『NHK腐蝕研究』(5-6)

《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!

電網木村書店 Web無料公開 2004.1.5

第五章NHK《宮廷》の華麗なる陰謀を撃つ 6

NHK幹部の“高等戦術”

 たとえばNHKは、赤字予算の計上という事情もあり、一九七五(昭和五十)年の春から、『あなたのスタジオ』という視聴者参加番組をはじめた。

 この年は、たまたま、のちにふれるイタリアの国営的公共独占放送RAI改革の年でもあった。すでに前年の一九七四年七月十日に、イタリアの憲法裁判所は、「自由で不偏不党かつ国民各層を代表する意見の表明がなされているならば、国家による放送の独占自体は憲法に反さないが、“現状の運営”では違憲である』(『国際電気通信と日本』’76・6)という判決を下し、改革の方向性を明らかにしていた。

 NHKの『あなたのスタジオ』は、一見、こういう時代に先駆ける努力のようにみえた。

 だが、だれかがホンネを洩らしてくれるものである。

 「諸君らは、赤字を恐れた協会が視聴者におもねるあまり、やたらと視聴者参加番組をつくってゴマをすっていると思っているかも知れない。……(略)……しかし、実際はそうじゃない。これは協会の高等戦術なのだ。タテマエとしては、確かに、視聴者が企画し、視聴者が演出し、視聴者が参加して、制作し放送するということになっている『あなたのスタジオ』ではある。しかし、実際には,NHKはそんなに簡単にシロウトにスタジオを明け渡すようなことはしないから安心してほしい……」(『テレビは魔物か』)

 この発言は、NHKの「ある幹部」によるもので、一九七五年の「二月、NHKが東京の砧(きぬた)にある中央研修所に、全国の地方局から中級の記者やプロデューサーを集めて行なった『マスコミの課題研修』という研究会の席上」(同前)でのことという。『テレビは魔物か』の著者(取材班の代表)、角間隆は、NHK総合放送文化研究所に勤務していたので、内部告発ということになるようだ。

 「ある幹部」のホンネは、さらにつづいている。

 「いかにパブリック・アクセスといっても、ものには限度があります。アメリカなどでは放送参加を申しこんできた人や団体に対しては、ほとんどの場合これを許可しているようだが、NHKは参加者を厳しく選択するつもりです。もしNHKにとって 都合の悪い出演者(斜体原文傍点)が参加を申しこんできたとしても、うまくお引き取り願う方法はいくらでも考えられる。たとえば、《一年先まで予定がぎっしり、いっぱいつまっています》とか何とかいえば、いかに熱心なアクセス志願者でも、そのうちにいや気がさしたり、熱がさめてくるだろう。それからまた、万一、彼らがスタジオに入りこむことに成功したとしても、あくまでシロウトはシロウトにすぎないんだから、われわれがコントロールできる余地は、いくらでも残されている。カメラひとつ動かすのも、副調整室にすわっている技術陣も、すべてNHKの正式職員なんだから、結局のところ、最後は放送のクロウトの勝ちということになるんじゃないでしょうか」(同前)

 背筋がゾクゾクするほどの、“ホンネ”の連続である。もっとも、ここに書きうつしたのは、角間隆が「研究会」の参加メンバーから取材した部分であるから、まだ、NHKは知らぬ存ぜぬをきめこめるかもしれない。

 ところが、角間は念のためにNHKの公式記録として、正味二十一時間のこの講義と討論をたったの四ページに要約した『中研通信』(’75・3)からも、つぎのような抜粋をしている。

 「新年度から登場する『あなたのスタジオ』では、取材・演出を大幅に視聴者のグループに委ねるが、NHKとしての編集権は、その社会的責任の重大さの認識のうえに立って、絶対に守っていく。大衆の圧力の中で右顧左眄することが、戦術的には(斜体原文傍点)あるとしても、よい番組を作っていくという主体性は堅持したい」(同前)

 角間は、「戦術的には(太字原文傍点)」という部分に、傍点を加えている。これは、さきの「取材」による発言の「協会の高等戦術」と照応する文句である。ホンネの発言はうたがいなく、「協会の高等戦術」の方だったにちがいない。

 NHK高級職員と、かのKDD高級職員と、同じ逓信族として、どちらが格が上かは知らないが、まずはNHKの方に古ダヌキ型が多いにちがいない。戦前から、そして戦後の新聞・放送単一労組の停波スト、アメリカ軍の武力干渉、レッドパージという、時代の大波をくぐりぬけてきたのだから。そしていま、長期にわたるNHK批判を浴びつづけ、それを切り返しつづけているのだから。

 たとえば、この一九七五年には、さきにも紹介した「NHKを私たちのものにするため値上げに反対する連絡会議」が、「全国放送市民センター」、「NHK視聴者会議」、「テレビを告発する会」の三者共同の呼びかけで発足した。それぞれに、NHKへの批判を抱くなかで、連絡会議の代表者となった永畑恭典は、みずからの出版人(平凡社編集部)としての個人体験をも語っている。

「私は著作権審議会の委員で、おたくの社長とは、いつもその会でお目にかかっている」(『自由』’76・5)

 これが「NHKの職員」の、仕事上の紛争に際しての発言だというのだ。これはたしかに、かの有名なKDD職員の税関における「KDDを知らぬか」の暴言よりは、はるかに“洗練”された表現にはちがいない。だが、それだけにかえって、一生涯許せぬ程にハラワタがにえくりかえることもあるのだ。

 さて話はもどって、NHKの「アクセス権」に対する姿勢は、これで明らかになった。アメリカよりも範囲を狭くする。そして「高等戦術」によるクロウト的処理法をほどこす。「NHKとしての編集権」なるものは「絶対に守る」という「主体性堅持」の立場を貫くのである。


(5-7)タレント学者の兼業と結託