ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために ― 論証と資料
映画「シンドラーのリスト」が訴えた“ホロコースト神話”への大疑惑
初出『噂の真相』(1994.9) レポーター・木村愛二(フリージャーナリスト)
➡ その1:「美談」のメッセージにも疑問符
ラストシーンは、現在のイスラエルの首都エルサレムの郊外にあるシンドラーの墓標の前に、イスラエル人が行列をなして、敬意を表わす意味の小石を並べる情景である。つまり、スピルバーグは無言の映像で、イスラエル建国支持のメッセージを世界に送っている。
➡ その2:ドイツ議会と裁判所で連続の逆転劇
火元のドイツでは議会と裁判所で「ホロコースト」問題の連続逆転劇が起きている。日本では、「アウシュヴィッツの嘘」などの「発言」を最高3年の禁固で処罰する刑法改正案が、さる5月20日、ドイツの下院で賛成多数をえて可決され、上院でも可決されれば「9月から発効」(毎日94.5.21.夕)などと、ほぼ確定的なニュアンスで報道されていた。実際には上院で否決されたのだが、この方の報道はまるで目立たなかった。
➡ その3:イスラエル建国の基礎を揺るがす!?
イスラエルという国家は、現地のアラブ諸国こぞっての反対を押し切って採択された国連決議によって建国されている。国家としての存立基盤が不確かなのだ。1947年にパレスチナ分割を決議した際の票決は、賛成33、反対13(全アラブ諸国を含む)、棄権10(それまでの委任統治国イギリスを含む)という際どい結果だった。
1947年の国連による歴史的分割決議を推進した当時のアメリカの大統領、トルーマンらの最大の思想的武器は「ホロコースト」だった。ナチス・ドイツが犯した歴史上最大の「民族皆殺し計画」、「ホロコースト」の罪を償うために、欧米諸国はイスラエルの建国を支持した。だが同時に欧米諸国は、「ホロコースト」とは何のかかわりもない現地のアラブ人の居住権を無視するという、新しい罪を犯してしまったのだ。
➡ その4:左翼、ユダヤ系学者による研究
第二次世界大戦の直後には、「ホロコースト・タブー」と呼ばれる状況があったらしい。ナチの犯罪追及が熱心に行われている時代のことだから、その最悪の犯罪として話題の中心になっていた「ホロコースト」に疑問を投げ掛けるのは、「タブー」だったのだ。
だがラッシニエは、自分の収容所での経験から、「ホロコースト・タブー」に疑問を覚え、いくつかの著作で「ガス室について決定的判断を下すのは早すぎる」という趣旨の主張を発表した。
➡ その5:殺虫剤チクロンBで人を殺せるか
「チクロンB」は、木片などに青酸ガスを吸着させ、カンに密閉したものである。カンから出して加熱すると、沸騰点の25.6度C以上で青酸ガスが遊離するが、指定の使用方法では蛾を殺すのに24時間掛かる。人体実験の報告はないが、ニュールンベルグ裁判で証拠とされた収容所長の自白などのように、数分とか数十分で人間を死に至らせるのは、とうてい不可能である。
➡ その6:発疹チフス予防のための各種措置
「第二次世界大戦でも発疹チフスは将兵をおそい、多くの日本軍兵士の命を奪った。さらにアウシュヴィッツなどのナチスの捕虜収容所でも大流行」。
ユダヤ人の強制収容それ自体も残虐行為である。私にはいささかもナチスを免罪する気はない。
私にも、戦後の中国からの引き揚げ家族の一員としての、ささやかな収容所経験がある。当時の衛生環境の収容所で、発疹チフスが発生したら大変な騒ぎになっただろう。
➡ その7:シオニストとナチの共生関係
ナチ党が政権を獲得した直後の1933年、世界シオニスト機構の議長代理だったヨアヒム・プリンツはこう書いていた。
「強力な勢力(ナチズム)がわれわれの支援に訪れてくれ、われわれを改善してくれた。同化論は敗れた」
当時のユダヤ人社会の中には、西欧文化に「同化」しようとする人々と、「異化」してイスラエル建国を目指すシオニストとの対立があった。狂信的なシオニストにとっては、ユダヤ人の排斥を政策とするナチズムは「敵の敵」の論理で味方だった。
連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態
➡『シンドラーのリスト』映像詐欺の決め手「射殺不可能」
あの映画には、かつてのウィリアム・ホールデン主演の『第17捕虜収容所』のような、漫画的ドイツ人はあまり登場しない。そのかわりにやたらめったら、ドイツ兵が無抵抗のユダヤ人を町中や収容所内で撃ち殺すシーンが、いやにリアルなモノクロ画面で何度もでてくる。映画のプラショフ収容所にもゲーツ収容所長にも実在のモデルがあるそうだが、この収容所長などは、ユダヤ人収容者を子どもまでふくめて、ただのうさばらしにベランダから狙撃銃で射殺している。
わたしは、元軍人の先輩にこう聞いて、賛成をえたのである。
「日本軍だってまけずおとらずの残虐行為をやっているだろうが、町中や人前で普段からバカバカ殺していたら、軍律がたもてないはずだ。誇張にしてもひどすぎないか」
この会話の直後、カナダのツンデルから航空便がとどいた。なかには、ツンデル自身がキャスターをしているFM放送の市民チャンネル、「自由放送」の録音テープや資料カタログと一緒に、「シンドラーのリストは嘘と憎悪をあらわにした」と題するリーフレットがはいっていた。そこには、ワシントンの公文書館で情報公開している航空写真などを材料にして、プラショフ収容所の当時の全体構造が再現されている。映画では、ゲーツ収容所長の公邸のベランダから収容所が見わたせるようになっているが、実際の構造では、途中に丘の側面がはりだしていて、見とおしがきかない。だから、狙撃銃による射殺などは不可能だというのだ。
『アウシュヴィッツの争点』 7
➡「ホロコースト記念館」の民族教育は根底からくつがえる?
『シンドラーのリスト』紹介記事(『ニューズウィーク』日本語版94・2・16)の末尾にも、「なかなか消えないホロコースト否定説」という見出しのかこみ記事がそえられていた。まさに意外な副産物といいたいところなのだが、このかこみ記事の趣旨は「ホロコースト」肯定の立場(以下、国際的慣習にしたがって「絶滅説」とする)であり、つぎのような否走的ニュアンスの表現で見直し論の主張を紹介している。
「ユダヤ人の死は自然死だった。ガス室はシラミ退治のための施設だった。果てはヒトラーのユダヤ人抹殺計画を、国際世論を味方につけようとするシオニストの作り話だとする説まで飛び出した」
だが、そこには同時に、「ホロコースト」見直し論者の主張が一応はおりこまれている。さらには、「世論調査によれば、今もアメリカ人の二五%近くがホロコースト(ユダヤ人大虐殺)は虚構である可能性があると考えている」というデータや、「今でも反ユダヤ主義者などが、欧米をはじめ世界中で活発にホロコースト否定説を展開している」という記述などには、執筆者の意図を裏切りかねない要素がふくまれている。
『アウシュヴィッツの争点』 23
➡「原状保存」どころか部屋の壁はブチぬき、煙突は建てなおし
煙突については『シンドラーのリスト』で、モノクロ画面の中で強調したい部分に色をつけるという特殊効果がつかわれていた。映画のアウシュヴィッツの茶色のたかい煙突からは、ゆらめく黄色と赤の炎をまきこんで、真っ黒の煙がゴウゴウと不吉な音を立てて舞いあがっていた。あの煙突はハリウッドのオープンセットであろう。たかい煙突からモクモクと煙が天にあがる場面は、いわばこの種の映画の「決まりシーン」である。「煙突の煙」も水戸黄門の「葵のご紋」である。
ところが『アウシュヴィッツ・神話と事実』によれば、一九七二年にアメリカの中央情報局(CIA)が情報公開した資料の中に、米軍の飛行機がアウシュヴィッツの上空で撮影した航空写真が何枚もあった。戦争末期の一九四四年、まさに「大量虐殺」と「死体焼却」の真っ最中だったはずの頃の「ことなる時期」に、何度も上空を飛んで撮影したものだ。だがそのどれにも、「まったく煙が写っていない」のである。