ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
電網木村書店 Web無料公開 2000.6.2
第2部 冷戦構造のはざまで
第3章:発言処罰法という「新たな野蛮」の
裏の裏の背景 3
裁判官の解任までおきた「ホロコースト」否定の「民衆扇動罪」
さて、すでに「年金の保留」「青少年保護法」「民主主義侮辱罪」などがでてきたが、このあとにも「民衆扇動罪」がでてくる。それらの法律または法的措置がすでに発動されていながら、さらにあたらしく、「発言しただけで処罰する法律」を制定しようとするのは、いったいなぜなのだろうか。
民主主義後進国の日本でさえ不敬罪を廃止した現在、まことに異例である。だからこそニュースになっている。発言内容のいかんにかかわらず言論の自由にふれるはずだが、日本の大手新聞の簡単な報道では、その裏側どころか経過さえほとんどわからない。
表面的な大手報道だけを追うと、同改正案の上程にさきだって四月にドイツ連邦基本法裁判所が、「ユダヤ人虐殺はなかった」などと主張するのは「基本法(日本の憲法に相当)が保障する言論の自由にはあたらず公共の場では禁止できる」との判断をくだしている。「ネオナチ」とよばれるウルトラ民族派の極右政党、ドイツ国家民主党がおこした裁判への最終判決だ。同党は、一九九一年にひらこうとした集会の許可にあたってミュンヘン市当局がつけた「ユダヤ人を侮辱しない」という条件を、「言論の自由に反する」としてうったえていた。
朝日新聞(94・5・2)の記事では、集会の講師に予定されていたイギリスの歴史家、デイヴィッド・アーヴィングの主張を、「ヒトラーはユダヤ人虐殺に関与してこなかった」というカッコいりの要約で紹介している。
ただし連邦基本法裁判所の判断は、同じ事件について連邦通常裁判所が三月に「虐殺の否定自体は犯罪とはならない」とした判決を、さらにくつがえしたものである。つまり、発言の禁止は、ドイツ国内でも法律家の一致した見解ではなかったわけだ。
さらに二ヵ月後には、「ユダヤ人虐殺否定説に理解示した裁判官二人を解任/独の地裁」(朝日94・8・16夕)という記事があらわれた。同時発行で、ほぼおなじ分量の毎日新聞(94・8・16夕)の記事と一長一短、微妙にことなる部分があるので、両者を比較しながら実情を判読してみる。
「解任」された「裁判官二人」とは、ミュラー判事とオルレット判事のことで、原因となった事件は、さきの訴訟をおこしたとおなじドイツ国家民主党のデュッケル党首が一九九一年末におこなった発言にたいする「民衆扇動罪」の刑事訴訟である。つまり、ドイツ国家民主党はみずから行政をうったえるのと並行して、受け身で刑事事件をも争っていたのである。
ドイツ・マンハイム地裁の刑事部で六月下旬に判決がでた同事件の「差し戻し審」で、ミュラー判事は裁判長となり、オルレット判事は判決文の起草を担当した。六月下旬の判決の主旨は朝日記事によると、「執行猶予付き禁固一年の原判決を維持した」である。毎日記事では「差し戻し審」と「原判決維持」がぬけている。これでは、すでに一度、地裁判決がでていて、それが上級審で「差し戻し」となったという経過を読みとりようがない。事実は、逆転につぐ逆転なのであり、またまた上級審で争いがつづくのだ。
朝日記事の「民衆扇動」発言要約は、「『アウシュヴィッツのガス室でユダヤ人を大量に虐殺したというのは技術的に不可能なことだった』として、ホロコーストの事実を否定した」となっている。毎日記事では、「『アウシュヴィッツのユダヤ人収容所にガス室はなかった』と公言」である。文法的にこだわると朝日記事では、「アウシュヴィッツのガス室」の存在を肯定しつつ、しかし、「技術的に不可能」と主張しているかのようにも読みとれる。こちらは毎日記事の「ガス室はなかった」という要約のほうがあたっており、朝日記事のほうが長いわりには不正確である。
二人の裁判官の「解任」理由は朝日記事によれと、「ネオナチ指導者への判決でその動機に理解を示していた」からである。どういう「理解」かというと、毎日記事によれば、つぎのようである。
「戦後半世紀たつ今もなお、ドイツはホロコーストを理由に、ユダヤ人の政治的、道徳的、金銭的要求にさらされており、被告はこれに対するドイツ民族の抵抗力を強化しようとした」
なお、以上のようなドイツの刑法改正にいたる経過が、のちにのべるカナダのツンデル裁判の最高裁勝利判決以後のことであることにも、注目する必要があるのではないだろうか。
第4章:イスラエル・コネクションの歴史的構造
(31)パレスチナ分割決議を強行採決した国連「東西対立」のはざまへ