『煉獄のパスワード』(3-6)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第三章 最新指定キーワード 6

 小山田は夕食後に、西谷禄朗の自宅をのぞいてみようという気を起した。

 厚生省引き揚げ援護局のデータによると、西谷の住いは渋谷区丸山町のアパートである。電話番号も載っていたが、掛けてみると誰も出なかった。データで見る限りでは、西谷は独り住まいのはずであった。中国に妻と子供が三人いるのだが、呼び寄せていないらしい。職業欄も空欄のままであった。なにか中途半端な感じなのである。

 それだけではなく西谷は、中国残留孤児の訪日調査の中でも、非常に珍しい例であった。当局は《十九回で初のケース》と発表し、そのことは新聞記事にもなっていた。データベースにも打込まれていた毎朝新聞の場合、《ぼくは母さんと中国で会った》という大見出し、写真入りで六段抜きの扱いである。だが本来、母親が健在ならば身元が判明していることになり、肉親捜しの訪日調査の対象とはならないはずなのである。

 ところが騒ぎは最初だけで、あとはパッタリ。当局資料にも、他の肉親が判明したともしないとも、全くその後の経過が記されていないのである。あるのは、氏名、年齢、現住所、電話番号のみ。……そして半年後、西谷は死体となって発見された。その間、西谷は一体何をしていたのだろうか。どうやって収入を得ていたのだろうか。どういう理由で独り暮らしをしていたのだろうか。

〈これは何か裏があるぞ〉

 ベテラン刑事の第六感にピーンと来るものがあった。

 小山田は夕食もそこそこに、データの束をつかんで電車に飛び乗った。山手線の品川から渋谷までである。空席が無かったのでドアの脇に立ったまま、もう一度データの束をめくり、念入りに目を通す。

 毎朝新聞の記事には、《中国残留孤児の劉玉貴さん(推定四四歳)》と書かれており、西谷の日本名は記されていない。つまり、この時点では、日本名が判明していないことになる。だが、資料のどこを見ても、いつ、どういう経過で日本名が判明したのかが、全く分らないのである。捜しに来た肉親については、単に《東京都内に住む父親》と記されているのみである。母親が中国におり、何度か会っているというのに、何故父親の名前が分らなかったのであろうか。それとも、内密にして置かなければならない事情でもあったのだろうか。

 最初の厚生省の発表では、《父母》を捜しに来たことになっている。母親と会ったという証言は、どういう状況の下でなされたのであろうか。もともと、中国側の《孤児認定》の作業では、どうなっていたのであろうか。おかしなことが多過ぎる。あまりに不自然なのである。

〈コツ、コツ、コツ、コツ、……〉

 自分が意識せずに立てている物音に気付いた。慌てて右手を引込めてポケットに入れた。何かをコツコツ叩くのは、考えを集中する時の小山田の癖だ。普段は机が相手であるが、つい夢中になって、握り拳の中指の角で電車のドアの縁を叩き続けていたのだった。左手はデータの束を握り締めている。こちらも思わず力が入っている。

 今度は、右手をポケットの中で握りしめて、また考え続ける。

「……渋谷、渋谷。……線ご利用のお客様は、お乗換え……」

 車掌のアナウンスで、小山田は再び我に帰った。

 渋谷区丸山町。地図で見ると、井の頭線に乗換えて一駅の神泉駅からの方が近いが、小山田はそのまま渋谷駅から歩くことにした。丁度良い運動になる距離だ。道玄坂を登って左に横町を入ると、途端に古くて狭い道並になる。登り降りが激しい。安普請のアパートやマンションが崖っ縁にぶら下がるようにして無秩序にひしめき合っている。新宿、渋谷、池袋などの、戦後に急速に発展したターミナルの裏に控える典型的な《ねぐら》地帯である。

 西谷のアパート、第二神泉荘はすぐに見付かった。急斜面の石段の上で、建ててから三、四十年は経っているに違いない。あちこちが崩れ始めた二階建ての木造アパートである。一戸が四畳半にガス台と便所だけの広さと見えた。目当ての二〇八号は二階の一番奥で、表札入れに《西谷禄朗》と書いた紙が入っていた。街灯の明りではっきりと読めた。墨黒々と筆字。素人目にも見事な書体である。

〈中国では、西谷はどんな仕事をしていたのだろうか〉

 と小山田はとっさに思った。字が上手だと、それだけで何かの資格があるような気がする。同じ漢字文化の下で育った感覚である。しかも、中国流かどうかは分らないが、達筆だから、それだけで一挙に西谷に対する認識が改まる感じである。

 念の為にノックをし、返事が無いのを確めて、ノブを回してみる。間違いなしに施錠されたままである。二階と一階のドアを全部見て回る。管理人の表示はどこにもなかった。二階に戻って、二〇七号のドアをノックした。ドアには覗き窓は付いてなかった。

「はい。どなた」

 と気怠い女の声がして、ベニヤ貼りのドアが少し開いた。化粧は落としたままだが、水商売らしい中年女性の顔が奥から覗いている。内側には鎖錠が掛かっていて、それ以上はドアが開かないようになっていた。

「お休みの所、夜分恐入ります。警察のものですが、お隣の西谷さんのことで、一寸伺いたいことがあるのですが」

 と小山田は警察手帳を示した。女は露骨に迷惑そうな顔をした。

「うちは特にお付合いはありませんけど……」

「挨拶ぐらいはなさるんでしょ」

「それはしますけど……」

「最近見掛けませんでしたか」

「そうですね。一週間程見掛けなかったかしら。でも、お互いに出掛ける時間が食い違ってるから、珍しいことじゃないですわね」

「管理人とか大家さんとかは、どちらに……」

「会ったこともないですわ。不動産屋さんに紹介されて入居して、家賃は銀行振込みですから」

「皆さん、そうなんでしょうか」

「さあ、他の人のことは知りませんけど……」

「そうですか。それじゃ、その不動産屋を教えて貰えませんか」

「ええと、駅の向う側の、そうそう、米屋の不動産部ってのが面白くて覚えてるんだけど。名前は、……原だったか、原田だったか……」

「それだけで分ると思います。駅ってのは、神泉ですね」

「そうですよ」

 と女が怪訝そうな顔をしたので、小山田は、

「いえ、私は渋谷駅から歩いてきたもんで……」

「あら、そう。ご苦労さんです」

「どうも有難うございました。もし西谷さんが戻られたり、誰かが訪ねて来るようでしたら、ここへ電話していただけませんか」

 と用意の紙切れに書いたメモを渡すと、女はこれで用済みと思って安心したものか、急に好奇心をのぞかせた。

「お隣に何かあったんですか」

「いえ。一寸参考に聞きたい事があるだけです。どうもお邪魔しました」

 と小山田は丁寧に頭を下げた。

〈俺には無愛想だったが、どんな女なのだろうか。また会うことはないのだろうか〉

 などと口の中でつぶやきながら、階段を降りた。階段は鉄製でベージュのペンキが剥げ、一面に赤錆が浮出していた。

〈この階段を西谷は上がり下りしていたのだ。半年間ずっとだろうか、二、三ヶ月だろうか〉

 と想いをめぐらす。被害者や犯人の立場に身を置いてみるのも、小山田の密かな楽しみの一つである。聞込み捜査は無駄骨を折ることが多いものだが、その分を、想像の楽しみで補っている按配であった。

 不動産屋はすぐに分った。

 原島米穀店が先ずあって、その隣の小さな別棟に原島米穀店不動産部という看板が掛かっていた。だが、もう店は閉まっているし、中は真暗で誰もいない。間口一間、奥行き一間、一坪の事務所に狭いドアが一つ。残りのウィンドウ一面に物件案内が貼ってある。見慣れた風景だ。小山田は、独身の頃に警察官舎暮らしが嫌になって、《三畳》のみで食事付きの下宿屋を探したものである。その頃は一畳千円が相場であった。それ以来、機会さえあれば、この種の不動産案内には必ず目を配っていた。土地勘を鍛えるためというのが最初の仕事上の名目だったが、実際には趣味の様な習癖となっている。《四・五 G・W》に目を走らす。一ヶ月二万八千円が一つだけで、他は三万円台である。地理的に便利なだけに相当に高い。小山田の自宅のそばの品川の裏町ならば、まだ一万円台もざらにある、などとチラチラ考えながら、

「誰もいなけりゃ仕方無いか」

 と独り言。諦めかけた時に、隣の原島米穀店の方に目が行った。奥が住まいになっているらしい。雨戸から明りが漏れていた。

「おう。米屋の家族か同居人が不動産部をやっているってことも……」


(4-1) 第四章 過去帳の女 1