わたしの雑記帳

2011/11/7 市立北本中学校の中井佑美さん(中1・12)自殺の民事裁判・原告(佑美さんの両親)の本人尋問

2011年10月20日(木)、午前10時00分から、東京地裁103号法廷で、市立北本中学校の中井佑美さん(中1・12)自殺の民事裁判の原告である中井節子さん、紳二さんの証人尋問が行われた。
100人収容の大法廷は、傍聴券こそ配布にはならなかったが、今回も8〜9割方埋まっていた。

内容については、ペンが追い付かなかったり、日にちがたってしまったこともあり、自分のメモが読めなかったり、隙間を埋めきれなかったりした。とくに紳二さんの尋問では、声が聞こえづらく、聞き逃したり、集中力が切れたところもあって、正確ではないところも多々あると思われるが、だいたいの内容を伝えられればと思う。

母親(中井節子さん)の証人尋問

最初に母親の節子さんの証人尋問。原告代理人の杉浦弁護士から尋問。

Q::佑美さんは、どんな子どもだったか?
A:小さい頃は丸々としていた。家族は仲がよかった。よく、家族旅行にでかけた。
小学校の低学年の頃は天真爛漫。明るい、元気な子だった。小学校3年生の頃、学校でいやなことを言われるようになったという。家では明るかったが、学校では友だちの眼を気にし、天真爛漫ではいられなくなった。
中学校に入って、口数が少なくなり、喜怒哀楽を出さなくなった。
(杉浦弁護士が一つひとつ段階を追って質問し、節子さんが答える間、児玉勇二弁護士が、佑美さんの幼い頃からの写真を裁判官と傍聴に見えるよう、頭上に高く掲げていた)

Q:小学校時代のいじめについて、いつ知ったのか?
A:小学校3年生の3学期頃から、仲間はずれにされるなど、35番の児童からのいじめが始まった。4番、10番、44番から陰口を言われる、佑美から「自分に向かって、2、3人がコソコソと悪口を言う」と聞いた。
Q:そのことは担任には伝えたのか?
A:伝えていない。その話を佑美から聞いたのが、4年生の終業式の前日だったから。5年生になっても続くようなら担任に言おうと思っていた。

Q:とくにいろいろあったのは、小学校6年生ということでよいか?
A:はい。
Q:佑美さんの性格として、小6当時、クラスの女子に自己主張できる子だったか?
A:できない。言い返すことができなくて、とくに女子生徒に気を遣っていた。
Q:6年生のN担任は証人尋問で、佑美さんはストレートにものを言うと言っていたが?そのことでトラブルになるのではないかと心配だったと言っていたが?
A:そういうことはなかった。
Q:N担任から、そのような注意・指導を受けたことは?
A:家庭訪問のときにも、ない。
Q:あなたが担任に対し、佑美はストレートにものを言うので、そのことでトラブルになるのではないかと心配だと相談したことは?
A:言っていない。そもそも、そのような認識はない。
Q:学校の先生から指摘されたことは?
A:ない。
Q:佑美さんが亡くなったあと、あなたは小学校の担任であるN担任に会いに行ったということだが、19番、44番、46番の女子については、嫌なことは嫌と言えると言っていたか?
A:N先生は、彼女たちは、はっきりものを言えるタイプと言っていた。佑美とは正反対で、ずけずけとものを言うタイプだと。

Q:小学校6年生のいじめについて、佑美さんからはどんなことを聞かされていたのか?
A:5月に、筆箱がなくなったと佑美が言った。9月に、筆箱に入っていたシャープペンシルや蛍光ペンを19番が使っていたので、19番が盗ったと思うと言っていた。
10月に、お気に入りの黒いジャンパーを19番に鳥小屋に落とされ、ドロドロになった。19番、46番に黒板消しで黒いジャンパーをはたかれたと言っていた。
担任との交換日記を読まれていたと言っていた。
6年生の社会科見学で、国会議事堂や科学技術館に行ったとき、5人分の荷物を持たされたと言っていた。


Q:それは、いじめという認識を持っていたか?
A:はい。
Q:N担任には伝えたのか?
A:12月に、修学旅行前の面談があって、19番の子と同室になるので注意して見て欲しいと言った。
Q:19番の行為について、伝えていたのか?
A:はい。中学校になったら、仲のよい26番と一緒にしてほしいと伝えた。
Q:どうしてこの時期に話したのか?
A:小学校のときに、26番と一緒だと比較的穏やかな生活ができた。保護者同士も、中学になったら、同じクラスにしてもらいたいと話していた。
Q:26番も友人との関係で、嫌なことがあったのか?
A:はい。

Q:佑美さんは、いじめられているという認識を持ってたのか?
A:はい。19番とは表面的には仲良くしていたが、悩んでいた。
Q:佑美さんと仲良くしていたのは?
A:26番。19番といるときとは、全く佑美の様子が違った。19番から遊ぼうという誘いを受けても、なるべく用事を作って断るようにしていた。

Q:いじめがあったのは10月だと、どうしてわかるのか?
A:N先生と面談したので、よく覚えている。11月頃は日記を見られたり、19番に、クリスマス会に無理やり誘われた。
3学期に佑美は学級委員になったが、みんなに押し付けられて断れないから引き受けたと言っていた。
佑美から聞いたことをノートに書いていた。
Q:書面のものは、いつ書いたのか?
A:2月1日以降に書いた。担任に電話することを意識して書いた。佑美が亡くなったあと、本箱にノートが入っていたのを見つけた。

Q:2月1日、佑美さんがゴムを引っ張られて首を痛めたというのは?
A:ゴムで髪を止めていたのを引っ張られたと佑美から聞いた。佑美を病院に連れて行ってみてもらった。
Q:そのことは担任に伝えたのか?
A:はい。N先生に連絡帳で伝えた。
Q:その連絡帳は見つかったのか?
A:見つかっていない。

Q:トイレの水に顔を突っ込まれそうになったことについて。
A:19番、46番に、トイレに一緒に行ったときに、便器に頭を押し付けられて、水に顔をつけられそうになって逃げたと佑美が話した。担任に伝えて、このことで19番、46番が怒られた。
Q:母親として、佑美さんに何か助言したか?
A:この2人から、できるだけ離れるように、前から言っていた。しかし、佑美は離れることはできなかったと言っていた。
19番に遊びに誘われて断ったときに、文句を言われた。佑美あてに電話があって、佑美は断っていたが、あまりにしつこいので、私が電話に出て断った。

Q:19番に直接、注意したことは?
A:家に来たとき、目に余ることがあると、注意した。
Q:佑美さんは、19番のことをよく思っていた?
A:よく思っていなかった。交換日記の裏に19番からいたずら書きをされたのが嫌だったと言っていた。

Q:担任には伝えたのか?
A:メモを元に電話をした。私は話すのが苦手なので、電話をするための原稿を書いて、読むようにした。
佑美から、「学校には絶対に来ないで!」と言われていたので、電話で伝えた。
いじめの内容をかいつまんで、ほとんど言った。
Q:N担任は、お母さんからは子どものことで心配なことがあると電話をもらったと言っているが?
A:この原稿に基づいて、話していた。
Q:トイレのことも伝えたのか?
A:伝えた。
私が、「同席したほうがいいですか?」と聞くと、N先生が「私のほうでしますから」と言った。その時は解決したと思っていた。
佑美にも「大丈夫?」と聞くと、「大丈夫」と答えていたから。
一旦、解決したと思っていて、亡くなったあと、書面で、市にわかりやすく清書して渡した。
Q:それはなぜか?
A:佑美が亡くなったあとの12月8日の報告会で、N先生からの聞き取り内容が納得できなかったので、書面があるので、取りに来てほしいと市教委に話した。走り書きだったので、きちんと書き直したほうがわかるかと思って書きなおした。

Q:平成17年12月8日の報告会のあと、小学校の担任との交換日記を出したのはなぜか?
A:交換日記が見つかったのは、12月15日のあとだったから。
Q:佑美さんの生前、この交換日記は見たか?
A:交換日記は、毎日持ってきたわけではない。佑美の机の上に置いてあったが、勝手に読むのは佑美に悪いと思ったので、読まなかった。
Q:2月22日に、N担任に電話したということは、北本市に渡すときに書き加えたのか?
A:次の報告会のとき、22日ではなく、前後かもしれないと伝えた。

Q:2月にお母さんが担任に電話したとき、登校班のことを相談したか?
A:そういうことは相談していない。それは2学期の7月。60番が、1年生に文句を言って、1年生は列を飛び出して、学校に走って行った。1年生の母親から私は相談されて、60番は同じクラスだったので、担任のN先生に相談した。
Q:それは1回か?
A:継続的だった。
Q:佑美さんは登校班について悩んでいると話していたか?
A:話していない。

Q:中学校のクラス分けが決まったときのことについて。
A:仲のよい子が2組に行って、残念がっていた。19番と46番は同じクラスかと聞いた。6年生当時のいじめのことが頭にあったので。
佑美は、違うクラスになったと言っていた。
Q:中学生になって、クラスの友だちのことを話すことは?
A:それほどない。学校での仲のよい26番の子は2組に行ったので、5組から2組に行って、廊下で話していると言った。
クラスの中では、6年生のときに一緒だった36番と話をすると言っていた。

Q:嫌なことをされると言っていたか?
A:当時は聞いていない。
ただ、小学校6年生の3月頃、「北本中は怖い」と盛んに言っていた。近所に一つ上の女の子に聞いたらしい。
Q:怖いとはどういうことか?
A:内容は言っていなかった。
Q:あとでわかったことは?
A:中3に不良っぽい子がいて、同学年に暴力を振るったり、駅前の交番の窓ガラスを割ったり、教師にけがをさせたと聞いた。

Q:中学校でのことについて。
A:9月の体育祭のあとの席替えで、44番が後ろの席に来て、すごく嫌だと言っていた。
Q:36番の陳述書で、佑美さんはクラスのなかでポツンといる子と書いているが、こういうことは知っていたか?
A:知らない。
Q:佑美さんが怯えている様子を見せたことがあった?
A:歯医者に車で連れて行ったとき、中学の生徒がいると、車のシートに身を隠した。
Q:理由は?
A:見られるのが嫌だからと言っていた。怯え、不安そうに見えた。

Q:美術部のことについては、よく話していたか?
A:それほど話していない。部活の保護者会に行っても、顧問がいないこともあった。美術部で、佑美が亡くなる一週間前に、「明日は、ボコボコになるかもしれない」「明日、美術部で、一人ひとり思っていることを話す。本音で言い合う」と言っていた。
Q:それを聞いてどう感じたか?
A:「ボコボコになる」と聞いて、暴力に感じた。不安そうだった。「どうしてそんなことになったの?」と聞くと、48番から、3人が、いろいろ言われて泣いていた子とかいたと言っていた。それ以上、本人が言わなかった。
しかし、10月4日、帰宅したときには、「何ともないよ」「大丈夫だよ」と言っていた。
7日に、美術部のことを再度聞いたところ、同級生なのに丁寧な言葉づかいをすると言われたと言っていた。
私は、「丁寧な言葉づかいは悪いことではないよ」と言った。

Q:K塾への勧誘について。
A:9月中頃、メモがテーブルの上に開いた状態で、真ん中に置いてあるのを見つけた。夕食の準備をしているときに、読んだ。
「19番からもらったの?」と聞くと、佑美は「そう。塾の誘いを受けた」と答えた。私が「入りたいの?」と聞くと、「入りたくない」と言った。6年生の時のこともあるから、「どうする?お母さんから言おうか?」と私が聞くと、「自分で断る」と言った。
Q:塾勧誘のメモを読んで、気になることは?
A:「必ず入らないと」「やばい系に」などと、命令口調で入りなさいと書いてあったのが、気になった。
何日かたって、K塾の塾長から電話があって、「佑美さんが塾に入りたがっていると、生徒が言っていたので電話しました」と言われた。佑美は塾に通うつもりはありませんのでと、断った。
佑美にも確認したところ、「19番には、断ったよ」と言っていた。
Q:佑美さんは、このことをどう思ってたか?
A:心の負担になっていたと思う。亡くなってから、机の中をみたところ、奥のほうに小さく折りたたんで、このメモが入っていた。
そこには、「噂をばらまいてやる」と書いてあった。1枚目は私に見せていたが、2枚目は見せていなかった。


Q:亡くなる直前の様子について。
A:試験前で、3連休だったが、佑美は家にいた。土曜日は夫が、実家の母のところに行き、日曜日は私が実家の母のところに行った。3日目は、家の改装工事のために、廊下の荷物を整理して、本人に確認しながら、捨てる、捨てないを決めていた。
勉強は午前中に1時間、午後1、2時間机に向かっていた。
Q:試験前で、不安そうな様子や焦っている様子はあったか?
A:なかった。

Q:「お母さんへ」の遺書を読んで、どう思ったか?
A:びっくりした。「死んだのは学校の美術部でも、先生でもありません」と書いてあったが、美術部で「ボコボコになる」ということが頭にあって、クラスの一部というのがひっかかった。
ここにわざわざ「美術部」と書いてある。何もなければ、書く必要がないのではないかと思う。何かあると思う。
Q:勉強やテストについては不安はあったか?
A:なかった。クラスの一部というのをクローズアップさせないために、付け足したのかと思った。

Q:友だちの陳述書について。友だちや親たちは、佑美さんが亡くなったあとも、たびたび訪ねてきたのか?
A:はい。
Q:19番について。陳述書は、19番とその母親が書いたのか?
A:はい。2006年11月17日、私たちが提訴するという報道があった日、19番と母親は学校から呼び出されて、校長室で2、3時間、話を聞かれたという。
19番の母親が電話してきて、19番を訴えるのではないかと心配していた。親子で自宅まで来た。
上申書を書いてくれと言ったら、ふつうに書いてくれて、自宅で書いて持ってきてくれた。
Q:どの部分を誰が書いたかわかるか?
A:細かい字は、19番本人。

Q:これは?
A:36番が書いてくれた。36番とは仲がよかった。同じクラスで、時々、家に来た。高3の頃、自発的に書いてくれた。
13番は命日には、親子で来てくれる。10月11日に、北本市の報告書を見せたら、「実際はそういうことじゃない」と怒って、自発的に書いてくれた。その場で書きだしたが、時間がなく、自宅で書いて11月23日に持ってきてくれた。
48番は、小学校も違うので、面識がなかった。佑美が亡くなって3年後、高校生になったのを機会に電話をして、家に来てもらった。うちに来て書いた。話をしている中で、「この時のことはこうだから」と書いてくれた。アンケート時のことから、流れで、二者面談について書いてくれた。
Q:アンケートの時の注意事項を聞いたと言ってたか?
A:聞いていないと言っていた。

Q:26番について。
A:いちばん、仲がよかった。お母さんとよく来てくれる。
Q:当時のことは話してくれたか?
A:佑美が亡くなった当時はショックで、家に来れなかった。家に来ると、佑美がいない現実と向き合わなくてはならないから。
佑美がいなくなって、明るく太陽のようだったのが、太陽が消えて暗くなってしまったと話してくれた。

Q:佑美さんが亡くなって、どんな日常を過ごしているか?
A:佑美の机も、衣服も、そのままになっている。食事は私たちと同じものをあげている。しかし、食事が減らない。佑美がいないということは、心の中に穴があいたように感じる。
佑美が亡くなったあと、学校で「ジ・エンド」と落書きをした生徒がいたと聞いてショックだった。
家の中の火が消えて、心底の笑いは消えた。近所のひとに遭えばあいさつして、ふつうに接するが、家に帰れば佑美がいない。
季節の行事はすべてなくなった。
友だちが来てくれるのは、すごくうれしい。こんなに大きくなったんだと思う。しかし、佑美が生きていたら、こんなに大きくなったんだと思うと、つらい。
夫婦の時間は全く止まってしまった。

Q:アンケートについて。
A:本当のことを知りたい。
本音大会で、佑美は泣いていたという。いじめられた人と言われて手を上げていた。くつを隠されたと話していた。私に美術部で明日、ボコボコにされると話した。
Q:学校と家庭とが連携していたら、佑美さんの自殺は防げたと思うか?
A:はい。本音大会について、13番の母親から、佑美の死を聞いて、まっさきに、美術部のことだとことだと思ったと言われた。

ここまでで、11時25分。
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ここから、北本市の反対尋問。

Q:お母さんの申述書の中に、佑美さんは小さい頃から動物好きだったと書いている、小6の5月におばあちゃんの故郷に行ったとき、コリー犬と遊んだとあるが、佑美さんは犬が好きだったのか?
A:はい。
Q:自宅では、何か動物を飼っていたのか?
A:小学生の時にハムスターを飼っていたが、3カ月くらいで死んでしまった。その後、死んだことをすごく悲しんで、それからは飼っていない。
Q:佑美さんはねこや犬が好きだったと書いてあるが、飼っていなかったのか?
A:夫が、小さい頃に犬にかまれて、トラウマになっているので、家では飼えないと、佑美にも話していた。

Q:佑美さんは、2歳の頃から近所のひとにあいさつができていた。小学校1年生の授業参観では、きちんと答えていたとあるが、丁寧なあいさつや言葉遣いは誰が教えたのか?
A:自然に見て、覚えた。あいさつはしなさいとはいつも言っていた。
Q:心がけて暮らしてきたということか?
A:特別、心がけてくたわけではないが、自然に見についてきた。
Q:佑美さんのしつけについての教育方針は?
A:特別にはない。ひとに会ったらあいさつしなさいとか、人に迷惑をかけないようにくらい。
Q:日常生活の決め事は何かあったか?
A:特別、作ってはいない。特別、注意することはなかった、
Q:父親はどうか?教育方針、しつけについて。
A:特別なかった。言葉づかいやあいさつについては思っていたと思うが、佑美に対して言ったりしたことはなかった。

Q:中学1年生の頃の生活パターンについて。あなたは仕事はしていたか?
A:していない。
Q:父親は土日休みか?
A:土日休み。
Q:中学1年生のときの佑美さんの帰宅時間は?その後は?
A:夏は6時頃帰宅する。春はもう少し早い。帰宅後着替えて、夕食。そのあとは、勉強したり、テレビを見たりして、10時には寝ている。
Q:父親の帰宅時間は?
A:7時半から8時頃。夕食は、母娘で先に食べ、夫はその後、温めて食べる。
Q:休みの過ごし方は?
A:3人で食事したり、幼稚園の頃は近所の公園に出掛けたりした。
Q:両親の趣味は?
A:母も、父も、特別ない。

Q:佑美さんの小学生時代について。小4の3学期の終業式に、陰で悪口を言われて嫌になったとあるが、内緒話、悪口を言われなければならない原因、理由があったのか?
A:本人にもわからないと言っていた。
Q:内緒話が、自分に対する悪口とはわからないのではないか?
A:佑美が言うには、目つきで、コソコソしていることでわかると言っていた。
Q:どんなことを話していたかわかったのか?
A:私も、「佑美のことではないのでは?」と聞いたが、佑美は「絶対の自分のことだ」と言っていた。

Q:当時の日記には、実際にあったこととは違うことも書いてあったのではないか?
A:19番に日記を読まれていたためだと思う。10月13日付けに、「19番に、この日記を読まれました」と書いている。
Q:実際とは違うというのは、どういう点で違うのか?
A:父親の母親のお見舞いに行ったと書いてあるが、片道5時間くらいかかるので、あり得ないこと。
Q:フラストレーションとは?
A:日記に書きたいことが書けない。N先生に伝えたいことを伝えられないフラストレーション。
佑美は19番から頻繁に嫌がらせを受けていた。日記に書くことができれば、吐き出すことができるが、できないのでたまる。
Q:違うのは2カ所だれということだが、学校のことについて違うことは書いていないのか?
A:本音が書けない。
Q:日記に書かなくとも、口頭で言えばよかっただけではないのか?
A:話せばみんなにも聞こえる。生徒の目もある。
Q:先生が職員室で一人でいるときに話せばいいのではないか?
A:一人で行けば、周囲に「なぜ?」と言われる。19番が一緒にいることが多く、佑美の行動を見ていた。一人で言いにいけないと思う。
Q:日記ではなく、他の手紙に書いて渡せばよかったのでは?
A:そこまでは、私も伝えなかった。

Q:小学校6年生の時の日記をすぐには北本市に知らせなかったのはなぜか?
A:報告会のあと、冬休みに見つかった。
Q:日記について、調査を依頼しなかったのはなぜか?
A:日記は小学生のときのこと。まずは中学時代に何があったか知りたかったので。
Q:あなたは、佑美さんが亡くなった原因は中学になってからのことだと思っているのか?
A:はい。

Q:小学校での1泊2日の修学旅行について。
A:19番について、佑美は不安がっていた。
Q:どんな不安を持ってたのか?
A:ジャンパーを鳥小屋に落とされたり、日記を読まれたり、社会科見学でリュックを持たされたりしていたので。
Q:日頃、受けていたとしても、修学旅行と関係がないのでは?
A:19番と同室なので、嫌がらせを受ける不安があった。
Q:「ついに、ついに、明日は修学旅行だ」と日記に書いているが、楽しみにしていたのでは?
A:そんなことはない。修学旅行が誕生日にぶつかった。19番のことがすごく頭に占めていた。

Q:19番が髪止めをひっぱったから、首を痛めたというのは、どういう根拠をもって事実確認したのか?
A:佑美が、「首が痛い。19番が闇の後ろの席で、突然ぐっと引っ張られたので」と、ジェスチャーをしながら、話した。
Q:12月に体育の授業で筋を痛めたのでは?
A:その時のは、病院に連れて行ったので、完治していた。
Q:痛めていたので、軽い衝撃で、痛めたのでは?
A:私は医者ではないのでもわからない。

Q:2月4日にトイレの中でどんなことがあったのか?
A:19番と46番に、トイレに連れ込まれて、便器に頭をぐっとおさえられて、水に顔をつけられそうになったのをはねのけて、教室に逃げ帰ったと聞いた。
Q:陳述書では、トイレに行ったときに、便器に顔を突っ込まれそうになって逃げたと書いている。しかし、書きとったメモには、2月4日トイレの水に顔をつけろと言われたと書いているが?
A:佑美からは、ジェスチャーを交えて言われた。顔をつっこめと言われただけなら、すごい勢いで私に言うことはないと思う。本人は、大変で、困ったという言い方をしていた。清書するときに、走り書きと頭の中にあったのとをもっとわかりやすく書いた。

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間に昼食休みをはさんで、午後は13時30分から、北本市からの尋問の続きを開始。

Q:佑美さんが中学に入る前の2月、学校説明会で、万引きをする生徒がいると聞いて、荒れた中学と思ったのか?
A:はい。
Q:万引する生徒がいると、中学全体が荒れたことになるのか?
A:はい。
Q:万引をする生徒がそこらへんにいっぱいいると思うのか?
A:不良グループが交番のガラスを割ったり、不良グループが同じ学年の生徒ら暴力振るって逮捕されたりしたと聞いた。
Q:そのようなことは誰から聞いたのか?
A:暴行を受けた生徒会長本人と、その母親から聞いた。
Q:暴行を受けたのは男子生徒一人だけだが?
A:私は聞いたことを書いた。

Q:陳述書に、小学校6年生から中学間もなくまで、学習塾に通っていたと書いているが、進学に強い塾に通っていたのか?
A:北本市内だと同学年の子がいっぱいいるので、全く知らないところがよいと言って、決めた。
Q:学習塾は親が決めたのか?
A:中学に入ると、勉強がわからなくなるかもしれないのでと、本人が希望した。
Q:それ以前は学習塾に行っていなかった理由は?
A:学校の勉強についていけていたから。

Q:私立中学は受験しなかったのか?
A:していない。
Q:将来は大学進学を考えていたか?
A:本人の希望次第だと思っていた。押し付けることはしない。
Q:学習塾をやめてから、佑美さんが亡くなるまで、どこかの塾に行ったか?
A:行っていない。
Q:中1の夏休みに、K塾に行ったのでは?
A:行っていない。

Q:「北本中が荒れていたことを知らなかった、校内暴力が蔓延し」と書いているが、具体的には?
A:生徒会長が殴られたこと、万引きが蔓延していたこと。
Q:佑美の様子が2学期に変わってきたとあるが、1学期は変わったことはなかったのか?
A:なかった。ただ、夏休みが終わるころ、「学校に行くのがいやだなぁ」と言った。
Q:何故?
A:わからない。
Q:中学1年のとき、「1年5組のギャルグループが佑美に話をしなかった」とあるが、佑美さんはギャルグループら入りたかったのか?
A:入りたくはなかったと思う。
Q:佑美さんは、36番と、26番と仲良しだった?
A:はい。
Q:ならば、ギャルグループととくに話さなくともよかったのでは?
A:普段の生活はクラスの中だから、いやな思いをしていたのだと思う。
Q:36番と親しいということは、どうやって確認したのか?
A:生徒から話を聞いた。佑美は地味でギャルグループとは違うと。
Q:佑美さんは仲のよい子がいたか?
A:36番のみ。
Q:36番以外は無視してくると主張しているのか?
A:休み時間とか。21番、36番の話ではそう聞いている。

Q:美術部の本音大会で、佑美さんは同級生なのに丁寧な言葉づかいするのがいやだと言われていたのか?
A:はい。
Q:美術部にも原因があると思っているのか。遺書に「死んだのは美術部のみんなでもありません」と書いているのに、なぜか?
A:何もなければわざわざ書き込まないと思う。書いてあるのは、何らかのメッセージ。
Q:「学校の先生でもありません」と書いているなら、学校の先生もあり得るのでは?
A:もしかしたら、影響があったかもしれない。
Q:先生の落ち度を佑美さんは追及していたか?訴えていたか?
A:直接はなかった。

Q:体育祭の時に、「内股だよね」と言われたり、仲間はずれのことも、佑美さんは母親には話していなかったのか?
A:はい。
Q:第1回調査会議の議事録で、「内股のことで死んだりしない」とあるが?
A:それも一つの出来事。いろんなことが絡み合っているので一つかもしれない。

Q:塾勧誘の手紙について、9月中旬頃見たということか?
A:はい。
Q:どうして佑美さんは、テーブルの上に置いておいたのか?
A:わからない。
Q:佑美さんは、塾に入りたくなかったのか?
A:19番から嫌がらせにあっていたので、つき合いたくなかったから、本人にとって辛いことなので、入りたくない、関わりたくないと思う。
Q:塾に行きたくないなら、見せる必要がなかったのでは?
A:私に見せたかったのではと思う。佑美は19番から塾に誘われていると説明した。
Q:このことが自殺の引き金のひとつと思ったか?
A:私には見せないで机の奥に隠していた内容が、「噂をばらまいてやる」と書いてある。どんな噂をばらまかれるのかと思えば、本人は恐怖心でいっぱいだったと思う。
Q:これが9月末頃と思う理由は?
A:この間に、部屋に入っていた。
Q:塾長はあなたの家の電話番号をなぜ知っていたのか?
A:19番から聞いたのではないかと思う。
Q:佑美さんが塾の勧誘を断ったかどうかは知っているか?
A:知らない。
Q:断ったのに手紙が来るのはおかしくないか?
A:わからない。19番の子のことは。何回も話しているし、謝罪もしない。2006年10月に、2、3回、親子が来ている・
Q:19番に精神的負担、問い詰めることになるとは思わなかったのか?
A:母親にも知っておいてもらいたいと思った。
Q:何回も話す必要がないのでは?
A:平日の学校が終わってからだったから、短かった。

Q:佑美さんが救急車で運ばれた埼玉医大で、Y先生に、「こんなことならねこを飼ってあげればよかった」と言ったか?
A:病院では行っていない。その日の夜、7時半頃、大勢で来たときに、、言った覚えがある。パニックになっていた。自分に振りかえれば、一週間前に、51番が犬の散歩中に子猫を拾ったということで「飼えないか?」と電話があった。家では飼えないことを佑美は知っていたので、51番に伝えた。その後も子猫は39番の家にもらわれていった。
Q:申し訳ないと思ったのはなぜか?
A:佑美が亡くなったあとで、いろいろ思い巡らせて、言ったと思う。
Q:お父さんは、病院で、「思い当たることがある」と言っていた。父親には猫の話はしたのか?
A:報告はした。
Q:遺書には、「そもそも家では問題が多いんです。老人のこと」と書いてあるが?
A:夫の両親のうち、母は特養、父は一人暮らしをしている。私の母は一人暮らし。用事がある時に行く。
Q:佑美さんは、中井家の問題として、なぜとらえているのか?
A:本人としては、大変だなと考えていたのではないかと思う。確かに大変なことはあった。夫は1か月に1回くらい実家に行っていた。
Q:「○○ちゃんのこと」というのは?
A:親せきで、入院していた。
Q:なぜ、家のこととして書いているのか?
A:年間3回くらい会いに行っていたからではないか。
Q:母親への手紙はあるが、なぜ父親への手紙がないのか?伝えたかったことはないのか?もめごとはなかったのか?
A:もめごとはなかった。
Q:猫を飼えないのは、父がいるからだと佑美さんは思っていたのでは?
A:夫が小さい頃のトラウマで動物が飼えないことはよく知っていたので、それはないと思う。

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文部科学省の代理人から反対尋問。

Q:19番から、小学6年生のときにいじめられていたと思うか?
A:はい。
Q:中学になってから、19番とは別のクラスで、部活も違った。中学でも19番からいじめられていたのか?
A:わからない。
Q:基本的に接点はなくなったのではないか?
A:しかし、塾の手紙もある。廊下でも会う。
Q:19番には、塾勧誘の手紙について、なぜかと聞いたのか?
A:聞いたが、答えなかった。

Q:小学校で、中学受験する子は何人いたか?
A:少なくとも女子はいない。
Q:中学受験はさせなかったのか?
A:させなかった。私立は東京なので、北本市から通うのは遠くて無理と思った。

Q:36番との関係は?
A:中学に入って、クラスと美術部が一緒で、仲良くなった。
Q:陳述書の作成経緯は?
A:36番は今でも1年に1回家へ来る。「今だから言えることがある」と言って、話してくれた。それを「自分で書いてくれる?」と聞いたら、ワープロを自分で打ってくれた。
Q:それ以前は?
A:36番と19番が、佑美が亡くなって2日後に4人で来た。
Q:36番と19番は何故一緒に来たのか?
A:親同士が仲がいいのではないかと思う。

Q:部活は全入か?
A:違う。ただし、自由と言っているが、入らざるを得ない。
Q:「学校に行きたくない」と佑美さんが言ったことは?
A:ない。

Q:一番親しくしていた26番の陳述書は何故ないのか?
A:26番は中学ではクラスも違うし、何もわからないということだった。互いの部活もあり、会う時間的余裕がなく、夏休みにも1回会っただけだった。
Q:44番と56番が、中心になって、本人に聞こえるよう悪口、「内股だよね」と言ったというが、親と56番に話をしているのか?
A:はい。その年の9月、運動会を見に行ったときに会った。「一度、我が家にいらっしゃいませんか?」と声をかけたら、来てくれた。
Q:これまでの調査について、あるか、ないか、聞いたか?
A:「どういうことがあったの?」と聞いた。
Q:悪口を言ったと言ったのか?
A:佑美に関するメモが回っていた、「キモイ」と友だちが話していたと話した、
Q:内股と言っていたのはなぜかと聞いたか?
A:相手は中学生なので、私の性格では言えない。56番は、友だちがどう言っていたということだけで、自分が悪口を言っていたとは言わなかった。

Q:北本市に調査を依頼したのは中学校時代のことだけか?
A:小学校もお願いした。
Q:なぜ、交換日記のことを言わなかったのか?
A:日記は佑美の本箱の中に保管されていた。
Q:交換日記を見つけて、すぐに出さなかった理由は?
A:まずは中学の時のことを調べてもらいたいと思ったから。小学校の時のことは、佑美から聞いていたので。中学校は全くわからないので、知りたかった。
北本市の報告を受けたが、とても納得できるような内容ではなかった。また、佑美が亡くなって、交換日記をすぐに読める状態ではなかったので、そのままにしておいた。
Q:その内容をじっくり読んだのはいつか?
A:裁判が始まってから。
Q:北本市に、とりあえず中学校のみ調べてほしいと頼んだことは?
A:ない。
Q:交換日記に事実と違うことが書いてあるのはいつのところか?
A:2月。インフルエンザが流行っていた時。21日、22日、おばあちゃんに会いに行ったというのが違う。行っていない。
Q:なぜ、行っていないのに書いたのか?
A:19番に日記を見られている。19番からの誘いを断るために、こう書いたと思う。用事を作っておけば、納得してくれると思ったからではないか。2月17日付けで、19番に「遊ぼう」と言われて、佑美は断ったが、言うことを聞かない。私が代わりに断ったが、言い方が気に入らないと、また、佑美に言っていた。

Q:36番の陳述書に、靴隠しはいじめじゃなかったと書いているが?
A:靴が隠されることは何度もあった。佑美にとってはきついだろうと思う。女子は一人で行動する人は目立つ。そういう時に靴隠しがあると、みんなから嫌われていると思ってしまう。追い詰められる。

***************
原告代理人から補足質問(?)

Q:万引する生徒を学校が指導、防止したという説明はあったか?
A:ない。
Q:どういう点で不安と思ったか?
A:そういう子がいるのが不安だった。
Q:生徒会長を不良グループが殴ったという事件のあと、学校が不良グループを指導したとか、同じ事件が起きないよう対策をしているとかの説明を受けたことは?
A:ない。
Q:遺書に「美術部のみんなでもありません」と書いているが、佑美さんはストレートにものを言うような性格だったか?
A:なかなか言えない性格だった。人に対して、ストレートに言えない。
Q:どうして、こういう言い方をしたと思うか?
A:テストと勉強は、「クラスの一部」という言葉を浮き彫りにされないように書いたと思う。美術部は、ストレートに書けないから、逆にわざわざ書いたと思う。小学校高学年の頃は、他人の顔色をうかがって、何か言われても言い返せない性格になっていた。

Q:陳述書に、「夏休みが終わりになるのがいやだな」と佑美さんが言っていたとあるが、どうしてと確認しなかったのか?
A:自分で、学校が始まると勉強しなければならないからかなと思っていたので、確認しようとは思わなかった。その頃は夏休み中で、家にいて楽しく過ごしていたので、その当時は重要なこととは思わなかった。

Q:小学校から中学生になるとき、19番がいやだから、私立に行きたいという話が佑美さんからあったらどうしたと思うか?
A:私立の中学校を県内で調べたらなかった。東京の学校は通うのに1時間半かかる。佑美は身体が頑丈ではないので、行かせなかったと思う。

父親(中井紳二さん)の証人尋問

14時50分頃から
関哉直人弁護士から主尋問。

Q:遺書について、発見したのはいつか?
A:埼玉医大から帰って、警察に行く前に、12時頃、佑美の机の中から、私が見つけた。
死んだ原因について、クラスの一部とあった。
Q:警察では、どのように説明したのか?
A:母親から、いじめについて少し話した。
Q:どのような内容を話したのか?
A:44番、56番、10番、31番、46番からいじめを受けたことを話した。
Q:机の中にあった19番からの手紙2通を見つけて、警察に届けたのはなぜか?
A:いじめと思われることが書いてあった。「やばい系」「絶交」「噂をばらまく」などの言葉があり、いじめの証拠になると思った。
警察は、保護者同伴のもとに調べると言った。
Q:教育長にいじめの手紙ですと言って見せたのか?
A:教育長が、「脅迫状です」と答えた。

Q:10月19日に、中学校のY担任が焼香に来たときに、いじめている子は誰かと聞いたか?
A:Y担任は、44番と56番の2名を挙げた。私の考えていた子と一致した。掃除当番を佑美はひとりでやらされていた。
Q:Y担任は、なぜこの2名を挙げたのか?
A:クラスのいじめの2つのグループのボスだったのだと思う。

Q:佑美さんのくつ隠しについて、どのように聞いたか?
A:Y担任に、近頃、くつをなくした生徒がいなかったか聞いた。Y教師は、「僕も生徒と一緒にくつを探すんです」と言っていた。
Q:くつが落ちていたのか、隠されたのか、どこでわかるのか?
A:36番が、佑美がくつを探していたと言っている。誰か知らないかとさかんに問いかけていたと言っていた。
Q:美術部の本音大会での発言から一度でなく、何度も探していた?
A:はい。靴箱は校舎の1階で、両サイドにあって見通しがよい。もし、くつが落ちていたら、一目見ればわかる。わざわざ探すこともない。
Q:「内股だよね」という発言について、学校の事故報告書には、「悪口」として報告されているのか?「内股のことで、この子は死なない」と言ったのは、あなたか?
A:はい。内股だよねと言ったのは、同じクラスの子。もっと多くのいじめがあるということで、これくらいのことで死んだのではない。もっといろいろなことがあったはずだと言った。
Q:本音大会のことは知っていたのか?
A:美術部のなかのことを聞いていた。「丁寧な言葉遣いがウザイ」と言われたと。

Q:「こんなことなら猫を飼えばよかった」と母親が言ったのをあなたは聞いたか?
A:聞いていない。
ただ、猫は飼えないと言ったのは私。小さい頃、犬にかまれてトラウマになっている。佑美もそのことは理解していた。
2日に、51番から「猫飼えない?」と電話があった。私が動物が苦手なので飼えないと話したら、断った。猫は39番の子のところにもらわれた。
Q:その後も、同じようなやりとりがあったのか?
A:ない。
Q:佑美さんに、変わった様子はなかったか?
A:特別に変わった様子はなかった。
Q:先ほどの尋問で、佑美さんと父親との関係を聞かれていたが、何かもめごとはあったか?
A:ない。
Q:自殺したのは、家庭の問題と噂が流されたということだが、直接言われたことは?
A:ない。

Q:勉強やテストに、佑美さんは悩んでいたか?
A:佑美は150人中25番以内だった。言わなくても一人で勉強するタイプで、不安はなかった。
13日に中間テストの予定があったが、困ったと感じることはなかったと思う。
Q:親として、勉強のことはどう考えていたのか?
A:成績は悪くなかったので、本人に任せていた。心のやさしい子だったので、クラスの一部のあとで、付け加えたのかなと思った。
Q:先週のテストが75点であったことは、佑美さんから聞いているか?
A:聞いていない。母親も聞いていない。
死んだ原因の中に、クラスの一部とメッセージを残しているのだから、メッセージに則してきちんと調べないといけないと思うのだが、学校は答えられないという。佑美は遺書に、「クラス」と書いて二重線で消している。全員に迷惑がかかってはいけないと思って、一部とした。やさしい子だった。

Q:学校にはどのように話したのか?
A:翌日、佑美が自殺したことと、遺書にクラスの一部と書いていたことを伝えてほしいと話した。
Q:11日の夜、生徒たちには、佑美さんは転落して亡くなったと説明するという説明はあったのか?
A:ない。12日、朝礼前に校長に来てもらった。いじめがあったこと、佑美の名前、自殺であることを生徒たちに伝えたうえで、調査してほしいと話した。
Q:夜、ネットニュースで流れたので、自殺で伝えていると学校は言っているが、実際に自殺と伝えられたのか?
A:伝えられていない。両方を提示して、コピーを渡した。
Q:あなたは、警察調査を公表しろと言ったか?
A:言っていない。
Q:遺書について、あなたは「この手紙は遺書とは思っていません」と言ったことがあるか?
A:ない。母親あてに、死んだ原因を書いている。死にたくないのに死ななければならないと書いてあるので、明らかに遺書なので、改めて遺書と言う必要性を感じなかった。
Q:校長から、両親の要望に従って、遺書と呼ばないというような話はあったのか?
A:ない。
Q:19番を調べたら、とんでもないことになると言ったか?
A:言っていない。クラスの一部を調べてほしいと言った。

Q:10月26日の学校生活アンケートは、いつ見せられたのか?
A:25日。前日初めて持ってきた。アンケートの目的が明らかになされていなかった。佑美の自殺についての調査のことは一切、書かれていなかった。なので、佑美の名前、自殺であることを入れて、背景を明かにしてほしいと要望した。
教育長が、アンケート調査をするという話で来たが、いじめがあったことや、母親への手紙にクラスの一部かもと遺したことを書いていない。
Q:記名式を無記名にしてほしいと要望したか?
A:はい。チクッたと、書いた本人がやられるので、無記名で行うよう、要望した。やり取りの後、生徒の自由意思に任せることになった。
しかし実際は、アンケートに名前欄があった。記名式。学校はなるべくなら名前を書いてくださいということで実施したという。

生徒からは、何を書いていいかわからない、他のことを聞かれていると思ったと聞いている。
Q:アンケート実施の際に説明があったと生徒から聞いたか?
A:聞いていないということだった。
Q:二者面談の予定についての説明はあったか?
A:なかった。アンケート情報を基に、二者面談が行われたと聞いたが、面談の日程を見ると、違うと思った。

Q:11月13日、カウンセラーによるアンケートの報告は受けたか?
A:受けていない。
Q:25人以外の面接相談の報告は受けたか?
A:受けていない。報告は、何度も要求したが、なかった、
Q:第1回目の初めての報告について。
A:12月8日の報告会の議事録の訂正を申し入れた。12月4日からと言ったが、実際は8日から。報告内容を聞いて、学校が事実を隠ぺいしていると感じた。

Q:美術部の本音大会について、誰から聞いたのか?
A:副顧問から聞いた。生徒が来て話してくれた。「今もいじめられている人」と聞かれて、4人が手を上げている。
また、「同級生なのに、丁寧な言葉は使わないでください」と書いているが、13番の母親から、「タメなのに敬語を使うのがウザイ」と言われたと言っていた。先生はいじめについて報告しなかった。先生がつかんでいたいじめは違う言葉で伝えた。
Q:教育長は、この手紙について公開しましょうかと聞いたら、父親は答えなかったと言っているが?
A:話題がこっちに行ってしまうので、出さないでくれと言った。
Q:学校は真相解明について、次は何を考えていると言っていたか?
A:何も考えていないと言った。いろいろ要求すると、北本市は毎度、「検討します」と言うが、一度も報告されたことはなく、無視された。
Q:学校の調査で、新たに明らかになったことはあったか?
A:「内股だよね」と言われたことぐらい。

Q:2006年11月17日付けの文部科学省からの自殺原因の再調査については連絡があったか?
A:ない。再調査については、報道で知った。

Q:佑美さんについて?
A:私たちは晩婚だった。女の子が生まれて、生きがいだった。目の中に入れても痛くない。
佑美が亡くなって、生きがいがなくなってしまったので、糸が切れたやっこだこみたいに、ふらふらで、毎日を過ごす意欲がなく、茫然としている。ものが食べられなくなって、2カ月で18キロやせた。
亡くなった当初は頭が真っ白で、佑美は死んでいないという気持ちが強かった。佑美がマンションを死ぬ場と決めて、一人で行ったことを毎日、思い出される。
卒業式の案内が来て、佑美が生きていたら、高校生になっていただろうと思った。20歳には晴れ着の案内が来た。

Q:裁判を起こした理由は?
A:遺書に「クラスの一部」と書いてあった。何があったか、調べるのが親の責任。
回答があるまでは調査してくれていると思っていた。北本市が「これ以上は何も考えていません」と言った。教育長は、「学校でちゃんと調べるから」と言っていて、そこで何かが出てくると思っていた。
いじめ調査は、上意下達で、任命権者がするべき。調査できないシステムがいちばん悪い。原因を明らかにしないと、被害者、加害者がまた出て来ていまう。
裁判は、昔を思い出しながら書類を各ので、本当に辛い。自分達で最後にしてほしいと思う。

Q:アンケートについて?
A:学校は、いじめがないから、いじめを前提としたアンケートはて゜きないと言った。19番は指導していますと教育長が言った。
19番は、テニス部の件で、32番が先輩の悪口を言っていると言った。そのことで、32番は自殺しそうになった。そうしたら、自殺しそうになった噂をばらまかれた。
小学校時代、19番から7番がいじめられ、佑美が付き添っていた。そのことを学校もわかっていた。
教育長(?)が、「とんでもないことです。指導しなければならない。」「指導に値する」と私に言ったこととは、まるで違う。とても、悲しい思いをした。塾勧誘の手紙の内容は、指導に値する。
27番は、「今だ学校は生活アンケートをやっている」「学校は信用できない。」「学校の責任だ」と言っていた。

***************************
ここから、北本市の反対尋問 16時10分から。

Q:今だ協力してくれる友だちがいるということは、佑美さんには友だちがいたということではないか?孤立していなかったのでは?
A:休み時間に、他のクラスの教室に行ってはいけないというルールが学校にあったので、佑美は廊下で友だちと話していた。クラスの中では孤立していたと思う。
Q:2回目の報告会で、「再度聞きましょうか?」と言われたと思うが?
A:話題がそっちに行ってしまうので、断った。
Q:実施したあと、○○する理由は?
A:話題が集中してしまうと思った。また、塾勧誘の手紙は現物があるから、いつでも調査できると思った。

Q:保護者会で、遺書と塾強要の手紙について、何をどのように伝えてほしいと言ったのか?
A:佑美が自殺で亡くなったこと、佑美にいじめがあったということを伝えて調査してほしいと言った。
Q:19番のいじめの手紙については?
A:いじめがあったという事実を伝えてほしいと言った。
Q:それでは、保護者はいじめがあったから、佑美さんが亡くなったと思うのでは?そうなったら、大騒ぎになると思わないか?保護者が知ったら?
A:仮定の話なので、わからない。

Q:10月25日の学校生活アンケートについて。
A:何をするのかと聞いたとき、教育長から、行程表とアンケートをすると聞いていた。
自分で調査しなければいけないと思っていた。
学校は自由意思で、無記名でもかまわないと言っていた。
私が、「きちんと調査しますか?しないなら、私のほうでします」と言ったところ、教育長に「私のほうでします」と言われた。
部長に言ったすぐあと、「家庭の問題で死んだ」と噂が流れているという情報が入った。学校関係者が流したのではないかと思う。
Q:どこの誰が、噂を流したのか?
A:確認していない。26番の母親から直接聞いた。
部長に話したところ、噂が止まった。
Q:心当たりはあるか?
A:ない。
Q:コンビニに、遺書のコピーを忘れたことは?
A:ない。

Q:36番が話した内容では、くつが隠されたのは1回だけ。体育のあと、上履きが散らばっていた。これは北本市の調査と一致しているのでは?
A:その時はすぐ見つかった。

Q:中学校で誰がいじめをしていたのか?
A:学校が、正確に調査をしてくれないので、わからない。
Q:なぜ、生徒を民事裁判で訴えなかったのか?
A:学校がきちんと対応していなかったから、佑美は死んだ。いじめがはっきりしてから訴えようと思った。その時点で、全部出て来ていないので。
Q:佑美さんの自殺の直接のきっかけ、出来事は何だと思うか?
A:わからない。

***************
文部科学省の代理人から反対尋問。

Q:佑美さんの自殺原因は解明できていると思っているか?
A:思っていない。
Q:市の調査や独自の調査でもわからないのか?
A:市の調査では、いじめはなかった、なかったとなっているが、調査した経緯をつけてくれないと、理解できない。
Q:学校や市教委は調査機関ではないので、やっていないという子を更に調べることはできない。これ以上、誰に、何を聞けばわかるというのか?
A:当初から、亡くなったことさえ伝えていない。そこに原因がある。
Q:キーパーソン、仲よかった子どもたちに聞いて、更に新しいことは出ているのか?
A:クラスの一部、美術部については、名前を出さない。ジ・エンドと書いた子はわかった。へたに言うと、チクッたと言われて、自分がやられる。話してくれたことを先生に伝えたところ、学校に行けなくなった子もいる。
いじめはなかったという前提からスタートしているから、それ以上、聞いていない。

*********
児玉勇二弁護士から、補足質問

Q:自殺の解明はできなかった?
A:わからない。自殺は、いじめが原因とは思うが、靴隠し、本音大会。いじめがあったことは明か。自殺の理由を聞かれ、まだまだあると思う。このくらいのいじめでは、死なないと思う。しかし、市教委や学校は、究明しようとしない。
Q:脅迫の手紙などのいじめの事実も究明できていない?
A:それはできている。

Q:学校や教委のどんなところが問題だと思うか?
A:真相がはっきりしないから、佑美の友だちの陳述書が出てきた。学校の自殺に対する調査への不満が述べられている。
その後も、自殺未遂の噂をばらまかれた子がいる。事件の後にも自殺があった。昨年12月15日、同中の中学2年生の男子生徒が自殺した。私たちの調べでは、いじめがあったと聞いている。

関哉弁護士から、補足質問

Q:佑美さんに対して、何もしてあげられなかったという思いもあるか?
A:ある。
Q:佑美さんの友だちが、高校生になったりして、協力してくれている?
A:はい。成長に伴って、協力してくれるようになった。38番、34番ではないかと、佑美のくつを隠したのはと、電話をくれた。
Q:あなた自身が、生徒にアンケートをすることは考えなかったか?
A:考えて、保護者あての手紙を作っていた。しかし、「調査はやめろ。学校のほうでちゃんと調査するから」という話があった。
Q:自分がいじめたと言っている子はいないが、佑美さんがいじめられていたということは聞き取っている?
A:はい。


A:学校は遺書の文字面だけ見て、勉強、テストのせいと言う。亡くなった子は、自分を責めている。加害者の名前を書かないのはやさしさ。だからこそ、学校は調べなければならないと思う。

********
17時まで。

次回はいよいよ結審。2012年1月30日(月)13時30分から、 東京地裁103号法廷にて。

武田私見

原告側が事実を知りたいとして起こした民事裁判であるにもかかわらず、原告側が話を聞きたい学校関係者や市教委関係者の尋問は、時間を削られ、聞きたいことを十分に聞くことができなかった。時間的に余裕のない尋問に終始した。
比べて、両親への尋問は、丸一日かけて、たっぷり時間がとってあった。
そのため、ペットを飼う話などは、何度もくどいくらいに出てきた。

●佑美さんの気持ちについて

中学校でのいじめについて、残念ながら中井さんは多くを把握していない。だからこそ、この訴訟を起こしたともいえる。
小学校時代にいじめの中心であった19番とは、別のクラス、別の部活。
おそらく、佑美さんはほっとしたことだろう。これで、いじめから逃れられると。
しかし、小学校でいじめられて、それが解決していない場合、中学校に持ち越されることが多い。
多くの場合、小学校時代のいじめ首謀者が中心になって、再び中学校でも行う。
グループを組んでいた場合、リーダー格の子とは別のクラスになっても、グループの子が同じクラスにいると、指令がきて、いじめが続くこともある。

また、グループの人間が同じクラスにいなくとも、「あの子はいじめられっこ」という噂だけで、今はいじめのターゲットにされる。
とくに中学に入って、新しい人間関係のなか、子どもたちはみな、なんとか自分はいじめの被害者になりたくないと思う。
そこで、転校生や外国籍、みんなと違う子や、かつていじめられていた子、すなわちいじめられる理由を持っている子として、いじめのターゲットにする。
なぜなら、目標を誤って、みんなが納得しない子をいじめのターゲットにしようとすると、それを理由にかえって自分がいじめのターゲットにされかねないからだ。
他の子どもがいじめられている間は、ほかの子どもは比較的安全圏でいられる。だから、かばう人間はいないし、いじめに加担する人間ばかりが増える。

一方、中学に入って新しい生活を始め、もういじめられないと安心していた子どもが、再びいじめのターゲットにされるとショックは一段と大きい。
それが同じメンバーからより、別の子どもたちにやられるほうがショックは大きい。自分にはずっといじめがついて回ると絶望したり、自分に原因があるからいじめられるのではないかと思いやすい。前の学校でいじめられた転校生が、次の学校でもいじめられると、ショックからわずか数日から1週間程度で自殺してしまうことがある。

小学校時代に、教師にいじめの相談をして、何もしてもらえなかった子どもが、中学生になって、教科のときとホームルームのときしか顔をあわせない担任教師にいじめを相談するのは難しい。まして、女の子は、男性教師に相談しにくい。
それが、いじめのサインを見ても、何も言わなかったとしたら、なおさら、相談できないだろう。
中学生になったら、なおさら親にも言えない。小学校のときにさんざん心配をかけた。もうかけたくない。また、いじめられたと知ったら、自分がそう思っているように、両親も、自分に原因があるからいじめられると思うかもしれない。
小学生のときに、親に言って、先生に伝えてもらったが、解決しなかった。親に言えば、きっと先生に言うだろう。先生がクラス全員の前でそれを話したら、もっといじめられる。自分はもう学校には行けない。


●学校がすべきいじめ防止策

中学校に入学して、5月の連休頃には、いじめのターゲットが定められていることが多い。
だから、この時期に学校はとくに気をつけて、少しでもサインが見られたら、たとえそれが一人で掃除しているというようなことや、上履きがなくなる、落書きをされるというような一見ささいに見えるようなことでも、放置してはいけない。放置すれば、必ずいじめはエスカレートする。
この時期に、子どもたちの人間関係に気を配ること。人間関係は、席替えやグループ分け、給食、部活、行事で見えやすい。
少しでもサインが見られたら、それこそ、いじめアンケートなどを実施して、少なくとも、教師が目配りしているということを生徒たちに伝えなければならない。
ジェントルハートプロジェクトのいじめの講演も、この時期にやることが効果的だと思っている。

なお、いじめていたのは19番だけではないところに、学校の問題が見える。
19番の子には明らかに生育上に問題が見える。しかし、それを大人たちが見て見ぬふりをしてきたことを子どもたちは知っている。
放置してきたことの影響は大きいだろう。
19番にいじめられないために、19番に迎合するものも出る。また、19番がいじめをしているのを知っても大人たちが何もしないのを知って、いじめは大したことではない、悪いことではない、やってもかまわないと思う子どももいるだろう。
教師が知って何もしないのを見て、大人に相談しても無駄だと、大人不信に陥る子どももいるだろうし、いじめられても誰も守ってくれないのがわかっているから、いじめられるより、いじめる側に回ったほうがいいと思う子どもたちもいるだろう。
学校が放置すれば、いじめは蔓延する。万引きも、暴力も、大人たちが、よくあることとして、きちんと指導する姿勢を見せなければ、あっという間に学校中にはびこることになる。


●学校、教委、文科省の調査責任について

結局、被告側は、佑美さんの自殺を家庭の問題として処理したい。それは、今に始まったことではなく、自殺当初からずっと貫かれてきた姿勢だったと感じる。
自殺が起きると必ず言われるのが、自殺はひとつのことだけが引き金になるのではなく、さまざまなことが複雑に絡んでいるということ。
しかし、学校、教委が、まずしなければならないは、学校に何か原因はなかったか探ることだろう。それは、たとえ家庭に何らかの問題があったとしても、きちんと調査しなくてよい理由にはならない。
安全であるはずの学校で、あるいは学校に関連して、子どもが亡くなるということはあってはならない。原因を放置すれば、別の子どもが再び犠牲になる可能性が極めて高い。(言い換えれば、家庭の問題を放置しても、他の子どもが犠牲になる可能性は低い)

文部科学省は、自殺予防にあたって、家庭の問題についても情報を集めるよう指示している。
しかし、学校や教委が、家庭の中の問題を、それこそ、よく学校関係者が口にするように、警察ではないので、調べられるはずがない。学校の中のことさえ満足に調査できないのに、家庭の事情の情報を集めようとすれば、当然、何か問題が発見されれば責任を追及されかねない学校の中の問題捜しより、家庭の荒さがしに熱心になることは簡単に想像がつく。

私は子どもの自殺があったときに、学校、教委に、家庭の問題まで探らせることはすべきではないと思っている。
自殺予防に役に立たないばかりか、責任転嫁に使われて、肝心の自分たちの問題に目がいかなくなってしまう。
家庭のことは、家庭で考えるだろう。子どもを亡くした親たちは、それこそ一生をかけて、自分たちのどこが至らなかったから、子どもを救うことができなかったのか、考え続けるだろう。
家庭には、家庭の役割があり、学校には、学校の責任がある。

学校は、最初に結論ありきで、調査とは名ばかりのことをして、アリバイづくりをする。
日本全国、どこでも同じことが平気で行われているのは、文部科学省が長年にわたってそれを許してきたからだ。
子どもが死んでも、その調査がどんなにおざなりなものであっても、平気で受け取り、そのデータをまるで実態であるかのように発表してきた。
これだけ報道で、親の訴えている子どもの自殺原因と、学校調査の結果が、大きく乖離していることが分かっていながら、平気で放置してきた。なぜ、こんなにもかけ離れているのかきちんと解明することなく、「遺族が自殺だと言いたがらないから」と、学校、教委の言い分のみを聞いて、親側がどう思っているのかを全く聞き取ろうとしない。
ジェントルハートプロジェクトで、学校や教委の調査のずさんさを訴えても、「自分たちにはその権限がない」の一言で終わらせてしまう。国民の命と財産を守る義務が国にはあるというのに、それが失われても、原因調査のいい加減さにも手が出せないという。

書類、書類のお役所仕事であっても、書類を見ただけでも、調査が適正に行われたかどうかは判断がつくはずだ。
まして、全国調査では、他県と比較してみれば、統計学的にもおかしな数字は簡単に割り出せるだろう。

遺族は、いじめが原因の自殺であると訴えていて、その調査が、亡くなった子どもの名前もなく、その原因を明らかにするという目的も書かれていない、「学校は楽しいですか」などと聞くだけの調査で、亡くなった子どもへのいじめの実態がわかるはずがない。素人にもわかることだ。
そのわかるばすがない調査をもって、原因は調査したがわからなかったと平気で報告できるのは、それがまかり通ると、全国の教育委員会が知っているからだろう。

第三者委員会以前に、文部科学省が、学校が上げてきた調査報告書の問題点を指摘して、何度でも再調査を命じていたら、全国の学校で、もっと真剣に学校事故事件、自殺の調査を行うだろう。
子どもの生命が失われたことに対して、調査報告義務違反をしているのは、学校、教委ではなく、文部科学省だと思う。



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