《あなたのNHK》の腐蝕体質を多角的に研究!
《受信料》強奪のまやかしの論理を斬る!
電網木村書店 Web無料公開 2003.11.6
第二章 NHK《受信料》帝国護持の論理 8
NHK御用学者のスリカエ二刀流
すでに受信料の収納状況の項でのべたように、NHKは、その生命線である受信料を守り抜くためには、秘術の限りをつくしている。受信料は要するに税金の一種に過ぎないのだが、そこは“国営”問題と同じこと。本質をぼかさなければものの役には立たない。民放が出来てからの方が、説明が難しくなったのだが、その民放の存在にも寄り掛る方法がある。たとえば月刊誌『創』の取材陣は、こう記している。
「NHK取材に当たっての当惑をもうひとつ記しておこう。それは、NHKには推薦評論家が現実に存在するということである。
『NHKを取材するなら、放送評論家の“某々氏”に話をきいてみるといろいろな成果があると思いますが』
こういうアドバイスをくれたのも、ほかならぬ広報主幹氏である。そこで、その評論家の“某々氏”を訪問して話をきいてみた。
評論家氏は、ひとくさりNHK肯定論をぶったあとで、いったものである。
『NHKの受信料が不当だという議論が多いが、決してそうとは思えない。税金でいえばたしかにNHKの受信料は直接税に似ているだろう。それだけははっきりしている。
が、一般国民は、じつは民放により多額な“間接税”を支払っているのです。たとえば、五十一年度のNHKの受信料収入は二千七億円になるが、五十年度の民放各社全体のラジオ・テレビのコマーシャル収入はなんと四千八百億円になる。これを、全国三千二百五十万世帯で割ると,一軒あたり年間一万八千円ほどの“間接受信料”を支払っている計算になる』
企業のコマーシャル広告の費用は、そのまま製品単価に算入されているのだから、全国各社民放のコマーシャル収益は、もとはといえば国民一人一人の財布から出ているという論法なのである。
なるほど、説得力あるかにみえる試算ではあるが、これはデッチ上げに等しい詭弁であり、この論旨を以て受信料支払い者である国民を説得するとすれば、許し難い愚弄だといわなくてはならないだろう」(『創』’76・10)
『創』取材陣は、広告費が大量生産大量販売によるコストダウンにつながり、消費者価格に直接はねかえるものではないこと、買う買わないは自由だということなど、一率に払わされる受信料との違いを指摘する。わたしも、独占価格論とか特別剰余価値の原理とかに、ここで深入りするつもりも能力もないが、このNHK御用学者の主張の粗雑さを認めないわけにはいかない。
もちろん、何も資本主義を擁護しようというのではない。しかし現実に、大量の宣伝費を使いながら価格を下げている商品は、たくさんあるのだ。くすり九層倍とか、まぜものウイスキーとか、羊頭狗肉の例証をあげてみても、それはスキャンダルでしかない。資本主義の本当の恐ろしさは、本式の大量生産による安売り競争であり、そのための中小企業倒産や人員削減の合理化なのである。本末転倒のあげ足取りでは、民放CMの腐蝕追及も覚つかなくなる。
ましてや、民放もタダではないのだからというヘリクツを、NHK受信料、もとい、負担金とやらの、ふんだくりの口実にされてはかなわない。これではまるでドロボウ競争、“盗っ人にも一分の理”とやらの、ヘリクツこねくり合いだ。
ただし、このNHK御用学者のヘリクツは、民放批判の運動の中で生れた“善意の誤解”をもとにしていると見られるので、その点は注意しなければならない。というのは、民放の放送内容やCM批判の運動の中で、手掛りを求めるために、“民放もタダではない”と論ずる向きがあるからである。しかし、CMの費用、大きくいえば日本の総広告費がGNPの一%になんなんとするからといって、なんでもかんでも消費者のフトコロから出ているとか、労働力の対象化だといいだしたら、キリがない。残念ながら、ギブ・アンド・テイクで、品物か契約書なりを受け取っていない出費については、直接の権利請求はあきらめるしかないのである。
NHKの受信料は、このギブ・アンド・テイクの原則から見ると、明らかに、税金とそっくりである。領収書(わたしはもらったことはないが)はあるが、約束ははっきりしない。しかも、税金でまかなう国会には野党も送り出せる時代なのに、NHKの経営委員や会長、理事等は、まったく政権党の意のまま。さらにひどい“やらずぶったくり”といわねばならない。いえいえ、放送内容はみなさまのNHK……というだろう。しかし、問題はやはり経営権であり、番組編成権である。たとえば、悪名高い民放の笹川CMも、内容だけでいえば、“人間みな兄弟”。これだけなら、なかなか結構ではないか、ということになってしまう。
経営権、ひいては番組編成権、そして送信権なしの徴収という点からいうと、受信料は税金よりひどい取りたて方だ。“いや、強制じゃないから”というのはやめて欲しい。さきのようなパンフの説明もあるし、昨年の放送法一部改正の陰謀にも、NHK当局は一枚かんでいたのだから。しかも、強制しなければよいというものでもない。NHKが強力なネットワークを独占し、“多数派”の支払う受信料で運営しているとすれば、のこりの“少数派”が満足できる放送局は、どうやって作ればよいのか。つまり、国民の電波を独占使用している問題は、依然として残されているのである。