わたしの雑記帳

2003/11/15 学災連シンポジウムに参加して

2003年11月15日、東京千代田区の全国教育文化会館7Fで、学校災害から子どもを守る全国連絡会(以下、学災連)のシンポジウムがあった。私自身は参加するのは今回が初めてだったが、第25回という歴史のある会だった。

コーディネーターは日野一男さん(実践女子短期大学教授)。シンポジストは、兵庫学校事故・事件遺族の会の内海千春さん(お名前から、ずっと女性だと思っていました。内海平くん 940909 のお父さんでした)、山梨県昭和町学校事務職員(制度研)の逸見裕子さん、弁護士(スポーツ法学会)の望月浩一郎さん、早稲田大学教授(事故研)の喜多明人さん。

内海さんは、遺族の救済とはエンパワメント。自らが立ち上がって生活ができるようにするための支援であると話された。学校事故が起きたときの学校の対応について、学校の事実調査の結果は遺族にはほんとんど伝えられない。何を伝えたらいけないのかを調べるための調査だという。ずさんな調査内容。あってはならないことは、なかったことになる。そして、学校内の事故については警察も非常に消極的である。意図的に捜査内容を止めたと思うことさえあるという。そして、本来、味方であるはずのPTAの存在は被害者にとってむしろ2次被害となる。誹謗・中傷が飛び交い、加害者は居直って自分のほうこそ被害者だと言う。
すべては亡くなった子どものせいにされ、子どもの人格、人権を奪われる。そして時に家族の生活権さえも奪っていく。

いろいろやってみて、他に事実を知る手だてがないから裁判を起こす。事実を明らかにするための裁判。
自分の弁護士との関係のなかでさえ、理解してもらえず、ズタズタに傷ついていく。
そして、運良く勝訴したとしても、ただお金が支払われるだけで、事実を認めるわけでもない。行政処分や刑事処分に反映されることもない。国家賠償法で、教師本人の懐が痛むわけではない。裁判に原告が勝っても、学校は責任を負わないシステムになっている。

遺族救済とシステムが必要だと内海さんは言う。何があったかを、加害者である学校が自ら暴けないのであれば、調査する第三者機関に頼るしかない。
そして、今までは事件そのものが問題にされてきた。これからは事件後の対応が問題にされるべきだ。
なぜ、事件・事故は繰り返されるのか。事実をうやむやにしてきたから、再発防止のための策が立てられないできた。再発防止のためには、事件の背景にある人的エラーや環境、設備、マネジメントなど、ひとつひとつについて検証されるべきだと話された。

逸見さんからは、折原小学校の新校舎建設に際して「子どもたちが安心して生活できる安全な学校をつくる」ための取り組みが紹介された。そのなかで、池田小の事件を受けて、外部の不審者から子どもたちをどう守るかが討議されたという。そして、同校では学校を閉鎖するのではなく、地域の人の目で監視する開かれた学校を目指した。職員室の高さを校庭と同じ高さにしたり、学校の周囲を地域のひとがぐるりと散歩できるようにしたという。
いろいろ議論を重ね、工夫も重ねた。それでも事故が起きてはじめて、ここが危ないとわかることがあるという。

望月弁護士のほうからは、学校におけるスポーツ事故の実態と予防ということで話があった。事故パターンは類似しているものが多く、繰り返されているという現状。そして、たいていの事故対策は、猪突猛進型か、石橋を叩いても渡らず型に分類されるという。前者はスポーツ指導者に多く、同じ事故を繰り返す。後者は学校の管理者に多く、教育活動として必要なことさえ止めてしまう。

繰り返される事故としては特に、箱ブランコや排水口に引き込まれる、水深が足りないなどの学校プール事故、スポーツその他での熱中症事故が例としてあげられた。
また、子どもたちの遊びの経験不足から、危険回避能力が非常に低下しているという事実。体験できないのであれば、教育指導していくしかないのだという話をされた。
リスクには許されるリスクと許されないリスクがある。許されるのは、結果が小さいリスクと事故を予見し回避することが可能なリスク。許されないのは、結果が重大で命にかかわる危険性があるもの、本人が予見し回避することができないものに分類されるという。イギリスでは、事故が起きると、大学にそのデータが送られ検討される。その結果、科学的な安全策が提案されるという(たとえば、ジャングルジムの逆さ制限や地表面に緩衝剤を使うことなど)。日本では労働災害の現場ではなされている検証や法制化が、学校現場ではなされないという問題点も指摘された。また、池田小事件でも、その少し前に起きた日野小事件の教訓がなにひとつ生かされなかったことに言及された。行政は何ら有効な予防措置をとっていない。法的拘束力を持たない通達を一回出しておしまいで、すぐに忘れられてしまう。教職員に周知徹底さえされない。過去の事故事例に学ぶこともない。たくさんの資料が出ているにもかかわらず、学校の職員がそれを読んでいない。

喜多教授のほうからは、学校は安全であればいいというものではなく、自立的で創造的な教育活動を同時に成り立たせなければならないと指摘があった。「学校安全法」の制定を目指して、事故研究会の成果物として具体的な要綱案が示された。

また、特別報告として、池田小事件の遺族の方と弁護士の方の報告があった。ほかに参加者から、それぞれの事故、事件についての報告が次々と行われた。
学校・教師がウソをつくことで、どれだけ重大な心的被害が起きているか、ほとんど全ての遺族から報告された。
また、裁判官の常識のなさ、言動に深く傷つけられたという話も出た。和解の席で「これ以上争っても金額は増えませんよ」と言ったり、「被告団体は金がないでしょう」ハハハッと笑ってみたり・・・。

とても重たい話ばかりだった。いじめ事件と非常によく似ている。反面、いじめ以上に遺族が孤立させられている。支援するひと、関心を持つひとも少ない。「事故」となると途端に、自分の子どもには起こり得ないこと、あるいは偶然であって防ぎ得ないものという認識が先に立つ。しかし、現実には人災だと思えるもののほうが多い。同じことが平然と何度も繰り返されているのをみるとなおさら、防げたのに防がなかった、防ごうともしなかったと思えてくる。ひとりの子どもの死を大人たちが真摯に受け止めていたら、その次の子どもたちは、次の次の子どもたちも死なずにすんだのにと思う。
学校という教育現場で、子どもたちの命は余りに軽い。「心のノート」にあれほどの大金を惜しげもなく費やす文科省が、事故・事件の防止策には消極的で予算さえ出し惜しむ。やってみようともしないで、できないと言う。

忙しさにかまけて、学校事故の更新をずっと怠っている。改めて再発防止のためにも、周知は必要なことだと認識を新たにした。

なお会場で、宮脇健斗くん990727)のご両親、田中綾太くん(010324のご両親、それから阿部智美さん(880805のお母さん(損害賠償金額が違うというご指摘を受けました。わかり次第訂正します)ともお会いした。
みな、遠くからこのシンポジウムに駆けつけてきていた。

学災連は思っていたよりずっと少ない人数で運営に当たっていた。(全員がボランティアであることも初めて知った)しかし、学校の安全について、ずっと真剣に考え続けてきた人たちがここにいる。敬意を表したい。




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