過去の執筆文献アルヒーフ 11/10/05に1点追加
私の執筆したものですが、今では、入手しにくくなっているが、公開・提供したほうがいいかと思われる旧い文献を、ここに再録、掲載します。順次増やしてゆきます。
18. 「戦後日本の平和は憲法9条ではなく、安保体制のおかげではないのか」(
合同出版『武力で平和はつくれない』2007年4月号刊に掲載)
PDFファイル(12/08/28)
17. 「『東洋文庫』とアンビバレンス」(
平凡社『月刊百科』1987年5月号の「東洋文庫と私」に掲載)
PDFファイル(11/10/05)
16. 「補遺へのもう一度の追加」(T・ホイットモア著 吉川勇一訳『兄弟よ俺はもう帰らない』 第三書館 1993年刊に掲載) (07/08/11)
15. 「半世紀近く前の夢を今振り返って」(『遠い飛行機雲――一九四三年川越中学入学生記念誌』 埼玉県立川越高等学校 中47期・高1期同窓会刊 1992年8月に掲載) (07/04/28)
14. 「ポスト・オノダ フィリピン印象記」(『
アサヒグラフ』1974年6月14日号に掲載) (07/04/28)
13. 「朝鮮戦争とベトナム戦争――世界平和運動の対応状況から」(『コリア評論』1968年1月号に掲載) (07/02/02)
12. 「東京に基地があること」(『世界』1971年4月号に掲載) (06/10/05)
11. 「私服刑事をなぐる話・内ゲバを阻止する話・間違えてなぐった話」(『 ベ平連ニュース』1970年7月号に掲載) (06/08/19)
10. 「佐世保 一九六八年」(小田実編『市民運動 とは何か――ベ平連の思想』番町書房 1968年刊に掲載)
(06/06/21)
9. 「『蜂六会』のこと」(拙著『市民運動の宿題』より) (05/09/30)
8. 「全学連OB健在なり」(『文藝春秋』1965年5月号に掲載) (04/06/25)
7. 「わたしとビール」(『図説 昭和の歴史』第11巻付属の『月報』掲載、1980年、集英社に掲載)これは、「感じること」欄No.1にあります。 (04/04/23)
6. 「学生は死に、三菱は残った――淡路島南端のスリーダイヤ――」(三菱重工反戦一株主会機関紙『のろし』1972年4月1日号に掲載)
5. 「平和運動組織論の再検討――ベトナム戦争と平和の組織――」(『新世界』1965年6月号に掲載)
4. 「矢内原忠雄総長のこと」(『思想の科学』1967年4月号に掲載)
3. 「失踪その後(1)(2)」(『話の特集』1979年7〜8月号に掲載)
2. 「第十回原水爆禁止世界大会――とくに国際会議の総括にかんする意見」(1964年8月、日本平和委員会常任理事会での発言)
1. 「自由の危機――権力・ジャーナリズム・市民――」(江藤文夫・鶴見俊輔・山本明編「講座 コミュニケーション」第5巻『事件と報道』 研究社 1972年刊に掲載)