イラク・湾岸戦争「湾岸平和訴訟」大法廷での木村愛二証言記録 1

湾岸平和訴訟 1994.10.12 大法廷証言記録

(その1)『湾岸報道に偽りあり』執筆に至る経過と調査の内容

2003.7.18 WEB雑誌『憎まれ愚痴』連載 第1回

転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 2003年7月24日、わが電網宝庫での新たな電網公開に当たっての追記:

 略称「湾岸平和訴訟」または「市民平和訴訟」は、東京で1,000名以上、全国各地を合わせると4,000以上の市民有志が、湾岸戦争への約90億ドルの「献金」を憲法違反として、各地の地方裁判所に提訴するという方法で争った市民運動である。

 東京の訴訟団の有志が東京地裁の調書からのスキャナー読み込みによって、数年前から電網で発表し続けていた記事のURLは、以下である。

 http://archive.jca.apc.org/peace-st/saibansyo/kimura.html

 以下は、上記の電網記事を基にして、原告本人証言の当人、木村愛二自身が、若干の字句を校正し、句読点を追加し、簡略な追記と説明を加えたものである。原告の証言の部分には、冒頭に木村愛二本人の氏名を補った。

「『湾岸報道に偽りあり』執筆に至る経過と調査の内容」

[市民平和訴訟の会・東京]ジャーナリストの証言
1994年10月12日 第14回口頭弁論速記録

原本番号平成五年(民)第八○三号の六

平成六年一○月一二日

第一四回口頭弁論

事件番号 平成三年ワ第二六一一号
     平成三年(行ウ)第九〇号
     平成四年(行ウ)第六号
     平成六年ワ六三九号

本人氏名 木村愛二

原告ら代理人(白谷、以下、途中で池田に交代するまでは白谷、アラビア数字は質問の順番)
速記録末尾添付書面を示す

代理人1 あなたの経歴は、この「経歴・著書」に書いてあるとおりですね。

木村愛二 はい、そうです。

代理人2 これを見ますと、あなたは、大学卒業後は一貫してマスメディア関係、いわゆるジャーナリストとしての道を歩いてこられたようですね。

木村愛二 はい。

代理人3 ところであなたは、ジャーナリストとして、一九九○年のいわゆる湾岸危機に始まる湾岸戦争について、取材や調査をされましたか。

木村愛二 はい。

代理人4 その取材や調査をされる動機は何なんでしょうか。

「湾岸戦争報道に関する単行本『湾岸報道に偽りあり』執筆に至る経過と調査の内容」

木村愛二 私自身は、日本テレビにいた時期に、マスメディアがいかに権力に操縦されやすいか、番組の放送中止などもいろんな事件がありましたので、放送民主化の運動というのを随分やってきました。ですから、そういう状況の中で、世界的なメディアの関係も知っておりましたし、第一次大戦、第二次大戦を通じていろいろ操作するという事実があったことも知っていました。ですから、この事件についても最初におかしいと思ったことがありまして、それはたしかNHKだったと思いますが、そのときは本を書く気まではなかったのでメモはないんですが、石油の専門家が出ておりまして、イラクがクウェートを侵攻した理由の一つとして、クウェートがOPECの石油輸出国機構、それの協定を破って石油を増産して、結果的に石油の値段を半分くらいに下げてしまったと、そのことについてイラクが非常に憤慨していたどいう話をしておりまして、これは非常に何かあるなというふうに感じました。それ以来、湾岸危機、湾岸戦争を通じていろいろ資料を集め始めました。

代理人5 具体的にはどのような調査をなさったんでしょうか。

 私は日本テレビにいたとき調査部におりまして、調査機関についてのこともいろいろ勉強しておりましたので、普通の日本の報道というのは記者クラブ型発表報道ということで、やっている人自身も非常に反省しているんですけど、そういうのじゃなくて、むしろ自分の能力のあたう限り資料を集めて、それを比較検討して矛盾点を発見すると、そして事実を調べる、こういう形でやってまいりました。ですから、私の「湾岸報道に偽りあり」という、証拠に出しました本の終わりのほうに三○ぺ-ジ、資料リストを載せておりますが、これを全部読んだわけじゃないんですが、関係ある部分については、ほとんど目を通すという形で調べました。

甲ね第一号証を示す

代理人6 今言ったのは、この二八五ぺ-ジから二九六ぺ-ジまでの資料を言っているんですね。

木村愛二 はい、そうです。

代理人7 これを見ますと、一○○以上の文献にあたられたと。

木村愛二 それ以上も見ているんですけれども、主要なものを載せたということです。

代理人8 ところで、一九九○年八月二日、イラクがクウェートに侵攻してクウェートを占領しました。この湾岸危機に始まる湾岸戦争は、一方では正義の戦争という見方もありますけれども、予告された戦争であるとか、あるいはアメリカによって仕組まれた戦争であるとも言われておりますが、あなた自身はこの戦争をどのように見ておられるんですか。

木村愛二 私自身は、むしろ、一般に言われているより以上にアメリカが長期の計画で湾岸の石油資源を確保すると、それと同時に軍事基地をあの地帯に確保する、こういう長年の計画で仕組んできたものだと思っております。

代理人9 そのようにあなたが判断される根拠についてこれから詳しくお尋ねしていきます。まず、アメリカがなぜそのような計画をしたかということについてですけれども、アメリカにとって中東地城はどのような意義をもった地域なんでしょうか。

木村愛二 アメリカは、世界の石油の二五パーセントを今使っているという、最も巨大な先進的な工業国であります。ですから石油が非常に大事だということでありますし、しかもアメリカの石油はかなり掘られておりまして、相当深く、しかも費用をかけて掘らないと出てこないという状態になっているし、しかも海底油田などの開発については環境破壊ということで反対運動もありますので、そういう意味では、豊かな石油資源がある湾岸地帯というところはかなり前から確保したいところだと、むしろ二○世紀初頭から、アメリカは、湾岸の石油に関しては採掘権なり利権を獲得するという動きをしております。

代理人10 そのことを具体的に言ってもらえますか。

木村愛二 第一次大戦の前からいろんな形での動きをしておりまずが、最も特徴的なのは、現在一番豊かな石油資源があるサウジアラビアヘの進出でありまして、このあたりは実際にはイギリスの保護領だったりイギリスの勢力圏だったんですが、一九三○年代に、アメリカ最大、世界最大の財閥であるロックフェラー系のソーカルという会社が、イギリスの二倍と言われておりますけれども金を出して、サウジアラビアから採掘権を獲得して、着々と油田を掘り当てておりました。それが第ニ次大戦の時期に、アメリカ最大つまり世界最大、一、二を争うと言ったほうがいいでしょうけれども、ベクテルという会社に、サウジアラビアの石油採掘権から、空港から都市まで全ての建設を請け負うという形で進出を始めまして、問題になっている第二次大戦後の勢力範囲を協定したヤルタ会談のあとで、アメリカのローズヴェルト大統領がサウジアラビアに行ったということで、イギリスが怒ったというような事件もあるわけですけれども、そういう形で強力な進出体制を作ったわけです。

代理人11 アメリカにとって、サウジアラピアというのは特別な意味を持っていたわけですね。

木村愛二 はい。

甲ね第三号証ないし甲ね第六号証、甲ね第八号証を示す

代理人12 これは、あなたが準備されたサウジアラビアに関するいろいろな資料若しくは記事等の資料なんですけれども、前々からのアメリカのサウジアラビア戦略、そういうものが準備されたという証拠ですね。

木村愛二 はい、そうです。一応「湾岸報道に偽りあり」という本の中にも粗筋は書いたんですが、話せば長いことで、一年くらいかかって調べたことなんで、法廷で十分言えませんので、本日出した資料は、そこになかったものを出して補強するという形になっております。

代理人13 アメリカのいろんな石油戦略を目指した中東に対する働きかけ、そういうのがあったと、これに対して湾岸諸国はどのようにアメリカに対抗し、またアメリカがそれに対してどのような工作をしたかということについて、あなたが御存じのことを簡単に述べていただけませんか。

木村愛二 第二次大戦後は、全世界的に植民地の独立の運動が起きるわけです。アラブ地域、イスラム圏もそういうわけですけれども、そういう中でこの湾岸戦争後にむしろ明らかになってきたと言いますか、本日出しました読売新聞の記事などは、アメリカとサウジアラビアとの密約というのは、実は一九四七年、第二次世界大戦が終わった直後から始まっているということが明らかになりました。

甲ね第三号証を示す

代理人14 これにありますね。

木村愛二 そうです。これはかなり前から疑われていたことですけれども、サウジアラビアは王様ですね、クウェートも首長、いわゆる王様ですね、王様の国に対してアラブ諸国ではほとんどのところで革命が起きて、王政が倒れて共和国に移行しているわけでして、そういう状況の中で、サウジアラビアの王様のほうはアメリカに庇護を求めた、しかも奇縁と申しましょうか、同じ時期に昭和天皇はマッカーサー司令官に対して沖縄を二五年から五○年占領してほしいと頼んだということがあります。まさにアジア大陸の両方を挟むところで、独裁君主がアメリカに対して、自分の国にいて革命的な動きを抑えてほしいと頼んだという歴史的な事実があるわけです。

代理人15 それを踏まえてですけれども、今私が言いました、湾岸諸国がそれにどう対処し、アメリカがどう工作したかどいうことについての歴史的な外観というんですか、それを知っている範囲で述べてもらえますか。

木村愛二 まず、一九五一年にイラン、これも大きな産油国ですけれども、アラブではありませんが、イスラム圏であります、ここで革命が起きて共和国ができるわけです。そして石油の国有化を宣言します。そこに対してCIAの工作を行いまして、クーデターを起こしてパーレビ王を呼び戻して王政に戻すということをやりました。そのときの警備隊長と言われておりますけれども、アメリカの軍人として指揮を執ったのは、奇しくも湾岸戦争の中央軍の指揮者だったシュワルツコフの父親であります。シュワルツコフ・シニアと呼ばれておりますけれども、そういうことをやっております。そのあともイラクで革命が起きて共和国になって国有化を宣言する。これに対してもCIAが謀略を仕組んで暗殺計画をするというようなこともやっております。しかも同じように、そういうことが起きたあとに必ず現地の石油会社のシェアが、アメリカが増えると、むしろイギリスが非常に憤慨をするというような事実が次々に起きております。

代理人16 一九六○年にOPECが結成されましたね。

木村愛二 はい。

代理人17 それから、今言われたイランは、一九七九年のホメイニ革命まで王政ということになるわけですね。

木村愛二 王政ではありますけれども、OPECの歴史を言いますと、イラン、イラク、サウジアラビア、クウェート、ベネズエラという五か国から始まるわけでずが、ベネズエラは南米でありまして、言わばアメリカとしては裏庭のようなところで支配がしやすい、サウジアラビアはそういった密約もある関係ですね、クウェートはもともとイギリスが独立させたという形で、小さな国でもありますし力がないと、ですからOPECの資源諸国の外交を展開する上ではイランとイラクが中心になるわけです。そこへ革命が起きたりいろんな事件が起きるわですが、ですからOPECの歴史もかなり波がありますけれども、一九七○年代あたりから資源外交を展開して、石油の生産の協定を結んで値段が下がらないようにするということをやるようになるわけですね。その中心にいるのがイランとイラクだと、特にイラクがだんだんと中心的な力をつけていくという歴史があったど思います。

代理人18 イラクも、一九七二年にバース党政権ができて、石油会社を国有化するということになるわけですね。

木村愛二 はい、そうです。特にイラクの場合には、現在のサダム・フセインがまだナンバー2だった時代に、ソ連の技術を使ったりしまして、ルメイラ油田というのを自力で開発するわけです。そういう意味から、かなり独立性が強くて、OPECを敵視するアメリカなどの石油を使う国からずれば、目の上のたんこぶというような状況になったと思います。

代理人19 そこでアメリカは、このようなアラブ民族主義と言いますか、それの高揚を前にして、中東地域における石油利権の確保のためにどのような方針で臨もうとしたんでしょうか。

木村愛二 一九七○年代まではそういうことで、七○年以前はCIAの工作ということもありましたけれども、だんだんそれが難しくなってくる、しかも同時に、別の地域ですけれども、アメリカはベトナム戦争で負けるというようなことがありまして、国内でも平和運動が起きるということがあったわけです。ですから、一九七○年代の半ばごろから巻き返し戦略を考える時期に入ったと思います。そこヘ、一九七九年になってイランのいわゆるホメイニ革命というのが起きてパーレビの王政が倒れるという、非常に反米的な色彩の政権ができると、同時にアメリカ大使館でも人質事件が起きると。

代理人20 それが一九七九年ですね。

木村愛二 はい。しかも同時に、その年の暮れにソ連がアフガニスタンに侵攻するということがありますね。しかもアフガニスタン侵攻については、反政府勢力をアメリカがCIA資金で援助していたということがあるので、これはアメリカが仕掛けたんじゃないかという説が非常に濃厚なんですけれども、そういうふうなことが一九七九年に起きまして、それを受けた形で一九八○年から、以前から準備されていた湾岸に対する支配を強めるための軍事計画というものを具体化し始めます。

代理人21 具体的には、八○年一月の一般教書で、いわゆるカータードクトリンと言われるものが発表されましたね。

木村愛二 はい。

代理人22 その内容について簡単に説明してください。
木村愛二 簡単に言うと、湾岸における石油を確保ずるためには武力の行使も辞さないという決意を表明したものです。

代理人23 そこで、いわゆる緊急展開軍というものが創設されることになるわけですね。
 はい。

甲ね第七号証を示す

代理人24 これは、あなたのお手元にあるグリーンの本の抜粋なんですけれども、アメリカの上院外交委員会の報告書で、題は、「南西アジアにおける合衆国の安全保障上の関心と政策」というものですね。

木村愛二 はい。

代理人25 この証拠をあなたが見つけられた経緯をお話ししていただけますか。

木村愛二 私は、湾岸戦争の全体像を知るためにはどうしても石油間題を詳しく調べなければいけないと思って、目につく資料についてはほとんど集めたわけですけれども、その中に、実際にシェル石油の日本支社で働いていた経験のある官嶋信夫さんという方が書かれた「石油支援の支配と抗争」、湾岸戦争に関する副題がついておるんですけれども、その本の中にこの記録のことが書いてあったんです。宮嶋さんはその前の本の中でもこのことに触れておりますけれども、「石油資源の支配抗争」の中には、具体的にアメリカの上院の議会記録であるというとが書いてありましたので、一部の翻訳はありましたけど、実物を見ようと思って国会図書館に行きまして、国会図書館ではいったんそれを出た翌年に買っているんですけど、なぜか行方不明なんですね。
 行方不明というのはどういうことだと聞いたら、一般の利用者ではないと、一般の利用者はそういうことはできないと、国会関係者が持っていってそのまま分からなくなることがあるというずさんな話なんですけど、もしかして隠したんじゃないかという冗談を言いまして、CIAの謀略じゃないかと言ったら、館員はにこにこ笑っていましたけど、浜松町のアメリカンセンターに行けばマイクロフィルムがあると、具体的にはマイクロフィッシュと言うようですけれども、一枚のフィルムに一○○ぺ-ジ入るという形のものがあったわけです。それを私は全部コピーをとりまして読んでみて、これは重要だと思いましたので、復刻版を作ったわけです。協力者を求めて、三○○部作って二○○部くらい頒布しましたけど、自分たちで翻訳したいという仲間が出てきたので、今部分的にやっています。出版社にも話したんですけど、商売としてやるのはなかなか難しいということで、非常に残念なんですけど、取りあえず、一番重要な最後の部分、付録なんですね、言わ軍事的な問題に関する要約ですね、要約報告書、その部分だけを今日提出したわけです。でき得れば全部翻訳して追加で提出したいと思っています。

代理人26 それは、全部自費でやられたんですか。

木村愛二 そうです。

代理人27 その内容について、エッセンスといいますか、お話しいただけますか。

木村愛二 一九七九年末のイランのホメイニ革命とアメリカ大使館人質事件、ソ連のアフガニスタン侵攻、このことによって翌年力-タードクトリンが出るわけですけど、それを受けた形で六日間の聴聞会、ヒアリングがありまして、ただし公聴会ではないですね。半年くらい公開が遅れておりますし、中を見ますと削除部分がたくさんあるということですね。特に日本との関係の削除部分がかなりあるんですけど、そういう半分秘密という聴聞会で、アメリカの湾岸との関係を詳しく研究したいう内容です。ほとんどは石油資源の確保がいかにアメリカ経済について重要であるかということなんですね。最後にそれを確保するために合衆国の軍事力を使う必要があると。そして緊急展開軍を創設して、当面五か年計画を立てると、これはあとの議事録等から明らかなんですが、五か年計画が二回ですね、一○年アメリカは湾岸で何か起きた場合に緊急にあれだけの兵力を送ると、イラクに対抗できる兵力を送るという準備をしたということが、これらの記録から明らかになると思っています。

代理人28 その報告書の中に、日本に掃海艇を出させることまで想定した記述部分がありますか。

木村愛二 そうです。まず前提として、湾岸の石油をほかの国がどれだけ輸入しているかどいう表がありまして、日本の輸入量の七三パーセントが湾岸からだと、日本が一番比率が多いと、だから日本は協力すべきであるという論旨があちらこちらに出てきまして、その中で、最初には掃海艇の派遺を求めるということが出ております。これは大江さんも前回の証言で言われましたけれども、朝鮮戦争以来、日本の掃海艇の力アメリカは買っているわけで、それの要請をするというのが一つあると、それから、終わりのほうに日本との関係について詳しい議事録があるんですけど、これは肝心の部分が削除ばかりで、活字にしてもなかなか証拠をつかめないということですけれども、いずれアメリカの習慣ですと公開されると思いますから、そのときまで何とか生き延びて明らかにしていきたいと思っています。

代理人29 これが出されたのは一九八○年三月四日ですね。

木村愛二 はい。

代理人30 湾岸戦争勃発の一○年前ですけれども、実はアメリカはこの報告書の中で、イラクのクウェート侵攻を予測して、イラクを仮想敵国として戦争準備をしていたという事実が記載されていると言われますけど、そのとおりですか。

木村愛二 はい、記載されておりますし、私の本の中にもその部分を写しました。

甲ね第一号証を示す

代理人31 このニ三○ページ以下ですね。

木村愛二 はい。ここではイラクについての記載があるわけです。周りの諸国の状況というのを一応全部書いてあるんですが、イラクのところは非常に詳しいんですね。これは省略した部分がありますけれども、

「イラクは一九六一年にクウェイトヘ越境しようと試みた。・・・・・・ソ連は・・・・・・イラクの二度目の計画を指導することがあり得る。想定される事態に最もよく目的を達成するためには、空軍の支援を受けた地上兵力が必要である。イラクの一○個師団(四装甲師団、二機械師団、四歩兵師団)と二爆撃機、一二戦闘攻撃機隊に支援されたニ○○○台近くの戦車隊は、米国の「ベストケース」の緊急戦力に十分対抗する戦力を持ちうる。イラクの総合戦力はどんな事態に対してもその第一日に展開できる一方、米国軍は空輸能力、海上輸送能力不足のため、少数ずつ逐次投入できるにすぎない」

 ということです。逐次投入すれば、襲いかかられて被害が起きるから、どうすれば緊急に送ることができるかということを書いてあるわけですね。ただ、これだけだとほかの国のことも書いてあると思われるかと思いますけれども、全体を読みますと、ソ連はアフガニスタンからもっと侵略する意図はないという分析が出ていまして、やはりイラクが最大の脅威として、実際には前から準備していた計画ですね、年表などは一九七三年から載っておりますから、それを表面化して議会に予算獲得にいったと、言わばアメリカの産軍共同体と言われているところがそういうふうに掛け合ったと、それに対して石油関係も資料を出して必要であるということを迫ったというふうに私は読み取っております。

(その1)終わり。(その2)に続く。