第1部 ODAの基礎知識
Q.ODAの歴史を教えてください。
A.少し長くなりますがいいですか?
ポイントは昔は日本も援助の受け入れ国だったこと、日本のODAは戦後賠償から始まったこと、援助政策が内外からの批判を受けて変遷してきたことの3点です。
理念の歴史もついでに最後に紹介しておきます。
1 援助の受け入れ (40年代後半)
荒廃した戦後の日本。日本のODAの歴史は、ここから始まります。
日本もかつては援助の受け入れ国でした。このことは必ずしもよく知られているわけではありません。しかし、この援助が日本の経済の早期復興に役立ったということはまぎれもない事実です。
日本への援助は、アメリカによって行なわれました。ガリオア(占領地域救済政府基金)エロア(占領地域経済復興基金)と呼ばれるものがそれです。1946年から1951年の間に約50億ドルが拠出されました。これは、アメリカ側から見ると日本を共産主義の浸透から防ぐ、という戦略的な意味合いを持っていました。
経緯はどうあれ、結果的にはこの援助は日本を戦後の疲弊から立ち直らせることにつながり、その後の朝鮮特需とあわせて日本の経済発展の原点となりました。
この時の経験が現在の経済インフラ重視という日本のODAのあり方を決定している、とも言えます。
2 戦後賠償の一環として (50年代〜60年代)
日本のODAの初めの形態は戦後賠償でした。
1954年日本はビルマとの間に「日本・ビルマ平和条約及び賠償・経済協力協定」を結び、賠償を行ないました。これを皮切りにフィリピン・インドネシア・ベトナムとの間にも賠償協定が結ばれました。また、戦後処理の一環として、カンボジア・ラオス・マレ−シア・シンガポ−ル・韓国・モンゴル・ミクロネシアに対して無償援助などが行なわれました。
現在の日本のODAがアジアを重視している(第3章参照)のは、この日本のODAが戦後賠償から始まったということと大きく関係しています。
3 ODA供与額の拡大 (60年代〜70年代)
援助形態は戦後処理を主眼とするものから転換を始めます。
62年のOECF(海外経済協力基金)設立、74年のJICA(国際協力事業団)の設立など、援助の体制が確立されるのもこの時期です。
このような中、ODAは量的に拡大を進め(下表参照)、その一方で有償資金協力に加え、一般無償資金協力・食糧援助などが始まるなど形態も多様化し始めます。有償資金がタイド(次ページ注)で供与されることが日本企業の輸出振興につながり、日本の高度経済成長に貢献したという一面も忘れてはならないでしょう。
4 供与額世界1位へ (80年代〜90年代)
ODAの量的な拡大にあわせて、日本政府はODAを国際貢献の重要な柱の1つとし、アピールに努めます。
質の面では資金援助がタイドが多く、日本企業への利益誘導となっているという内外からの批判を受けて、完全アンタイド化を進めることになります。また、BHN(基礎生活分野−保健衛生、教育など)関係の援助を拡大するなど、援助の形態も変化しました。
一方、80年代の終わりから、国内のマスコミやNGO(非政府組織)などからODAに対する批判が行なわれ、世論の支持を得ることになります。この批判の主なものは第5章で取り上げますが、この批判に対して日本政府は「ODA大綱」で理念を定め、ODA供与の原則を閣議決定します。
1989年、日本はアメリカを抜き世界1位のODA拠出を行ない、現在に至るまで1位の座を保っています。
5 そして今
行財政改革の流れの中で、98年度予算が初めて減少となります。量的な拡大がもはや望めない中で、今、質的な拡大が求められています。外務省・経済企画庁などの日本政府や経済界、NGOなどで、今後のODAのあり方について論議されています。これから、の動きについては第5章で取り上げます。
注)タイド
いわゆるひもつき援助のことで、開発プロジェクトを建設する場合に必要となる資材や役務の調達を、援助供与国(例えば日本が援助を行なう場合だったら、日本)に限定することを条件として供与される援助のこと。アンタイドはその逆で、援助供与国の企業でなくても自由に入札ができる場合をいいます。部分アンタイドは援助供与国と開発途上国の企業のみが入札に参加できる、というものです。現在、円借款ではほぼ100%アンタイドとなっています(贈与はタイドがまだまだ多いですが)。
右上の図は二国間ODA全てのタイド率を日本と他国平均と比べたものです。日本がアンタイドが多いことが分かります。これには、借款については現在世界的にアンタイドが一般的になっており、日本は円借款が多いためにアンタイド率が高くなっているのである、ということを付け加えておく必要があるでしょう。右下の図は円借款のみについてのタイド率の変化です。一般アンタイドの比率が増えている様子が分かると思います。
援助理念の変遷
1957年、岸首相は外交方針として、「我国の経済発展と国民の繁栄を図る見地から」ODAを供与する、としています。これは我国の「国益」を考えてのODAの供与、という理念を打ち出したものと考えることができます。
70年代になると、日本のODAは日本企業の利益誘導だという批判が外国からなされ、それに答える形のアンタイド政策に伴い、「相互依存」という考え方が広く言われるようになりました。これは、1章でも書きましたが日本の繁栄は世界各国の平和の上で成り立っているという考え方です。「国益」の概念は強調されなくなりました。
80年には相互依存の概念に、「人道的・道義的考慮」という理念を付け加えました。 そして、90年前後の世論の批判の高まりに応じる形として92年、ODA大綱で、人道的考慮・相互依存・環境の保全・自助努力の4つを理念として掲げることになります。94年には再び、ODAは「国益」に合致するものでなくてはならない、という観点を付け加えています。
第1部 ODAの基礎知識
.[1.ODAとは] [2.歴史] [3.現状] [4.批判] [5.改革に向けて]
第2部 ODAの諸問題
[医療分野のODA] [情報公開]
[ODAにおける環境アセスメント]