●11 引揚げ2
(今回手抜きです。)
爺の著書の一つに『最高裁長官殺人事件』という推理小説がある。執筆当時の1988年は、長年の労働争議が終ろうとしていた年であった。これからの人生をどうするか思いを巡らせ、小説家に狙いを定めたのだ。
当時も今も、小説家として売り出すためには、どこかの賞をとらねばならない。出版社勤務の友人の助言を得て、当時書いていたものを切り詰めて応募したのが『最高裁長官殺人事件』である。最終選考にまで残ったが、賞は逸した。(一九九一年に汐文社から発行されている。)
せっかくの大作を切り詰めたのが爺には大いに不満であった。後年自分自身のメディア(ホームページ)を持つと、当然のごとく発表した。これこそが本物だと。
『煉獄のパスワード』である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/rengoku/rengoku-0-2.html
が、言ってしまうと、出だしがへっぽこで女性の描写が類型的で、先に読み進む意欲がいきなり喪失する。女を書かせれば話にならないのは、女をよく理解できていないからであろう。爺の大好きな百科事典の中に女は住んでいない。
しかし、その門前払いの神宿るような導入部を我慢して突破すれば中味は濃い。というか、ぎっしり詰めすぎているのだが。関東軍の生アヘンがテーマで、とすれば、日中戦争が当然重要な要素となる。爺の実体験が変形されてあちこちに織り込まれる。
こんな具合である。
《 達哉の父親は帝国セメントの技師であったが、当時の国策会社、北支那開発会社に半ば徴用の形で出向させられ、最初は単身で赴任した。一家は後を追って北京に引っ越した。敗戦時に北京は国民党政府軍(国府軍)の支配地区であった。国府軍はアメリカとの関係が強く、すでに反共の立場で日本軍にも協力を求めていたから、北京方面の引き揚げは比較的順調に進んだ。日本軍の厖大な武器の引渡しなど、国府側にも日本との交渉を要する戦後処理の作業が控えていたのである。すでに国共内戦再開は時間の問題であった。
高校時代に達哉は智樹が満州生れだと知り、満州に関わる自分の思い出を語った。達哉の額には引き揚げ船で満州帰りの子供達と喧嘩をした時の傷跡が残っていたのである。引き揚げの記憶は、やはり少年期の異常体験であった。今でも何かきっかけさえあれば、すぐに振返って思い出す。それ程に生々しく蘇る強烈な記憶なのである。
北京からの引き揚げが恵まれていたとはいっても、それはあくまで満州方面からの引き揚げと比較してのことである。達哉の一家は日本人会の指示に従って、家財道具の全てを捨て、手に持てるだけの荷物を持って収容所に向った。小学校三年生の達哉が長男である。生れたばかりの妹を背中に括りつけ、両手で二人の弟の手を握り締めて歩いた。肩からは魔法瓶を吊るしていた。母親の産後の肥立ちが悪く、母乳では足りなかったので、赤ん坊に粉乳を溶かして呑ませていた。そのために、常にお湯を確保して置かなければならなかったのである。
一家は、母親の身体を気遣って旅立ちを延ばし、収容所を転々とした。北京郊外の元兵舎、工場、倉庫とタライ回しにされた後、無蓋貨車で塘沽港まで運ばれ、そこでアメリカ軍のリバティー船に乗った。
『自由』の名を冠するリバティー船は一万トンの規格輸送船で、第二次世界大戦中に大量生産されたものである。日本の海運力が開戦とともに日に日に衰えていったのとは対称的で、対米開戦の無謀さを証明する生産力の隔絶振りの一例であった。名前の付け方にさえも政治的な優越性が示されていた。風見一家が乗ったリバティー船は、塘沽港を出て渤海を横切った。黄海に出る前に遼東半島の突端をまわり、現在は旅大と呼ぶ旧大連港で新たな旅客を乗せた。「『満州帰り』を無理して詰め込んだぞ」、という大人達の噂話が子供達の耳にも入った。折からの内戦再開の煽りを受けての緊急措置だったのであろうか。暗い雰囲気の耳情報がそこここで囁かれていた。
だが、船上の子供達には別の世界があった。塘沽で出来上がった少年集団は、大連からの少年集団と遊び場をめぐって対立し、甲板で果し合いをした。塘沽組は散々な敗北を喫した。達哉もその仲間の一人として、そこかしこにできた傷跡の痛みをいまもなお鮮やかに思い出す。大連組は固いベーゴマの紐を振回して一気に襲い掛り、塘沽組を圧倒したのである。衣服から露出していた腕や首筋、顔面は、赤いみみず腫れだらけだった。塩見の額の傷は、同じ所を二度程打たれたせいであろうかザクリと口を開け、血を噴出していた。その頃の唯一の治療薬、マーキュロがいつまでも傷跡にしみた。
達哉の記憶の中で傷跡とともに生きる『満州帰り』は、ながらく『狂暴』のイメージのままであった。後年、満蒙からの帰還者が、少年といえども、まさに生き地獄の体験者であったことを知るに及んで、その『狂暴』のイメージに対して抱く悲しい郷愁は更に深まったのである。》
(『最高裁長官殺人事件』もホームページに掲載しています。)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/saikousai.html
聞き書き『爺の肖像』12 九州 へ
ブログ『愛爺の憂鬱な日々』掲載(2010.2.16~2010.6.4)を再録・訂正
投稿者 愛爺 日時 2010年4月21日 (水) 16時05分