『煉獄のパスワード』(5-6)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第五章 アヘン窟の末裔 6

 遺族を代表して長男の唯彦が会葬御礼の挨拶をした。よどみない言葉づかいも態度も、さすがであった。

 智樹はその時、陣谷弁護士と清倉誠吾憲政党幹事長が人混みを避けて、廊下の隅で話し合っているのに気付いた。智樹の位置からは二人の唇の動きが良く見えた。低い声で話すように努力しているようだが、読唇術を学んだ智樹にとっては声の大きさは関係なかった。だが、唇の動きを遠くから正確に読み取るのは難しい。分るのは断片的な言葉だけである。

 二人は明らかにいい争っていた。

〈……君の独断……〉と清倉が怒っているようだった。

〈……しかし、……急なこと……〉と陣谷が弁解していた。

〈なぜ止められなかった……〉

〈それは、……あの老人が……〉

〈世間に知れたら……〉

〈しかし、……あの老人が…マカ……と気付く者は……〉

〈君……〉と清倉が周囲を見回す。

 話しはそれで終わりであった。清倉の態度は何か問題を解決しようというよりも、ただ当面の憤懣をぶっつけたいという感じであった。しかし智樹には充分な判断材料ができた。会話はそれまでの動きを補って余りあるものであった。二人とも《…マカ…》老人の正体を良く知っている。弓畠耕一の告別式に老人が参加するといい出したのは《急なこと》であった。老人の正体が《世間に知れたら》という心配がある。しかし、分る人は少ないはずだ。なぜか。それは老人がかっては名の知られた人物であったが、今は知る人が少ないということであろう。すると老人はなにかの理由で長い間、世間から姿を隠していたということになる。

〈興亜……協和……マカ…〉と智樹は何度も口の中で繰返した。ギクリとする。

〈まさか〉と思う。

〈そうだ。立泉さんは〉と智樹は元陸軍参謀小佐、元自衛隊陸将の立泉匡敏を目で探した。立泉の先程の様子は明らかに老人の正体に気付いたことを示していた。

 丁度、弓畠唯彦の遺族代表挨拶が終わり、最高裁事務総長が最高裁葬の主宰者としての御礼を述べていた。

 立泉は直ぐに見付かった。というより智樹は立泉が自分の方を見ているのに気付いたのである。その目は智樹と清倉や陣谷との間を行き来していた。立泉が清倉らを見ていて智樹の注視に気付いたのか、それともその逆か、ともかく智樹が清倉と陣谷との立ち話しに興味を抱いたのに気付いている。どうやら立泉の関心事は智樹のそれと同じ所にありそうだった。

 告別式が終わり人波が崩れるのを待って、智樹は立泉に近付いた。

 立泉とは防衛庁を退官してからも、二、三度、公式の場で顔を会わしていた。立泉はもう、智樹の退官のいきさつにこだわったりはしなかった。再び智樹の父親の後輩という立場に戻って、智樹に暖かい声を掛けてくれるのだった。しかしまだ、個人的に打解けた話をする機会には恵まれずにいた。

「御無沙汰いたしまして。最近のお仕事拝見しています」と智樹は手短かに挨拶した。

「いやあ、久し振りですね。相変らず元気でやってますか」と立泉は智樹との再会を率直に喜んでいた。「僕らの年になるとね、葬式が臨時の同窓会みたいになってしまう。半分は昔の顔見知りに会うために出てくるようなもんですよ。どうです。そこらでお清めしていきませんか」

「はい。ご一緒させていただきます」

 立泉と智樹は並んで歩き出した。会葬者の人波は一様に同じ向きで青山通り方面の出口を目指していた。歩きながらそれぞれ旧知の間柄同士で挨拶を交わしていた。立泉に挨拶するものもいた。智樹は角村元陸将が平行して歩いているのに気付いた。しばしのためらいの後に、一応声を掛けた。

「ご無沙汰致しております。先程お姿を拝見したのですが、ご挨拶が遅れまして。相変わらずお元気そうで、なによりです」

「おお、君か」と角村はギクリとした表情を見せた。「君も元気なようだね。今は山城総研だったね」

「はい。何とかやっております」

 角村は智樹と話しながらも上の空で、その目は誰かを追っていた。どうやら前を歩いている清倉たち政治家グループらしい。彼等は駐車場を目指して左手に折れた。角村も後に続いた。智樹は角村の動きも見定めたかったが、そちらは断念せざるをえない。

 青山通りへ出て会葬者の人の群れもまばらになった頃、そば屋の看板が目に入った。

「そこでどうです」と立泉も目敏く見付けて誘う。

「はい」と智樹は答えて先に立つ。格子の上のガラス戸越しに店内を見る。「空いてますね。どうぞ」と立泉に声を掛けて戸を開ける。

 落着いた造りの感じの良い店であった。中にはすでに何組かの喪服の客が座っていた。智樹と立泉は奥座敷に上がり、ざるそばとビールを注文した。しばらくは共通の知人の消息を交換しあった。立泉は機嫌が良かった。ビールの追加を注文し、智樹に注ぎながら、

「その後はどうですか。……しかし、惜しいな。僕の方でも、君には期待していたんですが、……。今時、戦史理論を本格的にやる人は得難くなっているんでね。目の前の実利に目を奪われているばかりの若者が増えた。軍事学は、その内に滅びる学問かもしれませんね。また、その方が良いのでしょう。戦争が無くなる時代を期待しなくちゃいかんのですからね」

「しかし立泉さん、大きな書店に行きますと、防衛関係とか経営戦略とか、かなりの新刊書が出ていますよ。私も読み切れない程です」

「いや。それがほとんど実利型なんです。僕も出版社から頼まれるんで、その種の本を何冊か書きはしましたが、どうも過去の知識の切売りをしているみたいで、恥ずかしくていけません。今では元軍人が先を争うようにして、なぜ日本軍は惨敗したかなんてことを得々と書いている。読む方は読む方で、戦争の失敗の経験を経営の成功に生かそうという魂胆なんですね。本当の反省ではない。侵略戦争に対する心からのお詫びではない。それが浅ましい感じなんです。僕は本当の理論研究をしたいのだが、今時はプラグマチズム流行りで、あまり古今東西に話を広げると嫌われるらしい。編集者の話では、そういう風潮は軍事学だけじゃなくて、他の分野でもそうなんだそうです。いわゆる軽小短薄時代というのですかね」

「雑誌の随想でマキャヴェリの『政略論』に触れておられましたね」

「ああ、あれを見て貰えましたか。有難う。それで、……失礼ですが、君は『政略論』を読みましたか」

「いえ。『君主論』止まりで、……。『政略論』の方は書名だけ知っていて、いずれ読みたいとは思っているんですが、単行本が手に入らないとか……」

「そうなんです。これも今の日本文化の不幸の一つですね。古典全集と選集に入っているのが絶版でしょ。岩波文庫では『ローマ史論』という訳題ですが、これも三十年来品切れのままです。名著を常に安く提供するという文庫本本来の趣旨に反しますね。ところが、この『政略論』の方がマキャヴェリの主著なんでして、長さも『君主論』の五倍はあります。『君主論』はその抜粋に過ぎないといっても良いぐらいですし、世間的な意味では趣旨が違っています。ともかく両方ともマキャヴェリの生きている内には出版されていないんですから、その点はクラウゼヴィッツの『戦争論』と同じです。そういう古典は著者の生涯を味わいながら、じっくり読む必要がありますね。日本では『政略論』とか『ローマ史論』と呼ぶ習慣になっていますが、あちらの省略名の直訳はニコロ・マキャヴェリの論叢集、ソウはくさむら、ですね。最初の題名はもっと長くて、ティトゥス・リウィウスという歴史家の書いたローマ史論の最初の十巻に関する論叢、論叢は複数形なんです。『君主論』と対比するには『ローマ共和国論』と名付けた方が良いくらいの内容ですね。僕はイタリア語はやらなかったので、今、英語訳で味わいながら聖書のように毎日少しづつ読み直しています。注文する時に英語の新刊書目録を見ましたが、『君主論』だけでなく政略論』も、ハードカバーからペイパーカバーの文庫本まで何種類も出ていますね。今でも古典の必須文献なんでしょうね、あちらでは」

「そうですか。マキャヴェリは、その他にも『戦術論』とか『フローレンス史』とか、コメディまで書いているそうですね」

「『戦術論』は英語訳の『アーツ・オブ・ウオー』を丸善で注文しました。コメディは今でも上演されているそうですね。イタリアではマキャヴェリは大変に偉大な思想家として尊敬されています。歴史的な偉人なんですよ。単なる権謀術数を説いた陰謀家のイメージではないんですね。ヨーロッパ全体としても近代政治学の始祖という評価が確立しています。僕は今、マキャヴェリからクラウゼヴィッツを経て現代にいたる軍事思想の体系を考えているんですよ」

「なにか最近、そんなものがアメリカで出たとか聞きましたが」

「ええ。しかし、あれは共同執筆の論文集です。僕は一人でまとめたい。軍事学を単なる技術論としてではなく、もっと深い、人類の悲劇の歴史として考えたいんです。そして、そこから日本の近代の軍国主義を全面的に評価し直したい。君も知っての通り、日本の軍事指導者は最も初歩的な所で決定的な誤りを犯したわけですから、これを完膚無きまでに批判し尽くしたい。

 軍人が政治に口を挟んではいかんということは、マキャヴェリもクラウゼヴィッツも口を酸っぱくして繰返しいっていることです。『孫子』の冒頭にも〈兵とは国の大事なり〉としていますし、〈兵久しくして国の利する者は、未だこれあらざるなり〉とか、〈用兵の害を知らざる者は、用兵の利をも知らざる者なり〉などときつく戒めています。日本でも同じです。もともとこのシビリアン・コントロールの原則は、軍人勅諭にも明記されていることです。

 危険度はますます高まっています。たとえていえば、電気のスイッチぐらいのものが、今では原子炉の核融合制御棒になったようなものです。そういうコントロール機能なしには電気も核エネルギーも使用してはならないのです。この大原則を誰が、なぜ、どのようにして踏みにじったのか。この点を単に平和主義の立場からではなく、純軍事学的な立場からも正確に評価して置きたい。後世のためというと口幅ったいが、これは僕の最後の生き甲斐ですね」

 智樹は立泉の若々しい情熱的な話し振りに、すっかり押されてしまった。怪老人の正体について聞くために近付いた自分の魂胆を悟られるのが恥ずかしくなり、ますます切り出しにくくなっていった。追加のビールが無くなると、立泉はさらに智樹を誘った。

「どうです。これから僕のうちまで来ませんか。なかなか会えないでしょうからね。久し振りにゆっくり話をしましょうよ」

「はい。お供しましょう」

 勘定は任せろという立泉に敢えて逆らわず、智樹は通りに出てタクシーを止めた。

 智樹は防衛研修所の教官時代に、世田谷区の桜新町にある立泉の自宅を訪れたことがある。普通の地味なモルタル塗りの二階屋で、立泉の人柄を表わしているようだった。昔なら将軍様の扱いで、華族に列することもあった身分である。いまでも自衛隊の将官ともなれば、一流会社の重役並の住まいを建てるものも珍しくはない。しかし立泉は、書庫のみが人並外れという住いだけで、大いに充足している風だった。


(6-1) 第六章 カイライ帝国の亡霊 1