『NHK腐蝕研究』(4-4)

《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!

電網木村書店 Web無料公開 2004.1.5

第四章 NHK《神殿》偽りの歴史 4

シンフォニーとともに宿命の《鬼っ子》誕生

 ひるがえって日本のラジオ時代の開幕も、決して当初から、シャッチョコバリの陰惨な軍事番組が目白押しだったわけではない。広告ポスターには、大正期のモガ・モボの雰囲気も見られる。新結成の日本交響楽協会(日響)には、《JOAKオーケストラ》と、のちには“敵性語”と呼ばれるような通称がつけられた。月額三千円という「びっくりするほど高額」(『放送五十年史』紙恭輔団員談)の補助金も出された。いまいう“日本薄謝協会”の高慢ちきな態度からは、とても想像もできない程、芸術家を大事に扱ったようである。

 そして、それらの華麗なる都会風音曲の演出よろしく、日本天皇制は再生したのである。天皇制の歴史は、古代、中世、近世と、変遷をとげてきた。近代のはじめには、明治の絶対王政的位置付けがある。そして、日清、日露、第一次世界戦争、ロシア革命、米騒動、共産党一斉検挙、関東大震災での違法戒厳令下における朝鮮人・中国人・社会主義者の虐殺等々を経て、普通選挙の即時実施を求める《大正デモクラシー》の大波は、権力の座を揺るがし続けた。そのような激動と危機の中で、やがて天皇の“御声”を伝え、皇軍の“転戦”を戦果として報ずるラジオが、宿命の誕生日を迎えたのである。

 本放送第一日目の主要プログラムには、謡曲「羽衣」、新作歌舞伎「桐一葉」、ベートーベンの「第五シンフォニー」とある。

 この時、やがて血に染まるであろう「糸を見て泣く」識者は、何人いたであろうか。翌年にはすでに、つぎのような事態もあったらしいのだが……

 「一九二六年の五月初旬、イギリスでは炭鉱争議に始まったストライキが二百五十万の労働者に波及し、運輸、交通、新聞、電気、ガスなど、いっさいの生活必需条件がストップして、暴動前夜のような非常事態が続いた。このとき、イギリス放送会社(BBCの前身)は、全国放送網を通じてゼネストの経過、政府の措置、食料配給などのニュースを刻々放送した。ラジオはみごとな効用を発揮したのである。このゼネスト直後の五月二十日、安達逓相はみずから東京放送局のマイクを通じ、『放送事業とその将来』という放送を行った。安達は、イギリスのストライキの実情を紹介して放送の効用を述べたあと、もし関束大震災の際ラジオがあったら、わが国においても災害の実態は速やかに報道され、生活物資の配給は円滑に進み、国民の動揺は非常に軽減されたことであろうと述べた。

 このように、全国放送網の設置はすでに欧米先進国の大勢であり、政府も、放送の『偉大ナル伝播力』と『深刻ナル徹底力』という効用を熟知していた」(『五十年史』)

 この点についても、立場と状況が違えば、同じ結論にはならないだろう。すでに関東大震災の研究では、朝鮮人暴動説の出所は内務省・警察当局であり、一部新聞社の号外報道によるデマの拡大さえ確かめられている。問題は権力の意図であり、マスコミ機関《所有者》の政治的立場に他ならない。だからすでに、ラジオ発足時の裏面史を探った征矢野仁は、つぎのように警告しているのである。

 「大震災の際には、基本的には同じ技術による電信施設は、都心部で崩壊したのである。そして、船橋送信所から発した電信こそが、大量虐殺の指令となったのである。

 自動車と騎馬警官隊という、当時最高の装備に恵まれた警察組織が、憲兵、軍隊を配置し、『内務省警保局発』の電信文を、船橋送信所に届けたのである。むしろ、ラジオが活用され、それが電信文と同じアナウンスを、演出よろしく発表したら、惨害は、とどまるところを知らなかったかもしれないのである。そしてその危惧は、単なる空想とはいえないであろう。なぜなら、NHKラジオは、うたがいもなく、『鬼畜米英』、『非国民』よばわりと、『大本営発表』の場になり、二発の原子爆弾まで呼びよせる戦争の道具となったのであるから」(『読売新聞・日本テレビグループ研究』)

 内務省警保局長名による電文の典型例は、つぎのようなものである。戦後の米軍による押収で明るみに出たものだが、マスコミは取り上げていない。

 「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」(『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』)

 ところで、NHKは昨年七月に、「政府、之ヲ管掌ス――知られざるラジオ時代」の八十分ドキュメンタリーを放送した。つづいて「自由への一七五二日――放送法はこうして作られた」の八十分もあり、この二本が、放送法施行三十周年に因んだ「自己まな板」特集とされている。これも例によって文字記録が作られないままだが、物足りない、自己弁護的等々の論評がある。

 もちろん、この“記念番組”にこめられたNHK人の“良識”の数々を疑うわけではない。しかし、すでに紹介ずみのことだが、意外も意外、この二本のドキュメンタリー特集の源流は、二年も前にボツにされた“11PMの大橋巨泉”等のアンチNHK派出演予定“大討論番組”だったのだ。

 「二時間の特別番組については、会長から企画の見直し、という注文が出て再検討している。一回だけポンとやるんではなく、教育テレビなどもふくめて幅広い長期的ビジョンに立った企画でやりたい、ということです」(『週刊新潮』’78・1・6)

 というNHK広報室の「苦しい言い訳」の結末が、合計堂々二時間四十分の「自己宣伝」番組一挙上映となったのだと考えれば、何のことはない、二年も待たせてやっと出来上がった受信料PR番組なのである。さすがはNHKという他はない。

 そういう裏面経過は別としても、このドキュメンタリーをふまえた教育放送の討論番組にさえ出演している新井直之が、こう書いているのは、見過せない。

 「しかし、気になった点もある。それは、ただひたすら、戦前、戦中のNHKを被害者として強調することで、NHKが政府・軍部の軍国主義思想鼓吹機関あるいは『ファシズム体制への同調造出装置』として果たした国民に対する加害者の役割に、いささかも深刻な反省がみられなかったことだ。『戦前はひどかった。それに比べれば、いまは自由が保障されていて幸せだ』というだけでは、戦前の歴史から教訓を学ぶにしては不十分といわざるをえない」(『マスコミ日誌’80』)

 NHKは、《日の丸》放送のパロディーをやった大泉巨橘をシャットアウトし、とにもかくにも受信料制度を「一株株主」とする新井直之を呼んだ。ただし、第二チャンネル、別名“言い訳チャンネル”にである。その新井からさえ、こういう基本姿勢への批判を受けているのだ。だから、NHK内で良心派と思われる制作者にも、自己満足はしてほしくない。しょせん限界はあるとはいうものの、そのままでは済まされない問題なのだ。

 すでに、かつての高級軍人の口から、「新聞に煽られた」という発言も出ている。《天皇の声》放送局が、どれだけ軍国主義を煽り、結果として、単細胞頭の軍人をつけ上がらせたか。その点の深刻な反省がなければ、言論人としては失格である。

 確かに『戦争論』の著者、クラウゼヴィッツは、軍人の性格を「単純」型ときめつけることに反論している。しかし、それは一部の参謀型高級軍人にのみ当てはまることであって、量的な勢力を無視するわけにはいかない。しかも、軍人の教育の基本は、体力であり、一も二もなく命令に服する反射神経の訓練なのである。その軍人頭に、皇国史観をたたきこんだのは、一体だれなのか。軍人勅諭の話だけをしているのではない。ああいう文章を、反発せずに受け入れるような、幼時からの心理教育をほどこしたのは、一体だれなのか。その自責の念なしに、NHKを生き延びさせることは、許せないのである。

 たとえば、『放送五十年史』の本編が、あえて大書しない記録がある。「資料編」には、「初期ラジオ講演放送一覧」というのがある。東京放送局編『ラジオ講演集』第一集というのが、放送開始の一年目に発行されており、まずは意外にも、初期にはラジオの文字記録化が図られていたことがわかる。演目は三十三あるが、そのうち、題名だけでも、オヤッと思えるものだけ列挙してみよう。

 大和民族の覚悟……陸軍中将 堀内文次郎

 醒めよ国民……法学博士 添田寿一

 靖国神社の祭典の趣旨について……靖国神社宮司 加茂百樹

 尼港事件(シベリア出兵)の回顧……陸軍少将 山田軍太郎

 ほかにも、それらしく思える演題は多い。そして、こういう思想教育番組が、華麗なるシンフォニーの合間をぬって、家庭に入りこんでいったのである。その上、一般教養書よろしく、《ラジオ講演集》が発売されていたのだ。その中には、「普選実施につき各自の心得」と題するものもあったが、その内容は、どんなものだったのだろうか。ともかく、ラジオを聞きながら「普選」時代に成人となった日本人の多くが、議会主議を否定する“天皇の赤子”となったのは、疑いもない歴史的事実なのである。

 なお、この初期講演の第一回は、早稲田大学総長の高田早苗「新旧の弁」、第二回は、法学博士下村宏「新聞の功罪」とあり、いささか文化的配慮とも思えるのだが、ここにも意外な人脈史が開けてくる。

 下村宏(海南と号す)は、戦時のNHK会長、ついで情報局総裁として敗戦を迎えた人物なのだ。


(4-5)NHK会長の朝日新聞人脈=情報局水脈の過去