「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?
アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く
電網木村書店 Web無料公開 2006.2.2
第11章 なぜアメリカとイスラエルだけが
何をしても「許される」のか(その2)
(文中のURLは書籍発行当時のものです。繋がらない場合があることをご了承ください)
痛烈なアメリカ帝国批判歴史資料満載の珍しい漫画本出現!
本年8月末、本書の仕上げにかかる時も時、昔なら、まさに天佑神助の材料とでも言うべき好個の漫画本が、アメリカから飛んできた。
その日本語版は今、10月10日発売を期して準備中と聞くが、日本語版の訳題は『戦争中毒』(ADDICTED to WAR)である。本文は62頁でA4版。表紙のカラー漫画の主人公はブッシュ大統領、爆撃機、ミサイル、戦闘ヘリコプター、戦車、軍艦を、両手一杯に持てるだけ抱え込み、真っ赤な顔で、大粒の汗を、ぽたぽた垂らしている。ワイシャツの袖のカフスボタンは「ドル」印、軍艦の砲塔には「核」印ときたもんだ!
奥付を読めば、漫画を描いた人の名前はラテン系風のジョエル・アンドレアスで、資料提供の協力者が何人もいて、アメリカとイギリスにまたがる出版社が、カナダで印刷していることが分かる。巻末には漫画には珍しい2頁にわたる資料リストがある。いわば名うてのアングロサクソン三兄弟国家の足元からの諸民族の叛逆の狼煙である。内容を紹介すればきりがないので、簡略を旨とするが、要するに痛烈きわまりないアメリカ「帝国」批判である。以下に展開する私の主張と、ほぼ同じ考え方である。
アメリカは建国以来、当初の13州から侵略に継ぐ侵略で拡大を続け、史上空前の世界帝国にのし上がった。憲法では議会に宣戦布告、大統領に戦争遂行と、わざわざ権限を分割しているのに、アメリカ史上200を超える海外出兵のうち、出兵前に議会が宣戦布告したのは5回のみなのである。
アメリカ帝国の「三種の神器」「自由、民主主義、文明」の正体
私が日常的な情報源としている米軍放送には、時折、1分間の出来合いの愛国教育「勇士」物語が入る。いわば軍のCM、日本なら修身の時間である。米軍の歴史は「自由と民主主義のために命を捧げた果敢な戦士と偉大なる軍指揮官の物語」なのである。
「自由と民主主義」こそが、アメリカ人にとって、「命を捧げ」て守る対象なのである。戦前の日本の「天皇」「皇室」と同様のものなのだ。
9・11事件後、まる1週間を経た9月18日、ブッシュが議会で大演説をした。これも全部、米軍放送に入ってきた。
「あの」モニカ・ルウィンスキー・スキャンダルにまみれ、戦う大統領のイメージ作りに必至だったクリントン時代にも、ユーゴ戦争の空爆開始直前に、同じような感じの大演説を聞いた記憶がある。かつての日本なら東条英機の声涙ともに下るラディオ演説である。
当然、下敷きの草稿作りの熟練者がいて、「国際問題音痴」とかで悪名高いブッシュ坊やは、一生懸命、テキサス訛りのせかせか口調を直しながら、何度も練習を重ねたのだろう。力んで喋ると、満場総立ちの拍手喝采、しばし鳴りやまずで、昔のヒトラーなどの演説風景とまるで変わりがない。ゲルマン型の習慣であるが、世界中の人間集団が、似たような儀式を続けている。
この儀式を動物行動学的に観察すると、何のことはない。チンパンジーの群れには、猛獣に襲われる可能性が高い恐怖の夜を迎える前に、横向きの木の枝に並んで立って一斉に唸り声を発する習慣がある。こういう習慣は、遺伝子に仕組まれた本能的な行動から、集団的な学習による伝習、伝統へと発展する。だから、この数百万年前からの類人猿の習慣が、現在の米議会の儀式に連鎖しているのである。恐怖から怒りへ、攻撃へ、いわゆる出陣の雄叫びの典型的な儀式である。もちろん、少しは手の込んだ儀式になっている。
面白かったのは、「アメリカ人は今、なぜ自分たちが憎まれるのかと考え始めている」という台詞だった。ここをブッシュ坊やは、非常に慎重に、重々しく、ゆっくりと喋った。あの不良坊やも、これが非常に重要な台詞だと認識しているのだ。議場は静まり返った。これは当然、当時の多くのアメリカ人自身による記事の論調に表れていたことを意識して、工夫に工夫を重ねた台詞なのである。
私は、「憎まれる」云々の問題の自覚に関して、同主旨の電網記事をたくさん見ている。日本の大手紙にも少しは出ていた。だから、次に何を言い出すかと興味津々、耳を澄ますと、「彼らが憎むのはアメリカの民主主義と文明である」と、と、と、と、おいでなすった。さすが見事な切り返しのデマゴギーである。
「テロリスト」が憎み、アメリカ人が守るべき対象は、「民主主義と文明」なのである。
あの勝者が敗者を裁く猿芝居、東京裁判のことを、アメリカ人のキーナン検事は、「文明の断固たる闘争」と称した。「文明」か、なるほど、明治維新の後、「ちょんまげ頭を叩いてみれば、因循姑息の音がする。ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」と謳われた、あの同じ言葉である。だから、明治時代以後の日本人は、この言葉に弱い。「民主主義」の方は、敗戦後に叩き込まれたから、これにはもっと弱い。
この日本人の深層心理を解明し、現代神話の催眠術を解除しないことには、事態の真相は、日本人の「鱗」が嵌ったままの目には見えてこない。
私は、最近のいわゆる教科書論争に関しても、いわゆる左翼陣営の主流の見解に対して、かなりの疑問を投げかけている。彼らは、いわゆる右翼的潮流が推進する「つくる会」教科書に反対するだけなのだが、私は、現行教科書の全体を、日本歴史の時代区分上では、「アメリカ王朝」時代の「アメリカ崇拝教育」の教科書なのだと批判している。
以上のごとく、「自由、民主主義、文明」こそが、アメリカ人がすべて、かつての日本人に例を取れば、「醜の御楯」となり、命を賭して守るべき「大君」の「御稜威」なのである。彼らの戦いの極意、秘訣なのである。
だから、これらを徹底的に疑い、化けの皮を剥がさなくてはならないのである。
アメリカ人とは何か?
孫子曰く、まずは「彼(敵)を知り」なのだが、最初に問い直さなければならないのは、その「彼」、すなわちアメリカとは何か、アメリカ人とは何か、なのである。
これまた、ありがたいことに、時局の反映であろうか、東大教授の肩書きの山内昌之執筆「アメリカ人とは何者か」(『日経』2002・9・8夕刊)と題する好個の材料が出現した。彼は「イスラムや中国の文明論的価値観に寛容ではない」理由として、アメリカ人が、イングランド系やフランス系などの移民の「不思議な混血」から作られる新しい人間像を「神話」として共有すると説いている。アメリカは「民族の坩堝」論はマヤカシなのである。簡単に言えば、所詮、ヨーロッパ優位の国柄なのである。だから、「神話」もヨーロッパ系である。その根本から問い直さないと、アメリカの正体は分からない。
欧米流「自由」とは何か?
「自由」は、フランスの国旗の三色、「自由、平等、博愛」の筆頭であるが、フランス語ではLibertであり、「特権」の意味もある。革命前の「旧制度」の下で特権階級に反抗した新興階級が、新たな「特権」を得たからである。
アメリカの本家のイギリスには、「自由党」と訳される政党が、古くからあり、今もなおある。英語ではLiberal Partyである。この党が結成されたきっかけは、当時はイギリス王家の勅許を必要とした奴隷貿易を、「自由化」せよという新興業者の要求にあった。だから、英語の「自由」Libertyにも、同じ経過で「特権」の意味がある。
アメリカでは今、ラテン語系のLibertyよりもゲルマン系のFreeやFreedomが使われる方が多いが、同じ意味である。同じ用例があり、辞書にも「同義語」と注釈されている。
今、アメリカは世界中の「関税障壁」を破り、「自由貿易」を強要している。この場合の「自由」はFreeであるが、やはり似たようなもので、実際には「力の掟」なのである。言葉の虚飾を篩い落として事実を見れば、強い者が「自由気儘」に振る舞うのが、アメリカ流または欧米流の「自由」なのである。
今の日本で「自由と民主主義」を標榜する政党に「自民党」と「共産党」がある。おかしな話であるが、共産党の方が新参で、自民党または自由民主党の方が元祖である。
ともかく、日本人は、右も左もなく、この偽善に満ちた「自由と民主主義」を看板に掲げる習慣を身につけた。だから、右も左も、アメリカに関する判断を誤るのである。
問題点の核心は、基本的に、いわゆる権威主義にある。特に社会科学は、欧米追随つまりは欧米の御用学者への追随の上に、日本国内での御用学者の学閥への追随が重なるという御丁寧な重層構造の権威主義である。それがさらに歪むと右も左もない。歴史的事実とはまったく反する、呆れた果てた大嘘となり果てる。
欧米流「デモクラシー」とは何か?
私は、昨年の9・11事件よりかなり前から、この問題に興味を抱き、追究し続けていた。私は、常に実態から考え直すのである。
英語のデモクラシーの起源は、ギリシャのデモスクラトスにあり、これはデモス(「部族」とか「区」と解釈されている)とクラトス(権力)の合成語である。
ギリシャでは、現代のいわゆる「市民権」を持つのは人口の10分の1の征服民族の末裔のみであって、実態は少数の支配部族の内部の政治方式でしかない。「区」に配置された部隊の兵士の集団的な「権力」と理解した方が、歴史的実態に合っている。
つまり、自らも奴隷主の一般兵士の合議制権力なのであって、発生的には「奴隷」状態を象形した「民」を主権者であると思わせるような訳語は、決定的な間違いなのである。すでに「軍事民主主義」と呼んでいる研究者もいる。
アメリカ流「民主主義」とは何か?
アメリカ「民主主義」なるものの歴史的実態は、本章の冒頭に紹介したアメリカ製漫画本、『戦争中毒』にも、的確に描き出されている。原住民を騙し、殺し、駆逐して、ではあるが、「自由に土地を入手できる」条件の上に、黒人奴隷制を経済の基本として、初めて成り立っていたのである。日本語の訳題が『アメリカの民主政治』などとなっている歴史的な名著の著者、1880年代のフランス人のトックヴィユは、その実態を、基本的には個人主義なのであると見抜いた。歴史的な事実経過を見れば、人口の10分の1の支配層の制度の一つであったギリシャ民主主義と共通する欺瞞に満ちた差別支配、軍事貴族支配の一種の継続でしかないことが明確になる。
私は2000年秋、パレスチナ内戦勃発と同時に、東京は港区赤坂のアメリカ大使館前で英語の抗議演説をした。その時に、私は敗戦国の少年としてアメリカ民主主義を教え込まれたが、それが真っ赤な嘘だと知ったと言い、アメリカ民主主義については「デモクラシーよりも同じギリシャ語源ならデマゴギーの方がふさわしい」と、何度も繰り返してやった。これこそが「デモクラシー」の言葉の魔術を打ち破る最上の切り返しの秘伝である。
欧米流「文明」とは何か?
日本では「文明」と訳す英語のcivilizaionの語源は、ラテン語のcivitas(市民権)などの語群とともに、都市を意味する英語のcityと同じ語源から発している。やはり同じ語源のcitadelは、はっきりと城や砦を意味する。つまり、「文明」という言葉を使うにしても「都市文明」の方がまだ実態に近い。ラテン語の語幹のciviはcieoと同じ意味とされており、cieoには「召喚する」の意味がある。これもどうやら、兵役義務を負う「市民」に由来するのではないかと考えると、非常に分かりやすくなってくる。つまり、軍事的な征服集団の基地と財産こそが、英語の「文明」(civilization)なのである。
以上の理由により、決まり文句の「民主主義と文明を守る戦い」を語源および実態に即して解釈し直すと、軍事都市、語源は城塞に盤踞する軍事集団による農村の制圧となる。
私は、この連中の「クラトス」(権力)を、日本の小領主の侍の合議制と同じものと断定する。ギリシャでもローマでも、その合議によって、戦争が決定されたのである。むしろ、この方が、王制よりも、貴族=重装騎兵中心の貴族制よりも、さらに強固な結束を作り出せたので、ギリシャやローマの地中海周辺世界の制覇が可能になったのである。
このような政治制度を築いたギリシャやローマの地中海周辺世界の制覇の時代を、欧米では、「パクス・ロマーナ」、「ローマの平和」と呼ぶ。かくして今の今、古代のギリシャ・ローマと同様の政治制度を持つ超大国による「パクス・アメリカーナ」、または「新世界秩序」への「アメリカン・ドリーム」ならぬ悪夢の予兆が、世界を覆っているのである。
アメリカ「独立革命」の巨大なる幻想
以上のようなアメリカ帝国の現代神話の「三種の神器」を押さえた上で、さらにアメリカの歴史の真相を確認しなくてはならない。
アメリカの「独立」は、実はアングロサクソン集団の「分家」でしかないと理解すべきなのである。本家のイギリスよりもはるかに広大な地盤を確保したアングロサクソンの一派が、他の諸民族を従え、本家を上回る世界帝国への道を、まっしぐらに突進した結果こそが、現在の姿なのである。
この理解を阻む「巨大なる嘘」は、いくつもある。私が敗戦後の小学校で教えられたのは、初代大統領ワシントンの「逸話」である。しかし、ワシントン少年が父親が大事にしていた桜の木を切って、正直に告白したという話は、真っ赤な嘘で、大統領就任後の創作だった。ワシントンは、独立戦争当時には、奴隷制の大農園主だった。独立後の憲法が奴隷制を認めていたのは、理の当然だった。
歴史の概略を見直せば、ユーラシア大陸の北のはずれのヨーロッパ半島の、そのまたはずれの島国に盤踞した蛮族、アングロサクソンのそのまた分家は、独立後、広大な新領土に奴隷制農園を拡大し、原住民を殺しまくり、メキシコの領土の過半を奪い、スペインを挑発した戦争でキューバやフィリピンを奪って植民地にし、日本と琉球を大砲を積んだ黒船で脅かして開国を迫り、不平等条約を押しつけた。ハワイを植民地にした。
つい最近には、2000人のアメリカ人兵士を見殺しにする結果となった真珠湾攻撃を予知しながら、情報を隠して、攻撃を待ち受けていた。この情報隠しも、日本とドイツに対する開戦の口実が必要だったからである。狙いは、日本列島ばかりか、日本を浮沈空母としてのアジア大陸支配、ヨーロッパ大陸、つまりはユーラシア大陸全体への支配拡大だった。
「自由の女神」の正体は「侵略の烽火」が史実
以下、詳しくは直接、わが通信の次の全文を参照されたい。
http://www.asyura.com/2002/war16/msg/589.html
『亜空間通信』382号(2002・9・28)
【「侵略の烽火」が正体のアメリカ神話「自由の女神」の史実を現情勢に鑑み暴露】
アメリカ神話の象徴「自由の女神」の「伝説」も、真っ赤な嘘で、あの像は、最初、エジプトの領土内のスエズ運河の入り口に建てる予定で設計されたものだった。
たとえば平凡社1988年発行『世界大百科事典』「自由の女神」の項には「アメリカの独立100年祭を祝い、フランス、アメリカ両国の友好のために、フランス人の歴史家、ラブレーが女神像のアメリカヘの寄贈を提案、フランス民衆の募金をもとに彫刻家バルトルディ(1834~1904)が設計」などと説明されている。筆者の猿谷要さんは、「日本大学教授を経て東京女子大学名誉教授、駒澤女子大学教授」の経歴で、日本では、アメリカ史に関する大御所の位置にあるから、これが「定説」となっている。「麗しい美談」である。しかし、諺に曰く「美しい話には嘘がある」。
同じ年代の日本人でも、アラブ連盟東京代表部勤務などの経験者、阿部政雄さんの「アラブ通信」の説明を要約すると、「建築家」バルトルディは、スエズ運河の開会式で副王イスマイルに、エジプトの近代化の象徴として記念碑を建造する計画を話したが、エジプトの財政破綻もあって、この計画は実現できなかったのである。
以後の経過を、その他の電網情報から要約すると、次のようになる。
アメリカに自由の女神像を贈ろうという発案は、バルトルディがアメリカ贔屓のラブレーに送った手紙がきっかけである。米仏の政財界人を筆頭とする資金繰りの時点で、自由の理想で世界を照らそうという当初の構想が、ヨーロッパにおける普仏戦争敗北後のフランスの孤立状態の救いを、アメリカに求める外交術、もしくはアルザス地方を奪われた傷心を癒そうという愛国主義へとすり代わる。
この怪しげな裏話を抜きにしても、スエズ運河は、ヨーロッパによるアフリカ、アジアへの侵略の道であった。「自由の女神」は明らかにギリシャ神話風だが、「近代」ヨーロッパにおけるギリシャ神話の復古は、ヨーロッパと旧トルコ帝国の領域、イスラム圏、またはアフリカ、アジアの側から見れば、「侵略の象徴」なのである。
ギリシャ神話の女神風の像が掲げる松明は「侵略の烽火」に他ならない。ギリシャ神話の女神の名を頂くヨーロッパは、ナポレオンのエジプト遠征などで着々、イスラム圏への侵略の歩を進めたのである。
あの像が今、スエズ運河の地中海側の入り口に立っている様を、私は、想像してみる。欧米の「侵略の烽火」の象徴として「腐った卵投げ」の対象となること必至である。