらった感想文のなかには、担任が何か言ったとてき面にわかるクラスのものがある。講演者の名前がフルネームで書かれており、どの感想文もお礼の言葉から始まっている。そういうクラスでは当然、生き生きとした内容は書かれない。教師が講演内容を自分なりにまとめたなとわかるものもある。生徒たちはそれぞれ、同じ内容を聞いても感じる場所は違うはずなのに、教師の言葉や感想に引きずられて、同じように概要をまとめ、同じような感想を書いてくる。明らかに他のクラスとは異なる。 アンケートの結果、自殺につながるような内容は何も出てこなかったと、学校や教委は言う。 もちろん、それさえ怪しい。原本を見せずにすむなかで、重要なことが書かれていたとしても、いくらでもなかったことにできる。 学校の報告が嘘だとわかるのは、生徒たちの中から、「自分はいじめを見たと書いた」という情報が遺族に上がったときのみだ。 そして、もし本当に何も出てこなかったとしたら、はやり、聞き方が悪かったのだと思う。 なお、この生活アンケートはその後も、定期的に続けられたという。つまり、これは佑美さんの自殺の背景調査ではなく、日常的な生徒指導のためのアンケートに過ぎないと思われる。しかし、現在では生徒の自殺後に全く調査をしなかったこと自体の責任が問われるので、単にこじつけとして、「事実解明のためにもアンケート調査を実施したが、何も出てこなかった」と言っているのに過ぎないと思われる。 アンケートに中井佑美さんの名前を一切出さなかったことの理由、保護者への説明にも名前を出さなかったことの理由を聞かれて、教育長は「中井佑美さんが自殺したことはみんな知っていた」「自殺者の名前を出さないことは日本の文化だ」と言った。 ●聴き取り調査について アンケート調査の結果、スクールカウンセラーが、25名の生徒が何らかのケアが必要だとして、ピックアップしたという。 佑美さんについて原因と思われることは何も書かれていないのに、25人もの生徒がケアを要すると判断されたという。 その内容は「不安」「夜が怖くて眠れない」などというものだったという。 緊急性の高い25名はカウンセラーが面接し、それ以外の1年生全員を各担任が面接したという。 宮尾氏は、専門性が高いカウンセラーが面接をしたと証言したが、小尾教育長はカウンセラーの数が足りなかったので、カウンセリングの研修を受けた教師も聴き取りをしたと証言している。 どれだけの研修を受けて、どれだけの専門性を有した人たちが聴き取りをしたのは不明だ。 各クラスでの面談では、佑美さんの自殺について、@この事故をどこで知ったか?Aどう思ったか?B誰と話したか?の3つについて聞くよう、予め指示していたという。 「佑美さんの自殺の原因について、思い当たることは?」とは聞いていないという。小尾教育長が、この件について「徹底調査しろ」と命じたというのに、原因について聞かなかった理由を上記3つの質問で、情報が出てくると思ったからという。 結果は、原因につながる情報は、一つも出てこなかったという。 しかし、佑美さんは小学校時代からいじめを受けていた。部活動のの本音大会で、みんなの前で泣き出した。「いじめられたことのある人」の質問に手を上げたなかに佑美さんも入っていた。適切な聞き方をしているのであれば、少なくともこうした情報は何等かの形で上がっていてもいいはずだ。 教師が、佑美さんについて一切聞かず面談を終えたか、生徒が話した内容を報告しなかった、あるいは教師から上がってきた内容を学校・教委が隠ぺいしたと考えるのが順当だと思う。 なお、いちぱん佑美さんに関わりが深かったのではないかと推測される、緊急にケアが必要だと判断された25人の聴き取り調査の結果について、教育長はカウンセラーから守秘義務を理由に詳しい内容を聞くことができなかったという。ただ、この中でも、佑美さんの自殺の原因に関することは何も出てこなかったと聞いているという。 カウンセラーだけでなく、実際には教師も交じっていたのだから、それがどこまで本当のことかはわからない。 しかし、カウンセラーを使って子どもたちからいろいろなことを聞きだし、今度は、カウンセリングという子どもたちの内面に関わる問題なので、守秘義務があり、遺族に報告することはできないというのは、学校関係者が隠ぺいする常套手段として、ほかでも使われている。 ●学校調査の消極性について 学校、教委は、「徹底して調査する」と言ってみたかと思うと、いじめの具体的な事実が出てきたわけでもないのに、いじめを前提に、まるで生徒を疑うかのような調査をするのは人権侵害に当たるからできないと、チグハグな答えを言う。 しかし、現実には、佑美さんの遺書、塾強要の手紙、小学校からのいじめ相談をつづった担任との交換日記、部活動の本音大会での佑美さんの言動。いじめを強烈に示唆する内容はそろっている。 そして、子どもたちの人権を盾にするが、いちばん人権侵害を受けたのは、まぎれもなく中井佑美さんであり、ひとり娘を亡くした両親だ。それを放置して、子どもの人権を守るという。 いじめた子どもたちにとっても、いじめをして、その相手が亡くなってさえなかったことにされるのは、けっしてその後の人生にプラスにはならないだろう。 いじめを見ていた子どもたちにとっても、「傍観者は加害者だ」と言っている大人たちが、積極的にいじめをなかったことにしようと奔走する姿は、大人への不信感を産み、正義の気持ちより、強いものに与する気持ちを生むだろう。 なお、教育長への尋問で、文科省が出した児童生徒の自殺予防に関する協力者会議の報告内容は知らないという。 自分の管轄する学校で、自殺者が出ていて、民事裁判にまでなっているというのに、児童生徒の自殺をどう予防するか、既遂があったときにはどのように対処すべきかについて、教育長までが、文科省から送られてきた通知さえ読んでいないという関心のなさ。文科省は、自殺予防対策をやっている、やっていると、声を大にして言うが、この程度の効果であることが、実証されたようなものだ。 主事も、「どの学校にもクラスにもいじめがあるとの前提で」という通知は、平成18年10月以降のもののはずとという。 しかし、同じような内容の通知が、何度も何度も繰り返し文科省から出ていることを知らないのだろう。事件やその調査のあとの通知なので、当時の調査には適用されないと主張したかったと思われる。 もし、学校、教委が本当に、背景調査をしようと思っていたとしたら、アンケートや聞き取りをしても、学校や遺族がつかんでいる情報さえ何もあがってきていないという段階で、調査方法を改めて、やり直すことは可能だった。 可能だったにもかかわらず、やらなかったというのは、結局は、学校にとって都合の悪い内容が出てきては困ると思っていたからと思われても仕方がない。 佑美さんは1年生だった。生徒たちはその後も2年半近く北本中学校に通い続けたのだ。 学校の姿勢は子どもたちに決定づけられてしまった。子どもたちには、どんな教訓を残したことだろう。 2010年12月15日、同じ学校の2年生男子が、「死にます」などの言葉が書かれたメモを遺して、鉄道自殺している。 5年前の教訓は生かされなかった。学校も、教委も、何も学んでこなかったツケが、子どもの命という代償で支払われたとは思わないのだろうか。 佑美さんは遺書で、家族のせいじゃないことを強く強調している。控えめな言葉で、「クラスの一部」と挙げている。 尋問のなかで、いじめがあったなら、加害者の名前が書かれるはず、いじめという言葉が使われるはずと教育長が答えている。 しかし、実際には、自殺した多くの子どもが遺書に書くのは、「ごめんなさい」の言葉。 いじめられたことを書いても、名前まで書くことのほうがむしろまれだ。それだけ、子どもたちの間で、「チクるのは卑怯なこと」という気持ちが強く蔓延している。佑美さんは迷って、書きかけて、消した。 「美術部のせいではありません」。わざわざ書いているのは、本音大会のあと自分が泣き出してしまったことをみんなが知っている、誤解される人がいたら可愛そうという思いやりの気持ちだろう。 また、遺書にいじめのことを書かなかった子どももたくさんいる。いじめられて死ぬのはみじめだと思うから、最後のプライド、自尊心を守りたかったのではないかと思う。 加害者たちの名前を書かなくても、きっと自ら申し出てくれるはず。学校・教師は知っているはず、友だちはみんな知っているはず。いじめの事実が隠されるはずがない、埋もれるはずはないと思っていたのかもしれない。 だからこそ、「死んだのは、学校の美術部のみんなでも学校の先生でもありません。」と書いた。 恨みだけなら殺人に走る。どこかでまだひとを信じているから、ひとに対する思いやりをもっているから、自死したのだと思う。 佑美さんのやさしさは、結局、子どもたちにも、大人たちにも、踏みにじられてしまった。 主幹兼指導主事も教育長も、裁判で出された様々な証拠を見ても、未だいじめがあったとは考えていないと平気で言う。 そして、それはたぶん、どこの地域の教育委員会関係者が出て来ても金太郎あめのように、同じようなことを言うのではないかと感じられてしまう。 まだ中学生になったばかりの若い命を自ら断たなければならなかった。最後の言葉、遺書には深い深い意味が込められている。表面だけをなぞって、意味がないと、切り捨てるべきではない。生きているときに気付いてあげられなかった、助けてあげられなかった命であるのだから、せめてその死ときちんと向き合い、本人の言いたかったことを大人たちがしっかりと受け止める義務があると思う。 ●文科省の自殺調査の指針について 文科省は2011年6月1日付けで、「平成22年度児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議審議のまとめ」を発表している。(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/063_1/gaiyou/1306734.htm 参照) 背景調査の目的として、 @今後の自殺防止に活かすため A遺族の事実に向き合いたいなどの希望に応えるため B在校生およびその保護者の事実に向き合いたいなどの希望に応えるため の3つを挙げている。 目的は評価できるが、果たして、その内容がこの3つの目的を実現できるものになっているかどうかは、疑問だ。 文科省案では、およそ3日以内に行う「初動調査」として、 ●事後対応を丁寧に行い、遺族に誠実に対応することが基本 ●全教師から聴き取り(3日以内が望ましい) ●子どもから適切に聴き取り(数日以内が望ましい) (自殺の事実を子どもに伝えていない場合はかなり制約を伴う) とある。 その中で、「遺族が自殺であることを伝えたがらない場合」や「詳しい調査を望まない場合」について、やたら強調されて書かれている。まるで、遺族は自殺であることを隠し、詳しい調査を望まないことのほうが一般的であるかのように。 もちろん、家庭に心当たりがあるような場合は、そういうこともあると思う。しかし、学校に原因があるのではと思われる場合、ほとんどの遺族は、事実を知りたいと願っている。 今まで問題になっているのは、遺族が調査を望まなかった場合ではなく、強く望んでいるのにもかかわらず、学校が拒否した場合、おざなりな調査だけで、遺族が望む調査がなされなかった場合だ。なぜ、わざわざ反対のことを強調するのだろうか。 そして、中井裁判で、遺族は自殺であることと、佑美さんの名前をきちんと出してほしいと要望したにも関わらず、学校が拒否をした。両親は遺書や塾強要の手紙の存在も明らかにしてほしいと要望したが、それも拒否された。 遺書については、学校、教委は、「両親がこれは遺書ではない」と言ったので、遺書とは報告書に書かなかった。2006年のいじめ自殺再調査に当たっても、遺書は無しにチェックをつけた。遺族はそんなことは言っていないと主張している。 文科省は最初から、学校側に逃げ道を作っている。調査しなくてよい事例を暗にほのめかしている。 遺族が望まないと言っている場合を想定するのではあれば、それを言い訳にする例が過去にいくつもあるのだから、遺族からの意向は書面にて確認して残すこととするべきだろう。 過去にも学校事故報告書には、遺族が言ってもいない、「学校の責任ではない」「迷惑をかけた」「家庭に原因がある」などの言葉が書かれていたりしている。 そして、アンケートより先に、全教師からの聴き取りと、関係がありそうな子どもたちへの聴き取り。 管理職が教師から聴き取りをして、何らかのいじめ事実がわかったとして、それを正直に遺族に報告した例はほとんどない。 むしろ、管理職に口止めされたり、情報を持っている教師が遺族やメディアと接触しないような対策が立てられる。 関係が深いと思われる生徒についても、他からの情報もなしにいきなり聞いてもいじめを否定されるのは目に見えている。 むしろ、他の生徒への口止めや互いの口裏合わせの時間を与えることになりかねない。また、ここでいじめを告白したとしても、「それはいじめではない」「いじめが原因で死んだのではない」と説得されてしまうのがオチだ。 報告書では自ら、「一般に子どもは被暗示性が高く、それがアンケート回答に影響することがあるため、一定の答えを誘導するような質問をしないよう注意してください。」と書いている。画一的で、質問内容が残るアンケートより、聴き取りのほうが、その可能性は高い。 アンケート調査行ったうえで、そこで出てきた情報を基に面接を行うのが、順当ではないか。 そして、アンケートや聴き取りなど、詳しい調査を行う場合は、保護者の承諾を得るようにと、承諾書のフォーマットまで用意している。 ふだん、学校で、盗難や器物損壊の調査をするとき、いちいち保護者に、聴き取り調査をしてよいかという承諾書などとっていないにも関わらず。しかも、今のいじめは場合によっては、クラス中からいじめられている。 自分の子どもが、無関係でいる可能性のほうがむしろ低いのに、保護者が承諾するだろうか。もし、加担していないとしても、調査承諾をしたとわかったら、ちくったと言われて、今度は自分の子どもがいじめのターゲットになりかねない。 親は関わりを恐れて拒否するだろう。 まるで、教育長の「調査することは、生徒を疑うようで人権侵害に当たるのでできない」と言っていることに通じる。 本当に人権を守るとは、いじめを許さない毅然とした態度をとることではないか。臭いものに蓋をしないことではないかと思う。 子どもたちへのアンケート案に関して、出されたものは、ジェントルハートプロジェクトが提案したものとほぼ同じ。 決定的に違うのは、「なお、このアンケートは、○○さんに何があったのか、真実を知りたいというご家族の願いにこたえるために、ご家族にも報告することをご理解ください。」という一文が削除されていることだ。 アンケート用紙には、「なお,このアンケートは,○○さんに何があったのか,真実を知りたいというご家族の願いにこたえるためのものでもあることをご理解ください。」と変更されている。一方で、家族や遺族への説明では、「自殺は、様々な要因が複雑に関係して起こると言われています。一方で、こうしたアンケート調査などにより集められる情報は断片的なものです。中には伝聞や憶測、事実とは異なる情報が含まれている場合もあります。また、そうした情報が自殺の動機にどのように結びつくのかは、全体の調査の中で総合的に分析し、判断する必要があります。したがって、アンケート調査の内容をそのまま公表することはありません。また、ご遺族の方にもそのままお知らせすることはいたしません。」となっている。 今まで自殺後の調査で一番問題となっている、「いじめを見た」と子どもが書いても、その情報が遺族に伝えられることなく、学校関係者の手で握りつぶされるという問題が、何一つクリアになっていない。 それどころか、アンケートの文面を見て子どもは遺族に当然、伝えられるものだと思い、正直に書いたとしても、学校は、保護者に約束したことを盾に、一切、アンケートを開示せずにすむことが、最初から約束されている。 勇気を出して「いじめを見た」という子どもの声を、「事実かどうかわからないから、遺族には伝えられない。公表もできない」と言うほうがよほど、子どもを信じていない、人権侵害に当たると思う。 情報が断片的だというなら、その情報の信憑性を判断できるだけの他の情報も提供すればよいだけだと思う。 「いじめはなかった」「見なかった」という情報なら、すぐに遺族に伝え、公表するのに、逆の情報は慎重を期すためと言って、遺族にも伝えられない。学校にとって、都合がよすぎるのではないか。 北本市がなぜ、いい加減な内容のアンケートをとったか。遺族が情報開示請求をしてくることが予測つくからだろう。開示されても大丈夫なように、わざと情報が上がらない形で、調査をしたというアリバイのためにアンケートをとった。 聴き取りは、まとめの報告を挙げればよいだけで、聴き取りメモはすぐに処分されてしまう。残っていたとしても、情報開示請求しても出てこない。 調査をしたというアリバイづくりになり、実際に聞き取った内容は証拠が残らないので、なんとでもいえる。学校にとって、都合のよい調査だ。 学校や教委は今までも嘘をついてきた。小手先を変えても内容を信じられない。 原発事故ににしても、東電と、癒着してきた政府機関が、調査結果はこうですと発表したところで、信じられるだろうか。 まして、その情報が正しいか、検討方法は正しいか、判断する材料は一切示されなかったとしたら。 被害者が内容をチェックできないものを、結論だけ示して、信じろというほうが、無理がある。まして、自分たちが感じていた原因とはまるで違う結果で、しかも、はっきりした根拠も示されないまま、遺書に書かれている内容まで否定されたとしたら、信じられなくて当然だと思う。 事故はありました。人が死にました。自分たちで適切な調査をしましたが、原因と思われることは何も出てきませんでした。 自分たちの命が危険にさらされて、このような回答で納得がいくだうろか。 自殺も同じだ。失われた命と、これから守らなければならない命に関わる問題だ。 文科省が本気になって、亡くなった命から教訓を得ようとはしない、過去の悲劇を生かそうとしないから、学校・教委が形ばかりで本気で背景調査をしようとしないのだと思う。 次回、10月20日(木)は、午前10時から原告の中井紳二さん、節子さんの本人尋問。午後にかかるかもしれない。 |
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