第二章 ―「背景」 8
―国会を愚弄するテレビ電波私的独占化競争の正体―
電網木村書店 Web無料公開 2008.4.25
隠然たる第四勢力“財界テレビ”
小林の官僚答弁には、しかし、もうひとつ居直りの背景があった。それは、またしても、かのぺースメーカー、フジ・サンケイ・グループの存在である。
東京のテレビ・キー局で、いま、元郵政省高級官僚が社長に就任し、違法のかぎりをつくしているところ、それがフジテレビである。さきの日本テレビ専務取締役、松本幸輝久は、こう皮肉っている。
「元郵政次宮の某氏は在任中、新しいUHF局を某東京キー局にせっせと免許、辞任後参議院選に立候補したが、落ちると、その時の約束で、そのキー局の副社長、そして今日では社長に就任したといわれ、郵政省内でもさすがに不評を買っているとか」(『わが放送白書』九二頁)
この「不評」の主こそ、だれあろう、元電波管理局長の経歴も持つ、フジテレビ社長浅野賢澄である。郵政省高級官僚がこれでは、しめしがつくわけはない。
さて、参議院逓信委員会での小林社長の官僚答弁のあと、日本テレビの有価証券報告書の「大株主」欄に、びっそりとした変化が起きた。
一九七六年三・九月とも | 一九七七年三月 | |
読売新聞 | 一八・七二% | 九・九四% |
務台光雄 | ・○八% | ○ 七・一五% |
(注…合計数字のちがいは増資による変化)
日本テレビの筆頭株主である読売新聞が、名義上、持株を分割したのである。これは、社会党の案納勝議員が、テレビ朝日における朝日新聞系の持株比率について、「表向きは一〇%になっていても実質は二〇%を超しているじゃないですか」と追及したのに対応する動きである。
もっとも、子供だましもいいところではある。ほかの読売系株主はそのままであり、読売テレビ(六・九六%)、よみうりランド(二・七三%)、読売興業(一・七一%)という大株主だけを加えてみても、すでに合計二八・○八%の占有率となる。
行政指導は、本来、一グループの資本支配を一〇%以下でなければならぬ、としているので、これは明白に違法状態なのである。
しかし、これらのすべてを超越して、まさに財界大御所の独占支配の下にあるのが、フジテレビであった。
植村甲午郎 二八・九五%
友田 信 二八・九五%
サンケイ新聞 九・七四%
合計 六七・六三%
(『日本放送年鑑』'77年版により作成)
植村甲午郎(故人)は、大正期からの財界指導者植村澄三郎の御曹子でもあり、官界から財界入りした典型的な財界貴族である。マスコミヘの乗りこみは、ニッポン放送の社長がはじめで、この当時は会長、そしてサンケイ新聞会長、フジテレビ相談役と、要点を押えていた。松本清張の小説『深層海流』の主人公、「経営総体協議会副会長、日輪放送会長」などの肩書の持主、坂根重武のモデルとしても知られている。
友田信は文化放送社長で、フジテレビ取締役も兼任し、水野成夫のあとつぎである。
つぎの大株主、サンケイ新聞の社長は、鹿内信隆であるが、いまや、植村甲午郎や水野成夫のあとつぎとして、大いに売り出している。そして、なんと、「フジ・サンケイ・グループ会議議長」を、公然と名乗っているのである。
肩書の要点から、簡略にみてみよう。
〔新聞関係)
サンケイ新聞社長
日本工業新聞代表会長
サンケイスポーツ会長
大阪新聞会長
新聞協会理事
〔放送関係〕
フジテレビ代表会長
ニッポン放送代表会長
テレビ西日本取締役
東海テレビ放送取締役
北海道文化放送取締役
民放連顧問
〔グループ企業〕
サンケイビル代表会長
フジランド会長
サンケイ出版会長
フジ・サンケイ・グループ会議議長
〔財界の要職〕
日経連常務理事
経済同友会幹事
関東経協常務理事
経団連理事
〔経歴の要点〕
一九一一(明治四四)年生れ、早大経済卒、倉敷レーヨン、日本電子工業を経て、
中労委委員
日経連専務理事
〃 事務局長
ニッポン放送専務
〃 社長
フジテレビ社長
つまり、鹿内信隆とは、財界たたき上げの労務対策専門家でもあり、現在も財界のトップレベルで頑張っている人物なのである。そして、ニッポン放送、フジテレビ、サンケイ新聞、つまりはラジオ・テレビ・新聞の社長を歴任し、ここでも現役の最前線にいる人物なのである。
鹿内は、名目上でさえ、「兼任の禁止」などは、問題にしていないかのようである。サンケイ新聞の社長でありながら、同時に、フジテレビとニッポン放送の「代表」会長を名乗っている。この点では、かつての正力も顔負けである。
当然のことだが、財界人としてみる時、小林与三次も務台光雄も、鹿内信隆や植村甲午郎にくらべれば、まったくの駆け出しの新人にしかすぎない。
小林与三次 経団連理事
関東経協常務理事
務台光雄 日経連理事
関東経協常務理事
これでは、二人分合わせても、鹿内の財界人としての肩書きには、はるかにおよばない。やはり、植村甲午郎=鹿内信隆のコンビは、“財界”の重みにかけては、比較を絶するものがあったのだ。
それなのに、なぜ、読売グループの方が、フジ・サンケイ・グループよりも、世論に対する指導力を持ちつづけているのであろうか。そのこたえのひとつは、“歴史”の重みにあるだろう。
読売新聞には、正力松太郎が社長として乗りこむ以前に、ちょうど五○年、半世紀もの歴史があったのである。
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