『読売新聞・日本テレビ グループ研究』(0-6)

序章 ―「体質」「体質」 6

―江川問題で表面化したオール読売タカ派路線―

電網木村書店 Web無料公開 2008.4.25

社長命令で「非常事態放送」

 さて、以上のような「迷文」をつくり上げ、世論を誤導する上で、「安保堅持」を社是としてきた読売新聞の果す役割は、非常に大きかった。財界直結の産業経済新聞(現サンケイ)もそれなりの活躍をはじめていたが、やはり、三大紙の歴史的な重みは大違いである。

 安保闘争をジャーナリストとして経験した上田好直は、当時の新聞報道全体に「現体制維持」「大衆的な民主主義的変革への敵視」の体質があったのだと指摘する。そして、そういう論調の必要性を、当時、「もっとも簡単にいいえたのは『読売』の正力松太郎であった」(『文化評論』一九六九年八月号、一七三頁)という。正力のワンマン振りを指してのことであり、その一端を、つぎのように紹介している。

 「社内の報道統制があまりひどく、『こんな紙面が続くと売れなくなってしまう』という同社編集、営業の幹部がその緩和を要請したところ、彼は『オレの新聞だ。心配するな』と一蹴し、『いまとなっては仕方ないが、自民党全体に傷がつくような報道をしてはならない』と厳命したというのである」 (同前一七三頁)

 この話には、読売新聞の体質と現状が象徴されている。マスコミは、あまりに偏向した論調をつづけると、読者なり視聴者なりにソッポを向かれ、営業的にも成り立たなくなる。しかし、そのギリギリまで、「オレの新聞だ」という意識で頑張る経営者がいてはじめて、権力なり財界なりの期待にこたえうるのである。そしていま、そのギリギリの典型が、マスコミ界のトップの座をしめているのだから、故中島健蔵の警句が背筋にひびくのである。

 「公正な新聞」という、日本独特の幻想が、いかにして日本近代史のなかで育てられ、また、いかなる役割を果してきたか、その弱点は何か、未来への展望はなにか。それらの疑問へのこたえは、むしろ、マスコミ機関自身の歴史が、生々しく語ってくれるのではないだろうか。

 ある人はいう。「現象で見るな、歴史で見ろ」と。現在の有様は、実像と虚像がいりまじる。しかし、歴史の鏡は、虚像をはねのけ、しかも、実像の根深い原点、本質をも、えぐり出してくれるのである。

 そしていま、現状の典型は、日本テレビの『非常事態放送対策要領』にも現われている。「有事立法」の国会上程が問題となっているが、日本テレビの「有事」の際の放送は、つぎのように、「社長の許可」により決定されることになっている。つまり、「私法」として、すでに成立しているのである。

非常事態の範囲
 非常事態の範囲はつぎの通りとする。
 天皇、皇后及び之に準ずる皇室の変事。
 日本に重大な影響のある戦争の勃発。
 国内に革命または之に準ずる事態が発生した場合。
 多数の国民に甚だしい影響を与える天災の発生、疫病の流行など、その他国家国民に重大な影響を与える事態をいう。

非常事態の適用
 非常事態の適用は放送本部長が社長の許可を得て決定する。

(『非常事態放送対策要領』・日本テレビ放送網株式会社放送本部作成・一部抜粋)

『非常事態放送対策要領』表紙
写真 『非常事態放送対策要領』表紙

 では、この「非常事態」を決定し、「非常事態放送」を命令するトップは、どういう人物なのであろうか。かつての「大本営発表」がくりかえされないという保障は、どこにあるのであろうか。……


第一章―「現状」