『読売新聞・日本テレビ グループ研究』(6-10)

終章 ―「競争」 10

―インベーダーの狙いをくじき、撃退する手段はどこに―

電網木村書店 Web無料公開 2008.6.2

黄金の魔槌をはねかえすもの

 利潤追求と、企業の拡大という目的それ自体にも、限界はない。読売グループが、“打倒朝日”のスローガンを、徐々に“世界”云々に切りかえつつあることは、その好例であろう。

 「彼は、いくら新たな征服によって国土を広げても、国境をなくすことのできない世界征服者のようなものである」(『資本論』一巻a、一七四頁)

 マルクスは、資本の自己増殖欲を説明しつつ、その本性を追求していく。その欲求の前には、安定とか均衡とかはありえない。均衡をのりこえようとする傾向も、資本の本性であり、その内側に仕掛けられた「内的傾向」といえるのである。

 「競争においては、資本のこのような内的傾向は、他の資本によってくわえられる強制、適当な釣合いをのりこえて、たえず進め、進め! と資本を駆りたてる強制として現われる」(『経済学批判要綱』Ⅱ、三四二頁)

 そして、この「強制」のおそろしさをおおいかくすために、「自由競争」とか、「自由主義」という美名がまきちらされている。このことは、すでに、資本主義の初期から問題になってきたのであった。

 「自由競争は、それについてあれほど多くのおしゃべりがなされ、またそれが資本にもとづくブルジョワ生産全体の基礎になっているにもかかわらず、まだ一度も経済学者たちによって解明されたことがない」(同前三四二頁)

 マルクスは、「自由競争」が、たんに「封建制」への批判として、進歩的なニュアンスで宣伝されていることに追究の眼をむけ、その本性を明らかにしようとした。つづいて、レーニンは、帝国主義段階の資本主義を分析し、そのなかで、こう指摘している。

 「独占は自由競争から発生しながらも、自由競争を排除せず、自由競争のうえに、自由競争とならんで存在し、それによって幾多の、とくに鋭く激しい矛盾、あつれき、紛争を生み出す」(『帝国主義論』一一五頁)

 競争こそは、資本の法則を貫かせる決定的条件である。そして、競争者は、資本そのものなのであり、労働者は、そこに剰余価値をつけ加えるために利用され、挙句はボロキレのようにすてられる運命にある。新聞の部数拡大、増ページ競争のなかで、まさに人類史上空前の比率で腰痛症、鉛中毒が多発したこと、テレビの視聴率、減量経営競争のなかで、これも人類史上稀有な比率で若年労働者の疲労性疾患が激発し、若年在職死亡者が増大したことは、この法則のなによりの証明である。

 しかも、資本は、その法則を貫徹させるために、労働者に競争意識をふきこみ、企業意識に閉じこめようとする。そして、労働者の、個々人の良心にもとづく言論活動を、封殺しようとする。

 いまから八年前、小林社長の企業意識宣伝、企業間競争のあおり立てに対抗して、日本テレビ労組のニュースにも連載シリーズがのりはじめた。最初の記事のなかには、組合の闘争中のステッカーの文章が収められている。

 「企業間競争ヤメテ! いい番組づくりの競争したい」(『闘争ニュース』一九七〇年二月九日号)というのもあった。

 いまや、本当にいい紙面、いい番組をつくりたいと思うならば、競争にストップをかけること、“ストップ・ザ・ヨミウリ”を合言葉にしていく必要があるのである。

 毎日新聞の企業危機のなか、労組の再建闘争を支援するカンパは、朝日新聞労組で「四三四万九四〇八円に達し、朝日労組の各種のカンパの中でかつてない記録」(『毎日新聞研究』一〇八頁)だという。

 すでに、戦後三四年、突破口は、新たなる世代の進出により、開かれつつあるようである。


あとがき