『読売新聞・日本テレビ グループ研究』(1-2)

第一章 ―「現状」「現状」 2

―正力家と読売グループの支配体制はどうなっているか―

電網木村書店 Web無料公開 2008.4.25

黒幕演出の株主総会

 日本テレビの粉飾決算事件そのものについても、主要な問題点だけを、クローズ・アップしておくにとどめたい。

 まず、株主総会が、すぐあとに控えていた。大蔵省で調べるきっかけとされたのは、増資のための有価証券届出書であるが、つづいて、株主総会むけの報告書も訂正しなければならない。

 そこで、粉飾そのものが、帳簿上、どういう形になっていたかというと、洋画フィルム放映権の残高を過大に評価していたということである。金額は一〇億円前後という。

 「ラジオ・テレビ記者クラブに現われた保田専務は、開口一番『申しわけありません。弁解は致しません』と、はじめてその粉飾金額を九億二六〇〇万円と発表したが、途中、電話がはいって一○億七五〇〇万円と訂正するありさまで、同社のその日の混乱ぶりを現わしていた。

 『当社といたしましては、含み資産もありますし、別途積立金も四五億円ありますので、今期でこの一〇億円を落します』と言明した」(日経一九六九年一〇月一六日付)

 ここで「その日」とされているのは、一〇月一三日のことだが、同じ日のサンケイ新聞夕刊は、東京証券取引所証券部長菊地八郎の談話をのせている。「同社は自己資本が六七億円ぐらいある。一一億円ぐらいの粉飾を出すくらいなら、なぜ自己資本で消さなかったのか理解に苦しむ。内容の悪い会社ではないので、上場廃止などということはできないと思う」というのが同証券部長の意見であった。

 また、保田専務のいう「含み資産」のうち、最も大きいのは土地であったが、福井社長も、のちの株主総会で、「新宿の一万坪の土地は、帳簿上二億になっていますが、七〇から八○億円の資産です」、と報告している。つまり、含み資産も勘定にいれれば、優に百数十億円の自己資本がある優良会社だったのである。

 日本テレビの資産内容の良さについては、衆目の一致するところであった。そして、粉飾決算の原因についても、これまた、正力ワンマンの面子を重んじてのことと理解されており、その解釈に異論をさしはさむものもいなかった。

 それではなぜ、大蔵省は、突然の暴露にふみきったのだろうか。なぜ、内々に訂正の指導をしようとしなかったのだろうか。さきの日経新聞の記事は、「なお、この“事件”の発端は、投書といわれているが、まさに“巨星おちて天下の秋を知る”ひとこまである」としめくくっている。しかし、投書の有無だけでは、大蔵省の姿勢の強さの説明はつかない。

 読売新聞社長務台光雄の伝記では、「大体日本テレビは、粉飾をしなければならぬような危ない会社ではない。……(略)……経済的には問題のない会社で、問題になるのは経営者の会社経営の姿勢であった」(『闘魂の人』三四頁)、という文脈になっている。こみいった状況を総合的に整理してみると、要するに、故正力会長を含めて経営陣に問題があったのであり、正力の死後の経営陣の体制は、ますます心配だったので、だれかが、粉飾暴露のショック療法をとった、というところが真相であろう。

 一一月二六日の株主総会では、それゆえ、経営首脳陣の交代は必至と見られ、福井社長以下は、ピリピリビクビク。総会屋にもしぼりとられ、生きた心地ではなかったようである。普通ならば、福井社長が引責辞職、副社長で正力松太郎会長の長男、正力亨が昇格というところだが、すでに各誌にくわしいように、亨には“難”がある。また、正力ワンマンのなきあと、読売グループの解体を予測する声もあった。

 読売新聞社なり、務台光雄なりが、日本テレビの独立・分離を心配していた証拠には、読売新聞系で日本テレビの株の買占めをはかった事実がある。『闘魂の人』では、「務台さんは将来のことを考え、正力さんに無断で野村証券から三回にわたり、額面の数倍の価格で三十数万株買い取りました」(同書三七八頁)などと説明している。

 日本テレビの次期社長には、大映社長の永田雅一や、野村証券の奥村綱雄という噂もでた。奥村綱雄の動きについては、組合も調査結果を「粉飾決算『黒い霧』シリーズ」として、報じていた。

 「野村証券労組(八○○○人の従業員のうち、一七名の第一組合、クピキリ三名)の池田委員長は、野村証券が日本テレビの粉飾決算を知らなかった筈はないといっています。しかも、野村証券は福田蔵相の政治資金源であり、大蔵省の役人は野村証券に対しては非常に腰が低いそうです」(『闘争ニュース』一九六九年一〇月二一日号)

 奥村綱雄は、こののちの一一月二六日、日本テレビ粉飾決算暴露後初の株主総会で、役員席の向って右端に悠然と座り、すベてを取仕切っている様子であった。赭ら顔で、心持ち大柄に見える奥村は、いかにも永らく財界のトップの座にあるものにふさわしく、場馴れた落着きをみせており、時おり腕ぐみをしながら、荒れ模様の総会会場を見渡していた。永田ラッパで知られる大映社長の永田雅一が、ことさらにチョコチョコと動きまわっては、うしろから奥村の指示をあおいだりしており、時の経団連理事奥村の大物振りを引き立てていた。

 当日の朝、総会屋は続々と日本テレビ本社スタジオに集まってきた。

肩を怒らし、サングラスをつき出してくる、元気のいいオニイサン。デヅプリ肥って、一見三等重役風の、柄で勝負する親分衆。羽織ハカマにインバネス、手には風呂敷にくるんだ日本刀(中身は誰も改めず)を捧げもって入場する古典派(?)。こむずかしい顔をして、始終利廻り勘定をしているような、一見堅実派。

 色とりどりのプロの御入来であった。

 この、一九六九年は、総会屋が世間をにぎわした年でもあった。直前の一〇月二二日には、白木屋事件で名をあげた横井らに対して、東洋電機株主総会事件の有罪判決が下っていた。「会社が株主の追及をのがれるため、総会屋に金を渡して議事進行をはかる行為も、処罰の対象になる」というのであった。しかし、この状況下にもかかわらず、日本テレビの玄関前には、しきりと大型の外車がのりつけられ、一見して分る“兄貴”たちが、総務局の応接間へ通されていた。

 そして、当日の総会で中心人物と目されたのは、元改進党衆議院議員、栗田政治経済研究所長の栗田英男という大物であった。

 総会は、社長をはじめとする重役陣の責任問題で紛糾した。ヤジも飛ぶ中で、永田雅一が福井社長に耳うちし、奥村の意見をききにいく。奥村の顔も、いささかけわしくなる。そこへ、総会屋の一人が、株主席から立ち上り、役員席の前を横切って、奥村に話しかける。そして、また株主席に戻って、ほかの総会屋数人に耳うちする。これまで正力の虎の威を借りてきた狐の重役達は、総会屋の追及にペコペコ頭を下げ、思いっきり縮こまっていた。とりわけ、栗田英男の追及は専門家風で、きびしかった。

 重役いじめは、これでほどよしといったころ、栗田英男が、ふたたび立ち上った。

 「野村証券の会長でもある奥村取締役の見解をききたい。あなたは、日本テレビの株を有望株として推せんした責任者だ」

 奥村は、いかにも落着いてこたえた。

 「いちいち、ごもっともな発言ばかりで……充分きいて参考にしたい。正力会長が死んで、とても福井社長以下の重役陣だけでは、納得のいく根本策は聞きにくいと思う。大株主、財界から中立公正な数人をえらび、執行部とも相談し、これなら大丈夫といっていただけるようにしたい」

 栗田は、さらにせまった。

 「きれいごとではだめだ。われわれ株主にとってはダブルパンチだ。粉飾について知っていて株を推奨したのか」

 「わしゃ知らなんだんじゃ(笑)……。幹事会社の責任を感じ、再建策を考えている」

 「あなたの発言は三〇分早い(失笑)……。粉飾の責任を追及しているのだ」

 「立て直しに頭がいっていて申し訳ない。ここのところは、このあとの懇談会にまわしていただぎたい」

 「……」

 (『闘争ニュース』一九六九年二月二七日号「日本テレビ放送網株式会社株主総会てんまつ記」による)

 さて、この総会の黒幕たちは、どういう筋書を描いていたのだろうか。結果からみて、この総会では、役員人事がたな上げとなった。筋書としてみれば、栗田の追及を奥村が受けて、あずかった形になった。

 当然、この動きには、“密約”のにおいがした。


(第1章3)正力タワーか読売新社屋か