湾岸平和訴訟 1994.10.12 大法廷証言記録
(その2)アメリカが仕掛けたイラン・イラク戦争以後の
対イラク謀略の構図
2003.8.5 WEB雑誌『憎まれ愚痴』連載 第2回
転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
(2003.8 小見出しを追加)
「アメリカが仕掛けたイラン・イラク戦争以後の対イラク謀略の構図」
代理人32 イラクが、それほど仮想敵国としてまでにらまれるについては、いわゆるアラブ民族主義のシンボルとしての存在みたいなのもあるでしょうし、OPECにおけるイラクの指導的な地位と言うんですか、そういうことも原因したんでしょうかね。
木村愛二 そうですね。
代理人33 アメリカの中東地域に対する戦争準備というものは、具体的にどのように展開していきましたでしょうか。
木村愛二 一九八○年にそういう予算をとりはじめて、着々準備します。もう一つ忘れていましたが、その中には、日本に輸送の協力を求めることができるということが一九八○年に文字になっているわけですね。事実、湾岸戦争では、日本は最終的には輸送船を提供しましたね。そういう計画でやって、言わば、それからの一○年間というのは、アメリカはむしろ準備に力を注ぐという時期だったと思うんです。そのときに登場したのがレーガン大統領で、二期八年やっておりますが、レーガンのスローガンというのは、力強いアメリカの再現ということで、アメリカ経済が疲弊して、彼の任期の終わりには双子の赤字と言われる予算と貿易の赤字を抱えるという、かつてない事態になったわけですけれども、そういう状態でありながら、軍備にはかなりの予算をつぎ込んだということですね。しかも、その間に起きたのがイラン・イラク戦争ですけれども、これについてはかなり、アメリカが仕掛けたという話があるわけですね。
代理人34 具体的にはどういうことですか。
木村愛二 アメリカはイランに対して、衛星による情報をずっと提供していたと。これは表面的に出ておりますけれども、実際にはイラクに対して、今イランに攻め込めばイランはがたがたになるという形で、けしかけていたというふうに言われております。しかも戦争が始まってからは、イラクにも武器を供給しますけれども、イラクが優勢になってくると、今度は、具体的には、イスラエルを通じて三○○○発以上のミサイルをイランのほうに供給したと、イランからそのミサイルが降り注いで、サダム・フセインが怒り狂ったという話もありますけれども、これがイラン・コントラゲートという形で表面化して、レーガン政権自体かなり危機を迎えたということがありまして、つまり、両方をけしかけ、両方に武器を売って争わせたと。政府の要人であるキッシンジャーは、殺し合うことを望んでいると、いろんなニュアンスで伝えられておりますけれども、両方が負けるのを望んでいると言ったという説もありますし、これは放言としてアメリカでは大変間題になったわけですね。
つまりOPECの中で中心になっている、しかも反米的な要素のあるイランとイラクを争わせて、力を弱めるという政策を八年間続けたと。そしてイラン・イラク戦争が停戦になった一九八八年以降、今度は、イラクを国際的に孤立させるような宣伝活動を始めたという形で、長い目で見ると非常に計画的にやったんではないかと私は思います。
代理人35 イラン・イラク戦争に対するアメリカの目的というのは何だったんですか、双方疲弊させると。
木村愛二 そうですね、イラン自身はアメリカの人質事件もやっておりますしね、それに対してアメリカとしては一矢報いなければいけないと、しかしアメリカは出兵する能力がないですね、その前に朝鮮戦争とベトナム戦争で苦戦して、ベトナム戦争は実際には負けた形で撤兵しておりますから、下手に出兵して、けがしても困るということがあるので、その敵を争わせる、言わば漁夫の利を得るということを、最初からねらっていたんではないかと思います
代理人36 その一方で、カータードクトリンに基づく緊急展開軍、後の中央軍と言われるものですけど、これはどういうふうな展開を見せたんでしょうか。
木村愛二 私も細部まで毎年の予算を調べているわけじゃないんですが、最初の計画では、輸送機、輸送船を補強すると、つまり、アメリカとすれば、地球の反対側に膨大な物量を送り込むわけですから、輸送力が必要なわけです。それを毎年積み重ねてやったと。インド洋にはディエゴガルシというイギリス領の島がありまして、そこを借りているようですけれども、そこにいろいろ武器を準備したというふうに言われていますし、同時にサウジアラビアの空軍基地を強化するという、これは実際には一九五○年代から始まっているわけですが、サウジアラビアの基地使用の協定をとるとか、そういうことを、一九八○年代に者々と準備して用意を整えていたというふうに思います。
代理人37 先程、二次にわたる計画ということをおっしゃったんですが、緊急展開軍、後の中央軍についてですけれども、これは完遂されたんでしょうか。
木村愛二 湾岸危機の前年の一九八九年にシュワルツコフ将軍が議会で証言をしておりまして、ほぼ準備完了と、これは宮嶋さんの「石油資源の支配と抗争」の中に詳しく翻訳がありまして、ベット数まで報告していますが、ほとんど準備完了と、その翌年になぜか、湾岸危機というのが発生するというタイミングがよすぎる事態になっています。
代理人38 中央軍の具体的な戦力についてはいいですけれども、大体どれくらいの期間で中東地域に中央軍が展開できるような装備なり実力を備えたんでしょうか。
木村愛二 大体は一九八○年の段階では、イラク軍に対抗できる地上兵力を送るのに二週間かかると、それを一○日間に縮める、一週間に縮めるというふうに、なるべく短期間に対抗勢力を送り込むという準備をしたと思います。
代理人39 それが一九八○年までに、その前に完成したということですか。
木村愛二 いえ、一九八九年あたりですね。
代理人40 まさにその計画が完了したその一九九○年に湾岸危機が勃発して、八月二日アメリカにより仕組まれた事態だという、具体的な根拠となる事実は、何かございますか。
木村愛二 先程申しましたように、石油を値下げしてイラクを怒らせたという話、そのことがアラブ諸国の会議の中でも問題になつたと、イラクが問題にしたというようなことは既に報道されておりまして、それと国境問題の紛争があると、国境間題の紛争というのは、一つはイラクにとっての石油の輸出港の問題なんですね、それと輸出港を確保するために国境線を譲ってほしいと、もう一つは国境線にまたがって、ルメイラ油田というのがありまして、それをクウェートのほうから斜め掘りという技術で盗掘をしているということは、非難がありまして、それは盗掘と言うかどうかは別として、そういう事実があつたことはほとんどの人が認めているわけですけれども、そういう紛争があったと、イラクを怒らせるのは趣味でやっているわけじゃないですから、クウェートのほうが弱いわけですから、何かあるに違いないと、アメリカが後ろについているに違いないと思っていましたら、日本では週刊ポストの一九九一年一月七日と一四日号の合併号、それが出まして、それは私、この本にも入れましたが、それには、CIAとクゥェートの密約があったと、イラクの経済状態の悪化を利用していて、国境紛争について有利な展開を考えると、これについて、CIAがクウェートの情報機関を指導すると、こういう文書があった、そういう報告書ですね。
甲ね第九号証を示す
代理人41 これですね。
木村愛二 それを雑誌社に話しまして、「噂の真相」という雑誌でその後、私、書いたんですが、話しましたら、実は、クウェートのイラクの大使館がファックスで送ってきたのがあるということで、私のところにも、実物をファックスで送ってもらいました。
代理人42 それを翻訳したのが本日提出した文書ですね。
木村愛二 はい、イラクの大使館に日本語の達者な人がいて、その方が翻訳して日本の報道機関あてに配ったもののようです。
代理人43 それは、事前にアメリカのCIAが、今おつしやったようにクウェートに対して、特に国境問題に関して積極的に支援をするというような趣旨のことを、覚書的に決めたものですね。
木村愛二 そうですね。同時に、クウェートの人間をCIAで訓練すると。要するにクウェートが政情不安定だったですね、クーデターの動きがあつたり、言わば革命的な動きがあったと。だから、そういう状態の協力と同時に、イラクに対する挑発行為についても相談をしたというふうに、私は思っています。
代理人44 これは、週刊ポストだということは、余り日本のマスコミには報道されていませんね。
木村愛二 驚いたことで、私もあとで全部調べ直したんですが、非常に小さな、全く真四角くらいの一段のべた記事の最小というものが、朝日と毎日でしたか、載っていただけで、ほかには載っていないと。友人に聞いてみたら、これは国連の場でイラクの国連大使が、みんなに資料を配って記者会見しているんです。ですから報道機関には全部渡っているんです。もちろん日本政府にも渡っていると。送りつけたと書いてありますから、それを全部無視したと。その時点で、アメリカの動きがおかしいよという世論が広がれば、あれほどひどい事態にはならなかったと思いますが、これを隠した又は報道しなかった報道機関にも、非常な責任があると思います。
代理人45 この文書が公になったのは、どういういきさつからですか。
木村愛二 前々からイラクはクウェートを非難をしておったわけですけれども、一九九○年八月二日にクウェート市を占領して、クウェートの内務省の金庫の中から発見したと。もう一つ文書がありますけれども、そういうふうに発表しています。
代理人46 CIAとの密約文書の信憑性に対する国際的な評価はどうでしょうか。
木村愛二 国際的に有名なのでは、湾岸戦争の最中に既に出版されていて、私は実物をすぐ航空便で取り寄せたんですが、フランスで出た「湾岸戦争の隠された真実」と、直訳をすると「秘密の文書」という副題がついているんですが、そういう本がありまして、フランスではベストセラ-になったと言われておりますけれども、それを書いたピエール・サリンジャーという、今日証拠を提出しましたけれども、経歴を書いたのがありますが、これは月刊朝日に抄訳が載ったんですけれども、ケネディー大統領の報道官をしていたという政治的な経歴があって、今はちょっと私は確かめておりませんが、当時はアメリカの三大ネットワークの一つ、ABCの欧州中東総局長という立場にあったわけですから、アメリカでは有数のジャーナリストですね。その方とフランス人との共著という形で発表しまして、ピエール・サリンジャーはこの文書について、アメリカ当局が何も言わないということから信憑性があるというような評価をしています。つまりアメリカの当局はできるだけ知らん顔をしているということをやったわけですね。もう一つは、これも本日提出しましたけれども、その後に出た本で、「アラブから見た湾岸戦争」というのがあります。これを書かれたへイカルさんという方は、七○を超えたエジプトのジャーナリストですが、元ナセル大統領のときに国民指導相という政治的な立場にもあった方ですが。
甲ね第一四号証、甲ね第一五号証を示す
代理人47 これですね。
木村愛二 読売新間が「地球を読む」というコラムを設けております。一面から二面にかけてのかなり大きなコラムですけれども、これを年に何回か書かれるという、言わばアラブを代表するジャーナリストとして評価されている方ですけれども、この方の著書の中でもこの密約については本物である、間違いないという形の評価をしております。
代理人48 そのほかに、仕組まれたと言うか、そういう根拠となるようなクウェート側の事態というか、イラクと一緒でもいいですけれども、あるいはサウジアラビアとの関係、何かありますか。例えば直前にジッダ会談というのが持たれたようですね。
木村愛二 はい。
代理人49 これは、どういう背景で持たれたものですか。
木村愛二 言わばイラクとしては、いろんな形でクウェートに請求していたものがあるわけですね。一つは国境線の問題、もう一つはイラン・イラク戦争のときに、サウジアラビアもクウェートも含めて、イラクに金を出してイランと戦つてくれということがあったわけですね。だから、一応形としてはイラクが借金をしてそれで武器を買ってイランと戦ったという経過があるんですね。イランのホメイニ革命があつて、各国で革命的な動きがあったもんだから、それを収めるためにサウジアラビアもクウェートも金を出してイラクを戦わせたわけですね。その金を返せとクウェートがイラクに言っていると。これについては従来いろんな経過があつて、アラブ世界では、形としては貸すんだけれどもあとで贈り物にするという習慣があって、イラクとしてはあんまり返す気はなかったと。それどころか、イラン・イラク戦争で、自分の国の倍以上の人口がある国と戦って、すっかり疲弊してしまったわけですから、経済を立て直すために金がいると。すぐには石油の輸出もままならない状態だということがあるので、むしろ借金をもっとしたいと。金を貸してくれと。特にクウェートは一番の金持ちですから貸してくれと、そういうことがあったわけですね。それからルメイラ油田については、盗掘というふうな非難、国境線が確定しておりませんからいろいろ逃げようもあるんですけれども、これについてはいつたんクウェートも認めて賠償金を払うという態度を見せたこともあるんですね。そういう問題を含めて、ともかく武力じゃなくて解決しようということで設定されたのが、ジッダ会談ですね。
(以上 升谷 眞里子)(以下も、同じ代理人で続行)
原告ら代理人(白谷)50 ジツダ会談が持たれた時期はいつ頃ですか。
木村愛二 八月二日にイラクがクウェートに侵攻するわけですが、その前の日までニ日間くらいですかね、行われたわけですね。
代理人51 八月一日まで。
木村愛二 はい。
代理人52 結果的にはこれはどうなったんですか。
木村愛二 ところが、重要な会談であるにもかかわらず、クウェートの独裁者であるサバハ家のジャビル首長ですか、これが出席を予定していたのに、しないと直前になって言い出したわけですね。そうすると、会議の価値は下がりますし、イラクの側のサダム・フセインも、出席するわけにいかないということで、双方ともNo.2が出るという会談になりました。そのこと自体がイラクを怒らせたというふうにまず言われていますけれども、そこの中でぎりぎりサウジアラビアなどが調停をしまして、とりあえずイラクにクウェートが一○○億ドル貸したらどうかという話になったわけですが、何故か、クウェートは、九○億ドルしか貸さないと言ったわけですね。つまりそのこと自体が侮辱であると。俺は金があるけれども、お前には、言ったとおりは貸さないという態度ですね、それが怒らせたわけです。それから国境問題については、絶対護らないという台詞があるというふうに、伝えられているわけです。これは、ピェ-ル。サリンジャーの本にも書いてあります。シンプソンという、イギリスのBBC、日本のNHKに当たる大きな放送局の記者が、湾岸危機のときにもバグダッドにいたわけです。一般にはCNNのピータ-・アネットが有名になっておりますが、シンプソンもいたんですね。ただ我々は、お椀と言いますが、電波を飛ばす器械がなかったので、ちょっと有名になれなかったんですけれども、この方は、ほかでも私が調べましたら非常に有力な記者なんですね。この方が、あちらこちらから情報を取って書かれた本がありまして、これを日本語訳すると「戦争の家から」という、コーランの言葉らしいんですけれども、その本の中にジッダ会談で大変侮辱的なことが起きたということが書かれています。それは、イラク側が金に困っているんだという言い方をしたら、そんなに困っているなら海の水でも飲んでいろと、それから女房を街に立たせて稼がせたらどうかと言ったんですね。
代理人53 甲ね第一四号証に、朝日新聞ですか、出ていますね。
木村愛二 そうです。その後、朝日新聞でも、ちょっとニュアンスが違いますけれども、バスラの愛国的な女性にやる金ならあると。愛国的女性というのは売春婦ということらしいんですが、売春婦にやる金ならあるけれどもイラクに貸す金はないという言い方をしたというんですね。いろんな情報がありますけれども、サダム・フセインに対する直接的な当て擦りだというふうに判断されたんですね。サダム・フセインは異腹弟が何人かいるというふうに報道されていますけれども、少なくとも母親が再婚したことは間違いないわけですが、その間に売春という悪いうわさがあったんですね。売春をしていたというんですね。それが、サダム・フセインに対しては母親のことを持ち出すのは最大の侮辱であるというふうに伝えられたですね。その場でイラクのNo.2が怒つて灰皿を投げたという話もありますけれども、その報告を帰って伝えた途端に、サダム・フセインは、途中で立ち止まるな、クウェート全土を占領しろという命令を出したと言われているんですね。
これはほかの情報と合わせますと非常に信憑性がありまして、それ以前のクウェートなんかの態度は、国境地帯の紛争地帯だけをイラクが占領するものと思い込んでいて、イラク軍が攻めて来たと言っても、起きなかったと、皇太子がですね、そういう報道もあるんです。ですからクウェートとしては、どうも、イラクを挑発し過ぎたというふうな感じがする話なんですね。
この話をイラクで長いこと仕事をしていた人に話しましたら、十分あり得ると。アラブの諸国では、そういう侮辱を聞き逃していた場合には当然うわさが広がりますから、それだけでも政権を維持することができなくなる、それくらいの侮辱だと、十分あり得ることだと言っていました。
代理人54 露骨な挑発ですけれども、そのほかサウジの動きもあるんじゃないですか。
木村愛二 サウジアラビアについては、湾岸危機前後で、石油が何故かそんなに上がらなかったですね。一時上がりましたけれども、石油の値段が、また下がりました。それは何故かというと、サウジアラビアが大変な増産をしたんですね。増産をしたということは、増産をする能力を持つていたということですね。これはOPECのお互いの生産協定という立場から見ると、非常におかしなことなんですね。何かのときに増産をできる準備をしていたということですね。これは不思議だと思っておりましたら、かなり早くに、「サンデー毎日」だけですけれども、おそらく現地では噂が飛んでいたことだと思うんですけれども、サウジアラビアがアメリカのベクテルと一、二を争う建設会社と契約を結んで、増産の準備をしていたということがあって、そのコピーを見てサダム・フセインが怒ったと。
代理人55 甲ね第一一号証ですね。
木村愛二 はい。増産の準備をしているということは、戦争が起こることを予測しているとしか考えられないことで、それをクウェートの動きと繋げますと、戦争を挑発されていると感じているわけですから、これは当然たくらんでいるに違いない、しかもサウジアラビアはほとんどアメリカのシェアか強い国ですから、その後ろにアメリカがいるに違いないと思わせる動きだったです。
代理人56 イラクに対するアメリカの態度はどうだったんですか、湾岸戦争直前。
木村愛二 イラクに対してはアメリカは非常に奇妙なことをやっていますね。今、イラク軍が南に動いたということで、ここ二、三日報道がありますけれども、私が昨日、日本国内の米軍放送、AFNを聴いていましたら、アメリカ本土の有名な番組をやっているんですね、ロシュ・リンボーというんですが、解説者で、日本で言えば、講談調の解説をする人なんですが、その人がアメリカ国民は知る必要がある、何故今出兵したかと、それはクリントンが中間選挙で有利になろうとしているに違いないと。
しかし、湾岸危機のときにはグラスピー会談というのがあったですね、アメリカのイラク大使が、サダム・フセインと会見していますね。そのときから一週間後に、イラクのクウェート侵攻があるわけですけれども、その間だつて衛星でイラク事の移動がわかつたはずじゃないか。これはロシュ・リンボーが言わなくても、私も思いましたけれども、今度の騒ぎについても、アメリカはイラク軍が動いているのを衛星の観測で見て、けしからんという事件なんですね。ところが、湾岸危機のときには、いろいろ前から事態があったにもかかわらず、しかもその後、全部報道されていますが、CIA当局とか軍当局は、大統領に対して全部報告を上げているんですね。イラクの移動状況、そのことを何もアメリカは言わなかつたですね。つまり挑発して、餌をぶら下げて、掛かつて来るのを待っているという感じで、しかも、グラスピー大使は、フセインに対して、アラブ諸国のことについては私たちは干渉しないと言つて、アメリカが動かないようなニュアンスを示したと。ですから、それだけでサダム・フセインがクウェートに入ったとは思いませんけれども、実際には、前にイランに進入をしたときは、アメリカがけしかけたようなこともありますから、どこかで調停の動きが出ると思ったとしても不思議はないですね。飴と鞭の両方で、イラクを誘い込むことを、アメリカはやっていたと僕は思います。
代理人57 アメリカのケーリー次官からの、下院の中東小委員会における答弁というのもあったんじゃないですか。
木村愛二 同じ趣旨の答弁をしていました。
代理人58 ベクテル社の問題があると思うんですが、このことについてちょっと話してください。
木村愛二 ベクテル社の動きは非常に奇怪でして、湾岸危機の半年も前に、イラクやクウェートから引き上げているんですね。このベクテル社というのは、前にも、イランのホメイニ革命のときにも、早めに逃げだしたということで、かなり報道されているんですけれども、顧問に、元CIA長官を抱えているんですね。顧問というよりも、アメリカのCIAというのはもともとは石油会社と非常に密接な関係があるわけですけれども、そういう情報を握って逃げ出したと。しかし、どういうわけか、湾岸戦争で地上戦が始まる直前に、ワシントンでベクテル社とクウェートの首長と協定を結んで、クウェートの石油構製施設一○○パーセントを、全部、修復作業を、ベクテル社が請け負うという判子(はんこ)を突いているんですね。逆に言うと、クウェートが国を取り返してほしかったら、これに判子を突けと言わんばかりのことが行われていると。ベクテル社とアメリカの陸軍の関係というのは、私も本に書きましたけれども、かなり深い関係があるんですね。しかも契約というのは陸軍が結んでいるんです。陸軍が結んで、ベクテル社が請け負うという形を取っていますから、そういう奇怪なことが起きている。いろんな形で暗躍があったに違いないんです。
甲ね第七号証を示す。
代理人59 本日提出の甲ね第七号証の上院の報告書ですが、この訳者はだれですか。
木村愛二 何人か協力を得ておりますけれども、私が訳者代表ということにしていただいて結構です。
代理人60 さきほどから、あなたは証言されておりますけれども、こういったイラクによるクウェート侵攻、これに続く湾岸戦争は、アメリカによって仕組まれたものであるという認識は、世界のジャーナリストのどの程度の支持を得ているんでしょうか。
木村愛二 代表的なのは、さきほど申し上げたピエール・サリンジャーですね。それからアラブのヘイカルですね。日本国内では、一応「週刊ポスト」の報道もありますし、テレビ朝日の「ザ・スクーブ」が、これを報道しましたし、そういうのも含めて、私が書いた本について、朝日新聞を退社されて今「週刊金曜日」の編集長をやつている本多勝一[2003.07.22.注記]さんですね、あの方の本の中でも評価をしていただいています。歴史学者では弓削達さんですね。
[2003.07.22.注記]:本多勝一への評価は別問題。木村愛二の電網宝庫「憎まれ愚痴」関連記事参照
http://www.jca.apc.org/~altmedka/
代理人61 甲ね第一六号証ですね。
木村愛二 弓削達さんは、専門はローマ帝国の研究ですけれども、歴史学者として著名な東大の教授をやられた。今は、フェリス女学院の院長ですか、そういう方が、これは先生方の会議での講演録を、岩波のブックレツトに載せたわけですけれども、そこで評価していただいております。ですからむしろ、アメリカが仕掛けたという説以外にはないというくらい言っても、いいという状態だと思います。
代理人62 いわば通説であるということですか。
木村愛二 はい。
代理人63 ところで、一九九一年一月一七日に多国籍軍による「砂漢の嵐」作戦が始まりました。これに始まる湾岸戦争について、あなたはどのように考えておられるんでしょうか。
木村愛二 今まで申し上げたことで明らかなように、アメリカが石油資源地帯を確保することと同時に、軍事的な勢力圏にしていくということを考えてやったことですから、やはり大変謀略的な侵略的な戦争であったと言わざるをえないと思います。
代理人64 何故アメリカは湾岸地帯に基地を造るという必要があったんでしょうか。
木村愛二 さきほども一応申し上げましたが、さきほど示した議会記録ですね、この中にも地図が載っておりますけれども、北極圏を中心にした地図を考えているわけですね。アメリカの位置から考えると、ユーラシア大陸をはさんで反対側の一つ三角形の形で日本がある、それから湾岸があるという、ユーラシア大陸を抑える要所だという考えをしていますね。もう一つはアラブ・イスラム圏、これは大変に広大な地帯でありまして、イスラム教の圏というのは、インドネシアあたりにも広がっているんですね。それから今、ソ連が分解して、ソ連の南側はイスラム圏ですけれども、こういう地帯に対するアメリカとしての将来展望という計画が一つあったと思いますし、それから同時にそういう中で、OPECを一つ抑え込むことと、それからもう一つはパレスチナですね、パレスチナの開放機構PLOを支援しているイラクを叩くことによつて、現在進行中のパレスチナの和解と、いわばイスラエルという国を認めさせるという計画を持っていただろうと思います。それは現在進行中であります。
代理人65 湾岸戦争によつて、そういったアメリカの世界戦力というか、そういうものが完成しつつあると考えていいんでしょうか。
木村愛二 あちらこちら傷だらけではあるけれども、一応目的を達成しつつあると言えると思います。
甲ね第一四号証ないし一八号証を示す
代理人66 世界のジャーナリズムの通説という証拠として、本日出したものですけれども、これが今あなたが言った考え方を裏付ける文書ということになるんですね。
木村愛二 はい。
(その2)終わり。(その3)に続く。