ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
電網木村書店 Web無料公開 2000.6.2
第1部:解放50年式典が分裂した背景
第1章:身元不明で遺骨も灰も確認できない
「大量虐殺事件」10
エルサレムで戦死した将軍は戦争犯罪局の「狂信的シオニスト」
わたしは可能なかぎり原資料を確認したかったので、「歴史見直し研究所」訪問の帰途、ロサンゼルスの市立図書館に立ちよって、ウェナストラム判事の「置き土産」がのっているはずの新聞を探し、マイクロフィルムからコピーをとってきた。
通信社は『シカゴ・トリビューン・プレス・サーヴィス』だが、掲載紙は『シカゴ・デイリー・トリビューン』(48・2・23)だった。たしかに『六〇〇万人は本当に死んだか』が引用したとおりの記事があったが、やはり原資料を探してみて良かったと思ったのは、追加の関連記事まで発見できたことだ。しかもその「判事は攻撃(非難)された」という追加記事の書きだしが、つぎのようで興味深々なのである。
「シカゴ・トリビューンの発信記事が発行されるより前に、テルフォード・テイラー准将からのしっぺい返しがあったので、アメリカ軍による報道通信の無線盗聴があきらかになった。わが通信員は六〇日間におなじ経験を二度あじわっている」
「テイラー准将」は国際検察局のトップである。しかし、トップが孤独に趣味の盗聴をするわけはないので、配下のスタッフの構成が気になってくる。
これにも絶好の材料がある。さきのようにウェナストラム判事が「慎重な表現」で告発した法廷の構成の実態を、おなじくニュルンベルグ裁判に参加したアメリカ人の弁護士、アール・キャロルは、より具体的に報告している。キャロルの報告を『六〇〇万人は本当に死んだか』から要約紹介すると、つぎのようになる。
一、国際検察局のスタッフの六〇%は、ヒトラーによる人種法公布以後にドイツをはなれたドイツ国籍のユダヤ人だった。
一、ニュルンベルグ裁判でやとわれたアメリカ人のうち、実際にアメリカでうまれたものは一〇%以下だった。
一、戦争犯罪法廷のトップはテイラー将軍[ジャクソン主席検事の次席から後任へ昇格]だが、その背後の国際検察局のボスは、元ドイツ国籍のユダヤ人移民、ロバート・M・ケンプナー[ジャクソン主席検事の下では準備チームに参加]だった。
ケンプナーは、ヒトラーからドイツの市民権を剥奪されたのちにアメリカにわたったのだが、元プロイセン州の公務員という経歴の持ち主だった。バッツは『二〇世紀の大嘘』で九ページをさいて、ケンプナーの経歴とニュルンベルグ裁判における役割を紹介している。ケンプナーは一八九九年うまれでプロイセン州の内務官僚となり、一九二八年から一九三三まではプロイセン警察に上級検事として配属され、とくに当時台頭中のナチ党の調査にあたっていた。シュテーグリッヒ判事はバッツの長文の記述の存在を紹介しながら、「ケンプナーは証言を強要するこで悪名たかかった」としるしている。
ドイツ語が母国語で、ドイツの官僚組織ばかりかナチ党の内情にもつうじていたケンプナーが、国際検察局の実務部門をにぎるのは当然の帰結だった。ジャクソン主席検事は舞台上の花形役者であり、法律とは無縁のテイラー准将は実際には飾りものでしかなかった。
では、ケンプナー以下のユダヤ人スタッフの採用を決定したのは、いったいだれだったのであろうか。『二〇世紀の大嘘』によると、これもテイラー将軍ではなくて、アメリカ軍の戦争犯罪局が人事採用の権限を一手ににぎっていた。当時の戦争犯罪局長として「占領下のドイツで“アメリカの政策決定権をにぎるナンバースリー”」とよばれたのは、ウェストポイント陸軍士官学校出身でユダヤ人のデイヴィッド・マーカス大佐だった。
マーカスは、その後、ミッキー・ストーンという変名をつかって、イスラエル軍の将軍としてエルサレム方面軍の最高指揮官をつとめたが、アラブ側との戦闘中に戦死したために身元があきらかになり、おおいにアメリカのメディアをにぎわしたようだ。横大見出しは、「聖書の時代以来イスラエル軍の将軍の位をはじめてえた軍人」というものだったらしい。バッツ博士は、マーカスを「狂信的シオニスト」と形容している。つまり、その後にも問題をのこす「二重の忠誠心」の先駆者といえるほどの、アメリカ国籍のユダヤ人シオニストの大先輩であった。
「ニュルンベルグ裁判とホロコースト」によると、マーカスとともにニュルンベルグ裁判の企画の中心的な役割をはたしたマレイ・バーネイズ中佐も、ユダヤ人だった。ニューヨークで成功した弁護士出身のバーネイズは、アメリカ軍の首脳を説得して、敗残のドイツの指導者を裁くという企画をうけいれさせた。
以上のことからあきらかなように、ニュルンベルグ裁判では、「自分自身がかかわる事件については、だれも審判の席に座ることはできない」という基本的な法的原則は、まったく無視されていた。もともと世間一般に、ニュルンベルグ裁判についても東京裁判についても、「勝者が敗者を裁く」という法廷の構成にたいする疑問が提出されていた。ところがここでは、それより数段うえの、または、これ以上の可能性が考えられないほどの「復讐」の場としての、法廷の構成の仕方への疑問が提出されているのだ。
「復讐」はまた、あらたな「復讐」をよぶ。現在台頭中のドイツのネオナチなどは、さしずめ、ニュルンベルグ裁判の基本的欠陥が必然的にうみおとした「鬼っ子」というべきであろう。
ところで、以上のようなニュルンベルグ裁判の企画全体を知ったうえでならば、ニセ証人、ニセ証拠がふんだんにあらわれたという主張を紹介しても、もはや、いささかもおどろく理由はないであろう。ウィーバーは「ニュルンベルグ裁判とホロコースト」で、矛盾だらけで「偽造」があきらかな文書がたくさんあり、すでに裁判当時に法廷で疑問がだされていたという事実を列挙している。有給のニセ証人もたくさんいた。ここでは、そのもっとも典型的な例だけを訳出しておこう。
「ダッハウでの裁判の進行中におきた悲喜劇的な小事件が[ニュルンベルグ裁判]全体の雰囲気を示唆してくれる。アメリカの検事、ジョセフ・キルシュバウムは、アインシュタインという名のユダヤ人の証人を法廷につれてきて、被告のメンツェルがアインシュタインの兄弟を殺したという証言をさせようとした。ところがなんと、その当の兄弟[つまり、生きている実物]が法廷のなかにすわっているのを、被告が発見して指さしてしまったので、あわてふためいたキルシュバウムは、証人をつぎのように怒鳴りつけたのである。
『兄弟を法廷につれこむなんて馬鹿なことをしやがって、これでどうやれば、この豚を絞首台においあげられるっていうんだ』」
以上、本章では、殺人事件ならまず最初に発見されなければならない「死体」の存在への疑問から出発して、いわば「死体なき殺人事件」を事実だと判定した法廷への疑問におよんだ。
本章の最初に指摘したように、「ホロコースト」物語の説明では、「死体」は焼かれ、「遺骨」はくだかれて「灰」と一緒に埋められたことになっている。「それだけの灰は発見されていない」という疑問も早くからだされている。マイダネク収容所跡には、「犠牲者の灰」を収めたという説明板のある記念のドームがあるが、その「灰塚」の規模では、せいぜい数百人から数千人分であろう。病死などの自然死だけでも、それだけの数字になるはずだ。
第2章:「動機」「凶器」「現場」の説明は矛盾だらけ
(19)「強制収容所」にはなぜ「死亡率低下」が要求されたのかへ