注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
050413 | いじめ自殺 | 2006.5.7、2007.1.15 2007.9.24 2009.4.4 2013.4.11更新 |
2005/4/13 | 山口県下関市の市立川中中学校で、放課後の吹奏楽部の練習に遅れ、別の女子生徒にとがめられた後、姿が見えなくなった安部直美さん(中3・14)が、校舎の3階から屋上に上がる階段の手すりに制服のスカーフを巻きつけて首吊り自殺。 | |
遺書ほか | 6/12 直美さんの机の上の写真立てのなかに、自殺をほのめかすメモが入っているのを母親が発見。 二つ折にしたハガキより小さめの白い紙の中央部分に「し」「死」とボールペンで書かれていた。さらに紫色のペンで「死」と上書きされていた。 周囲に細かい字で、「もうがまんのげんかいだ」「首つって死にたい」「死んだらいじめられないですむ」「うちが死んだらみんなよろこびかなしまないだろう」などと書かれていた。 |
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経 緯 | 直美さんは入学当時から、「こっちに来るな」「きもい」などの言葉を浴びせられていた。 2004/9/ 学校の懇談会で、母親が担任に「娘の様子が最近変だ。何かあったのではないか」と話し、後日、改めて面談することになった。 面談日に、直美さんも「やっぱり先生に言いたいことがある」と加わり、担任に「石を投げられている」「きもいといわれている」などと訴えた。 担任はその場で「わかりました」と答えていたが、その後、連絡はない。 2005/2/ 校外実習時に、同級生から石を投げられ、担任が投げた生徒に注意していた。 4/13 直美さんはこの日の午後、放課後の吹奏楽部の練習に遅れた。 別の生徒にとがめられた後、急にいなくなった。 (練習は、生徒だけの自主練習で教諭はいなかった) 生徒らが捜し始め、校舎の3階から屋上に上がる階段の手すりに制服のスカーフをくくりつけ、ぐったりしている直美さんを見つけた。 教師らが人工呼吸や心臓マッサージをした後、救急車で運ばれたが、間もなく死亡。 直美さんが首をつった際に使ったスカーフの1本は他人のものだった。 また、スカートの腰部に足跡が残っていた。 自殺の現場に、具体的な自殺の仕方を記した市販の本があった。 |
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生活記録 ノート |
2年生時の生活記録ノートには、いじめに関する記述があった。 「男子生徒からからかわれ、言い返した」と書かれていた。 2004/12/21の欄に、「最近うちは男子にわゴムをあてられたり、階段からおとされそうになった。ちょっとムカつく」などと書いていた。 担任の男性教師は「本当に大変なことです。100%確信をもっているのなら、もうすぐに行動にうつすからね」と赤い文字で返事を書いていた。 3年生時の生活記録ノートの所在は不明。(のちに担任が、校長と教頭・教務の指示で自宅に持ち帰った内部告発がある) |
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プリント | 2005/4/8 3年生の始業式に担任が、「こんなクラスにしたい」「こんな自分になりたい」という質問を書いたプリントを配布。直美さんは「明るい、けじめがあり、いじめのないクラス」「ほかの人と仲良くする自分」と書いていた。 | |
いじめ態様 | 入学当時から、直美さんは「こっちに来るな」「きもい」などといった言葉を浴びせられていた。石を投げられたり、階段から落とされそうになったりした。 学年全体でからかっていた。 直美さんは「死ね」と言われれば、「お前が死ね」と言い返していた。 |
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被害者の親の認知と対応 | 直美さんの母親は、2年生のときに少なくとも4回、担任に「いじめられているから注意してほしい」と相談をしたという。 母親は「いじめられたらそのままじゃいかん。強くならなきゃ」と教えていた。 |
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事件後の被害者の親の調査・ほか | 2005/4/25 両親が、市長と市教育長にあてて質問状を出す。 @市教委は相談の回数が少ないと相手にしないのか。 A「きもい」と言われたりけられたりすることは(重要性の低い)一般指導の範囲なのか。 B直美さんが部活中に姿を消してから首を吊った状態で発見されるまでの経緯。 C「いじめがあったとは聞いていない」という学校側の発言の真意。 など4項目。 7/27 市教委の「因果関係は不明」との見解に、再度、質問状を提出。 |
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学校ほかの対応 | 自殺直後、学校長は「自殺の原因はわからない」「いじめがあったという情報は今のところ確認していない」とした。 校長が全教師を対象に聞き取り調査。 直美さんの2年生時の担任や教科担当の教師から、「今思うと、いじめと思われるような場面があった」という声が複数出た。 一方で、「1、2年の時にそれぞれ1回ずつ『友だちがいない』という相談を(保護者から)受け、担任が同級生に仲良くするよう指導した」とする。 その後、様々な事実が表面化すると「担任から報告を受けていなかった。ノートの文章は報道で初めて読んだ」と変化。 しかし、直美さんがいじめにやり返したこともあったことから、「一方的に」「継続的に」「深刻な苦痛」を与えているものという文部科学省の「いじめ」の定義に対し、「総合的な判断でいじめはなかった」とする。 5/19 学校側が「いじめの有無」などを尋ねるアンケートを実施。 生徒の約8割が回答。「女子生徒は石を投げられていた。「全体で疎外していた」などと書かれていた。 5/26 校長らが遺族宅を訪れ、「調査の結果、いじめがありました。つらい思いをさせて申し訳なかった」と謝罪。 6/24 校長と教頭は、自殺を示唆するメモをみたうえでなお、「重く受け止めたが、いじめが自殺につながったとは判断できない」と遺族に話した。 |
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市教委の対応 | 4/22 市教育委員会が記者会見。 「生徒の保護者から相談を受けたのは、1、2年時にそれぞれ1回ずつ、保護者会で相談を受けただけ」で、内容も「『娘がひとりぼっちで寂しいと言っているが学校ではどうか』というものだった」「(生活記録ノートに書かれた内容は)いずれもいじめといえばいじめかもしれないが、学校が取り上げる必要のない程度のものだったという認識だ」「いじめがあったという認識はしていない」とする。 5/27 記者会見をし、学校が実施した生徒へのアンケート結果をふまえて、「いじめがあった。本人の痛みに気づかず、寂しい思いをさせて申し訳ない」と正式に謝罪。 学校教育課長は、「女子生徒はやり返すこともあった。当時は子どものけんかのような認識だった。いじめる側といじめられる側を対等にみており、仲裁のような指導しかなかった。認識が甘かった。間違いだった」と話し、学校の対応に非があったことを認めた。一方で、自殺との因果関係については「これは全くわからない」とした。 再発防止策として、悩みの調査を毎月行い、子どもの観察に力を入れる、これまで1学期に1回だった「心の悩み相談」を今後は毎月行う、保護者会を学級単位で月1回開き、教員同士の情報交換の時間も新たに設けるという。 6/13 校長や教育庁が、両親からの質問状に対する回答文書を携え安部さん宅を訪れた際、自殺を示唆する直美さんのメモを見せられた。その様子を撮影していたテレビ局のインタビュアーに感想を求められた教育長は、「眼鏡がなくてよく見えなかった」と答えた。 放送を見た視聴者から、「うすら笑いを浮かべているように見えた」「両親の身になったらそんなことが言えるか」などと、抗議の電話が殺到。 |
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カウンセラーほかの対応 | 県教委は直美さんの自殺直後に、精神科医ら専門家による「クライシス・レスポンス・チーム(CRT)」を学校に派遣。生徒や保護者への接し方を指導。 2人のカウンセラーを学校に派遣し、従来のカウンセラーとあわせて、計4人で対応。 事件でショックを受けた児童の心のケアにあたった。 2006/1/16 下関のいじめ自殺と光市の高校爆発物事件を受けて県教委が設置した「生徒指導対策協議会」で、いじめ対策として「スクールカウンセラーの配置拡大」が盛り込まれる。 |
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生徒ほかの反応 | 複数の生徒や保護者は「いじめが背景にあるのではないか」と話す。 ある男子生徒は、新聞の取材に対し「自殺と聞いて、ああそうかと思った。先生が知らないはずがない。学年全体でからかっていた感じだった」と話した。 直美さんの自殺後も、いじめていた同級生らに反省は感じられないとする声もある。 2009/3/22 事件から4年たって、同級生だった男子生徒2人が、今春市内の高校を卒業し県外への転出することが決まったのを機に、安部さん宅を訪問。「4年前のことをきちんと説明し、下関を後にしたい」と申し出た。 2人は、直美さんへのいじめは2年の頃から激しくなり、ほうきで顔をたたかれるなどの場面を何度も目撃したこと、いじめは学年規模で行われ先生も知っていたことなどを話した。 男子生徒の父親は、「子どもの進学の査定のことが気になり、とても本当のことが話せるような状態ではなかった」「今だから当時のことを少し話せる」と話した。 |
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誹謗・中傷・ほか | インターネットの掲示板に在校生を名乗り、直美さんの死を喜ぶかのような発言がなされていた。 保護者間にメールで、いじめの首謀者の名前や具体的ないじめの方法などの詳細が流れていたという。 |
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事故報告書 | 2005/11/1 学校は、経緯や学校の対応をまとめた「学校事故報告書」を作成。市教委に提出。 A4版で25枚程度。内容は非公開だが、遺族が閲覧を強く要望したため、校長が安部さん宅を訪れて見せた。 4/13-9/末までの校内の動きを中心に、 ・事故の経過報告 ・「クライシス・レスポンス・チーム(CRT)」の活動 ・遺族への対応 ・学校での生徒の様子 などをまとめた。 自殺の原因、背景は「不明」と結論。 11/24 両親が、公文書公開条例に基づいて、学校と市教委がそれぞれ作成した学校報告書の公開を申請。コピーの公布を受ける。 ・直美さんが残した「死んだらいじめられないですむ」などと書いたメモは、「いじめのメモを提示」としか書かれておらず、具体的な内容は書いていなかった。 ・また、3年時の「生活記録ノート」が所在不明になっていることは記載されていない。 ・直美さんと母親が学校に相談した内容が違っていた。 |
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調査委員会 | 2005/8/8 市教委は「生徒指導推進協議会」の委員を設置。 メンバーは精神科医や心理学者ら外部の専門家を入れた計19人。 2005年度末までに5回開催。いじめ問題などについて話し合い、直美さんといじめとの因果関係について、判断をゆだねる。 2つの部会を設け、事件のあった学校の取り組みや市教委の対応が適切だったかどうか、いじめを未然に防ぐために学校や家庭、地域で何ができるかをそれぞれ議論する。女子生徒の自殺といじめとの因果関係についても議題にする。 2006/2/16 「生徒指導推進協議会」が「提言」を市教育長に提出。 いじめと自殺との因果関係について、「情緒的に不安定な時期である思春期の自殺に関して、その原因を特定することは難しい」とし、「友だちとうまくかかわれないということのつらさを誰からもわかってもらえず、そのことが自殺の背景にあった」といじめとの関係を示唆。 学校の取り組みについては、女子生徒の状況把握が「表面的な指導に終わっている」とした。 教員の見取りについては、「死を選ぶまで思いつめていた本人の心情を理解していなかった」と甘さを認めた。 市教委の保護者への対応については、「十分な説明を行う必要があったのでは」とし、市教委に教員の意識の向上と改革をはかるよう要望。 |
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内部告発文 | 2006/11/14付けで、新聞社下関支局あてに、教師と思われる人物から内部告発の文書が届く。(me070620参照) 「(紛失扱いになっている3年生時の生活)ノートは事件直後に担任が校長と教頭・教務の指示で持ち帰っております。」とあった。 2007/3/24付け、4/23消印で、安部さん宅に、内部告発文書が届く。ノートの所在、学校の隠蔽体質、人事について書かれていた。 2007/4/26-4/27 安部さんは下関市教育委員会と下関市教育委員会学校教育課学校教育課長、山口県教育庁学校安全・体育課児童生徒支援班教育調整監にあてて、告発文に書かれている内容についての調査を依頼する。 それぞれ、「調査を尽くし結果を報告したとおり」「葉書については文責もありませんし対応できません」「(人事についは)厳正公正な選考を行った後に、適材を適所に配置している」と回答。 |
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法務省ほかの 対応 |
2005/6/ 山口地方法務局は、直美さんの自殺から2か月後、調査を開始。 入学直後からいじめを受け続けていたことを確認。 遺族には、被害者本人ではなく、調査対象でもなかったため、結果を知らせなかった。 2006/4/ 法務局は、「多くの教諭が把握しながら、特段の措置を取らなかった」として、教師らの「放置」を人権侵犯事件と認定。 学校長と下関市教育委員長に対し、再発防止を求める要請措置を行った。 2007/5/ 新聞報道で認定を知った父親が法務局に説明を求めたため、結果のみを口頭で伝える。 2006/6/12 父親が、直美さんとの親子関係を証明する戸籍謄本を提出。行政機関個人情報保護法に基づいて、娘の個人情報の開示を請求。 2007/7/11 行政機関個人情報保護法の開示対象は、本人による請求が原則で、亡くなった人の情報は対象外。しかし、今回は、直美さんが未成年だったことや、請求者が親権者であることから、「遺族の心情に最大限配慮」(法務省)し、人権侵犯事件の調査で把握した情報を、第三者にかかわる個所などを黒塗りにしたうえで部分開示することを決定し、通知。 (法務省によると、いじめ自殺の調査記録などが遺族に開示されるのは初めてという。) 調査を始めた理由を記した「特別事件開始報告書」、措置や認定事実を記した「調査結果報告書」など、学校がいじめの防止措置を怠ったことを認定した書類など計約80ページ分を開示。 ただし半分以上が黒く塗りつぶされ、具体的にどんないじめがあったかなどは読み取れない。 自殺の約4カ月後に学校関係者や生徒ら延べ11人から聴取したとみられる「聴取報告書」も開示されたが、氏名や聴取内容はすべて黒塗りにされていた。 |
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その後 | 2012/10/ 下関市教育委員会が、直美さんの命日である4月13日を毎年、「下関いのちの日」として、いじめや自殺の防止に取り組む活動を行うことを決める。 | |
参考資料 | 2005/4/13共同通信、2005/6/14讀賣新聞、2005/4/14、4/15、4/20、4/22、4/23、4/26、5/10、5/11、5/22、5/17、5/28、5/29、6/14、6/15、6/18、8/9、11/2、11/25、2006/1/17、4/13朝日新聞・下関版、2007/07/18 西日本新聞夕刊 2009/3/25讀賣新聞・下関版 ほか。2013/4/10毎日新聞・下関版 | |
サイト内リンク | me060507 me070620 「4年目の謝罪」(PDFファイル) | |
※ 備 考 |
遺族の許可をいただいて、実名を掲載させていただいています。(S.TAKEDA) |
「日本の子どもたち」(HOME) | http://www.jca.apc.org/praca/takeda/ | ||||
いじめ・恐喝・リンチなど生徒間事件 | 子どもに関する事件・事故 1 | ||||
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