2006年6月3日(土)から4日(日)にかけて、神戸のパレスホテルで第15回『全国学校事故・事件を語る会』が開催された。
私は2日目のパネルディスカッションのパネラーのひとりとして呼んでいただいたが、ずうずうしく前日の交流・情報交換会から参加させていただいた。
代表世話人の内海千春さん(940909参照)と同・宮脇啓子さん(S990727参照)には、2003年11月15日、東京で開催された「学校災害から子どもを守る全国連絡会」のシンポジウムでお会いした(me031115参照)。
多くの被害者遺族が、自分の裁判が終わると潮がひくように活動から身を引いてしまうなかで、本当にコツコツと活動を続けてこられたのだなあと思う。
もちろん、身を引いていったひとたちを責めるつもりはない。それまで、苦しいなかを十ニ分にがんばってきたのだから、裁判をひとつの区切りとして、新たな一歩を踏み出すのもそれぞれの生き方だと思う。しかし、新たに被害者になった人たち、遺族となった人たちにとっては、どれだけ心強いことだろう。そして、当事者ではなくとも、それを支える人びとの強い絆を感じた。
3日は、遠くから来るひとに配慮してのことだろう、午後1時からはじまった。
こういうときにありがちなメインゲストや代表者の長々としたあいさつやアピールは一切なく、必要なことの伝達のみですぐテーブルごとの話し合いに入った。
多くのマスコミ関係者が来ていたが、顔を写されたくないひとは赤の名札、スタッフは模様入りなど、配慮と工夫がなされていると感じた。
交流・情報交換会では、3つのテーブルに分かれた。
1つめは、学校事故等の被害者・遺族。2つめは、学校内での体罰やいじめなどで自殺に至った遺族。3つめは、死にまでは至っていないが学校でのいじめなどで心身に深い傷を負わされた当事者とその家族、その他の人たち。
今回、テーマが「子どもの自殺から考える」だったこともあってか、2つめのテーブルがいちばん多かった。私は、いちばん少ない生きている当事者と家族、その他の人たちのグループに参加させていただいた。
司会は翌日のパネルディスカッションのコーディネーターでもある大阪府立大学の望月彰先生が務められた。
当事者の思い、親の思いを、多少話が前後することがあっても、途中でさえぎることなく耳を傾けていく。こういう場合、全体像がなかなか見えてこないことにいらついて、つい第三者が話を整理してしまいたがる(私もやってしまっているかもしれない)。しかし、それを誰もしない。話が終わった段階で、疑問点だけを質問する。テーブル全体に相手の話を傾聴する雰囲気があった。
狭い会場のなかで、隣の話し声が聞こえる。ましてマスコミ報道された大きな事件の被害者の話にふと注意が別のテーブルにそがれそうになる。目の前の話に集中するには、まるでホットラインで電話相談を受けているときのような集中力がいった。
今現在も深い悩みを抱えているひとたちに対して、即効的な解決策は何もない。自分の無力さを感じると同時に、問題の難しさを感じる。結局は、つながれる仲間を探して、自分たちで少しずつこの理不尽な社会を変えていくしかない。そこに結論を持っていかざるを得ない。ただ、こういう集まりのなかでは、それは絵空事ではなく、実現可能な希望に感じられる。それが救いだ。
分科会のあと、各テーブルの簡単な報告。もっと聞きたい、話したい、聞いてもらいたい。時間がとても短く感じられた。そして、そういう人たちのために、その後の懇親会。宿泊。
会場やその後の懇親会では、思わぬ再会があったり、メールでしかやりとりしたことのなかった東京農業大学第二高等学校ラグビー部員だった金沢昌輝くん(020325)のお母さん、山口県下関市立川中中学校の吹奏楽部部員だった女子生徒(050413)のお父さんともお会いできた。
新たな素敵な出会いにも恵まれた。
そして、翌日(6/4)のパネルディスカッション。
最初に、私たちがこの集会を開いている最中の6月3日、長崎県で再び児童の自殺があったという西日本新聞の記事のコピーが配られた。小学校6年生の男児。12歳。現段階で、思い当たる原因など詳しいことは何もわからない。
同新聞によれば、長崎県内で昨年1年間に中学生ら10代の自殺者は12人を数えるとあった。10代というくくり方によるのか、私たちが把握している数より、さらに多い。またひとり、大切な子どもを死なせてしまったという悔しさが会場に広がった。
パネラーは、遺族の立場から、安達和美さん(040310参照)、井田紀子さん(me040528参照。ただし当時の新聞記事の第1報を元に私見を書いているので要注意)、内海千春さん(940909参照)。いずれも、私がお会いしたことのある方ばかりだった。
とくに井田さんには、お子さんが亡くなって1ヶ月たたない頃に、仲介する方があって一度お会いしている。ひとの顔と名前を覚えることが苦手な私は、声をかけていただくまで気づかずにいた。
あれからずっと気になっていて、ごく最近になって全く別のルートから、訴訟に踏み切られたとの話を聞いたばかりだった。彼女もいろんなひととつながり、支えられながら、ここまで来たと知る。
3人は、学校教師の叱責後に、それぞれお子さんが自殺している。
遺族にとって、真実を知りたいという思い、そして二度と同じ悲しみが繰り返されないよう、子どもたちの死を教訓としてほしいという願いが、いかに切実なものであるかを改めて実感した。
子を亡くした親の思いは、どこでどのようにしゃべってもぶれることがない。本当に伝えたい内容の芯が1本きちんと通っている。場所、場所で、ここでは何を話そうと思い悩む私とは違う。
私は、いじめ自殺について話をさせてもらった。
自殺は亡くなった子どもとその親が、周囲から責められるということ。子どもは苦しんで、苦しんで死に追い詰められ、死んでなお、責められる。そして、親は誰よりも自分自身を責めている。そのうえなお、周囲から責められる。二次被害の大きさ。
一方で、責任の一旦を担っているはずの学校は、責任回避に終始して、子どもの死から何も学ぼうとしないこと。
子どもたちは、言葉が通じない、気持ちがわかってもらえないと思うからこそ、行動で表すしかほかに方法がなかったのではないかということ。
同じことが、学校事故、事件、自殺、すべてにおいて共通している。
正直いって、私は遺族の前で話をするのはいちばん恐い。自分の浅薄さが見透かされている気がする。何もわかってもいないくせに、さもわかったふりしてしゃべるな、代弁している気になるなと叱られている気がする。
話し終わってなお、フロアにいる学校でのいじめ自殺の遺族をさしおいて、ほんとうにパネリストは私でよかったのだろうかと思う。
それでも、もうひとりのパネラーで、立命館大学教授でおうみ被害者支援センター理事長の野田正人氏やコーディネーターの大阪府立大学教授・望月彰氏をはじめとして、フロアー全体からとても暖かく受け入れてもらえた気がした。
ペアで講演にいくことの多い小森美登里さんが、私によく言ってくれる。当事者ではないからこそ、説得力のあることもあると。子を亡くした親がいくら、「亡くなった子どもはけっして弱かったわけではありません。自分がどんなに傷つけられても傷付け返すことができなかった、やさしい子どもたちだったのです」と言ったところで、自分の子どもかわいさに言っているようにしか聞こえない。第三者の私が言ってこそ、周囲のひとたちも、納得してくれるのだと。
子どもを自殺で亡くした親はみな一様に、「弱かったのね」の一言にとても傷つけられている。
内海さんは、もっと逆説的に言う。亡くなった子どもが弱かったのではなく、子どもはみんな傷つきやすい、弱いものだと思って、大人は接してほしいと。その気持ちがあれば、子どもの心を傷つけてはいけないと思う。叱ったあとのフォローが違ってくる。子どもの変化に敏感になれる。
午前中はパネラーだけのやりとりで終り、午後からは会場とのやりとり。遺族の参加が多いだけに、共通認識の部分を改めて確認する必要がない。すなわち、子どもの心と命がいちばん大切だということ。それを失った責任は私たちおとなにこそあるのだということ。
この部分がわかってもらえない限り、いくらそのうえに議論を積み重ねても、むなしく崩れ落ちる。
しめくくりに、前日も会場で読み上げられた第15回『全国学校事故・事件を語る会』の決意表明、「わが子を自死で失った親からのメッセージ」が読み上げられた。
原案は大貫陵平くん(000930参照)のお父さん。思いのこもったメッセージに泣けてしまう。会場内にはすすり泣きがいくつも、いくつも聞こえる。
今、苦しんでいる子どもたちに届けたい。大人たちに気づいてほしい。死のふちに立たされている子どもたちをこの世につなぎとめるメッセージでありたい。
そして今回、私自身、この集会から、とても大きなパワーをいただいた。
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