『アウシュヴィッツの争点』(6)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.1.7

序章 疑惑の旅立ち 2.

拙著『湾岸報道に偽りあり』の読者から資料提供の電話

 わたしが本書の執筆を決意するにいたった最初のきっかけは、すでに「はしがき」にしるしたように、一九九四年の春頃、西岡昌紀医師からかかってきた電話である。それまで西岡とはまったく面識がなかった。西岡は電話口で自己紹介したのち、拙著の『湾岸報道に偽りあり』を読んだが、「ホロコーストはなかった」という説の存在を知っているかと質問してきた。

「ホロコースト」は本来、獣を丸焼きにし、神前にささげるユダヤ教の儀式のよび名で、それがのちに「大虐殺」の意味に転用されたもの[注]である。最近ではさらに、頭文字のHを大文字で書いて固有名詞化し、「ナチス・ドイツによるユダヤ人の民族的抹殺のための計画的大虐殺」の意味に特定して国際的に通用させようとする傾向が強まっている。こうした動きにたいしては、ユダヤ人だけに特別あつかいを要求するものだとして、反発するむきもおおいようだ。

[このWeb公開への注]:これは普通の英和辞典の説明だが、その後、百科事典並の英語の大辞書、『オックスフォード英語辞典』(OED)で確認したところ、ギリシャ語源、ラテン語から英語とあったので、その旨を拙訳『偽イスラエル政治神話』の訳注に記した。

 誤解をさけるために最初にことわっておくが、わたしが紹介する「ホロコースト」の見直しの主張は、あくまでも「ユダヤ人の民族的抹殺のための計画的大虐殺」、具体的にはとくに「ガス室という殺人工場による虐穀」の存在を疑うものであって、それ以外の差別、虐待、虐殺までを否定するものではない。ナチス・ドイツのゲルマン民族最優秀説の狂気も、ユダヤ人迫害政策もあきらかな歴史的事実である。だが、「ホロコースト」物語は、その狂気への上乗せであって、その裏には別の狂気の計算がひそんでいたのではないかという疑いがかけられているのだ。

 わたしはそれまで、「ホロコースト」物語を見直せという説の存在を直接的には知らなかったが、いささか予備知識があったので、「それは十分にありうる話だ」という趣旨の返事をした。すると西岡は、手元に英文の資料がたくさんあるから、それを読んで記事にしてくれという。わたしはその申し出に感謝したが、西岡にたいしては、西岡自身が発表することと同時に、説明書をそえて、わたしだけでなく関心のありそうな人々に配ることをすすめた。ものかき個人の立場からすれば情報を独占した方が右利なのだが、わたしがあえて西岡にそうすすめた埋由には、それまでの経験からくるいくつかの考えかたがあった。

 第一に、わたしは当時、前著『電波メディアの神話』の執筆に没頭していて、余力がなかった。「ホロコースト」の問題も、将来、その延長線上でメディア論の立場から取りあげようと考えた。発表する余力のない情報を独占することには罪悪感があった。

 第二に、湾岸戦争のさいの経験から、ジャーナリスト個人が情報を独占してみても、巨大な組織を相手にする長期のたたかいには、とうてい勝てないと実感していた。

 第三に、以上のことから、情報をできるだけ公開して共有し、市民個々人が積極的に情報の発信者になるべきだという考えかたを、前著の『電波メディアの神話』にまとめていたところだった。

 もちろん、問題の大きさからくるためらいもあった。

「ホロコースト」物語に疑いをさしはさんで、見直せなどと主張するのは、一見、およそ世間常識に反した行為として受けとられるだろう。ユダヤ人問題やナチス・ドイツの歴史に関心の深い人々から見れば、なおさらのことであろう。ドイツ史の専門家でもないわたしごときが不用意にこんなことをいいだすのだから、即座に「反ユダヤ思想か」と疑われたり、「ネオナチかぶれか」という冷笑的な反応がかえってきそうである。それほどまでに「ホロコースト」は、厳然たる歴史的事実として確定されているかのように見えていた。

 だが、西岡からは、つぎつぎと資料と説明文がおくられてきた。資料のほとんどは英文の本や論文、雑誌記事のコピーである。ファイルは大小一〇冊、全部をかさねると約五〇センチの厚みに達した。説明文は非常にわかりやすく、説得力がある。わたしのおどろきは次第にたかまってきた。何におどろいたかというと、「ホロコースト」を否定する証拠と、その立証に努力した過去の労作が「あまりにもおおすぎる」からである。つまり、ミニコミ情報が大手メディアの情報洪水におしながされるという現代的状況の、あまりにも典型的な事例なのではないかと痛感しだしたからである。

 しかも、資料ファイルの厚みがますのと並行して、いくつかの「ホロコースト」の肯定を強いたり、または否定論を法で禁止するような動きが連発した。そうなると、さらに、逆の疑問がたかまってきた。

日本の大手メディアでは歴史の残酷な真相がわからない

 欧米での論争の歴史にも、それなりの曲折があるようだ。しかも決して、日本の大手メディアが最近になって報道しているような、「ネオナチ」による戦争犯罪否定の言動などではない。むしろ逆ですらある。背後には、戦後半世紀をつらぬくパレスチナ紛争という、巨大な国際政治の黒い影と、たえざる流血の惨事の数々がある。この国際的背景こそが、「ホロコースト」と「南京大虐殺」との決定的な相違点である。

 パレスチナ問題に関心の深い人々のなかには、「ホロコーストを経験したユダヤ人がなぜアラブ人を虐殺するのか」という強い疑問がある。だが、歴史の真相は残酷なのではないだろうか。「ホロコースト」物語が、実は、それよりも数十年先行していたシオニスト、またはロスチャイルド財閥のイスラエル建国計画の実現に向けての、情報操作の一環として宣伝されはじめたのだとしたら、つまり、「ホロコースト」の情報操作と、イスラエル建国またはパレスチナのアラブ人からの土地強奪とが最初から、まさに表裏一体の関係で展開されていたのだとしたら、ユダヤ人というよりも、シオニストまたはイスラエル建国支持派によるアラブ人虐殺は、むしろ必然的な帰結になるのである。

 いわゆる「ユダヤ人」の歴史的な定義は複雑だが、ユダヤ教では「母親がユダヤ人か、ユダヤ教に改宗したもの」とさだめている。とりあえず「ユダヤ人」としるすが、わたしは、ユダヤ人を政治的におおきく二種類にわけて考えている。イスラエル建国を推進したシオニストやロスチャイルド家などの財閥一族のユダヤ人と、それに反対する反シオニストまたは民衆派のユダヤ人である。もちろん、一般の民衆のほとんどは中間派であり、当面の生活をまもるために力関係が有利こ見える指導者にしたがう。その点では、ほかの民族、人種、国民の場合となんらかわりはない。わたし自身は、日本国内におけると同様な意味で、反シオニストまたは民衆派のユダヤ人の立場に味方するのであって、日本における支配層への批判が「反日」でないのと同様に、「反ユダヤ」主義などよばれるいわれはいささかもない。

 日本人一般、またはとくに平和主義者の日本人一般には、ナチス・ドイツに虐待されたユダヤ人という一般的なイメージが強烈にうえつけられている。ユダヤ人という概念がひとかたまりになっていて、シオニストのユダヤ人と反シオニストのユダヤ人との決定的な相違が理解しにくいようである。この両者の相違は、日本での軍国主義者と平和主義者との相違よりも質的におおきい。「相違」というよりも、むしろ「相剋」というべきであり、その「相剋」は現在もなお、国際的なパレスチナ紛争としてつづいているのだ。

 もちろん、以上のような日本人一般の認識の形成には、日本の大手メディアの欠陥報道が決定的な役割をはたしている。たとえば湾岸戦争後には、国連総会でシオニズムを人種主義として非難していた決議が多数決で撤回され、目本国内でも報道された。そのこと自体は事実なのだが、この報道の仕方にも重大な欠陥があった。アラブ諸国が一斉に退場し、棄権したという、もっとも重要な事実がまるで報道されていなかったのだ。アラブ諸国、とりわけパレスチナ人こそが、シオニズムの最大の犠牲者である。かれらがシオニズムを容認するなどということはありえない。湾岸戦争後の国際情勢は、アラブ諸国にとって不利だったから、棄権という消極的な意志表示を余儀なくされたにすぎないのである。


(7)序章「疑惑の旅立ち」3.