2007/6/20 | 無視された当事者、無視された内部告発。安部直美さん(中3・15)いじめ自殺事件 | |||||||||||||||||||||
2007年6月2日(土)、6月3日(日)、神戸で開催された「全国学校事故・事件を語る会」第21回(大)集会で、約1年ぶりに山口県下関市の安部慶光さん(安部直美さんのお父さん)にお会いした。 とても、気になっていたことがあった。直美さんの事件に関しての内部告発の手紙が、新聞社と安部さんの家に届いたと聞いていたからだ。その後、どうなったのかを知りたかった。 しかし、記者会見を開いてもマスコミの反応はいまひとつだったという。もう、マスコミ界ではすっかりいじめ事件は終わったということなのだろうか。 そして、県教委の対応は、告発内容を完全に無視したものだったという。 どこも、なにも動こうとしないのであれば、せめてサイトに載せることでこのような実態があることを一般のひとたちに知ってほしいと思う。許可をいただいたので、内容をここに掲載させていただく。 もちろん、告発の内容が真実であるかどうかを調べる術は私にはない。念のため、告発文にある固有名詞は伏せさせていただいた。 日本では、告発者が守られる仕組みがない。そんななかで、かなりのリスクを背負って告発してくれたのだと思う。教員をくびになって、簡単に他に職は見つからない。まして地元で。 かつての事件でも、告発者が学校を去らなければならなくなったり、告発したわけではなかったのに勘違いされた女性教師が教師ぐるみのいじめにあい、ストレスからガンを発症、病床で裁判の証言を残して亡くなった痛ましい事件(890912)もあった。 子どもの命に責任を感じてくれる教師もいる。そのささやかな声を封じてしまったり、ここで告発者探しをさせて、研修所送りや退職に追い込んではならないと思う。 そうでなければ、全国で同じようなことが起きているなかで、第二、第三の告発者は望めない。 なお、文中にある「ノート」とは、直美さんの3年生時の「生活ノート」を指していると思われる。生活記録は通常毎日、生徒が日記や連絡事項を書いて担任教師に提出し、担任が返事を書いて返却する。 2年生時の生活ノートは自宅にあり、そこにはいじめの相談やそれに対する担任教師のコメントが書かれていた。 直美さんの自殺の約1カ月後に遺品の一部を学校から返却されたが、進級時から亡くなる(4/13)までの数日間の記録があると思われる3年生の生活ノートはなかった。ご両親が気づき、学校に返還を求めたが、「(自殺当日の)帰りに返した」と言われ、現在も所在不明になっている。
上記文書は新聞社から安部さんにもたらされた。 書いてある内容が事実であるかどうかは、人事記録を調べれば簡単にわかることだと思う。 以下は、安部さん宅に送られた手紙の内容。
上記の内容をつけて、安部さんは下関市教育委員会と下関市教育委員会学校教育課学校教育課長、山口県教育庁学校安全・体育課児童生徒支援班教育調整監にあてて、次のような文章を出している。
回答はあった。しかし、どちらもびっくりするくらい短い。
母親は何度も学校にいじめの相談をしていた。しかし、娘は学校で亡くなった。スカートの腰部に靴のあとをつけ、自分のスカーフと一緒に他人のスカーフを使って。残り1本のスカーフは誰のものなのか。どうやって手に入れたのか。1本でも自殺は可能だったにもかかわらず、なぜ2本使ったのか。なぞは未だ解けていない。 安部さんにとって、今回の告発文は、今までの学校側のいじめも、自殺との因果関係も必死になって認めようとしない、調査する誠意さえ見せようとしない学校側の態度の「なぜ?」を解明する大きな手がかりになるものだった。もし、本気でどこかひとつでも行政機関が動いてくれたなら、真実追求を大きく前進させることは確実にできたと思う。しかし、結局はどこも動かなかった。子どもの死に、遺族の悲しみに、一切、心を動かされることのないこの国の官僚たちの体質が現れていると思う。 今回、神戸の集会のテーマは「事実解明における第三者機関の役割」だった。2日目午前中のパネルディスカッションで、安部さんが発表した。会では、学校事故・事件の真実究明のために第三者機関の立ち上げを国に要請している。 しかし、残念ながら、安部さんの事件では第三者機関は設けられたものの機能したとは言いがたい。 学校、教育委員会は、発見された直美さんの遺書とマスコミに迫られる形で、当初は否定していたいじめの存在を認めた。しかし学校側は相変わらず、「気づかなかった」「いじめが自殺につながったと判断できない」「分からない」を繰り返す。 市教委は精神科医や心理学者ら外部の専門家を入れた計19人からなる第三者委員会「生徒指導推進協議会」を立ち上げた。同時に、すべてを委員会に委ねているのだから、学校に何を言ってもムダだとシャッターアウトした。 一方で、第三者委員会からは、いつまで待っても両親に聞き取り調査がない。しびれを切らして安部さん自ら生徒指導推進協議会の会長にあてて文書を出した。 下関市教委はいじめと自殺の因果関係を第三者委員会が調べているので待つように言っていたにもかかわらず、第三者委員会からの回答では、「いじめと自殺との因果関係を出すような目的で作られた委員会ではない。」「事件前後の学校や教育委員会の適切さを協議するもの」だと言われたという。 遺族の、第三者委員会が入れば、何も進展のない学校の調査にも前進がみられるのではないか、いじめと自殺との因果関係が立証されるのではないかとの期待はこの時点で裏切られた。 2006年2月16日、「生徒指導推進協議会」は「提言」を市教育長に提出した。 いじめと自殺との因果関係について、「情緒的に不安定な時期である思春期の自殺に関して、その原因を特定することは難しい」とし、「友だちとうまくかかわれないということのつらさを誰からもわかってもらえず、そのことが自殺の背景にあった」といじめとの関係を示唆。 学校の取り組みについては、女子生徒の状況把握が「表面的な指導に終わっている」とし、教員については、「死を選ぶまで思いつめていた本人の心情を理解していなかった」と甘さを認めた。 いじめという他人からの心と命に対する暴力によって死に追いつめられたというより、まるで本人に原因があって悩んでいたのを深刻には受け止められなかったということにのみ、責任を言及している。これでは、どんないじめも、本人の気の持ちようや性格の問題にされてしまう。 一方で、山口地方法務局は、2005年6月に調査を開始し、2006年4月、学校長と下関市教育委員会に対して、「安部さんが入学時から相当期間にわたって不特定多数の生徒にいじめを受けていることを多くの教員らが把握しながら、特段の措置を取らなかった」ことを確認し、「安部さんに対する人権侵害に当たる」と認定していた。 しかし、この事実は、安部さんにも、認定を突きつけられたはずの教員にも伝えられていなかったという。 人権侵害の認定も、再発防止などを求める要請も、学校長や市教委は事件当時の学校長や現場の職員らに伏せていたという。 安部さん自身、今年になって初めて、新聞報道により、人権侵害の認定が出ていることを知った。 通常、被害者から申告があって初めて法務局が調査を始める。しかし今回は、新聞報道をきっかけに調査を行った。申告があった場合、申告者には調査内容やや結果が報告されるが、今回は遺族が申告したわけではなかっので伝えられなかった。 今回は異例の措置として、法務局が安部さんに説明を行ったという。 似たようなことが埼玉県所沢高校の井田将紀くんのの自殺事件(040526)でもなされている。遺族の知らないところで、法務局が人権侵害の調査をしているが、結果さえわからない。 どこにいっても、当事者たちの存在が無視させていると感じる。いちばん真実を知りたい遺族が、調査の蚊帳の外におかれて、意見を言う場さえ与えてもらえない。 学校に直接言っても、第三者委員会の設置を理由に門前払い。勝手に人選され、立ち上げられた第三者委員会。それがどういうものであるかさえ知らされないまま、結論をもってこられる。 その第三者委員会が適正なものかどうかは、いつ、だれが、審査するのだろう。現に、行政側が勝手に立ち上げた第三者機関が、事件に終止符を打つためや「いじめはなかった」ことのお墨つきを出すために使われていることもある。 今回の告発文からもわかるように、行政関係者のネットワークは広くて強い。政治家の天下りしかりで、利害が一致するひとたちが寄ってたかって、真実を捻じ曲げてしまうことは簡単だ。 私は第三者機関を否定するものではないが、第三者より前に、当たり前のこととして、遺族を含めた当事者の知る権利を法的にもきちんと認定してほしい。 学校であれ、市教委であれ、行政であれ、そして、私立や保育園、企業であれ、ひとが亡くなったときに、遺族の「何があったか真実を知りたい」という気持ちに真摯に応えてほしい。知ってることを隠している場合、うそをついている場合、法的な手段で当事者に開示できる仕組みをつくってほしい。みな、自分たちにとって都合の悪いことは隠したがる。それを前提にして、亡くなった命に対するせめてもの償いとして、最後の瞬間に立ちあえなかった親に対して、事実を知ることができる仕組みを作ってほしい。このことでどれだけ多くの当事者、遺族が苦しみ続けてきたことか。 そして、得た情報を開示するかしないかも、当事者や遺族の判断に委ねてほしい。 もちろん、第三者としては開示して教訓として生かしてほしい思いはある。しかし、そのことによって当事者や遺族が傷ついたり、苦しんだりすることもある。 個人情報保護で、情報の大切さをあれだけ大騒ぎするなら、命にかかわる情報の大切さをもっと認識してほしい。単なる隠ぺいの道具として使わないでほしい。 第三者機関をつくるなら、当事者らの知る権利にきちんと答えが出されなかったときの調停役として、透明性のある機関をつくってほしい。 先日、私たちが文部科学省をはじめとする国に対して出した「親や当事者の知る権利」についての要望書に回答が来た。この要望書には安部さんをはじめとする多くの遺族が名前を連ねている。多くの失われた命とその遺族の思い、傷ついた当事者たちの思いが込められていた。 しかし、安部さんへの回答と同じように、とてもその内容を真剣に審議したとは思えない回答だった。 こんなにおざなりな対応しかできない国だから、命に対して真剣に考えることさえしない大人たちだからこそ、子どもたちが死んでしまうのだと改めて思う。そして、いじめ自殺はゼロだと平気で報告されてきたのだと思う。昨年、子どもたちがあんなにもたくさん亡くなったというのに、大人たちは何ひとつ変わろうとしない。 |
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