子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
940909 体罰自殺 2000.9.10. 2001.2.25 2001.5.3 2001.8.12 2004.6.6 2013.7.28更新
1994/9/9 兵庫県龍野市立揖西(いっさい)西小学校で、担任にぶたれた1時間後、内海平くん(小6・11)が、自宅裏山で首吊り自殺。
経 緯 9/9 3時限目に、担任のA男性教師(46)は、運動会のポスター描きを、翌週月曜日提出の宿題として平くんらに課し、図柄2種類、文字1種類のプリントをサンプルとして平くんらに配布して、ポスターの描き方の指導を行った。見本に限らず自分で考えて描いていいと言うと、平くんが「先生、ビストルでもええん?」と質問してきた。担任は、「それ、ええなあ。先生やったらピストルだけじゃなくて、人のシンボルとピストル描いてピストルの先に煙も描いて、その中に秋季運動会と書くよ」と言って、黒板に図柄を描いてみせた。

第5時間目が終了した放課後の教室には、平くんを含めて少なくとも7名の児童が残っていた。その時、平くんが自分の席に座ったまま、A教師に、「運動会のポスターの絵、自分で考えたんでもええん」と質問した。教師は「3時限目に説明したやろ。何回同じことを言わすねん」と大声で怒鳴り、利き手の左平手で平くんの頭丁部を1回、続けて両頬を往復で1回殴打した。

その後、A教師は一旦、教卓のほうに戻りかけたが、その時、平くんが他の同級生の方を見て照れ笑いを浮かべたのを見て、馬鹿にされたと思い立腹して、再び平くんの正面に立って、「けじめつけんかい」と怒鳴りながら、再び、利き手の左平手で頭頂部を1回、続けて両頬を往復で1回殴打した。教師は3本指で手加減して殴ったと主張するが、たたいた音が周囲に聞こえるほどの力でなされ、殴打の結果、平くんは口内を切り、出血するほどだった。
殴打後、平くんはうっすらと目に涙を浮かべて教師の方を睨んでいたが、A教師はそのまま、平くんに何の言葉をかけることもなく、ソフトボールの指導に行ってしまった。(暴行事件が起きたのは午後3時頃)

その後、帰宅した平くんは、家族の誰とも顔を合わせることなく、裏山で自殺。(死亡推定時刻は午後4時頃)
警察の対応 死の直後、龍野警察は「ほぼ自殺に間違いないだろう」と遺族に話した。検案書の死亡の種類の欄にも、「自殺」と記載された。

路上に座り込んで茫然自失のA教師の言動を不審に思い、事情聴取を行った。

市教育委員会や学校関係者が「警察は自殺と断定していない」と発言。遺族が警察に「事件がどう処理されるのか」と聞いても、明確な返答がない。「この件については警察としては他殺でないという見解以上のものは出せない」と回答。

学校・ほかの対応 9/9 平くんの自殺直後、校長は「私は教育者としての資格がない」と遺体にすがり号泣していた。

校長は朝の全校集会で、「平くんが死にました。原因は分かりません。この事については、何も言わないよう、聞かないようにしなさい」と話した。また、A教師はクラス児童には何も話さず、平常通りの授業が行われた。

9/12 遺族に詰め寄られてようやく、学校側は遺族との話し合いの場を持ち、担任から9/9についての詳細を聞く。話を聞いた後、
校長は、「担任のA先生がとった言動は人間として許されない。教師によるいじめだ。担任のU先生の暴行が平くんの自殺の動機になっている」と言い、「私は人間として間違っていた。これからは死んだ平くんに誓って、人間として恥ずかしくない対応をとります。今から教育長の所に行って話をしてきます」と遺族に土下座して泣き崩れた。
(後に校長は、この発言について、「あなた方(遺族)に強引に言わされた」と発言)
遺族は校長に、他の教師にも事実を伝えることを依頼。(後に、一部の教師を除いて情報が全く共有化されなかったことが判明)

学校側は報道関係者に、「担任教師はショックで自殺しかねないほど憔悴している。追い込むようなことはしないでやってくれ」と連絡を入れたため、報道は教師に対する取材を自粛。

9/21 校長は報道関係者に「担任がたたいたのは認めるが、自殺との関係はわからない」と話した。また、テレビでは「三本指で撫でただけ、体罰かどうかは教育委員会の見解を待つ」とのコメントが放映された。

学校側が遺族に対して自主的に事情を説明することは一度もなかった。
遺族が詳しい調査と事実の公表を依頼するが、校長は、「公表すると社会的に大きな影響を与える。学校としてはできない。どうして死んだかは警察が調べればよい。子どもからこれ以上あれこれ聞くのは教育的配慮として好ましくない」と回答。
また、「(警察が分からないと言っているので)、うかつに事実公表できない」と言う。
教育委員会の対応 9/13 教育長は遺族の質問には一切答えないため、遺族が学校側から聞いた話をする。
しかし、
教育長は「あなたも将来ある身だ。このことが新聞に出たら困るだろ。読者は中身を読まないぞ。興味本位に 『教師の息子自殺』 と書かれるぞ。警察でも最低限度の事しかしゃべるな。私は神戸にいた時、龍野署の副署長と面識があり、調書も見せてもらうことができる。報道を止めることはできないが、コントロールすることはできる」と遺族に言った。また、祖父が遺体を発見した時の状況を話そうとすると、「そんなうかつな事を言ったら、あなたが疑われるぞ」と発言。

事件後、市教育委員会は、子どもたちに命の尊さについて教育するよう通知を出す。
加害者 Aは、教師歴18年のペテラン。
5年生次、6年生次と同じ担任。3月にも、平くんをたたいたことがあった。

平くんの死の直後、「全て僕の責任です」「たたいたあとのフォローができなかった」とつぶやいていた。

9/15から療養目的に学校を休んで、10/11に復帰。

遺族がようやく話し合いの場を持ってもらうが、
事件当日の様子や心境について尋ねても、「わからない」「忘れた」と返答。
加害者の処分・
ほか
1994/12/1 A教師を内海平くんに対する暴行容疑で書類送検。
12/12 本人の意志で担任をはずれる。
1995/2/27 Aは市教委から文書訓告。校長は厳重注意。
1995/3/28 暴行罪で略式起訴され罰金10万円の略式命令。
その後、Aは別の学校に勤務。
被害者 平くんの両親は共に中学校の教師。
調査・証言 慰問にきた子どもたちから、遺族が担任の話を聞く。その結果、
先生はしょっちゅう生徒をたたいていた。機嫌が悪いと、すぐに殴った。
かっとすると止まらない。
子どもに八つ当たりをする。
・機嫌が悪いと理由を聞かずにたたく。自分が間違っても謝らない。
・事件当日、先生は朝から機嫌が悪かった。4時間目の綱引きで生徒の声が出ていなかったので、機嫌はよけい悪くなった。
・(平くんの件では)あんなに怒った先生は見たことがない。
・平くんはたたかれて口の中を切ったらしい。
・(自分もA先生に)5年生の時、体育館でごっつうたたかれた。ごっつう頭にきて、頭のなか真っ白になって、「こいつやってもたる。自殺して、こいつ首にしてもたる」と思ったことがある。

などがあがった。
作文・ほか 児童たちは、学校から事件当日の様子などについて聞かれたり、(遺族に話したような内容を)書いたものを教師に提出させられたりしたという。

遺族が学校に、子どもたちが書いたものを見せて欲しいと頼むが拒否される。
報告書 10/12 学校から教育委員会に「死亡事故報告書」が提出され、記者会見が行われる。
教育委員会は、「体罰の事実は認めるが、自殺との因果関係は不明」という見解を明らかにした。

遺族が教育長に報告書を見せてほしいと頼むが、プライバシーの保護と公務員の守秘義務を理由に拒否。

12/5 学校から市教育委員会にA教師の「体罰事故報告書」が提出される。

12/30 県の公文書公開条例で
死亡事故報告書を入手。「事故による死亡(管理外)」「原因・状況 不明」と書いてあった。

県教育委員会は、
死亡事故報告書について、「自殺と断定された報告書ではない」と判断、平くんの事件を自殺者数に計上しなかった。
地域・その他の
対応
「揖西西小学校を育てる会」が結成される。しかし、趣旨文には、
・本会は、原因の究明とか、責任の所在をあきらかにしたり、追及したりするものではない。
・市教育委員会は、かかる事態を直視し、誰もが傷つかない学校運営を目指し、努力しなさい。
・西小学校の評価が低下しないようみんなで努力しよう。
などと書かれており、遺族の気持ちに沿うものではなかった。

また、結成会でPTA会長は「原因の究明と責任の所在を追求する事は混乱を招くだけ。なぜこうなったという取り組みではいけない。これからどうしたら良いか考えよう」とあいさつ。
校長は「平君、君がそこまで悩んでいたのを知らずにごめんなさい・・九月九日の事件ではご迷惑をかけた。申し訳ない。心からお詫びする。子どもが動揺しないためにはどうすればよいか考えた。これからは命を大切にする道徳教育に力を入れたい」と話した。

一方で、教師の行った暴行について、触れるものは誰もいなかった。

育てる会の会長は「遺族が遺体を動かしたので(自殺かどうか)分からなくなった」と言う。
誹謗・中傷 平くんの自殺について、「家庭に問題がある」「私立中学に入学させようとして無理強いをしていた」「親戚づきあいもまともにできない家庭だからこんなことになった」「(平くんは)普段から死にたいと言っていた」「(平くんは)もろい子どもだった」などの噂が流れる。
嘆願書 12/ 下旬、A教師の嘆願署名が集められる。「西小を育てる会」会長、PTA会長の連名で『体罰ではないかと言われている事につきましては、教育熱心のあまりなされたものと考えられます。(中略)本人の将来にご配慮いただける寛大な処置をなされますように心より嘆願いたすものであります。』と書かれてた。
この嘆願書は児童を使って各地区のPTA役員に配布され、各地区のPTA役員が各家を訪問して署名を集め、教頭先生に提出された。

12/26 
約400名の署名が、神戸地検姫路支部に提出される。
その他の対応 1994/12/27 遺族が神戸弁護士会に人権侵害の申し立てをする。
1996/3/21 神戸弁護士会は重大な人権侵害事件として、担任と校長に、弁護士会が行う措置としては最も重い
「警告」、龍野市教育委員会に「勧告」という措置を行った。

担任への警告理由としては、
・平くんに対してなした行為は、体罰ともいえない全く理由のない一方的な暴力行為であって、断じて許されない重大且つ明白な人権侵害行為である事。
・ これまでにも平くんを含む児童に対し、かなりの回数、暴力をふるっている事。
・本件暴行の後、適切な措置を行っていない事。
・平の自殺と暴行との関係を否定できない事。
等が挙げられた。  

校長への警告理由としては、
・担任教師の、長期にわたる多数回の体罰を見過ごしていた事。
・平くんの事件について事実調査を十分に行っておらず、平くんの負傷の事実も報告書に記載していない。その態度は、事故の真相を明らかにし、同種の事故の再発を防止するという点から不十分であるばかりでなく、子どもの事故の事実について、親の知る権利を侵害している事
等が挙げられた。

龍野市教育委員会へは、
・体罰及び暴力根絶のため、徹底した対策をとるべきである。
・今回の事件について、校長の調査が非常に不完全であった。今後、校長において十分な調査を行うよう指導し、その結果を速やかに親に開示しなさい。
という趣旨の勧告が行われた。

しかし、学校側は弁護士会の警告や勧告に対して、何の反応も見せず、「管理外の事故死、暴行と自殺の関係は不明」という見解を変えようとはしなかった。
裁 判 1996/9 事件から丸2年後に両親が龍野市を相手に7035万円の損害賠償を求めて提訴。

2000/1/31 神戸地裁姫路支部で原告勝訴判決(大谷種臣裁判長)。

市側の「ロープで遊んでいて、足場の悪いいすが倒れたことも考えられる」と主張を退け、自殺と認定。

動機についても、「自殺したのは暴行の約1時間後で、ほかの動機が存在しない」として、「平の自殺と本件殴打行為との間に事実的因果関係の存することは明らかである」と、担任教師の暴行が自殺の引き金になったと認めたうえで、本件殴打行為は、A教諭が平の言動に激昂し、感情のはけ口を求めてしたものであると認めることができる。したがって、本件殴打行為を目して懲戒権の行使(教育的指導)と評価することはできず、単なる暴力であったといわざるを得ない」とした。

更に教師が、「生徒の受けた肉体的・精神的衝撃がどの程度のものかを自ら確かめ、生徒に謝罪するなどの適切な処置をとって精神的衝撃を緩和する努力をしていれば、自殺を防止できたがい然性が高い」として、教師の安全配慮義務違反との因果関係を認めた。

また、裁判長は、「学校側は自殺を管理外の事故死と評価したり、自殺の原因は家庭的問題、との誤解を与えかねない心ない言動をとっていた」と、両親への不誠実な対応についても指摘。

「平は、担任教師から理不尽な暴力を加えられたと感じ、それによって自殺を決意しかねない危険な精神状態に陥り、遂に自殺してしまったものと推認するのが相当である」ただし、「平に対し、生き続けることを期待することが平にとって酷であったとはいえず、また現に期待されていたというべきである。(中略)自殺を選択したこと自体について、平が一定の責任を負うべきものとされるのはやむを得ない」として「その賠償額を減額するのが相当」として、過失相殺分を引いた約3790万円の支払いを市に命じた。

龍野市控訴断念。

教諭による体罰や暴行が自殺の原因として行政責任が認められたのは初めて。
その後 2000/2 「平くんの事件を考える会」設立。体罰根絶に向けて提言をつくる。

2013/3/19 龍野市は19年間、平くんの死を「管理外の事故死、暴行と自殺の関係は不明」としていたが、市教育委員会の教育長が、体罰による自殺と認め、両親に謝罪。
自殺の訂正報告を文部科学省に提出。
教育長は大阪市立桜宮高の体罰自殺を問題を念頭に、「体罰やいじめによる子どもの自殺が大きな社会問題となり、 正面から向き合うべきと考えた」「隠蔽などと言われることがないよう報告したいと考え、修正を決めた」とと説明。
参考資料 2000/1/31毎日新聞、2000/2/1朝日新聞、2000/5/29朝日新聞、季刊教育法2000年9月臨時増刊号「いじめ裁判」/2000年9月エイデル研究所、「兵庫学校事故・事件遺族の会」HPのなかの「龍野市・教員暴行少年自殺事件」(『平が残したもの』/内海千春/1996年9月9日耕虫舎)2013/3/21毎日新聞、2013/3/22神戸新聞 



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