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死の影の谷間から
<死の影の谷間から>
ムミア・アブ=ジャマール/著
今井恭平/訳
現代人文社/刊

無実を証明する新証拠

ムミア・アブ=ジャマールの供述書


訳註
これは、2001年5月5日に公表された、ムミア・アブ=ジャマールによる陳述書であり、宣誓供述である。これは、一般に公開される最初のバージョンである。インターネットによる頒布の過程で、若干の語句や文字が消失している。より完全なバージョンは、近日中に公開される予定である。

私、ムミア・アブ=ジャマールは、以下のように明言する。
  1. 私は、この訴訟の上訴人である。もしも、証人として喚問されるならば、私は自分自身の直接の体験にもとづいて、以下のように証言することが可能で、またその意思もある。
  2. 私は、ダニエル・フォークナー巡査を撃っていない。私は、フォークナー巡査殺害に何の関係もない。私は無実である。
  3. 原審において、私は、自分自身を弁護する権利を拒否された。私は、法廷が決めた弁護人をまったく信頼することができなかった。彼は、私が撃たれ、警官が殺害された当夜、何が起きたのかを私に聞くことさえ一度もしなかった。そして、私は自分の裁判の法廷から、少なくとも半分の時間は排除されていた。
  4. 私は、自分の裁判の場で私の権利をすべて剥奪されていたので、証言台に立たなかった。あたかも公正な裁判が行われているかのように見せかけるために利用されることは、なんとしてもしたくなかっからである。
  5. 1995年の再審請求過程(ポストコンビクション・プロシーディング)で証言しなかったのは、私の弁護人、レオナルド・ワイングラスの助言にしたがったものである。ワイングラスは、私に証言するなと明言した。
  6. そして私は今、1981年12月9日の早朝、私の身に何が起きたのかを語る機会を初めて与えられた。以下が、実際に起きたことである。
  7. タクシー運転手として、私は13番通りとローキャスト通りの角によく行っていた。そこは、クラブなどの多くある地域で、客を拾いやすかったからである。
  8. 81年12月9日の夜、私はユナイテッド・カブ【タクシー会社】の運転手として働いていた。
  9. 私はたしか、ウエスト・フィリーで客を降ろして、ちょうど戻ってきたところだったと思う。
  10. 運転日誌をつけている時に、何か叫び声が聞こえた。
  11. バックミラーをのぞくと、パトカーの点滅灯が光っているのが見えた。べつによくあることだった。
  12. そのまま日誌をつけていると、銃声らしいものが聞こえた。
  13. ふたたびバックミラーを見ると、ローキャスト通りを何人かの人が走って行ったり来たりしているのが見えた。
  14. よく見ると、私の弟が通りに立っていて、ふらふらとよろめいていた。
  15. 私はすぐにタクシーを降りて、彼が叫んでいる方に走り出した。
  16. 通りを渡っていくと、制服警官が私の方に振り返るのが見え、その手には銃があった。閃光が見え、私は膝をついて倒れた。
  17. 私は目をつぶり、じっと坐って、なんとか息をしようとした。
  18. 次に私が覚えていることは、蹴られ、殴られて人事不省の状態から引き戻されたことである。
  19. 目を開けると、警官が私を取り囲んでいるのが目に入った。
  20. 彼らは叫び、ののしり、私をつかんだり引っぱったりした。私は呼吸困難を感じ、意識が遠のいた。
  21. 私を取り囲んでいる警官たちの間から、弟が見えたが、血が首筋を伝って流れていた。また歩道には一人の警官が仰向きに倒れているのが見えた。
  22. 私は、警官たちに立たせられると、電話線用の電柱にたたきつけられ、殴られ、囚人護送車に放り込まれた。
  23. 私はそれからずっと眠っていたのだと思うが、ドアが開く音が聞こえて気がつくと、白いシャツを着た白人警官が私をののしりながら乗り込んで来て、額を殴った。
  24. この男が「ニガー」とか「黒のバチアタリ野郎」とか、言いたい放題のことをやたらに言っていたこと以外は、何を言っていたか、あまり憶えていない。
  25. 彼は立ち去り、私はまた眠ったのだと思う。護送車がいつ動き出したのか、定かではないし、しばらくのあいだ移動していたのも覚えていない。
  26. 目が覚めると、運転手が無線で囚人のことを話しているのが聞こえた。
  27. 無線から聞こえる誰のものかわからない声で、私は自分が数ブロック離れた警察本部ビルに運ばれつつあることを知った。
  28. そして、「I.D.’d as M-l 」というように無線から聞こえ、運転手にジェファーソン病院へ行くように伝えているのが聞こえた。
  29. 到着すると、護送車から地面に投げ出され、殴られた。
  30. ジェファーソン病院の入口で、ふたたび殴られた。
  31. 肺の中に出血していたので、私は話すことが困難だったし、叫ぶことなど不可能だった。
  32. 私は誰に対しても、告白などしていない。なぜなら告白するようなことは何もなかったからだ。
  33. 私は、自分が警官を撃ったなどといったことはない。警官を撃っていないからだ。
  34. 私は、彼が死ねばよい、などと言ったことはない。それに類したことも一切、言っていない。
以上の供述は真実であり、正確である。そして、2001年に、ペンシルベニア州ウェインズバーグ【グリーン刑務所の所在地】において私が述べたものであることに相違ない。

Case No 99 Civ 5089 (‘101-IN) Petitioner, ) ) ) ) MARTIN HORN, Commissioner, ) Pennsylvania Department of Corrections, ) and CONNOR BLAINE, Superintendent of ) Defendants.

MUMIA ABU-JAMAL

UNITED STATES DISTRICT COURT

EASTERN DISTRICT OF PENNSYLVANIA
The State Correctional Institution at Greene)

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