注 : 被害者の氏名は、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
990727 | シゴキ死 | 2002.11.19 2003.7.21 2004.9.12更新 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1999/7/27 | 兵庫県の川西市立川西中学校で、ラグビー部の夏休み早朝練習中に、宮脇健斗くん(中1・13)が体調不良を訴えたが、顧問の男性教師から「演技は通用せん」などと言われ、とりあってもらえず放置され、意識不明の重体。翌日(7/28)熱射病による多臓器不全で死亡。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
経 緯 1 | 7/20 夏休みに入って、健斗くんは学外のラグビースクールに参加。 7/21-24 家族旅行。 7/25 学外のラグビースクールの練習に参加。 川西中学校ラグビー部は、夏休み中の早朝の部活動を、7/20、21、22と行った。 7/23-26 同校生徒の水難事故への弔意等による自粛のため全部活動が中止。 7/27 事故当日は、休みに入って4回目の練習(健斗くんにとっては同校ラグビー部の夏休み練習への初参加だった)。 早朝練習は同校グランドで、午前6時30分から9時30分までの予定時間帯で行われた。 練習参加にあたり、体調不調等の者は主として自己申告により顧問へ欠席や見学を申し出ることになっており、事故当日は健斗くんを含め参加者は18名。内6名が体調不調などのため見学していた。 当日、健斗くんから体調不調等の申し出はなく、顧問、部員ともに練習開始時点では、健斗くんの体調不調等の兆候は認めていない。また、家人によれば、健斗くんの平素の健康状態は極めて良好で、練習前の状態も同様であり、中学校側でもごく普通の健康状態と把握していた。 病院でXは健斗くんの保護者に「練習を始めて30分ほどして、調子が悪くなったので休ませていたら、こんなふうになりました」と説明。 |
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経 緯 2 |
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気温・ほか | 最高気温30度、最低気温25度熱帯夜となる)を上回る日が1週間続いていた。 7/27 事故当日の天候は曇り。気象状況は、大阪管区気象台(大阪空港アメダス)の観測では午前7時現在で、温度29.2度、湿度62%、東南東の風2.8メートル。日照時間は午前6時から7時までで0.4時間。川西市消防本部の午前7時台では、平均気温27.2度、相対湿度73.8%、南東の風2.8メートル。9時の時点で気温30.8度、湿度88%、東の風3〜4メートル。 オンブスパーソンの調査では、この日の「熱中症危険度」は、午前6時、7時で「注意」。8時、9時で「警戒」となっていた。 |
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指導教師 | 顧問のX教師は、大学時代ラグビー部に所属。社会人になってからもラグビーチームに所属。 川西中学で過去14年間ラグビー部の顧問をしてきた。 当初は、「私には、助ける機会が3回あった」と両親に話していたが、のちに「やることはやった」として、責任を全面否認。 2001/6/22 オンブズパーソン立ち会いのもと、両親がX教師と面談する。しかし、Xは「当時のことは、ほとんど覚えていない」と言い、警察でひどい取り調べを受けたことなどを訴えた。 また、健斗くんの死を「練習前に水を飲まなかった」「太っていた」「オーバーアクションであった」などと健斗くん自身のせいにし、親に対しても「勘違いして入れた」などという。反省や謝罪の気持ちはまるで感じられなかった。 裁判のなかで請求された体罰報告書の開示(教師の氏名・担当教科・担当クラス等の公開)で、1991年の冬に、学校外に出ようとした生徒2人を校内に連れ戻し、相談室で数度にわたりビンタをし鼻血を流すほどの暴行を加えていたことが判明。また、中学校在職中に少なくとも4〜5回の体罰を行い、教育委員会に呼び出されて、厳重注意処分を受けたこともあったったことが明らかになる。 |
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背 景 | 同中においても、ラグビー部は厳しい練習を行うことは定評があった。 この部では通常、練習中に水分補給や休憩が入ることもないということだった。 去年(1998年)の合宿では、子どもが2回救急車で運ばれた。「今年の合宿で、救急車で運ばれるのは、健斗かも知れない」とXは健斗くんの母親に言った。 同部は生徒指導の一環として、学校生活でドロップアウトしそうな子をラグビーをさせることによって更正させようとする意図が強くあった(宮脇さんはそのことを知らず、健斗くんも純粋にラグビーが好きで入部していた)。 |
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教師の処分とその後 | 2001/3/23 「文書訓告」処分。 2年間の県立総合体育館への研修派遣。 2003/4/ 研修終了後、川西市教育委員会の教育情報センター主査(指導主事=教育現場への指導・助言を行う教育委員会の役職)となる。 2004/3/31 自己都合による退職。 |
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被害者 | 健斗くんは、身長155センチメートル、体重65キログラムで、やや肥満傾向にはあったが、健康体だった。 小学校3年生からラグビースクールに加入して、週1回の練習に参加していた(ラグビー練習経験約4年)。ほかに、空手道場やスイミングスクールにも通っており、スポーツにはかなり親しんでいた。 中学に入学してから自分の意思でラグビー部に入部。練習には5月以降参加し、ほとんど出席。足が遅く、ランニングなどの練習では遅れがちになることが多かった。 健斗くんは前日に、「ラグビー部の練習を1日休むと、その分だけキックダッシュが5回増えるねんて」と言っていた。 |
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親の認知と対応 | 朝食をしっかり食べていく健斗くんが、ラグビー部の朝練が始まった頃から、「朝練が厳しくて練習に参加すると吐いてしまうから」という理由で朝食を食べたがらなくなった。 母親が、その事を顧問のXに相談していたが、「僕も一緒に走っているけれども、僕も朝食は摂りません。食べ たら吐きますよ。他の子達も食べていない子が多い」という回答だった。 ラグビー部の練習には厳しいところはあった。父親が、筋肉痛の足を揉んでやりながら話を聞くと、健斗くんは、「この足の痛いのが充実感や。達成感や」と言った。一方で、「僕が、練習の途中でしんどくなって、休みたいというふうに言っても、先生は休ませてはくれない」とも話していた。 |
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学校の対応 | 1999/7/31 中学校で、全校集会が開かれ、健斗くんの両親も同席。 8/2 熱中症予防に関する職員研修会を実施。 事故発生直後に、同中学校内の複数の教員により「プロジェクトチーム」が組織される。 (1) 8/4 事故発生時に発生場所(同校校庭)にいたラグビー部員、サッカー部員、陸上部員などの生徒たちから、事故当時の状況で記憶していることなどを聞き取り、結果を記録。 (2) 8/4 ラグビー部顧問にも詳細な記憶喚起を求める。顧問は手記を作成。のちに記録とする。 (3) ラグビー部の練習経過ごとに、校庭内の顧問や部員、その他の生徒の配置図を作成。 8/10 (1)(2)(3)の記録書面の作成完了。 8/29 作成された聞き取り調査等の記録が遺族に届けられるが、事故経過に疑問点を感じる。部員を交えた事故再現を申し入れたが、学校長より生徒の精神状態への配慮等の理由で、作成された3種の記録書面をもとに、同校庭で同校教員たちにより、事故当日の練習を再現する。両親も立ち会い、その状況をビデオに収録。 8/30 遺族立ち会いのもと、学校で2度目の生徒聞き取り調査が行われる。 9/4 中学校で保護者向け懇談会開催。学校側から事故経過等が報告された。遺族も参加。 学校側は過失を認める主旨の説明を行った。 9/18 学校は生徒に向けて説明集会を開催。事故経過し学校の対応上の問題点を含めて口頭で説明。遺族も傍聴した。 集会後、生徒たちに当該事故についての思いを綴る作文を書かせた。 10/20 両親からの提案で、プロジェクトチームが、よりわかりやすい「本件事故の事実経過記録」(A4判51頁)を作成。 11/24 中学校が「学校事故報告書」(A4判6頁)を作成。市教委を経由して県教委に提出。同報告書は、プロジェクトチーム作成の「記録」などを基礎に作成しているが、「記録」や市教委が作成して文教常任委員に報告したものに比べて、表現や内容でかなり異なる部分があった。 当初は、遺族との話し合いを経て、報告書を作成するとしていたが、約束は守られず、遺族からの意見聴取もなされていない。(遺族は2000/1になって事故報告書の内容を確認する) 12/21 学校便り「川西ライフ」が生徒に配布されるが、再発防止策のみの掲載で、要望していた事故の事実経過や原因究明に対しての記載がなかったため、遺族は抗議文を提出。 2000/4/ ラグビー部は、関係保護者との協議の結果、新年度に入って、別の教師を顧問につけ、外部コーチ1名をつけて部活動を再開。新入生の入部も可とした。 5/23 全職員対象の救急救命法の講習会が実施された。 6/22 全生徒・保護者向け部活動の安全確保等についての文書を配布。 6/28 全校生徒集会で、熱中症予防対策に取り組む。 |
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警察の対応 | 1999/9/6 学校側が過失を認める主旨の説明を保護者に行ったとの報道を受けて、川西警察署員が学校長から事情聴取。警察に資料が押収される。 10/22 両親が、川西警察署に業務上過失致死の疑いでX教師に対する告訴状を提出。。 2000/2/1 川西警察署が、X教師を業務上過失致死の容疑で神戸地検伊丹支部に書類送検。 12/28 神戸地検は、X教師を嫌疑不十分として、不起訴処分に決定。 2001/5/23 遺族が神戸検察審査会に、不起訴不当の申し立てを行う。 2002/4/25 神戸検察審査会が不起訴不当と議決し、公示。 2004/4/26 顧問教諭に業務過失致死罪。罰金50万円。(2004/5/10確定) |
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市教育委員会の対応 | 1999/9/10 市教委が、市議会文教常任委員会協議会に対する報告資料として、8/10付け記録書面等を基礎に、中学校と遺族に意見聴取を行い、「川西中学校生徒死亡の件について(報告)」(A4判1頁)を作成。 警察が中学校に捜査を開始したという情報が市教委に伝わった頃から、市教委の対応に変化がみられる。 10/22の告訴状提出以降、原因究明等の取り組みの進捗がまったく感じられなくなる。事故経過の公表も消極的になる。 2000/4/24 市教委は、「平成12年度市立校園における事故防止に向けた取り組みについて」を各学校園に配布。再発防止対策の計画を示す。 5/15 「学校園事故から子どもを守るために」をテーマとした校園長研修会実施。 5/-6/ 各学校区単位で教職員向け研修「健康スポーツセミナー」を実施。 6/5 市教育長通知「高温・多湿シーズンにおける部活動の安全確保について」が各中学校あてに出される。 2000/12/21 川西市教育委員会が事故報告書「市立中学校部活動中における生徒死亡事故に係る原因究明について」を公表。 2001/3/23 兵庫県教育委員会は顧問教師、校長を文書訓告処分。 |
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第三者機関の対応 | 2000/2/5 事件発生から半年が経過しても原因究明がほとんどなされていないと感じた両親が「川西市子どもの人権オンブスパーソン条例 第10条第2項」に基づき、「川西市子どもの人権オンブスパーソン」に人権救済の申立を行う。 2000/7/13 「川西市子どもの人権オンブスパーソン」が川西市に対して、「勧告及び意見表明」を公表。 |
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その他の対応 | 顧問告訴の報道後、中学校卒業生の保護者等有志により、顧問に対する寛大な処置を求める嘆願署名が行われる。署名に伴って、様々な憶測や誹謗・中傷がとびかう。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
誹謗・中傷 | 両親が、X教師を「厳罰にしてください」という署名を集めている(事実なし)という噂が流れる。 顧問教師を告訴後、被害者遺族に対する誹謗・中傷的なうわさが広く流れる。 また、「あの子は太っていた」「最初から体の調子が悪かった」「いつもサボりたがって演技していた」などと、健斗くんに対する誹謗中傷もあった。 |
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裁 判 | 2001/7/24 遺族が神戸地方裁判所伊丹支部に、川西市とラグビー部顧問教師に対して総額1億1871万4194円の損害賠償を求めて民事裁判を提訴。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
被告の言い分 | 顧問が、事故直後に書いた「手記」について、「8月2日ぐらいから書き始めたが、8月3日の夜、子どもたちの証言を見せてもらって、子どもが言っているんだから間違いないだろうと思って書いたところがいくつかある。」と言い、間違い無いだろうと思って書いたけれど今となっては記憶にないと否定。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
被告が認めたこと | ・日射病、熱射病という言葉は知っていた。 ・ラグビーは屋外でする激しいスポーツだから、日射病、熱射病が発生する可能性は十分予測しないといけない。 ・練習中に給水するという重要性は、十分認識していた。 ・練習中、自発的に水を飲むことは許されていなかった。Xの指示で飲んでいた。 ・健斗くんは、真面目に練習するタイプの子どもであった。 ・健斗くんは、練習について行けていた。 ・「手記」は、誰かからこう書けと強制されたものでなく、自分で思ったことをそのまま書いた。 ・キックダッシュは、練習の中には組みこまれていない。練習での集中力が切れていると判断した時にする。部員にとっては、一番精神的にしんどいものである。 ・キックダッシュというのは、1本でピシッとみんなが声を出してできたら1本で終わるが、、そうでない時には再度やらされる。2本、3本とやらされることがある。 ・キックダッシュが、何本で終わるというのは、部員には分からない。Xが自由に決める。 |
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判 決 | 2003/6/30 神戸地方裁判所伊丹支部で一部認容(実質勝訴)。 ラグビー部顧問教諭に安全配慮義務違反の過失があったことを認め、川西市に総額4061万5418円(2030万7709円×2)の損害賠償を命じた。 ただし、ラグビー部顧問個人に対しては、安全配慮義務違反の過失はあるが国家賠償法上責任を負うのは国又は地方公共団体であって、公務員個人は責任を負わないとして、請求を棄却。 |
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判決要旨 |
・本件早朝練習当日は、熱中症の発生を注意又は警戒すべき気象状況にあった。 ・被告らは、Aの熱射病の原因は、Aの練習前の疲れと脱水にあったとして過失相殺を主張するが、むしろ多少の疲れや体調不良は自己管理能力が十分でない中学生には当然起こり得ることとして指導にあたるべきであり、過失相殺の主張は理由がない。 |
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参考資料 | 「川西市立中学 部活動中の熱中症死亡事故」/「兵庫学校事故・事件遺族の会」のサイト(http://homepage3.nifty.com/Hyogo-GGG-Izokunokai/)、「市立中学校部活動における生徒死亡事故に係る原因究明について 事故報告書」/川西市教育委員会、「勧告及び意見表明」/「川西市子どもの人権オンブスパーソン」、「スポーツにおける熱中症事故についての最近の話題」/齋木勝氏/コーチング・クリニック 2000.7.号、JHC&CEBcのサイト(http://cgi.psn.ne.jp/~jhc-cebc/s-data/education/law/hanrei/kawa-you.htm) 「先生はぼくらを守らない −川西市立中学校 熱中症死亡事件−」/宮脇勝哉・宮脇啓子 著/エピック |
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TAKEDA 私見 |
資料を読んで、これはけっして事故なんかではない、顧問のシゴキによる殺人事件だと思った。しかし、「熱中症による死亡事故」というとまるで、熱中症が健斗くんを殺したみたいだ。天候のせい、不可抗力の自然災害のように聞こえる。 学校の部活動はまるで軍隊だ。勝つためなら、その過程で子どもたちの心がどれだけ傷つこうと、身体をこわそうと、死のうと構わないという姿勢が感じられる。だからこそ、何人もが熱中症で殺された。顧問あるいは上級生によるシゴキやイジメで殺された。耐えきれず自ら命を絶った子どももいる。そしてそれらは教訓として生かされることなく、同じことが繰り返されている。 その年齢の子どもたちにとって一番大切な夢と仲間を人質にとられ、顧問には逆らえない。自分が走らなければ仲間に迷惑がかかる。そのことで仲間に見捨てられたくない。その思いだけで健斗くんはきっと死ぬまで走り続けたのだろう。自分だけのことなら、もしかしたら、これ以上はできないと突っぱねることができたかもしれない。仲間がいたからできなかった。むごいやり方だ。 ほかの部員たちはどう思っているだろう。健斗くんのせいで自分たちにもペナルティが科せられた。その怒りの矛先は命じた顧問ではなく、仲間である健斗くんに向かった。これもまた軍隊で使われる互いを縛り合わせる管理方法だ。 直接は死因にかかわっていなくとも、子どもたちは瀕死の健斗くんに気付かず、怒りを向けてしまったこと、顧問に遠慮して彼を助けることができなかったことに罪悪感を抱き続けるのではないだろうか。 この事例では、学校、教育委員会は他に比べれば、調査や対策などよくやっていると思える。しかし、土壇場になって保身に走ってしまったと感じられる。どうして、もう少しそこを最後まで踏ん張れなかったのだろうと残念に思う。結局は、人ひとりの命を奪った責任の重さへの自覚が足りないのだと思う。命の重さを知るべきは大人たちなのだと思う。 不調を訴えたにもかかわらず聞く耳を持たなかった、生徒たちでさえ気付くほどの体調異常を、怠けている、甘えているという先入観のもとに演技と決めつけた。そこには信頼関係などない。顧問は部活動において絶対君主、暴君だ。悪くなくとも罰を与えられる。殴られることもある。逆らえばどんなにガンバってもレギュラーになれない。部を追放されることもある。夢をあきらめることになる。そこには、支配するものとされるものとの歴然とした力関係が存在している。必死にふりしぼったSOSを無視して生徒を死ぬまで頑張らせたのはリンチに等しい。健斗くんはどれほど辛く苦しかっただろう。 学校や教育委員会は、顧問のシゴキによる生徒の死亡という責任の重大さを、勝利の栄誉と引き替えにそれを許してきた自分たちの怠慢を、熱中症による死亡というまるで自然災害にすり替えた。教育委員会は部活動の持つ根本的な問題に気づき、そのことを事故報告書に書きながら、最終的には熱中症の事故防止の対策にばかり走った。 悪いのは熱中症ではない。防ぐことができるのに防ごうとしなかった人間だということを教訓としなければ、何度でも同じことが起きるだろう。 |
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