《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!
電網木村書店 Web無料公開 2004.1.5
第五章NHK《宮廷》の華麗なる陰謀を撃つ 9
くさいイタリアにフタをする気か
結論を急ぐ前に、もうひとつ、イタリアの例を垣間みてみよう。
イタリアの国営放送(RAI)の改革は、一九七五(昭和五十)年四月のことで、つい最近といってよい。しかしこの場合、NHK発行の資料による紹介は、とても積極的といえたものではないのである。
まず、オランダの場合とちがって、『文研月報』毎年一月号の「海外放送界の現況」のイタリア放送協会(RAI)の注釈には、改革後の状況が書かれていない。
もちろん、NHKがイタリアの状況をつかめなかったわけではない。『文研月報』(’75・6)は、「NHKローマ支局発、一九七五・四・一二」という発信先いりの記事で「伊放送協会の改革案が成立」と報じている。ただし、この記事は、法案成立直後のもので、続電がなく、まだ内容がはっきりしないところがある。しかも、読者側として最大の不満は、これが単独記事の扱いとならず、「海外の放送界」という欄にははいっているが、トップ記事にされておらず、その他多勢扱いのため、目次にはまったく現われなかったことである。わたしも一度は見落したのだが、当然である。見落したのはわたしだけではなく、某研究所のファイルでも、「事項索引」にもはいっていないという結果を招いている。
単独の記事にするか、トップ記事にするか、ほかのと一緒クタにするか。こういう判断がジャーナリズムにとって、大変重要だということは、論ずるまでもない。いわゆる「格落ち」は、何らかの意図ありと疑われても仕方ないことなのである。
NHKがイタリア国営放送について、早くから、もっとくわしい情報をえていた証拠を紹介しつつ、イタリアの放送の実情にせまってみよう。一九七五年四月の改革直後に、『綜合ジャーナリズム研究』(’75・秋季号)は「イタリア国営放送・RAI、その改革の動きとカラー方式問題」をのせているが、編集部名での協力者への御礼の中に、「NHK外信部ローマ特派員柳沢修氏、東京外信部デスクの田中至氏」の名がみえる。そして、この記事では、報道番組のあり方について、よりくわしい説明がなされている。
「政治番組に関しては『監理委員会』の監督下で運営される。報道番組では、総局長のもとでテレビに二つ、ラジオに三つのニュースデスクを新設、各デスク間を競争関係に置くと同時に、主なニュースについて視聴者が賛否双方の意見を聞くことができるようにする。政党、地方代表、労働組織、市民、人種団体らは放送の空き時間に自らの意見を発表することができる。
また、誤った報道がされた当事者には、訂正を要求する権利が認められる。コマーシャルはテレビ、ラジオとも全放送時間の五%以内におさえられる」
つづいて、『国際電気通信連合と日本』(’76・7)は、特集「欧米テレビ界の動向(4)~西ヨーロッパにおける“開かれた”放送への動き~」をのせており、執筆者の西沢茂を、「日本放送協会総合放送文化研究所」の所属と紹介している。
イタリアの、一九七五年の放送改革の結果も面白い。
「議会のRAIに対する監督を実際に行なうのは、各党の議席数にもとづいて選出される四十人の両院議員で構成される議会監督委員会で……(略)……キリスト教民主党十六人、共産党十一人、社会党四人、ネオファシスト党三人、社会民主党二人、自由党一人、共和党一人、南チロル人党一人、独立左派一人。……(略)……各州ごとに地方番組について意見をのべる地方番組委員会が設立されている。……(略)……報道番組は、従来ひとつの報道部局で編成していたが、……(略)……各系統ごとにそれぞれ独立のニュース部門を設け、互いに競争するように改められた」(『文研月報』’77・5)
なお、イタリアの選挙制度は、全国区、地方区ともに比例代表制をとっているのだから、放送局の「監理委員会」制度には、一応の民意が比例配分で反映される結果になっている。しかし、その後、「議席数が少ないか、もしくは議席をもたない政党」(同前)と目される団体も、私設放送局をつくりはじめた。私設の「ラジオ局の数はおよそ二千、テレビ局は四百近くもある、と伝えられている。政党の所有している局や、政治、社会運動グループの局もあるが、全体の七十%は商業局」(同誌、’78・8)というから、その数もすごい。
しかも、この数の中には、いまや「カトリック系」とか「共産党系」とされるものも含まれているらしいのだ。「一九七六年テレビ放送法が改正され、全国各地に次々と民間放送会社が設立されたおかげで、イタリア人の生活リズムが狂い始め、二百万といわれる失業者の中には昼間寝て、夜はバッチリ起きてポルノを楽しんでいる者が結構多いらしい。……(略)……
もちろんテレビ局のすべてが大胆なフィルムを見せるわけではなく、カトリック系のテレノバと共産党系のテレミラノは今日でも頑としてポルノに抵抗している」(『朝日新聞』’79・11・22)
これは、フランスのAFP電による最新情報である。イタリアの検閲制度は深夜十二時までしか有効でないため、かなりの露出度のようである。しかし、ポルノでも評判にならなければ、イタリアの放送の実情を垣間みることができぬというのも、また殺生な話ではなかろうか。こちらの情報源についても、「露出度」を高めていただきたいものである。新聞によるイタリアの放送制度の紹介も、当初の外電以外は、ポルノさわぎ以外に見るべきものがないのである。
伊藤正己の「放送通信制度研究会」も、その他の放送文化基金の援助を受けている団体も、オランダとイタリアに調査団を派遣したらどうだろうか。郵政省も、NHKも、放送文化基金も、「クサイものにはフタ」の姿勢を疑われたくなければ、外国の実例を、積極的に紹介すべきである。
しかし明らかに、事態は逆に動いているようだ。まず、この間、一九六八年三月をもって、NHK発行の『海外情報』誌は廃刊となった。
ついで、イタリアの放送改革が起こった翌年の一九七六年八月以来、やはりNHK発行の『放送文化』誌(五万部発行の大衆向け雑誌)からも、「海外放送事情」特集欄は消え、雑報のなかに「海外放送バスケット」コーナー一頁をのこすのみとなった。しかもこの『放送文化』誌は、筆者が眼を皿のようにしてページをめくった結果、万一の見落しさえなければ、その後一度もイタリアの放送改革をとり上げてないのである。
もっとも、NHKが毎年、版を改めて発行する『世界のラジオとテレビジョン』は、イタリアの放送制度を紹介している。だから、NHKからは、情報制限はしていないという返事がかえってくるだろう。
しかし、NHKが『世界のラジオとテレビジョン』という単行本を、せっかく年鑑風に毎年、版を改めるのなら、ぜひ最新情報を書いてほしいものである。それは、たとえば毎年の議会監督委員会四十名の「党派別人数」である。載せないということになると、NHKも、あれだけ選挙報道に熱心な放送局なのであるから、「載せない」理由をカンぐられても、仕方あるまい。
つまり、NHKがおそれ、その背景の郵政省なり自民党なり財界がおそれているのは、イタリアの放送制度の形式そのものでもあるけれど、そこに「共産党十一人、社会党四人」というような「議会監督委員会」のメンバー構成の実情があることらしいのである。
オランダやスウェーデンなどの、諸団体による放送時間の分割という制度は、それだけでは、日本の支配層にとって、直接の脅威ではなかった。同じヨーロッパとはいっても、小国のことだし、政党もイギリス労働党流の「穏健」なところである。しかし、イタリアとなると、やはり名門国で、しかも日本人には人気のある国柄である。加えて、彼らの眼には「過激」な共産党の進出する国である。共産党議員が大量に参加する議会監督委員会に、伝統ある「公共放送」がゆだねられるとあっては、必死の情報コントロールにまわらざるをえない。
こういったところが、真相であろう。若干の「情報洩れ」は仕方がない。いまの世界では、左翼のルートもあるのに、情報を完全に押えることは不可能である。少数者対象の専門誌にかぎって、目立たぬ紹介にとどめておけば、いいのがれのためにも、なにかと都合はいいわけである。
「よらしむべし、知らしむべからず」のスローガンは、かくてNHKとともに生き続けているのだ。